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幻想帝都 神州御親領衛記  作者: ニュートリノ鈴木
二章 珠洲原陽鳥という女
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九十六話 椅子二脚のあいだで嘘を置く


九十六話


96-1 椅子二脚のあいだで嘘を置く



本部裏の整備棟脇は、夜になると声の逃げ道が少ない。


壁に跳ね返るほど狭くはない。だが、広場みたいに言葉を散らせるほど風もない。だから、言いにくい話ほどまっすぐ届く。珠洲原陽鳥はそれを分かっていて、わざわざここを選んだのだと紺野健太郎は思った。


陽鳥は端末を膝に置いたまま、指を離していた。

あの女が端末から手を放す時は、仕事の話で逃げないと決めた時だ。


「順番やめるって言ったけど、ひとつだけ先に置く」


陽鳥が言う。喉の焼けた声はまだ少し掠れている。


「私、健ちゃんに能力の本質、わざと間違えて教えてた」


紺野の顔は動かない。

動かないまま、右手が膝の横で一度握られる。怒鳴る前に自分を止める癖だ。いまはそれで足りる。


「……何を」


低く言う。


「どこまでだ」

「かなり、根っこのところ」


陽鳥は目を逸らさない。一拍。


「健ちゃんの力は"拒絶"と"否定"が芯だ、って教えたでしょ」


紺野の喉がざらつく。言い返すより先に、これまでの戦い方が頭の中で勝手に並ぶ。噛み砕く。押し切る。侵入を拒む。相手を否む。壊して前に出る。全部、その線で覚えた。


「あれ嘘」


陽鳥が言い切る。

夜気が少し冷える。

整備棟の壁の向こうで、誰かが工具箱を置いた音がして、すぐ遠ざかった。二人のあいだだけ、別の時間が落ちる。


「……じゃあ何だよ」


紺野は椅子の背に体を預けず、前屈みのまま問う。声が低い。


「いまさら言い方だけ変えて済む話じゃねえぞ」

「済まないよ」


陽鳥は喉を一度押さえ、浅く息を吸った。小さく言う。


「済まないから、いま言ってる」


それから、逃げずに続けた。


「本来の性質は、逆」


「健ちゃんの力の芯は、拒絶と否定じゃない」


もう一拍。


「同化と理解」


紺野の眉がはっきり寄る。

意味が入るより先に嫌悪が立つ種類の言葉だった。いままで自分が振ってきた黒い奔流の挙動と、あまりにも手触りが違う。


「ふざけてるのか」


紺野が吐く。


「いまの戦い見て、それ言うのかよ」

「見たから言う」


陽鳥の声も落ちる。


「いまの健ちゃんの使い方は、本質を逆向きに捻って使ってる形だから」


端末には触れないまま、言葉だけを置く。


「それでも強い。でも、歪む」


96-2


紺野はすぐには返せなかった。

怒りはある。

騙されていたという事実への苛立ちも、使われてきた感覚への反発も、喉の奥にまとめて上がってくる。だが目の前の陽鳥は、その全部が来るのを分かった顔で座っている。逃げないと決めた人間の顔は、怒鳴る側にとって一番やりにくい。


「嘘を入れた理由は、ひとつじゃない」


陽鳥が先に続ける。膝の上で指を組み直す。


「本質を抑え込むため。歯止めに、錨にするため」


一拍。


「周りを壊さないため。そして、私が怖かったから。――健ちゃん自身を、早く壊さないように」

「俺を守ったって言いたいのか」


紺野の目が細くなる。


「半分は」


陽鳥は即答した。


「半分は、私の都合」


そこを濁さない。


「健ちゃんに"拒絶と否定"を本質だと思わせれば、力の出方が細くなる。狭くなる。意思で絞りやすくなる」


喉の痛みで少し声を切ってから、続ける。


「その代わり、本来の出力も、意味も出ない」


紺野の右手がまた膝の横で握られる。二度目。

凛藤との戦闘で感じた手応えと、終わった後の妙な空虚さが同時に繋がる。通した。だが、通した後に残る何かが、いつも綺麗じゃない。陽鳥はそこを"逆向きに捻ってる"と呼んだ。


「……だから、あのザラつきか」


紺野が低く言う。


「うん」


陽鳥の目が少しだけ細くなる。痛いところを自分で言われた時の顔だ。小さく頷く。


「健ちゃん、力を使う時に壊す、否むを前に置くと、手数は増えるけど噛み合わせが悪くなる」


言い方を選ぶ。


「本来なら一手で済むところを、何手もかけて削ってる」


一拍。


「しかも、使ったあとに中が空く」

「よく見てるじゃねえか」


紺野は鼻で笑う。笑いになっていない。


「見てるよ」


陽鳥は笑わない。はっきり言う。


「だって、私がそうなるようにしたんだから」


風が通る。

壁際の影が少し揺れる。


「このまま本質を勘違いしたまま進めば、健ちゃんは位階の高さだけじゃ押し切れない相手に、手順ごと折られる」


陽鳥はそこで、さらに重い話を足した。


「今だって押し切れてねえだろ」


紺野が眉を寄せる。


「うん。だから今の内に言う」


陽鳥は頷く。


「例えば凛藤義貞みたいな相手」


その名は、いまの二人にとって抽象じゃない。傷口の熱と同じ温度で残っている。


「"拒絶と否定"の持ち方のまま行くと、健ちゃんは自分で自分の枠を狭めたまま戦うことになる」


声は静かだが、言葉は重い。


「通せる手を削って、残せる角度も捨てて、最後は止められる前提のまま何も返せなくなる」


紺野の喉が鳴る。

反発はすぐ出せる。「もう戦った」「二度通した」と言い返せる。だが、その二度が"本来の持ち方じゃないままの無理"だったと言われると、凛藤の前で感じた半歩の重さが邪魔をする。


「……あのおっさんを例に出すのか」


紺野が吐く。


「脅しで出してるんじゃない」


陽鳥は逃げずに言う。


「いま健ちゃんが今一番、嘘を言い訳にできない相手だから」


正しい。

正しいから腹が立つ。ここ数日、そればかりだ。


96-3


しばらく沈黙が続いた。


本部の中から、羽場桐の声が遠くで一度だけ飛ぶ。仕事の声だ。温度が違う。夜の本部はまだ動いている。二人の話だけで世界は止まらない。


「じゃあ、いまからどうするんだ」


紺野が先に口を開いた。前屈みのまま、低く。


「"本当は同化と理解です"って聞いた瞬間に、俺が急に使えるようになるわけじゃないだろう。むしろ、意味も分からず言葉だけ先に入る方が危ねえだろ」


陽鳥の目がわずかに動く。

そこを紺野が先に言うとは思っていなかった顔だ。嬉しいとか安心とかではなく、予想を超えてきた時の硬い表情。


「……うん」


陽鳥が短く頷く。


「そこは、すごく危ない」


喉を押さえながら続ける。


「だから今日は、嘘を外すだけ。鍵はまだ渡さない」

「また分かったような言い方しやがって」


紺野が顔をしかめる。


「そうだね、分かったような言い方してる」


陽鳥は少しだけ口元を歪める。笑いの形だけ作って、すぐ消す。自覚して言う。


「でも必要だから」


膝の上で指を一本立てる。


「次戦う事になるまでに変えるのは一個だけでいい」


紺野は黙って待つ。


「"何を壊すか"より先に、"何を残すか"を決める」


陽鳥が言う。一拍。


「これは昨日も言った。でも今日から意味が違う」


視線を合わせる。


「今までは歯止めとしての言い方。これからは健ちゃんが本質に飛び込みすぎないための足場としての言い方」


「ややこしいな」


紺野は鼻で息を吐く。


「ややこしいよ」


陽鳥は即答した。


「.....健ちゃんの力、ややこしいもん」


それから、少しだけ声を落とす。


「本来の性質が同化と理解って言ったでしょ」


紺野の肩がわずかに固くなる。まだその語に馴染めていない反応だ。


「だから、いきなり分かろうとしないで」


陽鳥は続ける。喉の奥に痛みがあるのか、語尾が少し掠れる。


「いまの健ちゃんがそこで背伸びすると、理解した気になって開く。それが一番危ない」


紺野の右手が膝の横で三度目に握られる。

怒りを飲むための合図だったはずが、いまは言葉を早飲みしないための合図にもなっている。前なら、ここで噛みついて終わっていた。いまは終わらせられない。終わらせると、自分の足場まで消える。


「……姉さん」


紺野が低く呼ぶ。

陽鳥の手が一拍止まる。二人きりの時だけの呼び方だ。呼ばれること自体は想定しているくせに、毎回止まる。


「なに」

「お前が嘘ついてたこと、いま許す気はない」


紺野はしばらく黙ってから言った。まっすぐ言う。


「たぶん、しばらく無理だ」


陽鳥は頷く。そこは受ける顔だ。


「でも、聞く」


紺野が続ける。


「全部じゃない。選ぶのは俺だ」


視線を上げる。


「その上で、次の戦いまでに一個変える。"残す方"から決める。――これでいいか」


陽鳥の目が細くなる。痛みと安堵と、まだ消えていない恐怖が同時に出る、あの女のいちばん厄介な表情だった。


「……うん」


喉を気にして短く返す。


「それでいい」


さらに低く言う。


「本当は、最初からそうしてほしかった」

「嘘つけ」


紺野が即座に返す。


「半分ほんと」


陽鳥の口元がわずかに上がる。間を置かずに足す。


「半分は、最初からそれされると私が困ってた」


そこを否定しない。

その正直さが、いまは妙に効く。許せるわけではない。だが、ここで切り捨てる形にもならない。


本部の中から、今度は東雲の声が遠くで聞こえる。位置を言っている。夜番の兵か、誰かの順番を直している声だ。


陽鳥が椅子から立ち上がる。少しふらつく。すぐ立て直す。

紺野が反射で手を出しかけて、途中で止める。出すかどうかを一拍迷う。その一拍自体が、前にはなかった。

陽鳥はその止まり方を見て、何も言わない。

端末を抱え直し、喉を押さえる。


「戻ろ。妙子ちゃん、たぶんもう怒ってる」

「たぶんじゃないな」


紺野が鼻で息を吐く。

二人で少しだけ笑う。短い。すぐ消える。

仲直りの笑いではない。前のままへ戻る笑いでもない。嘘が一つ剥がれたあと、それでも同じ本部へ戻るための笑いだった。


紺野は椅子から立ち上がる。肩が引きつる。痛い。

だが、さっきまでより体のどこに力を残すかは分かる。沈砂池の後味は消えない。ざらつきもまだある。けれど、そのざらつきの理由に、初めて別の名前がついた。


拒絶と否定。


それは教え込まれた持ち方で、歯止めだった。

本来の芯は別にある。だがそこへいきなり飛び込む段ではないのだと。


本部裏の弱い灯りの下で、二人は並ばずに歩く。少しずれた位置。仲がいいようには見えない。だが、完全に別の線でもない。


前のままには戻らない。

戻らないまま、次の戦いまでに変えるべき一個だけが、やけに重くはっきりしている。


何を壊すかではなく、何を残すか。

その順番だけを持って、二人は仕事の声がある方へ戻っていった。


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