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幻想帝都 神州御親領衛記  作者: ニュートリノ鈴木
二章 珠洲原陽鳥という女
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九十一話 捨てるものを先に決める


九十一話


91-1 捨てるものを先に決める



沈砂池の縁で、夜はまだ薄く軋んでいた。

連絡橋の中央に凛藤義貞。南縁に紺野健太郎と珠洲原陽鳥。


距離は変わらない。だが、変わらないまま残っている理由は、もう最初の頃とは違う。見えていないから届かないのではない。見え始めたものを、まだ使い切れていないから届かない。


凛藤が言った「何を捨てて、何を通すか」の問いは、沈砂池の上に残ったまま消えない。


「精度」


先に答えたのは陽鳥だった。端末を抱えたまま、前を見て言う。


「次に捨てるのは私の精度。観測の粒度を切る。入口で死ぬ虫に"ついで"を乗せない」

「また嫌そうな顔して言うな」


紺野が横目で見る。


「嫌だからよ」


陽鳥は即答した。声は低い。

そのまま凛藤を見据える。


「昔、貴方に遮音槽で同じこと言われた時も、三日くらい機嫌悪かったわね」

「四日だ。三日目の夜に余計な検証を足して失敗した」


凛藤の声が懐かしむでも無く平坦に落ちた。


「いちいち覚えてるの、本当に性格悪いよ」


陽鳥の目が冷える。


「覚えているから同じ失敗を止められる」


凛藤は一歩も動かない。


「お前は素材が良いぶん、精度に酔うと長い。切るなら先に切れ」


同じ目線を持つ者の会話だ。だが温度は対等ではない。

上下ではないのが余計に厄介だった。凛藤は権威を振りかざさない。ただ、届く範囲の広さで先に立っている。だから陽鳥は反発できる。反発できるのに、言われたことは戦場でそのまま響く。


「俺は──」


紺野が陽鳥に言葉を投げる前に、凛藤が答える。


「勝ち筋の絵だ。君は一撃を通す絵を早く作りすぎる。いま必要なのは、通る形がどこに生まれるかを見ることだ」


紺野の右手が膝の横で握られる。怒りを噛み切る合図。もう反射になっている。気に食わない。だが、気に食わないまま使えてしまう。

紺野は血の混じった息を吐く。


「……要するに、俺は"当てる"の後回し。陽鳥は"見る"の後回し」

「そうだ」


凛藤が言う。


「その二つが揃うと、次の段に入れる」


陽鳥が端末の縁を指で二度叩く。考える時の癖だ。

その癖を凛藤は見ている顔だったが、何も言わない。

言わない代わりに、連絡橋の欄干根元、橋下面の金具列、沈砂池縁の角で、構造物の"使われ方"だけがまた薄くなる。壊れてはいない。折れてもいない。だが、踏み替えと進路の理由だけが先に痩せる。

授業の続きではある。だがいまは、もう講義ではなく実技だった。


「位置だけだ」


凛藤が言う。


「うるさい、分かってる」


陽鳥が苛立ちを返す。


「.....めんどくせえ講師だな」


紺野は鼻で息を吐く。


「教える事は向いていない。だが今はそれで足りる」


凛藤は平坦に返した。


91-2


陽鳥が子機を切る。

数は少ない。数は薄い。

入口で死ぬ前提の観測だ。比較だけ取る。派手さはない。細く、浅く、早く捨てる。さっきまでの陽鳥が嫌っていた使い方そのものだった。


橋継ぎ目で一つ落ちる。

欄干根元の手前で二つ目が痩せる。

橋下面の金具列に触れる前に、まとめて消える。


紺野が動く。沈砂池縁を左へ流れ、切れた連絡橋の下へ潜る角度を取る。真正面ではない。だが、回り込み切る前に「中央へ行く気」を見せる。凛藤に守る場所を選ばせるための入り方だ。


凛藤は動かない。

動かないまま、橋下面の金具列が左から順に鳴る。ひとつ、ふたつ、三つ、五つ。止める点が増えている。紺野の選択肢が増えた分だけ、凛藤の術も増える。


「右を止めて」


陽鳥の声。

紺野の右足が半拍止まる。止められたのではない。声と視界を先に使った停止だ。そこへ右腕から黒い奔流を橋下面へ走らせる。術の縁を噛み、削り、細い通路を無理やりこじ開ける。だが向きが少し違う。本体へではなく、相手が先に意味を置いた"場"へ差し込んでいる。


一歩目。入る。

二歩目。前より深い。

三歩目の前で、沈砂池縁の手すりの残骸が沈む。


「捨てて」


陽鳥の声。

紺野は右を捨てる。左足の置き場を一度だけ見て、黒い奔流を足元へ薄く差し込む。前へ出るためではない。止まる位置を死なせないための差し込み。

凛藤の前方の術が組み替わる。

連絡橋中央寄りにあった圧が、橋下面の欄干根元へ寄る。見えない。だが変わったことは分かる。守る順番が動いた。


紺野は踏み込まない。橋下面の欄干根元を見る。

そこが"太い"。凛藤の術が先に守った場所だ。


「そこか」


紺野が低く言う。


「感想は不要だ。事実だけを見ろ」


凛藤が淡々と被せる。

紺野の眉が歪む。腹立たしいがいまは外れていない。

紺野は感情を飲み込み、欄干根元の"影"へ黒い奔流を叩き込む。

暴力の向きがさらに変わる。人を殴るためではなく、相手の術が意味を置いた場所を崩すための一撃。


その瞬間、陽鳥が子機の役割を切り替えた。

観測を一段捨て、感覚改竄も捨てる。

精神干渉の入口として使うのを諦め、ただの雑音発生へ寄せる。盤面を汚すためだけの使い方。研究局の地下で凛藤に赤字で潰された時、最後まで納得できなかった切り替えだ。


小さな破裂が連続する。

音としては聞こえない。認識の端で乾いた粒が弾けるみたいなノイズだけが、橋下面と沈砂池縁のあいだに散る。


凛藤の視線が一度だけ、欄干根元から沈砂池縁の角へ滑る。

ほんの一拍。誤差にもならない寄り道。

それでも陽鳥の目が細くなる。収穫だ。通らない。だが、ゼロではない。


「遅いが、正しい」


凛藤が言う。


「ようやく"通らない虫"の使い道を思い出したか」

「思い出したんじゃない。嫌々やってるだけ」


陽鳥の口元が冷たく歪む。


「それでいい」


凛藤は平坦に返す。


「好きな手だけで勝てるなら誰も困らない」


91-3


会話の量が落ち、戦闘の密度だけが上がる。

陽鳥は虫を投げる。薄く、少なく、捨てる前提で。

紺野は黒い奔流を使う。相手本体より先に、相手が意味を置いた場へ。

凛藤は動かない。動かないまま、連絡橋、橋下面、沈砂池縁の"使われ方"だけを削り続ける。


一度。

二度。

三度。


紺野は前より深く入る。

陽鳥は前より多くの「守る順番」を見せさせる。

だが、それだけだ。


決定打は生まれない。

虫は入口で死ぬ。雑音にしても、一拍の寄り道を作るのが限界だ。

紺野の暴力は場を噛み崩せる。だが凛藤は殺さないための術を増やし続け、通路が一本生まれるたびに二本潰す。


「……くそ」


紺野が血の混じった息を吐く。沈砂池縁へ跳ね戻る足が、前より重い。止められ方が雑ではなくなった分、消耗が身体の深いところへ溜まる。


「健ちゃん、次で変える」


陽鳥は端末を見たまま低く言う。


「何を」


紺野が睨む。


「虫の使い方」


陽鳥の指が止まる。迷いではない。覚悟を切る前の停止だ。


「このままだと有効打にならない。順番は見える。削れる。でも"届かない"」


その言葉に、凛藤の眉がほんの少し動く。

凛藤は言葉を挟まない。陽鳥が自分でそこへ着地したかを見ている顔だった。


「入口で死ぬ虫を入口に使うのはここまで」


陽鳥は続ける。一拍。


「次は、入口じゃなくて、通す器にする」


紺野の眉が寄る。意味は全部分からない。だが、陽鳥の中で演算配分が変わり始めたことは分かる。親機群の処理比率が、観測でも改竄でもない別の形へ寄っている。細い列ではなく無理矢理通す構造を想定した配分だ。


「それだ」


凛藤がそこで初めて、陽鳥へはっきりと言った。平坦な声のまま。


「ようやく有効打の話に入れる」

「貴方に褒められたくない」


陽鳥の目が冷える。


「褒めてはいない」


凛藤は即答した。


「段階確認だ」

「段階確認ばっかだな、あんた」


紺野が鼻で息を吐く。笑いにならない音だ。


「君たちが飛ばしたがるからだ」


凛藤の声は最後まで平坦だった。


「飛ばすなとは言わない。飛ばすなら何を踏み台にしたかを理解しろ」


沈砂池の縁の外側で、御親領衛の線がわずかに動く。誰も中央へは入らない。入らずに、戻り線と位置と外周だけを保つ。中央の三人が次の段へ入るのを、戦場を壊さない形で待っている。


陽鳥が端末を持ち直す。

紺野が右手を膝の横で一度握る。

凛藤は連絡橋の中央で一歩も動かない。

ここでようやく、答えが一つ揃った。

このままでは有効な手にはならない。だから、次は虫の役割そのものを変える。観測でも改竄でもなく、通すための器へ。


沈砂池の水面は黒いまま何も映さない。

映さないまま、連絡橋の中央と沈砂池の縁のあいだで、夜の空気が一段だけ重くなる。

まだ出していない手がある。

まだ、出せる距離ではない。

だが、次はそこを無理にでも繋ぎにいく段だった。


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