表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
幻想帝都 神州御親領衛記  作者: ニュートリノ鈴木
二章 珠洲原陽鳥という女
70/193

六十八話 店先に落ちる紙


六十八話


68-1 店先に落ちる紙



高倉源三が戻ってきた時、帽子のつばに付いた粉だけで、今日は河岸より紙問屋の線を長く歩いたのだと分かった。


魚の鱗でも土でもない。帳場の棚から落ちる古い紙粉の色だ。

小会議室へ入るなり、高倉は最初に湯呑みを取らず、帽子を膝へ置いた。


「先に言っとく」


低い声で言う。


「機械のことは何も分からん。分かるのは、誰がどういう顔で"こういう紙あるか"って聞きに来るかだけだ」

「それで十分です。お願いします」


羽場桐が頷く。

高倉は指を一本立てた。


「景道院で見た幅に近い帳票紙そのものは、どこにでもある。学校だけじゃねえ。役所の端、倉庫の控え、清掃の外注、問屋の仮伝票。紙幅だけで追うと広がりすぎる」


綾瀬が小さく頷く。嫌そうな顔のまま、否定はしない。

二本目。


「ただ、最近増えてるのは"紙そのもの"じゃなくて、紙の切り方と、渡し方の相談だ。『何枚かだけ細く切れるか』『宛名を書かずに束で回せるか』『店の控えに名前残したくない』——そういうの」

「発注元の顔は割れませんか」


護国が目を上げる。


「割れねえ」


高倉は首を振る。


「表は散ってる。小口で、急ぎで、店ごとに違う顔出してる。ただ、落ちる先は似る。正式に大きくしたくねえ用事を、店先で済ませたい連中だ」


三本目で、高倉は少しだけ声を落とした。


「もう一つ。個人宛ての照会みてえな紙も増えてる。役所の書式じゃなく、丁寧ぶってるのに宛先だけ妙に具体的なやつ」


羽場桐の指が一瞬止まる。


「具体的、とは」

「"係"じゃなく"担当"でもなく、個人名と役目を一緒に書く」


高倉が言う。


「店の連中はそういう紙、気持ち悪がる。公の顔してるくせに、責任だけ私物っぽいからな」


機械の話ではない。紙の落ち方の話だ。高倉の仕事はそこで鋭い。

陽鳥の端末音声が少し遅れて入る。


『研究局に来た個人宛て照会と、匂い近いね』


軽く言ってから、すぐに続ける。


『文面の作りじゃなく、"誰にどう落とすか"の感じが』


紺野は壁際で腕を組んだまま、目だけを上げた。


「じゃあ外の線、まだ使えるか」

「観測線としては、今日で十分です。これ以上は同じものを見せるだけになる」


羽場桐は紙を一枚めくる。高倉の報告を見ながら言葉を継ぐ。


「ただし、市場・雑貨・帳場の"落ち先"の線は残す。高倉さん、深追いしない範囲で継続を」

「店先で嫌な顔されるところまで、だな」


高倉は鼻で笑う。


「はい」

「そこまでならいつもの仕事だ」


東雲が湯呑みを置く。今日は少し濃い。三つ子は部屋の端で、札束の角を揃えたい衝動と戦っていた。


「まだ揃えない」


東雲が言う。


「昼まで」

「ながいー」


三葉が言い、一葉が「がまん!」と自分に言い聞かせる。双葉は札束を見ないように壁を見ている。

本部の空気は、まだ導入線の延長にある。だが重心はもう、紙の中身ではなく、紙の落ちる先へ移り始めていた。


68-2


陽鳥が出した紙は、研究局の正式照会ではなかった。


白い封筒。差出の組織名はない。宛名だけが丁寧に書かれている。


珠洲原陽鳥主任殿。


肩書まで入っている。だが書き方は、公文書の癖とも私信の癖とも少し違う。

羽場桐は封を切る前に、まず宛名を見た。字のうまさではない。距離の取り方を見る。


「研究局の窓口を通していませんね」


羽場桐が言う。


「個人宛てで、私の作業台に直接。昨日の夕方」


陽鳥は頷く。笑っていない顔で続ける。


「内容は薄い。でも聞き方が嫌」


護国が封筒を受け取る。中の紙は一枚。質問は短い。だが問いの立て方が、ふつうの事情聴取ではない。


時刻記録の欠落は同期不良で説明されることが多いか

欠落時、記録担当の交代有無はどこで判別するか

同一案件で「記録粒度」が担当者ごとに変わる場合、通常運用か


「内容そのものより、書き方の癖を聞いている」


紺野の指先が机の端を叩いた。


「ええ」


羽場桐が答える。


「何が起きたか、ではなく"誰がどう書くか"を知りたがっている」


陽鳥は机の端を指で二度叩いた。考える時の癖だ。


「研究局に来る質問としても変。ふつうは同期不良の仕組み聞く。これは運用担当の手つきを聞いてる」

「学校の返納線と同じです。規程じゃなく、現場の癖」


綾瀬が小さく言う。

紺野の視線が鋭くなる。机の端にある、あの記録の空白を含む写しの束へ一瞬だけ流れる。流れただけで、触らない。今日はまだ触らないと決めている顔だ。


羽場桐はその視線を拾いながら、先に紙を並べた。


研究局の個人宛て照会。

本部で回した写しの束。

運用メモ。

護国の整理表。

陽鳥の解析メモ。


「ここで確定に飛ばないでください」


羽場桐の声は静かだった。


「繋がりは濃い。ですが、濃いことと断定は別です」

「分かってる」


紺野が低く返す。


「分かっているから腹が立つ」

「紺野少尉、その腹立ちは正しい」


陽鳥がそこで口を開く。軽口ではない。

部屋が少し静かになる。


「でも今は、"誰が見たか"より"どう見てるか"の方が先」


東雲が湯呑みを紺野の前へ置いた。少し熱い。考える前に飲ませる時の温度だ。

護国が紙へ新しい見出しを書く。


時刻管理/筆癖/粒度差

「再確認は隊内でやります」


護国が言う。


「正式照会は上げない。まず、こちらの通常運用の揺れ幅を自分たちで固定する」

「"ふつうに起きる差"をこっちが知らないと、相手の質問のいやらしさも測れない」


真名が頷く。


「店先の話でも同じだな。いつもの雑さと、見せるための雑さは違う」


高倉は帽子を膝で叩きながら言う。

機械に触れない。運用と商売の勘だけで繋ぐ。高倉はそこにいるだけでいい。


「外周の導入線は、今日で閉じます」


羽場桐は紙を中央に寄せる。言い切った。


「午後は持たせない運用の最終確認。並行して、同行記録の時刻管理線を隊内で洗います」

「俺は」


紺野が顔を上げる。


「単独で紙に入らないでください。紺野少尉には、見える顔を残してもらいます」


羽場桐の返事は速い。


「.....また、それか」


紺野の眉が寄る。


「またです」


羽場桐は視線を逸らさない。


「あなたが急に紙へ沈む方が、相手には情報になります」


反発はある。だが、前ほど荒れない。その代わり、紺野の視線は陽鳥の指先——机を叩く癖へ、一度だけ鋭く落ちた。


68-3


午後の本部は、導入線を畳む日にしては静かだった。


静かすぎるとも言えた。

柔らかい声も、硬い声も、今日は差し込まれない。外周の運び順は切り、札の角は揃えさせず、持たせない運用を維持した。相手が見に来ても、拾える癖を減らしたぶん、現場のいらつきだけが残る。

そのいらつきは、机の前に来ると別の形になる。


小会議室で、羽場桐は隊内の記録運用を一つずつ洗っていた。どの紙に何分粒度で時刻を書くか。誰が埋めるか。交代時にどこへ癖が出るか。護国の整理は正確で、東雲の記憶は柔らかいのに抜けが少ない。真名は人の手癖の説明がうまく、綾瀬は景道院側の運用差を感情抜きで挟む。


陽鳥は研究局側の紙だけを出す。出すが、説明の順番を羽場桐に合わせている。それが紺野には余計に引っかかった。


「今日の本部線はこれで閉じます」


会議が一段落した時、羽場桐が紙を伏せる。全員の目が上がる。


「声誘導・追従更新の導入観測は終了。ここからは崩れない運用に固定しつつ、隊内の優先案件へ戻します」

「やっと本題か」


志摩が椅子にもたれたまま言う。


「本題です」


羽場桐は頷く。


「導入で拾った輪郭は十分に効きます。これ以上は尺を使うより、主軸に渡した方がいい」


誰も異論を出さない。現場を回していた側ほど、それが分かる顔をしている。


「じゃあオレは店先の線だけ細く残す。個人宛ての小口照会がどこに落ちるか、嫌な顔されるところまで」


高倉が立ち上がる。


「お願いします。深入りはしないでください」


羽場桐が答える。


「しねえよ。八百屋に戻れなくなる」


笑いが少しだけ落ちる。

三つ子は東雲に札束を返し、ようやく角を揃える許可をもらって歓声を上げた。


「やっと!」

「気持ち悪かった……」

「そろったー!」


その声を聞きながら、紺野は机の端の写しの束を見ていた。触らない。だが視線は離れない。

会議が解け、人が散る。護国は羽場桐と紙を抱えて資料室へ。高倉は帽子を被って外へ。真名と樋道は搬送の後片付け。志摩は端末を耳にしたまま廊下の角へ。東雲は三つ子の位置を揃えて本部の奥へ流す。


部屋に残ったのは、紺野と陽鳥だけになった。

それを確認してから、紺野は低く言う。


「……姉さん」


陽鳥の肩が一拍だけ止まる。いつもの反応だ。


「.....なに」

「研究局に来た紙」


紺野は机の上の封筒を見たまま言う。


「俺に先に見せなかったのは順番ってのは分かる」


陽鳥は何も言わない。先を待つ顔だ。


「でも」


紺野の声が少し硬くなる。


「今のは、順番だけじゃないだろう。俺がどう反応するかも見ていた」


陽鳥はしばらく黙って、それから小さく息を吐いた。


「見てた」


否定しない。


「健ちゃんが紙に入ると、向こうが何を拾うかも含めて」

「俺を餌にしすぎだ」


紺野の指が机の端を強く押す。木が小さく鳴る。

陽鳥の顔から笑みが消える。


「してるね」


低い声だった。


「でも、健ちゃんを守る時と、隊を守る時と、私が先に知ってる線を潰す時、順番が同じにならないことがある」


以前、資料室で聞いた声の温度に近い言い方だった。安全圏の確保。隊のためでも、自分のためでも、相手のためでもある、あの嫌な正しさ。


「それを俺が選べないのが、一番腹立つんだよ」


紺野は目を細める。

陽鳥は答える前に、白衣の袖口を少しだけ握った。黒い点は出ない。今日は出さない。


「知ってる」


それだけ言う。


「だから——ここからは、健ちゃんに説明する線を増やす。全部じゃないけど」

「全部じゃないのか」


紺野が鼻で息を吐く。


「全部は、まだ危ない」


陽鳥は言う。


「健ちゃんが、じゃなくて。順番が」


また順番だ。羽場桐も言う。陽鳥も言う。どちらも正しい。正しいから腹が立つ。腹が立つのに、もう一方的に噛みつける段階でもない。


「……次は俺に何やらせる」


紺野は机の上の封筒から視線を外し、扉の方へ向いた。


「妙子ちゃんが決める仕事とは別に?」


陽鳥は少しだけ目を細める。


「別にだ」

「じゃあ」


陽鳥は端末を持ち直した。


「あの紙の中身じゃなくて、"誰が何分で書くか"を一緒に見て。健ちゃん、そこ今まで嫌って避けてたから」


紺野は顔をしかめた。図星だった。


「性に合わない」

「それも知ってる」


陽鳥は小さく笑う。今度の笑いは薄い。


「でも今は、たぶん必要な事」


紺野はすぐには返事をしなかった。外の導入線は畳んだ。次は隊の中の火だ。そこへ入るのに、力だけでは遅れる。遅れるのが嫌で、だから余計に紙が嫌いだった。


「……分かった」


やっと言う。


「見るだけだ。まだ触らない」

「うん。それでいい」


陽鳥は頷く。

二人きりの沈黙が少し落ちる。重いまま、前よりは崩れにくい沈黙だった。


「紺野少尉、珠洲原主任。次の紙、こちらへ」


廊下の向こうで、羽場桐の声がした。

呼ばれ方が仕事の順番に戻る。紺野は舌打ちを飲み込み、陽鳥は端末を抱え直す。


扉へ向かう前に、紺野は一度だけ机の封筒を見た。内容ではなく、宛名と肩書の書かれ方を。

誰に、どう落とすか。外で拾った嫌な手口は、もう隊の中の紙にも同じ顔で触り始めている。


導入は終わった。

ここから先は、言い訳の利かない順番で火が近づく。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ