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幻想帝都 神州御親領衛記  作者: ニュートリノ鈴木
二章 珠洲原陽鳥という女
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六十九話 紙に出る速さ


六十九話


69-1 紙に出る速さ



資料室の机は、現場より先に人の癖を吐くことがある。


血も泥もない。あるのは紙だけだ。だが紙しかない場所ほど、誰が何を急ぎ、何を後回しにし、何を「書いたことにした」かが残る。羽場桐妙子は、こういう場で人を見る時、顔より先にペン先の止まり方を見る。

机の上には記録が並んでいた。


工業区画、西部中継倉庫、河岸、景道院、本部内搬送。加えて、比較用に過去任務の報告を数件。名前欄は紙片で隠してある。見せるのは時刻と記述の刻みだけだ。


「今日は字の上手さは見ません」


羽場桐が言う。


「見るのは、何分単位で刻むか、どこで急に粗くなるか、どの欄を飛ばすかです」


紺野は腕を組みかけて、やめた。今日は止める顔ではない。見る役だ。


「筆跡って、字じゃないのか」

「字も含みますが、今は運用上の筆跡です」


羽場桐は紙を二枚ずらす。


「護国少尉は三分刻みが多い。東雲さんは五分刻みでも場所の言い換えが細かい。珠洲原主任は採取対象で急に粒度が上がる。……そして、意図して空ける人間は、空白の前後を整えすぎる」


紺野の視線が止まる。

あの同行記録の七分。机上にはその写しもある。名前欄を隠しても、そこだけは隠しきれない顔をしていた。


「紺野少尉、そこだけ見ないで前後も見て」


陽鳥は棚にもたれ、端末を抱えたまま言う。軽く言うが、目は笑っていない。


「抜けた紙は、抜けたところより"抜けても成立するように揃えたところ"に癖が出る」


紺野は舌の裏で悪態を噛み潰し、紙を引き寄せた。

時刻欄、採取欄、引継ぎ欄。前も後も細かい。七分だけ空いている。空いているのに全体のテンポは崩れていない。忘れた紙の間ではない。作った紙の間だ。


「……これ、空白そのものじゃなくて」


紺野が言いかける。


「空白を置いた後の整え方、ですね」


護国が先に足した。護国は別紙に線を引く。


「通常、現場で抜けるなら前後の表現か時刻刻みも乱れます。ここは乱れていない。つまり、あとで戻して埋めたか、最初からここだけ空けて全体を合わせたか」

「ええ。少なくともそこまでは持てます」


羽場桐が頷く。

紺野の喉がざらつく。言語化されると、あの紙の嫌さが一段具体になる。


「じゃあ次は」


紺野が低く言う。


「誰がそれ見たがってるか、か」

「正確には」


羽場桐は新しい紙を中央へ置いた。


「誰が"そういう見方をしているか"です」


研究局に落ちた個人宛て照会の写し。質問は短い。だが、問う角度が同じだった。内容の是非ではなく、欠落時の見分け方。担当交代の判別。粒度差が通常揺れかどうか。


「現場の手順を盗ってた連中と、紙の見方が同じだな」


紺野は紙を見下ろしたまま言う。


「可能性は高いです」


羽場桐はあっさり言う。


「だからここからは、記録の中身より、こちらの"書く癖"の方を先に固定します」

「紺野少尉」


陽鳥が端末を机に置く。軽い音なのに、紺野には妙に耳につく。


「何だ」

「いま見てるの、私の七分だけじゃないからね」


紺野は顔を上げる。


「分かってる」


言ってから自分でも少し不機嫌になる。


「.....分かってるって言う回数増えたな、最近」

「いいことだよ。多分」


陽鳥は小さく笑った。

その笑い方が気に入らなくて、紺野は次の紙へ視線を落とした。


69-2


午後の帳場は、忙しい店ほど「知らない」をうまく言う。


高倉はその"うまさ"を何軒か見て戻ってきた顔をしていた。帽子を取る前に指先の紙粉を払う。河岸ではなく店先の癖だ。


「一個だけ」


高倉が言う。


「顔割れる話じゃねえが、使い方の匂いはある」

「お願いします」


羽場桐が頷く。

高倉は細く切った紙束を机へ置いた。新品ではない。店の端で見本に使う類の端紙だ。


「こういう細切り、ふつうは伝票の端か荷札の当て紙で出る」


指で示す。


「でも最近、"宛名を書いた一行だけ抜ける幅"で切ってくれ、って相談がある。中身じゃなく最初の一行だけ消したい時の幅だ」

「宛名だけ切る」


護国が紙束を見た。


「そう」


高倉は頷く。


「しかも店の控えに元の紙を残したくねえ顔で来る。表では正式の体裁にしたいのに、店先では名前を置きたくないやつの頼み方だ」


「学校の事務物品でも、切った後の幅をごまかす時に似た処理はします」


綾瀬が眉を寄せる。言ってすぐ足す。


「景道院に限りません。これだけで決めるのは危険です」

「ええ」


羽場桐は頷いた。


「紙幅は補助線です。主線にはしません」

「研究局に来た個人宛て照会、宛名と本文の間が少し不自然だった。最初からその体裁というより、元の文面に合わせて作り直した感じ」


陽鳥が端末を見ながら口を挟む。机を指で二度叩く。考える時の癖だ。


「"誰に落とすか"だけ差し替えて複数へ流してる可能性ある」


「宛名だけ変えて、中身は同じ線を複数に投げてるってことか」


紺野が机の端を押した。


「可能性としては高いです」


羽場桐が言う。


「内容の正誤より、誰がどう返すかを見る方が目的なら、その方が効率がいい」

「店先で見る限り、そういう"数は少ねえけど嫌な頼み方"は、雑貨屋より紙屋の端で処理されてる。表じゃなく、奥の作業机だ」


高倉が帽子を被り直す。

鼻で笑う。


「表向きはただの紙切り。警察呼ぶほどじゃねえ。だから残る」


残る。目立たないまま残る。外で拾った手口と同じ形だと、紺野にも分かった。

羽場桐は紙を束ね直し、見出しの下へ短く追記した。


宛名差替え/個人宛て化/返答癖の採取


そこまで書いてから、高倉へ視線を向ける。


「高倉さん、この線はここで十分です。以後は"店先で嫌な顔をされる範囲"だけで」

「それ以上はこっちも嫌な顔になるしな」


高倉が肩を竦める。


「ええ」

「分かった。八百屋の帰りに寄れるとこだけ見る」


役割の線が、また少しはっきりした。


69-3


夜、資料室の机に並んだ紙は、昼より少ないのに重かった。


外の線で拾ったもの——細切り幅、宛名差替えの匂い、店先で消える控え。

内の線で拾ったもの——粒度差、欠落時の判別質問、記録担当の癖への興味。


別の場所で拾ったはずの紙が、同じ見方で机に乗り始めている。

羽場桐はその重さを、先に手順へ落とそうとして、端末の着信で手を止めた。表示は荒臣少将。文面は短い。


机を見せろ。紙だけでいい。


執務室ではなく、資料室へ荒臣が来た。

珍しいことだった。紙の山の前ではない荒臣は、いつもより少し人間に見える。軍帽を持ったまま机の端に立ち、並んだ紙を上から見下ろす。手では触らない。視線だけで読む。


「現場混入型の小物線、宛名差替えの個人宛て照会、運用筆跡の観察。いずれも中身より運び方・返答癖を優先しています」


羽場桐が整理して述べる。一拍。


「目的は、こちらの止め方と記録順の採取で見てよいかと」


荒臣はすぐに答えなかった。

紙の端、細切りの幅、研究局照会の写し、同行記録の複写、その順に目を滑らせる。


「盗みが本体では無い」


短く言う。


「止める手順だ。誰が先に口を出すか、誰が紙を戻すか、誰の癖で見分けるか。そこを採ってる」

「系統は」


護国が問う。

荒臣の目が少し細くなる。


「名は出さなくていい」


まずそう切ってから、続ける。


「だが市井の行儀では無いな。陸軍の補給線に近い手癖だ」


さらに一拍。


「直の軍票はない。外郭の手足だろう」


部屋の空気が静かに締まる。

固有名は出ない。

だが十分だった。北寄りの軍系外郭。補給運用の手癖。手順採取。御親領衛が「何者か分からない」で終わる段ではない、という裁定がここで立つ。


「追い切りますか」


羽場桐は姿勢を崩さず問う。


「追い切るな」


荒臣は即答だった。


「末端は切り捨て前提で動いてる。顔を拾いに行くと、こっちの見方をもう一段渡す」


視線が紺野と陽鳥へ流れる。


「系統を握って切れ。外の線は畳め」


紺野の指が机の端でわずかに鳴る。

陽鳥は端末を伏せたまま、目だけ細くなる。

言っていることは正しい。正しいから腹が立つ種類の裁定だった。


「保留は間違ってない」


荒臣は最後に羽場桐へだけ言う。短い。


「だが長く持つな。重心を戻せ」


重心。

羽場桐の頭の中で、机の端に寄せた外の紙束と、中央へ置き直すべき紙が並ぶ。同行記録の時刻管理。筆癖。誰が書くか。外で拾った見方と、隊の中の火種が、同じ机に乗る段階へ来ている。


「承知しました」


羽場桐は深く頷いた。

荒臣はそれで終わる顔になり、軍帽を持ち直す。去り際、紙束の脇に置かれた細切りを一瞥して、ほんの少しだけ口元を動かした。


「高倉」

「おう」

「嫌な字を拾う目は使える」


褒め言葉かどうか分からない短さだった。高倉は肩を竦める。


「店の字が嫌いなだけだ」


荒臣が出ていくと、資料室に残るのは紙の匂いと、少し遅れて戻った人間の呼吸だった。


「決めます」


羽場桐はすぐに切り替える。静かに言う。


「外周観測は予定通り閉じる。声誘導線は、陸軍筋外郭の先行工作として隊内確定。末端の全回収はしません」


「次は」


護国が筆を取る。


「次は内側です」


羽場桐は中央へ一枚置く。


「同行記録を含む時刻管理線の再確認。ただし一気に開かない。段階を切ります」

「分かっている」


紺野の背筋だけが硬くなる。


「行きたいのはそこだ」

「知っています」


羽場桐は視線を逸らさない。


「だから順番を切っています」


陽鳥は机の端にもたれたまま、白衣の袖を少し握る。いつもなら軽口を入れる場面だが、今日は入れない。入れないまま、紺野の横顔を見ている。


「先に一段目だけやりましょう」


東雲が湯呑みを置いた。少し熱い。柔らかい声だ。


「いまは"誰が悪いか"より、"どこまでが普通に揺れるか"です」


「そこ分からないまま感情で入ると、向こうの質問のいやらしさに飲まれる」


真名も頷く。


「ムカつくけどな。飲ませたいように作ってる感じ」


志摩は椅子を傾けたまま、珍しく笑わずに言う。

綾瀬が紙の端を揃えかけて、東雲に見られて手を止める。今日は揃えていい時間なのに、止めた自分に気づいて少し顔をしかめた。


「……癖になってる」

「それも収穫です」


東雲が小さく笑う。

その一言で、部屋の空気が少しだけ緩む。緩んだ隙に、紺野が陽鳥へ視線を向けた。


「珠洲原主任」


公的な呼び方だ。部屋に他の人間がいる時の線を守った声。


「なに」


陽鳥が顔を上げる。


「研究局に来た紙」


紺野は言葉を選ぶ。


「明日、俺にも見せ方を合わせろ。お前だけ先に読むな、じゃなくて——」


喉の奥で一度引っかかって、言い直す。


「俺がどこまで先に見ていいか、決めてくれ」


部屋が静かになる。羽場桐も護国も口を挟まない。業務の段取りみたいでいて、実際はそれだけじゃないと全員分かっている。

陽鳥はしばらく黙って、それから頷いた。


「分かった」


声は軽くない。


「明日は一段目だけ、同じ机で見る。二段目からは妙子ちゃんの順番」


少しだけ目を細める。


「それ以上先に見たい時は、ちゃんと言って」

「言ったら止めるだろう」


紺野が鼻で息を吐く。


「止める日もある」


陽鳥は答える。


「でも、言わないで噛むよりはまし」


痛い言い方だった。痛いが外れていない。紺野は返しかけて、やめた。やめて湯呑みを取る。苦い。最近、この苦さが会議の終わりに来ることが増えた。


羽場桐はその沈黙が崩れないうちに、紙を一枚だけ中央へ置いた。見出しは細い字で、まっすぐだった。


時刻管理再確認/一段目:粒度の基準


「今夜はここまでです」


羽場桐が言う。


「明日から、外で拾った見方をこちらの紙へ逆流させないための作業に入ります」


誰も大きく「了解」とは言わない。頷きだけで足りる種類の夜だった。


本部の奥で、三つ子の笑い声が短く跳ねる。すぐ後ろで東雲の柔らかい声が位置を言い、足音が揃って遠ざかる。まだ壊れていない音だ。

紺野は机上の見出しを見た。


粒度。基準。揺れ幅。どれも性に合わない言葉だ。だが、あの空白へ行く前に通らなければならない道だとも、もう分かってしまっている。


外で拾った嫌な手口は、隊の中の紙に触れている。

なら、こちらも紙の方から迎えに行くしかない。


そう考えている自分を少しだけ嫌いになりながら、紺野は湯呑みを空けた。


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