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幻想帝都 神州御親領衛記  作者: ニュートリノ鈴木
二章 珠洲原陽鳥という女
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六十七話 持たせない手


六十七話


67-1 持たせない手



人に仕事を分けるのは簡単だ。


人から「まとめて直せる権限」を剥がすのは、思ったより疲れる。

朝の搬入口で、羽場桐はその疲れ方を見ていた。


札を切る者、貼る者、運ぶ者、声を掛ける者。役割は分けた。分けた上で、互いの手を越境させない。札台の前にいる者は貼り位置を直さない。貼る者は運ぶ順番を決めない。運ぶ者は札束の角に触らない。現場の人間にとっては、手を縛られているのと大差ない。


「それ、ずれてる」


補充線の若い兵が反射で言う。


「見えてます。触らないでください」


羽場桐が返す。


「今日はそれで進めます」


若い兵は口を結ぶ。納得はしていない顔だ。だが、納得していない時ほど人は手が出る。そこを止めるのが今日の運用だった。


搬入口の脇では、護国が札を切り、真名が貼り位置だけを担当している。東雲は箱の順番を見ている。

高倉は少し外れた位置で、帳場へ入る前の荷の顔を見ている。紺野は搬入口の芯に立ち、止める顔だけを使う。役割を持っているようで、誰も一人では現場を「整えられない」形だ。


「気持ち悪いですね」


護国が札を切りながら低く言う。


「ええ」


羽場桐は頷いた。


「その気持ち悪さを、今日は我慢してください」


紺野が横から鼻で息を吐く。


「我慢してるのは現場だけじゃないだろう」


羽場桐はそちらを見ない。


「承知しています、紺野少尉」


端末の向こうで陽鳥の声が入る。今日は本部から音場だけ見ている。


『搬入口、外壁側の反響値は平常。詰所裏も薄い』


少し間があって、続く。


『いまのところ、"待ってる"感じの静けさだね』


志摩が端で耳の端末をずらし、半笑いで言う。


「相手も我慢大会してんのか」

「してるなら好都合です」


羽場桐が短く返す。


「先に手を出した方の癖が出るので」


搬入口へ次の荷台が入る。補充札の貼り位置はばらしてある。昨日までの見せる古い型は切った。今日は逆に、相手が見ても"直したくなる所"を散らしてある。

紺野が一歩出る。


「そこで待て。今は通さない。札を先に切る」


長い。本人が言っていて嫌な顔になる言い方だ。だが運転手は止まる。止まったあと、視線が札台へ走る。誰が札を持っているか、誰に言えば早いかを探す目だ。

そこへ、柔らかい女声が被る。


「大丈夫、札は後でいい。先に寄せて」


昨日の延長だ。安心を足して、判断を借りる言い方。


だが今日は刺さり方が浅い。運転手の目が札台へ向いた先で、護国と真名と東雲の役割が分かれて見えるからだ。誰に従えば一気に片付くか、見えない。


真名が視線を切る。護国が札を切る手を止めない。東雲が箱の置き先だけを指で示す。声に対して声を重ねない。重ねると相手の土俵になる。

運転手の手が宙で止まり、紺野がもう一度言う。


「そこで待て。今は通さない」


今度は被せる声が来ない。代わりに、外壁沿いで小さな擦れ音が鳴った。昨日までの差し込みより遠い。様子見の音だ。


「ここは続けません。次の荷を通します。護国少尉、札。東雲さん、箱。真名さん、貼り位置そのまま」


羽場桐がすぐに切る。

高倉が帽子を押さえながら低く笑う。


「まとめて直せねえと、向こうも声だけじゃ押し切れねえな」


機械の話ではない。現場の権限の分け方の話だ。高倉の言葉はそこだけで十分だった。


紺野は搬入口の芯から退かない。退かないまま、止まったままの運転手の肩の揺れだけを見る。揺れは小さい。誰かの言葉に従う前に、自分で"どこへ聞きに行くか"を探している揺れだ。

それが今日の狙いだった。


67-2


昼を回る頃、高倉は八百屋の顔で戻ってきた。


近衛の隊員の顔ではない。市場を回って、帳場で嫌な顔をされて、雑貨屋の奥で茶も出されずに立ち話だけして戻ってきた顔だ。帽子の角度と、靴の埃でそれが分かる。

小会議室へ入るなり、高倉は最初に言った。


「機械の話は知らんぞ」


誰も期待していないので、誰もそこで止めない。


「その代わり」


高倉は帽子を膝へ置く。


「紙幅と雑貨の流れ、あと"相談が落ちる先"は少し見えた」


羽場桐が紙を向ける。


「お願いします」


高倉は指を折るように話した。


「景道院寄りの幅の帳票紙、自体は珍しくない。学校だけじゃねえ。役所の端、倉庫の控え、清掃の外注も似た幅使う。ここで紙幅だけ追うと広がりすぎる」


綾瀬が小さく頷く。嫌そうだが、否定はしない顔だ。


「で、もう一つ」


高倉が続ける。


「最近、雑貨の中で"札と箱の小物"だけまとめて急ぎで回す依頼が増えてる。量は少ねえ。少ねえけど、急ぎ方が妙だ。荷そのものじゃなくて、帳場の都合で急いでる」

「発注元は」


護国が問う。


「そこは割れねえ」


高倉は首を振る。


「表は小口で散ってる。ただ、落ち先は似てる。学校寄りの事務屋、倉庫の補充屋、清掃の外注、そういう"正式に大きくしたくない話"を扱う連中に寄ってる」


機械の構造には一歩も踏み込まない。代わりに、誰がどんな都合で急ぐかの話だけを持ってくる。高倉の仕事はそこが強い。

羽場桐は整理して書く。

紙幅のみでは絞れない


小口・急ぎ・帳場都合の小物線が増加

正式案件にしづらい発注の落ち先が偏る


「つまり、"仕掛けを作る人"じゃなくて"現場に混ぜる人"の線は追えるかも」


真名が言う。


「追えるかも、までです」


羽場桐が頷く。


「いまはそれで十分です」


陽鳥の声が端末から入る。


『それ、こっちの履歴とも相性いいね。部品単体は大した量じゃない。むしろ"どこに置くか"の現場都合が先に立ってる感じ』


少し間があく。


『あと、搬入口。午前の男声、同じテンプレの硬化版っぽい。現場の本物を丸ごと使えてるわけじゃない』

「真似の範囲、ってやつか」


志摩が椅子にもたれたまま言う。


『うん。だから面倒だけど、役割切るのは効く』


紺野は黙って聞いていた。導入の観測線を圧縮している最中だと、肌で分かる。分かるが、代わりに別のものが前へ出てくる。陽鳥がいつも先に見ている、という感触だ。搬入口での数日から、ずっとそこにある。最近それが、少し鮮明になっている。


「外周観測は、予定通りここで閉じます」


羽場桐がそこで話を切る。

部屋の空気が少しだけ動く。


「全容解明はしません。必要な輪郭は取れました。これ以上は、こちらの観測手順が相手の教材になります」


「嫌な言い方だが、その通りだ」


高倉が鼻で笑う。


「ええ」


羽場桐は頷く。


「ここから先は、持たせない運用を二日。その後、隊内の優先案件側へ重心を戻します」


紺野の目が少しだけ上がる。重心を戻す先がどこか、分かっている顔だった。陽鳥は端末の画面を見たまま、机の縁を指で二度叩く。考える時の癖だ。最近、その癖が紺野の神経を逆撫でする回数が増えている。


67-3


夜の本部は、静かに見える時ほど人間の機嫌が表に出る。


導入線の観測を畳む日ほどそうだ。緊張が解けるのではない。張ったままの糸の向きを変えるから、顔に出る。


小会議室の机には、声誘導と追従更新の紙がまだ残っていた。残っているが、中央には置かれていない。羽場桐はその束を机の端へ寄せ、代わりに新しい紙を中央へ置く。


持たせない運用(二日)

隊内優先案件の再配分


「この順番で行きます」


羽場桐が言う。


「外周線は明日までで観測を切る。以後は、崩れない運用に固定。並行して、隊内の保留案件を戻します」

「保留案件の中に、外部顧問同行記録の照合は入れますか」


護国が紙を引き寄せる。

問いの形は穏やかだ。だが部屋の空気が一拍だけ止まる。


紺野の視線が上がる。陽鳥は端末を見たまま動かない。東雲が湯呑みを置く音を少しだけ大きくする。切るための音だ。

羽場桐は答えを急がない。紙を一枚めくってから言う。


「入れます。ただし正式照会にはしません。隊内線での再確認です」

「やっとか」


紺野が低く言う。


「順番です」


羽場桐の声は静かだ。


「外の線を切らないままそこへ寄ると、相手にこちらの優先順位を渡します。いまは切れるので戻します」


言い方はいつも通りだ。いつも通りなのに、紺野の喉の奥にはざらつきが残る。分かる。分かるから余計に腹が立つ。


「羽場桐中尉、その件」


陽鳥がそこで端末を伏せた。

羽場桐が視線を向ける。


「研究局側でも、似た照会が一本来てる」


陽鳥の声は軽くない。


「正式じゃない。個人宛て。内容は薄いけど、"同行記録の時刻管理"にだけ触れてる」

「また先に来てるのか」


紺野の指が机の端を叩いた。

陽鳥はすぐに否定しない。


「先に、というか別線」

「同じだろう」

「同じじゃない」


陽鳥の声が少し低くなる。


「研究局に来る時点で、紺野少尉に先に通すと噛む線だった」


部屋の空気が硬くなる。東雲が挟む前に、羽場桐が先に切った。


「珠洲原主任、内容の要点だけ」


陽鳥は一拍止まってから、紙を一枚出す。


「時刻管理そのものより、"誰が何分単位で書いているか"への興味。管理担当の筆癖まで見てる感じ」

「内容ではなく運用癖」


護国が眉を寄せる。


「そう」


陽鳥は頷く。


「こっちの線と繋がってる可能性は高い」


紺野はそこで立ち上がりかけて、止まった。止めたのは護国でも羽場桐でもない。自分だ。立っても今は意味がないと、分かってしまったからだ。


「……最初から出せ」


低く言う。


「出す順番を見てた」


陽鳥は笑わない。


「誰が」


「紺野少尉と羽場桐中尉と、向こうの線」


羽場桐はその言葉を聞いても表情を変えない。変えないまま、紙の中央を指で押さえる。


「では、決めます」


全員の視線が集まる。


「外周の持たせない運用は予定通り二日で閉じる」


羽場桐が言う。


「同時に、同行記録の時刻管理線を隊内で再確認。研究局側の個人宛て照会は珠洲原主任経由で写しを受ける。紺野少尉は、そこに単独で入らない」

「俺を外すのか」


紺野がすぐに返す。


「外しません」


羽場桐の声はぶれない。


「あなたには別の役を振ります。紙の照合中に、見える顔を消さないでください。相手がこちらの優先順位を見ているなら、あなたが急に消える方が情報になります」


護国が小さく頷く。真名も黙って同意の顔をする。東雲は湯呑みを配りながら、紺野の前だけ少し熱い茶を置いた。わざとだ。考える前に飲ませる時の温度だ。

陽鳥がその湯気を見て、小さく言う。


「健ちゃん」


紺野は睨む。


「何だ」

「今のは、怒っていい」


珍しく、茶化さない声だった。


「でも順番だけ守って」


紺野は返す言葉を一度飲み込む。飲み込んでから、湯呑みを取る。苦い。東雲が直した濃さだ。最近この苦味に助けられる回数が増えすぎている。


「……分かった」


やっと言う。


「単独では入らない」

「ありがとうございます」


羽場桐が短く頷く。

それで会議が終わるわけではない。終わらないが、部屋の空気の硬さが一段だけ下がる。崩れない範囲で下がる。


「じゃあオレは明日、雑貨と帳場の線もう一回だけ回る。紙幅じゃなく、個人宛ての小口照会が落ちる店を見る」


高倉が帽子を膝で叩いた。


「お願いします。深追いはしないでください」


羽場桐が答える。


「するかよ。オレは店先で嫌な顔されるとこまでだ」

「十分深いだろ」


志摩が笑う。


「そっから先は珠洲原主任とかお前らの仕事だ」


高倉が肩を竦める。

役割の線が、少しだけ綺麗に戻る。戻るが、中心には新しい火種が置かれたままだ。同行記録の時刻管理。内容ではなく、誰がどう書くかを見ている線。外で拾った手順採取の癖と、隊内のあの紙の空白が、紙の上で同じ机に乗り始めている。


本部の奥で、三つ子がまた札の角を揃えようとして東雲に止められている。


「まだ揃えない」

「えー」

「明日まで」

「ながいー」

「一日だ」


笑いが起きる。小さい笑いだ。消える前に、羽場桐は新しい紙の見出しを一つだけ書き足した。


時刻管理/筆癖/誰が書くか


細い字だった。細いが、今日いちばん重い見出しだった。

紺野はその字を見て、湯呑みを置く。ざらつきは消えない。消えないが、外で拾った手口の輪郭があるぶんだけ、噛みつく先が前より明確になっている。


それが良いことなのかどうかは分からない。

分からないまま、紺野は机の端に置かれた紙束——あの記録の空白を含む写しを見た。


触らない。今日は触らない。

触らないまま、次に自分がどこへ立つべきかだけを考える。


外の導入線は、明日で切る。

その先は、隊の中で火が上がる。

誰も口に出さなかったが、部屋にいる全員が同じ順番で、それを理解していた。


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