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幻想帝都 神州御親領衛記  作者: ニュートリノ鈴木
二章 珠洲原陽鳥という女
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五十七話 外縁の手順


五十七話


57-1 外縁の手順



時刻を書き直す作業は、思ったより体力を使った。


戦闘のあとに腕が重くなるのとは種類が違う。見たものを「見た順番」で固定しようとすると、人間は勝手に意味を足す。どこで誰が何を持っていたか、何に違和感を覚えたか、なぜ気になったか。そういうものが先に口を出してくる。羽場桐が言った通りだった。

感想は後で使う。先に事実を固定する。


紺野は自分の机で、紙を一枚駄目にしてから二枚目に入っていた。字が汚くなったからではない。最初の一枚には、途中から「逃走経路の切替先が悪い」「誘導されてる」と書いてしまった。書いた瞬間に、これは報告ではなく判断だと分かって破った。


本部の夜勤灯は白い。白いが、眠気を飛ばすほど親切ではない明るさだ。机の端に置いた湯呑みはもう冷めている。


十九時二十八分。第三搬入口南側、警察側二名と接触。

十九時二十九分。押収品一次確認、補助部材二点。

十九時三十一分。珠洲原主任、配線被覆採取。

十九時三十二分――


そこでまた筆先が止まる。

止めないために書く作業なのに、止まる場所だけ毎回同じだった。


「止まっていいです」


声がして、紺野は顔を上げる。

羽場桐が立っていた。いつの間に来たのか気づかなかった。紙束を抱えている。表紙の色が二つある。警察送付とは別の、近衛内部の控えだ。


「止まった場所が一定なら、そこは後で使えますから」

「慰めてるなら逆効果です」

「作業指示です」


羽場桐は紺野の向かいに腰を下ろし、持ってきた紙を広げた。現場見取図、押収品仮番号表、警察側の無線時刻メモ写し。それに、御親領衛側の車両出入記録の控えが一枚混じっている。

紺野が眉を寄せる。


「車両記録まで引いたのか」

「帰投時刻の裏取りです。あなたの見た順番と、隊の動いた順番を別々に固定します」


羽場桐はいつもこういう言い方をする。面倒な作業を、面倒だと感じる前に手順へ落とす。ありがたい時と腹が立つ時がある。今は前者だった。


「書いてください。私は横で照らします。詰まったら、詰まった時点で止める」

「……分かった」


紺野が書き、羽場桐のペン先が別紙を追う。紙の擦れる音が同じ速度で続く。夜の本部で、この音だけが妙に落ち着くのは、二人とも同じ速度で疑っているからだろうと紺野は思った。


十九時三十二分。珠洲原主任、視界外。

十九時三十三分。主犯格拘束完了、護国少尉が南路地へ移動。

十九時三十四分。押収品を壁際へ集約。警察一名、通話。

十九時三十五分。――


「ここで、ケースの数を見た」


紺野が書きながら言う。羽場桐は「発言」と小さく書いて欄外に印を打った。


「見た、の根拠は」

「ケースの蓋の色。現場持込は灰色三、透明二だった。戻ってきた時、透明が三になってた」

「誰が持っていたか」

「分からない。見たのは棚代わりにしてたパレットの上」

「良いです。そこで止めましょう」


羽場桐が押収品仮番号表を指で叩く。


「仮番号上はケース五のままです。増えていません」

「だろうな」

「ええ。なので、増えた可能性より先に、差し替えを置きます」


紺野が顔を上げた。


「差し替え」

「あなたの見間違いでなければ、数ではなく中身の問題です」


羽場桐の言葉は静かだったが、紙の上に落ちると音が変わる種類の内容だった。増えた、ならまだ雑だ。差し替え、は意図がある。


「あと一つ」


羽場桐が無線時刻メモ写しを引く。


「警察側の通話記録、十九時三十六分に一度だけ現場責任者の呼び出しが入っています」

「何の件だ」

「記録上は『誤報確認』」

「……誤報?」

「はい。現場の外周で“搬出車両あり”の目撃が上がったが、該当なし」


紺野は紙を見たまま、短く息を吐いた。


「外で目を引かせて、中で七分」

「可能性としては」


羽場桐が言う。


「ただし、ここではまだ書きません」


そう言いながら、羽場桐は書くべき欄と書かない欄を迷いなく分ける。線一本の引き方に躊躇がない。保留を保留のまま形にできる人間は、御親領衛では貴重だった。


「……中尉」

「はい」

「あんた、こういうの慣れてるな」


羽場桐のペン先が一拍だけ止まり、それからまた動いた。


「慣れたくて慣れたわけではありません」


その返しが少しだけ人間臭くて、紺野は口の端だけで笑った。羽場桐は見なかったことにした。

紙の上の十九時三十二分から三十九分は、まだ空白のままだ。だが空白の輪郭だけは、さっきよりはっきりした。


57-2


翌朝、工業区画の空気は乾いていた。


昨夜の騒ぎの熱が残っている場所には見えない。フォークリフトの音が遠くで鳴り、金属板を積む音が規則的に響く。人はいつも通り働いている。こういう場所ほど、昨夜の違和感は現場に残りにくい。

残るのは、人の動き方だけだ。


「ここで主犯格が進路を切り替えたんですね」


護国宗一が、南側路地の角で立ち止まり、現場見取図と周囲を照らした。

今日の護国は制服の上に薄い作業上着を羽織っている。軍刀は下げているが、目立たないように持つのがうまい。

紺野は路面の擦れ跡を見ながら答える。


「一回目はこっち。二回目はあっち。三回目で行き止まり選んだ」

「追われている人間の選び方ではない」

「だから昨日言った」


護国は頷き、反論はしない。その代わり、地面ではなく建物側を見る。配管の位置、監視灯の向き、壁際の死角。紺野が人の動きを追う時、護国は空間の癖を先に見る。


「第三搬入口からここまで、見通しの良い位置が二つあります」

「屋上か」

「ええ。ただし昨夜の時点で人を置くには目立つ。地上からなら、あちらの廃材囲いの裏」


護国が顎で示した先へ二人で回る。鉄板の囲いは古く、内側に入ると外の音が少し鈍る。足元に潰れた紙コップ、結束バンドの切れ端、煙草の吸殻。工業区画らしい散らかり方だ。だからこそ、紺野は一つの違和感に気づくのが遅れた。


「……これ」


護国がしゃがみ、錆びたボルトのそばから細い被覆片を摘んだ。黒い樹脂の表面に、爪で引っかいたような傷が一定間隔で入っている。自然に折れた形ではない。

紺野が覗き込む。


「現場の配線被覆と同じか」

「断定はできません。ですが、切り出し方が似ている」


護国は懐の紙片封筒に入れて立ち上がった。


「わざと雑に見せる人の仕事は、雑な場所でも癖が残りますね」

「お前、珠洲原の言い方真似してるだろ」

「引用です」


護国の声は真面目なままだった。冗談かどうか分かりにくい。紺野は鼻で笑ってから、囲いの外へ視線を戻す。

南側路地は、昨夜と同じ形をしている。当たり前だ。だが、昨日より「見られる場所」が多く見える。あの時誰かが誘導していたとしたら、現場そのものより、視線の置き方を知っていたことになる。


「護国」

「はい」

「昨日の主犯格、現場判断で動いてないって言ったろ」

「覚えています」

「訂正だ。現場判断はしてる。してる上で、選ぶ先を間違えてる」


護国が少しだけ目を細めた。


「誘導の質が高い、という意味ですか」

「……多分な」


護国は返事の代わりに見取図を畳んだ。


「では、東雲さんの聞き直しと合わせれば、人の流れの絵が出ます。羽場桐中尉が欲しいのはそこでしょう」


「お前ら、あの人の手順に染まりすぎだろ」

「染まって助かる場面が多いので」


歩き出したところで、護国の携帯端末が短く震えた。近衛内部の簡易連絡だ。護国が画面を見て、歩調を変えないまま口を開く。


「本部からです。高倉さん経由。西部中継倉庫で器材搬出未遂」


紺野の足が止まる。


「……またか」

「文面では『類似手口の可能性』。警察が先着、近衛照会中」


風が吹いて、囲いの隙間で金属板が鳴った。軽い音だったのに、昨夜の七分よりよほど嫌な響きに聞こえた。


単発ではない。

言葉にしなくても、護国の顔にそれが出ている。紺野も同じ顔をしている自覚があった。


「戻るぞ」

「はい」


二人は走らない。走れば目立つし、現場判断を誤る。だが歩幅だけは揃って大きくなった。こういう時の護国は速い。紺野はそれを少しだけ頼もしいと思って、すぐにやめた。頼もしさを認めると、次に自分が余計なことを言う気がしたからだ。


57-3


珠洲原陽鳥は、約束は守る。


守り方が相手の期待と一致するとは限らないだけだ。

帝都技術研究開発局の分析室は、朝でも照明が一定だった。窓があってもなくても変わらない部屋というのは、人間を疲れさせる。陽鳥はそういう部屋が嫌いだが、使い方はよく知っている。


昨夜の回収物から抜いた微量付着物の簡易分析結果が、端末の画面に並ぶ。溶剤二種、工業用洗浄液、金属粉、そして神術補助材に使われる安定化処理剤の痕跡。珍しくはない。だが組み合わせが嫌だった。


「わざと雑」


自分で言った言葉を、陽鳥は小さく繰り返す。

雑に見せる仕事は、相手に「見つけていい情報」を渡す。問題は、その先だ。見つけた人間がどこまで追うかで、見せる層を変えてくる。昨夜の七分で陽鳥がやったのは、そこを一段だけずらすことだった。


隊のためでもある。紺野のためでもある。自分のためでもある。

嘘ではない。だから扱いが悪い。


端末の横で、小さな黒点が一つ、白衣の袖口から机へ移り、また消えた。子機は部屋のノイズを拾い、通信の癖を拾い、誰がこの分析結果に触ろうとしているかだけを先に探る。改竄ではなく観測。今はそれで足りる。

陽鳥は分析結果を二つの書式に分けた。


一つは研究局提出用。整った文章、無難な推定、照会先を増やすための文面。

もう一つは、近衛へ回す私的メモ。短い箇条書き、結論先行、余計な飾りなし。


付着薬液の組成、工業区画常用品に非ず

手順は軍系知識あり/意図的な粗雑化の可能性高

単発案件として扱うと追跡線を入手し損なう

研究局正式照会は遅い。先に隊内で流通線を押さえて


最後の一行を書いたところで、端末の端に通知が点る。近衛側の簡易連絡を拾った子機が、陽鳥の許可済み経路にだけ落としてきたものだ。


西部中継倉庫。器材搬出未遂。類似手口。


陽鳥のまぶたがわずかに下がる。驚きではない。早い、という評価だった。


「……そっちも動くんだ」


誰に向けた声でもない。けれど、次の瞬間にはもう顔を上げている。迷う時間を長く取る局面ではなかった。


陽鳥は私的メモの宛先を羽場桐に指定し、送信前に一度だけ止める。紺野へ同報にするかどうか。指は迷いなく否を選んだ。


約束は守る。通す相手には通す。


送信。

直後、分析室の扉が二度叩かれる。研究局の若い職員が顔だけ覗かせた。


「珠洲原主任、近衛から照会が……」

「来るよね。今行く」


陽鳥は端末を閉じ、白衣の袖を下ろした。袖口の影で何かが一つ、柔らかく動いて止まる。

本部のほうでは、たぶん今ごろ羽場桐が紙を揃えながら眉を寄せている。紺野は護国と戻る途中で舌打ちを飲み込んでいる。東雲は誰かに茶を渡す手を止めていないだろう。


生活の音はまだ切れていない。

だからこそ、次の手が速いほうが勝つ。

陽鳥は廊下へ出ながら、ほとんど笑っていない声で呟いた。


「さて。どこまで隊内で持てるかな」


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