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幻想帝都 神州御親領衛記  作者: ニュートリノ鈴木
一章 神州と言う國
54/189

五十二話 静けさ


第五十二話


52-1 静けさ



講堂の中は、表より静かだった。


静かというより、音の置き場所が決まっている。受付の声は入口で止まり、待機のざわめきは廊下で薄まり、医薬品の木箱を運ぶ足音は舞台袖で消える。偶然こうはならない。手順を何度も試し、邪魔な音を削った静けさだ。削られたものは、だいたい人の自発だ。


舞台裏の小会議室に通される。古い長机、折り畳み椅子、黒板、冷めた薬缶。使われなくなった施設の匂いに、紙と薬品の匂いが重なる。


宗一が臨検書式を机に置く。羽場桐が整えた合法の紙だ。紙は優しい顔をしている。優しい顔のまま、人の首を締める。


「確認します」


宗一が言う。


「鷺宮章雅さん。均衡会の代表であり、本施設運用の最終責任者であることを認めますか」

「認めます」

「医薬品と物資の出入りの責任者であることも」

「認めます。ただし現場判断権は分散しています。私一人が全部を握っているわけではない」


志摩が飴を転がして笑う。


「言い方が上手いな。逃げ道の作り方が上手え」


綾瀬が冷たく言う。


「逃げ道の数を誇らないでください」


鷺宮は綾瀬へ視線を向けた。


「誇ってはいない。構造の話です。構造を作らなければ、善意はすぐ枯れる」


紺野は鷺宮を見る。


「構造って言葉が好きだな」


鷺宮は頷く。


「好きです。国が構造で人を殺すから」


宗一の声が低くなる。


「国政批判は議会へ」

「議会にも行った」


鷺宮は迷いなく言った。


「議事録にも残っている。だが腹を空かせた人間は議事録を読まない。読む前に熱が出る。先に手順が要る」


ここまでは理屈だ。理屈は美しい。美しい理屈は、だいたい誰かの背中を押す。押された背中が倒れる時、理屈は責任を取らない。

鷺宮は机の上の名簿を軽く叩いた。


「これを見てください。雑だ。欠けも多い。けれど国の帳簿より早い。今日困っている人間の今日には間に合う。私はそれを優先する」


紺野が返す。


「優先順位を決めるのは誰だ」

「私です」


鷺宮は言い切った。


「だから名乗った。首魁と呼びたければ呼べばいい。呼び名はどちらでもいい。大事なのは責任が前へ出ることです」


志摩が低く吐く。


「ムカつくけど、最低限の筋は通すんだな」


鷺宮は紺野へ目を向ける。


「少尉。あなたに聞きたい。河岸で倉庫を消した時、あなたは何を守ったつもりでした」


部屋の空気が変わる。宗一が割り込むタイミングを測る。綾瀬の目が鷺宮の喉元へ落ちる。志摩が飴を噛むのを止める。


紺野の喉の奥がざらつく。倉庫の空白。遅れて来た悲鳴。掌に残った後味。静かになった空腹。

それでも言う。


「列だ。列ごと潰させないために壊した」


鷺宮は頷いた。


「では次です。列の原因を潰す時、あなたはまた同じ手を使いますか」

「必要なら使う」


鷺宮は笑わないまま言った。


「なら、人前で使う日がまた来る。私はそれを見せたい。市民が“何へ責任を預けているか”を、見える形で」


宗一が冷たく言う。


「挑発ですか」

「挑発ではない」


鷺宮の返答は静かだ。


「設計です。あなた方が勝っても負ける状況を、国が自分で作っている。その設計を、私は先に露出させているだけだ」


紺野が言う。


「使わせたいのか」


鷺宮は否定しない。


「見せたい。使うなら使えばいい。使わないなら、それも見せればいい。どちらでも、あなた方の国の形が見える」


その瞬間、会議室の外で何かが落ちる音がした。


52-2


異変は爆発ではなかった。止まる、だった。


廊下の奥で、受付担当の声が途切れた。続けて、荷を運んでいた若者が膝をつく。次に、入口の電灯がひとつ落ちる。

落ちたのは古い配線のせいではない。落ちる順番が“導線の要”から始まっている。役割から抜けていく。

志摩が立ち上がり、壁を叩くように言う。


「来た。これ、身体じゃねえ。役割が抜かれてる」


宗一が通信器へ低く飛ばす。


「羽場桐中尉、講堂内で異常。誘導開始。こちらは責任者を確保――」


通信の向こう、羽場桐の声は速い。


『把握。外周の警察と連携します。珠洲原主任が現場成分を拾っています。人の流れが崩れる前に出口を作ってください』


会議室の中で、鷺宮は椅子に座ったまま紺野を見る。


「ほら。こうなる」


淡々とした声だ。淡々としているのが一番質が悪い。


「『自分は奪われた』と信じる者が増えるほど、債が立つ。債が立つほど回収が走る。等価で回収するから、誰かの疲労が抜ける。誰かの判断が抜ける。誰かの責任感が抜ける」


綾瀬が冷たく言う。


「あなたが回収しているわけではない。人の中で勝手に走らせている」


鷺宮は頷いた。


「その通り。私は精神感応ではない。人の心を直接弄らない。状況だけで被害者意識を成立させる。だから制度だ」


志摩が吐き捨てる。


「やっぱ趣味悪いな.....」


鷺宮は志摩を見て、穏やかに言う。


「趣味ではない。国家の代替手順だ」


宗一が拘束具を出す。


「鷺宮章雅。区施設不正占有、医薬品管理違反、騒乱誘発の容疑で拘束します。立って両手を見せてください」


鷺宮は立たない。立たないまま言う。


「今から外で人が詰まる。詰まれば死人が出る。ここで私を縛っても止まらない。少尉、あなたが外へ出れば止まるかもしれない。あなたが“使えば”ね」


紺野は鷺宮を殴りたくなった。能力ではなく拳で。だが殴っている暇はない。外の足音がぶつかり、椅子が倒れ、誰かが誰かを呼ぶ声が重なる。

悪い立ち上がりだ。群衆は、倒れる時に一番多く死ぬ。

宗一が指示を飛ばす。


「綾瀬、鷺宮から目を切るな。志摩、前面を落とせ。紺野少尉、外へ――」


鷺宮が机に両手を置いた。


「私は逃げません。でも、外で誰かが潰れたら、あなたは次に何を使う?」


紺野が短く言う。


「使わない」


鷺宮の目が細くなる。


「美徳ですか。恐怖ですか」


「両方だ」


紺野は言い捨て、会議室を飛び出した。


52-3


廊下は暗い。暗いだけならまだいい。悪いのは、人が出口を見失っていることだった。


非常口標識は点いている。扉も開く。だが人の目がそこを拾わない。煙と半端な暗さと焦りが重なって、皆それぞれ別の“出口らしいもの”へ引っ張られている。

志摩が前面で能力を張っていた。汗が浮く。


「逆鱗静域……!押すな!走るな!前から潰れる!」


綾瀬は曲がり角に糸を置いている。人を切るためではない。流れを切るためだ。突っ込めば衣服と皮膚が浅く裂ける位置にだけ置き、行ってはいけない方向へ“痛みの鳴子”を作る。


だがそれでも足りない。二階から子供の泣き声が落ちてくる。誰かが「こっちだ」と怒鳴り、その「こっち」が三方向から飛ぶ。人間は正しい避難より、大きい声を先に信じる。


――その瞬間、廊下のざわめきの向きが揃った。


大声が出たわけではない。照明が戻ったわけでもない。

ただ、人の目が一斉に同じ場所を見る。緑の標識。扉の取っ手。そこまでの床。

見えていたはずのものが、“出口として”見える。


廊下の端、煙の向こうに羽場桐妙子が立っていた。

軍装のまま、片手を壁へ軽く触れ、もう片方の手を自分のこめかみに当てている。視線は廊下をまっすぐ走る。丁寧で静かな顔つきのまま、額の横だけが白い。

鷺宮の声が、会議室の入口から小さく漏れた。


「……胡蝶転帰」


能力名が、現場の言葉として落ちる。


羽場桐は鷺宮を見ない。人波だけを見る。視認範囲内の現実認識を、焦点だけ揃える。強引な書き換えではない。小さな収束だ。小さい介入でも、この人数へ通す負荷は大きい。


「前を見てください。そこが出口です。押さないで、走らないで。二階の方は左手の階段。右は行き止まりです。見えていても、そちらは違います」


普通の言葉だ。

普通の言葉が“通る”ように整えられているから、普通が刃になる。

羽場桐の呼吸が一瞬だけ乱れた。鼻先に赤がにじむ。すぐ拭う。拭って、また声を通す。


「護国少尉、二階右廊下を切ってください。綾瀬さんの糸と重ねます。志摩君、そのまま前面だけ。削り過ぎると足が止まります」

「分かってるよアネ――」


志摩が言いかけて、宗一の横目に口を閉じる。


「……中尉!」


紺野は人波の中ほどで、倒れかけた老人を起こし、子供を抱えた女の肩を支えて出口へ向けた。

能力は使わない。手と声だけでやる。遅い。だが今はそれで足りる。羽場桐が出口を出口に戻したからだ。

紺野は声を落として宗一に言う。


「行ける。ここで詰まらせるな」

「了解」


宗一の返事は短い。短いが、背中が迷っていない。

流れが細くなる。倒れる前に立ち直る。

誰かが泣き、誰かが怒り、誰かが謝り、誰かが「ありがとう」を言いかけて飲み込む。混ざる。それでいい。混ざっても崩れない形に戻すのが、今日の勝ちだ。

最後に、羽場桐がもう一度だけ声を通した。


「外へ出たら、その場で止まらないでください。立ち止まると次が倒れます。歩幅を揃えて、前へ」


その言葉に、人は従った。

従ったのは羽場桐の権威ではない。自分の目が出口を見ているという“確信”だ。確信を作るのは、時々こういう力だ。


紺野は深く息を吸って吐いた。

喉の奥の空腹は鳴らない。鳴らないだけで、ありがたいと思いそうになる。思いそうになる自分が嫌で、紺野は顔をしかめた。


まだ終わっていない。


だが、使わせないまま一つ止めた。

それが今日の決着の前半だった。


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