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幻想帝都 神州御親領衛記  作者: ニュートリノ鈴木
一章 神州と言う國
53/191

五十一話 署名の列


五十一話


51-1 署名の列



その日、列は“善意”へ向かう道を作っていた。


帝都南区の外れ、区民会館だった古い講堂。閉鎖されかけた箱に、臨時の机と椅子と毛布が詰め込まれ、入口にだけ新しい硝子がはめられている。古い建物に新しい手順を押し込むと、見た目だけは綺麗になる。綺麗になった分だけ、何を削ったのかが見えにくくなる。だから厄介だ。


広場に列がある。炊き出しの匂いは薄い。医薬の匂いも薄い。代わりに、紙の匂いが濃い。

入口前の机で、列の人間が一人ずつ紙に何かを書かされている。名前、住所、家族、困っている理由。そこまでは役所の顔だ。問題は最後だった。短い誓約文。


――私は、奪われた差分の返済を求める。

――私は、取立の結果を受け入れる。


妙な一文だ。だが読む者は少ない。読んでも、戻る者はいない。書かないと列に入れない。列に入れなければ今日が崩れる。今日が崩れれば、明日がない。人間はそんな順番で筆を取る。


紺野健太郎は、講堂向かいの雑居ビル二階、空き事務所の窓からそれを見下ろしていた。窓ガラス越しに、広場のざわめきが一枚薄くなる。薄くなっても、列の熱だけは残る。


隣で護国宗一少尉が双眼鏡を下ろし、机に簡易図を広げる。線の引き方が綺麗すぎて、逆に怖い。今日の宗一は斬る顔ではない。流れを折らない顔だ。


壁際には志摩龍二が寄りかかり、飴を噛んでいる。制服の着こなしは雑で、表情は軽い。軽いまま、目だけが広場全体の“癖”を測っている。


護国綾瀬は窓から半歩離れ、非常口と裏階段だけを見ている。入口の列を見ないのは、見ないためではない。見た瞬間に“切りたくなる”自分を知っているからだ。


「署名まで取ってやがる」


志摩が吐き捨てる。吐き捨てた直後に、声量を自分で絞る。ここは現場だ。軽口は許されるが、波風は作りすぎるなと分かっている。


「善行の顔で契約。趣味悪いな」


宗一は図の端を押さえたまま、声だけを落とす。


「契約だからこそ強い。『自分は損をしている』という意識を、署名で固定する。恐らくは能力の条件か」


綾瀬が窓の外を見たまま言う。


「固定した後に、何を回収するつもりですか」


志摩が肩をすくめる。


「俺の逆鱗静域と似てる感じからすると.....たぶん……抑え込まれた感情とか、責任能力とか、そういう“重いの”じゃねえのか」


軽く言いかけて、志摩自身が顔をしかめた。


「……本気なら冗談じゃ済まねえな、これ」


紺野は列の流れを見ていた。前方から、紙を手にした若い男が戻ってくる。顔が少し変わっている。怒っているのでも泣いているのでもない。何かを得たようで、同時に何かを失ったような顔だ。


河岸で見た。あの“得たような顔”は、あとで必ず刃になる。本人が刃を握るとは限らない。刃を握らされる。

通信器が小さく鳴った。


『羽場桐です』


静かな声。間が短い。寝ていない声だ。


『警察の建前は整いました。区施設の無許可占有、医薬品管理違反、寄付台帳の不整合。臨検は可能です。ただし――』


宗一が先に取る。


「入口で揉めるな、ですね」

『ええ。入口で押し問答をすると、相手が欲しい絵になります。中に入って、責任者に名乗らせ、記録を取り、拘束の根拠を固めてからです』


志摩が舌打ちする。


「名乗るかよ、あいつ」


羽場桐は即答した。


『名乗ります。今日の目的が“名乗り”の人です』


紺野は窓際から離れた。


「……来る」


講堂の入口が開いた。


51-2


先に出てきたのは腕章を巻いた若者たちだった。動きは手慣れている。守る視線ではない。流れを維持する視線だ。列が崩れないように、列を“列のまま”保つ視線。


その後ろから、男が一人、ゆっくり段を降りてくる。


三十前後。背丈は中ほど。軍人の隙のなさはない。だが、人前に立つ者の重心がある。歩幅が一定で、視線の配り方が静かで、笑っていないのに口元だけが柔らかい。

綾瀬が小さく言った。


「景道院で……講義台に立っていた男です」


宗一は頷き、紺野を見る。


「行くぞ。余計な言葉は拾うな」

「分かってる」


紺野の返事は短い。短いが淡白ではない。歯を噛んでいる時の声だ。

四人は階段を降りた。

降りながら、紺野は思う。あの男は勝つ気ではない。勝てない場へ引きずり込む気だ。だから名乗る。だから理想を言う。だから列の前でやる。


規制線の手前で宗一が止まる。紺野は半歩後ろ。志摩と綾瀬は左右に散る。左右に散るのは守るためではない。人が崩れる時、崩れるのは中心だけではない。端から折れることもある。端を押さえられる位置取りだ。

宗一が平板に言う。


「近衛です。区施設の臨検に入ります。責任者を」


男は規制線の向こう側で止まる。こちらへ来ない。来ないまま、列へ身体を半分向けた。

そして声を置いた。張らない。だが届く。声量ではない。聞かせる位置を知っている声だった。


「今日は最初に、名乗らせて頂きます」


広場のざわめきが、ひと呼吸ぶん静かになる。

人は“名乗り”を待っていたわけではない。だが名乗られると、責任の置き場が一つ出来る。置き場が出来ると安心に似たものが生まれる。安心が生まれると、次に寄りかかる。寄りかかる先が崩れた時の落差は大きい。


「私は鷺宮章雅(さぎみやあきまさ)。民間研究団体――均衡会(きんこうかい)の代表です」


列がざわめく。明灯会の名が出ないのが逆に分かりやすい。昨日までの看板の裏に、別の本体がある。そういう段取りの開示だ。


鷺宮は笑わないまま続けた。


昨日(さくじつ)、河岸で怪我をした人がいます。恐ろしい思いをした人がいる。手順に不備がありました。謝ります」


一拍。ここで止めない。止めると、ただの善人になる。善人の顔で終わらせないために、次を置く。


「ただし、これは謝って終わる話ではありません。この国は、魂の出力――神術位階で、人間の扱いが固定される。制度として壊れています」


ざわめきは否定ではなかった。言われ慣れた言葉を、責任者の口で言われた時のざわめきだった。

鷺宮はさらに踏む。


「神州の壁と旧体制は、国を守る鎖です。高位神術師という例外が社会を支配する限り、近代国家は成立しない」


そこで鷺宮は視線を列から外した。向かいの雑居ビル二階へ上げる。紺野たちの窓だ。

見せる気がある。隠す気がないという態度そのものが武器になる場面を、この男は知っている。


「近衛の皆さん。隠す気はありません。今日は、あなた方にも聞かせます」


宗一が双眼鏡を机に置いた。


「入るぞ」


四人は規制線へ向かった。


51-3


「近衛です」


宗一の声は平板だ。平板のまま、刃の角度だけが正しい。


「臨検に入ります。責任者は貴方、鷺宮章雅さんで間違いありませんね」

「ええ」


鷺宮は頷く。


「協力します。ただし、先に話したい。どうせ皆さんも聞きたいでしょう」

「内容次第です」


宗一は線を残す。線があるから会話ができる。線がない会話は、いずれ現場を崩す。

鷺宮は列の方へ身体を半分戻した。


「私は善意でここを動かしていません。制度を先に置いているだけです。国が遅いなら、先に動く。国が見ないなら、先に見る。国が数えるだけなら、こちらは返すところまでやる」


志摩が低く吐く。


「返すって言い方がもうよ……」


鷺宮はその声を拾ったように首を傾げる。


「“返す”と言うと優しく聞こえる。だから誤解される。正確に言うなら――均衡を取る。差分を回収する」


宗一の目が細くなる。


「あなたの能力ですか」


鷺宮は頷いた。頷き方が速い。隠す気がない。むしろ自分の土俵へ引きずり込むために出す。


「従三位。均衡取立(バランサーズデット)。奪われたと信じる者の“債”を可視化し、等価で回収する」


列の中に妙な熱が走る。怒りではない。納得の熱だ。

「自分は損をしている」と言葉にされると、人間は居場所を得たような顔になる。その顔は、次に何を呼ぶかを紺野は知っている。

鷺宮は紺野を見た。


「正二位、紺野少尉。改めて問いますが、あなたは河岸で倉庫を消しましたね」


列の視線が寄る。

宗一が一歩出かける。紺野は腕で止めた。

止めたのは宗一の正しさが邪魔だからだ。正しい言葉は、今この場では相手の餌になる。

鷺宮は責めない。責めない目で言う。


「私はあなたを責めません。あの場で他に手がなかったのだろう。ただ、それが問題です。現場の最終責任が、あなたと言う個人の手に落ちる国だということが」


紺野は短く言った。


「……話が長い。中を見せろ」


鷺宮は笑わないまま頷く。


「どうぞ。逃げません。今日は逃げる日ではない」


宗一が臨検の合図を出す。

講堂の中へ入る。


その瞬間、列の中で誰かが小さく息を吸った。

その息が、署名の意味をひとつ先へ押し出す音だった。


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