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幻想帝都 神州御親領衛記  作者: ニュートリノ鈴木
一章 神州と言う國
45/189

四十三話 消失


四十三話


43-1 消失



先に動いたのは、銃声でも爆発でもなかった。

列だった。


帝都の河岸、使われなくなった物流倉庫の並ぶ一角に、毛布と包みを抱えた人間の列ができている。炊き出しの匂いがある。医薬品の箱が積まれている。警察の規制線は張られているのに、規制線の内側の方が落ち着いて見える。落ち着いて見える時ほど、現場は悪い。


明灯会のやり方だ、と紺野は思った。

表だけ見れば善行で、剥がすと手順の形をした支配がある。


「人数、想定より多いですね」


護国宗一の声は低い。苛立ちを抑えている時の声だ。


「増やしたんだろう」


紺野は河岸を見たまま答える。


「俺たちが来る前に」


志摩龍二が舌打ちした。今日はリーゼントを押さえつけるように包帯を巻いている。学校帰りの制服の上に近衛の上着を引っかけた格好で、どう見ても軍人にも学生にも見えない。


「善人の顔して盾を増やしやがった。趣味わりぃな」

「志摩君、声を落として」


羽場桐の声が通信器越しに入る。遠隔の指揮室からだ。声はいつも通り丁寧で静かだが、その静けさが逆に現場の焦りを浮かせる。


「こちらからの建前は“後方安全確認”です。炊き出しを止めに来た形にはしないでください。民心を敵に回すと、明灯会の勝ち筋になります」

「はいはい、アネ――」


志摩が言いかけて、宗一の横目に口を閉じる。

綾瀬は一歩後ろで無言だった。目だけが動いている。河岸の手すり、倉庫の庇、荷揚げ用の古いレール、電柱の影。射程に入るものを先に見ている目だ。


「綾瀬」


宗一が呼ぶ。


「不用意に張るな。まず位置だけ取れ」

「分かっています、兄さん」


返事は素直だが、視線はもう別の場所へ走っている。従うが、止まらない。そういう返事だ。

紺野は一度だけ列を見る。


痩せた母親、眠そうな子供、包帯を巻いた老人、荷車を押す若い男。救うべき側に見える。たぶん実際に、かなりの割合がそうだ。

だから質が悪い。

善いことをしている場所ほど、手を入れる時に血が出る。


「……来たな」


志摩が言う。

倉庫の奥、仮設机の並ぶ場所から、一人の男が出てきた。年の頃は三十前後。軍人の姿勢ではない。役人の姿勢でもない。人前で言葉を使って飯を食ってきた人間の歩き方だった。笑ってはいないのに、口元だけが柔らかい。


景道院の講義で姿を見せた男――明灯会の“顔”だ。


名を呼ぶ必要はない。ここにいる誰も、もう顔を間違えない。

男は両手を見せるように軽く広げ、規制線のこちらへは来ず、向こうから声を投げた。


「近衛の皆さん。今日は早いですね」

「仕事ですので」


宗一が前に出る。紺野より半歩前。現場の会話を受ける時の位置取りだ。

男は宗一を見てから、紺野へ目を移した。


「あなたも来ると思っていました、紺野少尉。……今日は何を壊しに?」


志摩が一歩踏み出しかけるのを、綾瀬の指先が袖で止めた。意外な手つきだった。志摩が振り返り、綾瀬は視線を男から外さないまま小さく言う。


「乗ると喜びます」


男の耳は良いらしい。少し笑った。


「賢い。護国家は兄妹でよく出来ている」


その言い方だけで、宗一の目の温度が一段落ちる。


「用件を」


宗一が言う。


「この区域は臨時規制中です。炊き出しは止めません。ただし、名簿と物資の出入りを確認します。協力を」

「協力してますよ」


男は肩をすくめた。


「警察が止めた場所で、警察が見捨てた人間に飯を出してるだけです。帳面もある。名簿もある。寄付元も出せる。……何を確認したいんです?」


通信器の向こうで羽場桐が短く言う。


「会話を伸ばしてください。東側の搬入口、まだ映像が取れていません」


宗一が頷き、続きを取る。


「ここ数日の薬品流通と、保護対象の移送履歴です」

「保護対象」


男はその語を反芻した。


「良い言葉ですね。人間を荷物みたいに扱える」

「あなた方も似たようなことをしている」


宗一の返しは平板だ。平板で、切っている。

男は笑みを消さないまま、今度は紺野に言った。


「少尉はどう思います。私は人を集めている。国は人を数えている。違いはどこにある」


紺野はすぐ答えなかった。

こういう問いは答えた時点で相手の土俵に乗る。だが黙っても、別の意味を与えられる。嫌な問い方だった。


「違いか」


紺野は倉庫の列を見たまま言う。


「お前は返す気がない」


男の眉がほんの少し動く。


「何を」

「人間を」


一拍、河岸の風が通った。

その時、列の後方で子供が泣いた。小さな泣き声だ。だが泣いた瞬間に、列が揺れる。揺れ方が不自然だった。泣き声への反応にしては広すぎる。十人、二十人単位で、首の向きが同時に変わる。

志摩が低く唸る。


「……来るぞ。薄いのが広がってる」


43-2



──河岸のざわめきが平たくなった。


騒音が消えたわけではない。音量も大きくは変わらない。だが音の棘だけが落ちる。怒鳴り声は怒鳴り声の形を失い、泣き声は泣き声の意味を薄める。人間の判断に必要な“差”だけが削られていく。

志摩が舌を打ち、片手を前に出した。


「逆鱗静域」


声と同時に、志摩の周囲から空気の粘りが変わる。

彼の減衰は運動だけではない。熱も勢いも感情の立ち上がりも削る。見た目は乱暴だが、やっていることは妙に繊細だ。だから制御を外すと自分が呑まれる。

今回は、最初から食い合っていた。


「……くそ、広い。人数で薄めてやがる」


志摩の額に汗が浮く。河岸全体にかかる“均し”と、志摩の“減衰”がぶつかっている。似ているから、噛み合わない。


綾瀬が動いた。

一歩も前に出ないまま、右手の指先だけが流れる。不可視の斬撃概念が、河岸の動線に沿って幾筋も置かれる。碗獄断糸。あり得た未来の軌道から射程内に糸を展開する、罠としての刃。

見えない。だが置かれた場所だけ、空気がわずかに張る。


「東の搬入口、封じました。南の路地も――」


言い切る前に、綾瀬の目が細くなる。

搬入口の扉が、綾瀬の糸に触れる直前で止まらず、手前に積んであった空箱ごと崩れた。人は通っていない。だが糸の位置を炙り出すには十分だった。偶然に見せかけた崩し方だ。

男が規制線の向こうで言う。


「嫌な能力だ。街で使うには不向きだね」


綾瀬の声は冷えた。


「あなたに言われたくありません」


宗一が右手をわずかに上げる。無足無刃の間合いを測る癖だ。始まった瞬間に終わる不可避の斬撃。その概念は強い。強いが、相手が“どこにいるか”を確定できなければ通しづらい。


「本体が前に出ていません」


宗一が短く言う。


「声と視線はここにあるが、重心が遠い」


男はそれを聞いて笑う。


「褒め言葉として受け取ります」

「褒めていません」


会話をしながら、宗一の視線は一度も止まらない。列、人影、倉庫の窓、二階の手すり、河岸のクレーン。どれが人でどれが“手”かを切り分けている。


紺野は黙っていた。

黙っているのは迷っているからだ。刀で切れる現象と、切った瞬間に人間が崩れる現象が混ざっている。ここで雑に切れば、列そのものがパニックになる。

男がその沈黙を拾った。


「少尉。あなたは本当に優しい」


志摩が噛みつく。


「違ぇだろ。そいつは優しいんじゃなくて、腹減ってるだけだ」


言った瞬間、志摩自身が「あ」と顔をしかめた。口が滑ったのではない。滑らされたのだ。薄められた場は、守るべき線まで甘くする。

紺野の目が志摩へ向く。

志摩は肩をすくめ、笑ってみせた。


「悪ぃ。今のは忘れろ」


男は笑みを深くした。


「なるほど。仲間は知っているわけだ」

「知ってねえよ」


志摩が吐き捨てる。


「知ってる途中だ」


その言葉は、思ったより重く落ちた。

河岸の列がまた揺れる。今度は後方の倉庫から白煙が上がった。黒煙ではない。火災の色ではなく、薬品と粉塵が混じったような薄い煙だ。

羽場桐の声が鋭くなる。


「西棟、三番倉庫。事前確認で人は抜けていますが、内部に酸素ボンベと消毒用アルコールの保管あり。連鎖すると周辺二棟に延焼します」

「人は?」


紺野が問う。


「今の時点ではゼロ。ただし列が崩れると流れ込みます」


男は規制線の向こうで、まるで残念そうに首を振った。


「ほら、こうなる。私が人を集めると、あなた方は人を守るために選べなくなる」


宗一が決断する。


「綾瀬、列を切るな。動線を切れ。志摩、前面を落として人の流れを鈍らせろ。紺野少尉――」


言葉の続きを、煙の爆ぜる音が呑んだ。

倉庫の鉄板壁が内側から膨らむ。

次の瞬間。


──建物が、息を吸った。


火が出たのではない。爆発したのでもない。三番倉庫一棟が、内部の圧と熱を抱え込んだまま、外へ吐く前にひしゃげて持ち上がる。見間違えようのない崩壊の前兆だった。あのまま倒れれば、列に突っ込む。


対象は河岸沿いの平屋倉庫。間口二十メートル弱、奥行き三十メートル前後。古い骨組みだが、内部の保管物のせいで火勢が散れば被害は広がる。時間は、ない。


宗一が動く。綾瀬も同時に糸を重ねる。

二人とも正しい。

正しいが、遅いのではない。間に合う条件が足りない。


倉庫全体にかかっている“均し”が、切断点の優先順位をずらす。宗一の斬撃概念が入る瞬間に、綾瀬の糸が触れるはずの未来が一段ずれる。綺麗に噛み合わない。

宗一の声が低く飛ぶ。


「紺野少尉!」


紺野はもう前へ出ていた。


43-3


紺野の足が止まったのは、倉庫から十歩の位置だった。

刀を抜く角度ではない。間合いが違う。斬るには近すぎて、逃がすには遠すぎる距離で、紺野は左手を前に出した。

志摩が一瞬だけ息を呑む。


「おい、待て。そこで出すな」


待てるなら待っている。

紺野の喉の奥で、あの空腹が鳴いた。倉庫一棟ぶんの熱と圧と崩壊の勢いが、形を持った餌みたいに見える。見えるから嫌だ。嫌だが、他にない。


「……壊す」


誰に言ったのでもない。自分に通すための言葉だった。


掌の先で、空気の縁が沈む。

黒くはならない。光るわけでもない。大仰な現象は何もない。ただ、倉庫の輪郭だけが、目で追うより先に“薄く欠ける”。


一拍遅れて、音が消えた。


消えたのは周囲全部ではない。三番倉庫のあった場所だけだ。潰れる音も、裂ける音も、爆ぜる音も、本来そこにあるはずの音の束が丸ごと抜け落ちる。


俯瞰する。


河岸の平屋倉庫一棟が、基礎を残して消失した。

鉄骨、壁板、内部の保管物、発火しかけていた熱源、その場にあった構造物の大半が、破片を撒かずに失われる。残ったのは、えぐり取られたような空間と、縁に散る灰じみた粉だけだ。延焼は起きない。爆圧も来ない。


代わりに、見ていた人間の胃が遅れてひっくり返る。

破壊に見える。だが破壊にしては残骸が少なすぎる。

捕食に見える。だが何をどう喰ったのか、説明がつかない。


だから不気味だ。

列の中で誰かが悲鳴を上げる。今度は薄められずに通った、まともな悲鳴だった。男の“均し”が、一瞬だけ揺らいだ証拠でもある。

志摩が顔をしかめたまま笑う。


「……ほんと、そういうとこだよ紺野少尉」


宗一は倉庫の消えた場所を見て、すぐ列へ向き直った。驚きを後回しにできる人間の動きだ。


「綾瀬、右の動線を閉じろ。今なら通る」

「はい」


綾瀬の糸が今度は素直に入る。志摩の減衰も前面の人波だけを押さえ、列が崩れる前に細く流し直す。役割が戻る。戻ったというより、紺野が無理矢理空白を作った。


規制線の向こうで、男が初めて数秒黙った。

その沈黙だけで価値があった。

やがて男は、薄く息を吐いて言う。


「……なるほど」


笑ってはいない。だが目が喜んでいる。


「やっぱりあなたは、壁の犬じゃない。災害の方だ」


紺野は返さなかった。

返す代わりに、左手を握った。握ると掌の中でざらつきが残っている。倉庫の熱でも鉄でもない、説明のつかない“何か”の後味だ。喉の奥の空腹は静かになった。静かになったせいで、吐き気がする。

陽鳥の声は、そこで初めて通信に割って入った。いつの間にか回線を拾っていたらしい。


「健ちゃん聞こえる?そのまま二回深呼吸して。今すぐ」


二人きりではない。だから紺野は「姉さん」とは返さない。


「……聞こえてる」

「左手、握り込まない。爪立てると次が早くなる」


言われて、紺野はほんの少しだけ手を開いた。

通信越しの向こうで何か小さく擦れる音がした。紙ではない。金属でもない。生き物が壁を這うみたいな、ごく短い音だったが、次の瞬間には消える。

演出にも癖にも聞こえる。聞こえるだけで終わる程度の音だ。

羽場桐の声が重なる。


「現場各員、目的を更新します。明灯会主導者の確保は下げる。優先は列の保全と退避誘導。今の現象で民衆心理が跳ねます。崩れる前に流れを作ってください」

「了解」


宗一が応じ、志摩が舌打ちしながらも動き、綾瀬が無言で糸を張り直す。

男は規制線の向こうで一歩下がった。逃げる歩幅ではない。次の手を打つための下がり方だ。


「今日はここまでにしましょう、近衛の皆さん」

「勝手に決めるな」


紺野が言う。声はまだ少し掠れている。

男は紺野を見て、今度ははっきり笑った。


「決めてるのはあなたです。さっき一棟消した時点で、今日の主役は私じゃない」


言い捨てて、男は列の奥へ消える。追うには人が多すぎる。宗一が一歩だけ前へ出て止まる。追えば取れるかもしれない距離だ。だがその一歩の先で、列が将棋倒しになる。

宗一は舌の上で判断を切った。


「追跡中止。退避誘導を優先します」


誰も反対しない。

反対する余地がない現場だった。


紺野は消えた倉庫の跡を一度だけ見た。

建物一棟ぶんの空白は、助かった結果であるはずなのに、どうにも縁起が悪い。人を殺してはいない。出力も抑えた。そのはずだ。

それでも、見てしまった者の目には残る。

何をされたのか分からない破壊は、火事より長く残る。


河岸の風が遅れて吹く。今度はちゃんと音がした。

紺野は深く息を吸って吐いた。

静かになった喉の奥が、次にまた鳴くことを知りながら、いまは列の方へ向き直る。


仕事はまだ終わっていない。終わっていないのに、何かだけが一歩先に進んだ感触があった。


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