三十四話 小さい手の仕事
三十四話
34-1 小さい手の仕事
「軽い案件です」
そう言って護国宗一少尉が受け取った紙を、東雲丈雲は横から覗き込み、静かに眉を下げた。
「御親領衛で“軽い”は、たいてい言い方の問題なんだよ、宗一君」
「承知しています。ですので東雲さんにも同行をお願いしています」
御親領衛本部の一角、出動前の机の上には簡略地図と施設の見取り図が広げられていた。
帝都駅から少し離れた流通区画の地下保管路。旧式の外象術式補助機構が残ったまま増改築を重ねた倉庫群で、午前の点検中に通路封鎖と搬送機構の誤作動が同時発生したらしい。
警察では手に余るが、軍が大人数で入るほどでもない。実にこの部隊向きの面倒だった。
「閉じ込められたのは三名。作業員二名と管理員一名。通信は通らない。内部の扉が順番に閉じたり開いたりして、経路が一定しないそうです」
護国が説明する横で、三木一葉が地図へぐっと顔を寄せた。
「三人! 三つだ!」
双葉がすぐに水を差す。
「三つだからって双葉たち使う流れだ……絶対そう……」
三葉は机の端から身を乗り出して笑う。
「いいじゃん。かくれんぼみたい」
「かくれんぼで済めば良いのですが」
護国の声は相変わらず丁寧で落ち着いている。だが言葉の奥には、子供相手だからこそ崩さない硬さがあった。
東雲は三つ子の頭の高さへ合わせるように少し腰を折り、地図の一角を指で叩いた。
「いいかい。今日は敵を倒す任務じゃない。人を見つけて、道を作って、連れて帰る。それだけだ」
「それだけー?」と三葉。
「“それだけ”が一番難しい時がある」と東雲。
一葉は胸を張る。
「できる! 三人いるもん!」
「そこだよ」と東雲が言った。「勝手に繋がらない。必ず合図を待つ」
双葉がすっと目を逸らした。三葉も口笛の真似だけして黙る。前に無断で能力を使って物を探し、順序も連絡も全部ぐちゃぐちゃにした件を、まだ覚えているらしい。
護国が三人を順に見た。
「今回は私と東雲さんが先に安全線を作ります。三人が能力を使うのは、その後です」
「宗一さんは入るの?」一葉が問う。
「入ります。ですが、主役はあなたたちです」
その言い方に、一葉の目が明るくなった。双葉は不安そうな顔のまま、三葉だけが先に「やった」と小さく跳ねる。
部屋の端でそのやり取りを見ていた紺野健太郎は、壁に背を預けたまま口を開いた。
「軽い任務って言う時ほど、帰りが遅くなる」
護国が苦笑に近い息を吐く。
「否定できません」
「三人」と紺野は三つ子を見る。「調子に乗るな。けど萎縮もしなくていい。変な手つきになったら、東雲さんが止める」
一葉が即答する。
「はい!」
双葉は小さく、
「止められる前に止まれればいいけど……」
三葉は、
「止められてから止まっても止まってるよ!」
と言って一葉に小突かれた。
東雲が笑う。笑ってから、表情を戻す。
「よし。行こうか。小さい手の仕事をしに」
34-2
流通区画の地下入口は、昼間だというのに薄暗かった。
薄暗いのは照明が少ないからではない。照明はある。点いている。だが古い外象術式補助機構の干渉で、光が通路の奥へうまく回っていない。明るい場所と暗い場所の境目だけが妙にくっきりしていて、人の目を疲れさせる。
入口で待っていた管理局員は、護国の階級章を見た途端に説明を早めた。
「封鎖区画はこの先です。人は生きてます、たぶん。中から叩く音はあった。けど扉の位置が変わるんです。さっきまで壁だった所が通路になって、通路だった所が閉じる」
「術式の更新履歴は」
「残ってないです。増築のたびに継ぎ足してて……」
護国はそれ以上責めない。責めても現場は良くならないと知っている顔だった。
東雲は壁際の古い制御盤に手を当てる。影はまだ出さない。出す前に、まず反応を見る。
「……荒れてるが、壊れてはいないな。機構同士が喧嘩してるだけだ」
一葉が首を傾げる。
「機械も喧嘩するの?」
「人間が変な繋ぎ方をするとする」
「人間のせいだ!」
一葉が言い切る。
双葉がぼそりと続ける。
「だいたいそう……」
三葉はにこにこしている。
「でも直せば仲直りー」
東雲はそこで三つ子を見た。三人の反応の違いを一度受けてから、護国へ向く。
「入口から二十歩ほど先に、古い分岐が三本ある。ここから先は一人ずつ入れるより、この子たちの方が早い」
護国が頷く。
「了解しました。私が前で遮断、東雲さんが後ろで保険。三人は合図があるまで接続禁止」
「はーい!」
「はい……」
「あいー」
護国が先に入り、通路の曲がり角まで確認して戻ってくる。危険物はない。熱源も異常圧もない。ただ、床下の術式配線が断続的に唸っている。
「行けます」
東雲は三つ子の前にしゃがみ込んだ。
「三人とも。繋ぐ時は一気にやる。浅く繋いで遊ばない」
ここで説明を挟むべきだろう。
三木一葉・双葉・三葉の能力は、三叉炉心。三人で一人のように魂を接続し、意識を共有する限定接続能力である。発動中、三人は互いの視界と感覚を重ね、神術出力をそれぞれ加算して引き上げる。強い。だから危ない。接続が深いほど一人の破損が全員へ返る。
小学生に持たせていい力ではない。だが、持ってしまったものは消えない。
一葉が右手を出す。双葉が渋々重ねる。三葉が最後にぱちんと乗せた。
「いくよ」
「やだなあ」
「いくいく」
東雲が短く言う。
「――今」
──三人の目の焦点が揃った。
派手な光は出ない。音もない。だが空気だけが一拍で変わる。別々だった呼吸が同じ拍に落ち、三人の立ち姿に妙な均衡が生まれる。子供が三人いるのに、そこだけ“ひとつの判断”が立っている。
俯瞰すると変化は明確だった。瞳孔の開き方、重心の置き方、視線の走る順番が一致している。三人が同時に違う方向を見ているのに、迷いがない。
一葉が口を開く。だが声は三人分のリズムを含んでいた。
「左、音。人、ひとり。座ってる」
双葉が同時に言う。
「右、扉の向こうに二人……うるさい。配線の鳴りが邪魔」
三葉が嬉しそうに付け加える。
「まんなか、行ける。今だけ開く」
護国の目が細くなる。
「東雲さん、十分です」
「うん。働き方は綺麗だ」
東雲が言う“綺麗”は褒め言葉だ。見た目の話ではない。無理な押し込みがないという意味である。
「一葉、中央。双葉は右の音を追うな、位置だけ保持。三葉は左の人を呼べる所まで行って戻る。必ず戻る」
「了解!」と一葉。
「了解……たぶん」と双葉。
「了解ー」と三葉。
三人が散る。走り方は子供なのに、角を曲がる判断だけが速い。接続した三つ子は個々の身体能力が跳ねるというより、無駄な迷いが消える。その結果、速い。
護国は中央通路へ付き、東雲の影が三葉の背後をなぞるように一体だけ滑る。双葉のいる右通路では、時折扉が閉じかけるが、双葉が「今じゃない」と呟くたびに一拍遅れて開き直る。能力を大きく使っているわけではない。接続によって得た感覚の先読みで、機構の癖を拾っている。
「いたー!」
左奥から三葉の声が響く。
声に釣られて通路の奥を見ると、作業服の男が床に座り込んでいた。足首を捻ったらしい。三葉は男の手を引こうとして、引けない。身体の大きさが違う。
だが引けなくてもいい。三葉が見つける役割を終えた瞬間、一葉が中央を抜けて左へ入り、護国が追いつく。
「大丈夫ですか」
護国が膝をつき、怪我を確認する。その間に一葉はもう次を見ている。接続中の一葉は直情的な性格だけではない。直情の向きが整理される。
右通路では双葉が壁へ手を当てていた。
「ここ……向こうで叩いてる。でも扉の位置が一つずれてる。普通に開けると空振り」
東雲が追いつき、双葉の指す壁面を見た。古い増築の継ぎ目だ。
「よく拾った」
東雲は影を二体に増やす。一体を壁の反対側へ回し、もう一体で床下配線の補助器を押さえる。影が壊れれば自分に返る。それを承知で、必要な数だけ出す。
「護国君。そこを一度切る」
護国が合流し、腰の刀へ手をやる。
「はい」
護国宗一の無足無刃は、限定因果操作による斬撃概念だ。始まった瞬間に終わる斬撃。射程と条件が合えば、振るう動作より先に“切れた結果”が現れる。
護国が踏み込む。狭い通路でも所作は乱れない。
──一閃。
壁面の継ぎ目だけが断たれた。破壊は最小、結果は十分。ずれた扉の輪郭が浮き、内側から管理員の悲鳴混じりの声が返る。
「いる! いるぞ!」
三つ子が一斉に息を吐いた。接続中の子供は、この瞬間だけ歳相応の顔になる。できた、という安堵がそのまま出る。
東雲が三人を見る。
「まだ終わりじゃない。帰り道までが任務だ」
「はーい」
「知ってる……」
「わかってるってー」
そう言いながら、三人の返事の間合いは揃っていた。
34-3
救出は、その後は早かった。
一人は足首の捻挫。二人は閉鎖区画で軽い脱水。命に別状はない。搬送機構の誤作動も、管理局側の技師が到着した時点で東雲の簡易固定と照合記録を引き継ぎ、復旧作業へ回された。
現場の外へ出た時、三つ子はまだ能力を繋いだままだった。三人で喋り、三人で笑い、三人で同じ方を見る。便利だ。便利だが、続けていいものではない。
東雲が立ち止まり、静かに言う。
「ほどくよ」
一葉が名残惜しそうにする。
「もうちょっと」
双葉は青い顔で言う。
「双葉はもう頭いたい……」
三葉はどちらにも頷く。
「あたしもまだやれるし、もうやだ」
東雲は苦笑した。
「それが答えだ」
三人の頭に順番に手を置く。
「一葉、手を離すのを我慢しない。双葉、しんどい時は先に言う。三葉、楽しい時ほど人を見る」
「むずかしい」と一葉。
「全部むずかしい……」と双葉。
「でもできるよ」と三葉。
東雲が短く合図を出すと、三人の肩から力が抜けた。接続が解ける。
解けた瞬間、三人は同時にふらつく。一人分の疲れではなく、三人分の感覚が剥がれる時の空白だ。護国が前に出かけるが、その前に一葉が踏ん張った。
「だいじょうぶ!」
言いながら、双葉にもたれかかる。双葉が嫌そうな顔で支える。三葉は二人の背中を押して笑っている。結局、三人で一人分の重心だった。
護国がその様子を見て、口元だけで笑った。
「任務は完了です。よくやりました」
一葉が胸を張る。
「はい!」
双葉は小さく訊いた。
「……始末書は」
「ありません」
「やった……」
三葉はすぐに次を言う。
「ごほうびある?」
護国が即答しかけて止まる。こういう時、情けをかけると次に響く。かと言って切り捨てると、子供は任務を嫌いになる。
そこで東雲が助け舟を出した。
「本部に戻ったら、私が甘いものを出す」
三つ子の目が同時に丸くなる。接続していないのに反応が揃うのは、もう癖だろう。
「ほんと!?」
「双葉は信じない……でも食べる」
「やったー!」
帰りの車内は、任務帰りにしては少しうるさかった。三つ子がそれぞれ別の報告をして、東雲がまとめ、護国が必要な部分だけを確認する。
「一葉は最初の人、すぐ見つけた!」
「双葉は扉のずれ見つけた……一葉より難しいやつ」
「三葉は呼んだ! すごい声で呼んだ!」
「うんうん、三人とも役割をやった」と東雲。
護国は手帳に簡潔に記録しながら言う。
「本部報告では、三人とも“独断で深追いなし”も書いておきます。大事な点です」
一葉が得意げに笑う。
双葉は「今日はね」と付け足す。
三葉は「次もできる」と言って、東雲に頭を軽く撫でられた。
本部へ戻ると、廊下の奥からいつもの雑音がしていた。誰かが笑い、誰かが言い返し、誰かが面倒そうに止める音だ。戦場ではない場所の音だった。
三つ子は車を降りた途端に走り出しかけたが、護国の一声で止まる。
「歩いて。報告が先です」
「はーい」
「はい……」
「あいー」
三つの返事が、今度は少しずれて響いた。
東雲はそのずれを聞いて、目を細める。接続が解けた後の三人は手がかかる。だが、その手間そのものがこの子たちの生存に必要なのだと、彼はよく知っている顔だった。
軽い任務だった。
少なくとも、帳簿の上ではそう書ける。
だが実際には、三つの小さな命へ大人がどう手を添えるかを、何度も選び直す仕事だった。
御親領衛の任務というのは、結局そういうものかもしれない。派手な破壊より先に、壊さないための手順がいる。
本部の扉の前で、一葉が振り返って東雲に言った。
「次も三人で行ける?」
東雲はすぐには答えず、三人を順に見た。
「行けるさ」
それから少しだけ声を低くする。
「でも“三人で行ける”と“何をしてもいい”は違う。そこを覚えたら、もっと強くなる」
一葉は真っ直ぐ頷き、双葉は渋い顔で頷き、三葉は笑って頷いた。
三人分の頷き方が、ちゃんと違う。
その違いがあるうちは、まだ大丈夫だと東雲は思った。




