三十三話 白線の内側
三十三話
白線の内側
国立景道院の正門前は、軍の施設とも繁華街とも違う騒がしさをしていた。
制服の色が多い。声の高さも多い。屋台の甘い匂いと、焼けた金具の匂いと、紙を擦る音が混じっている。祭りの空気だが、ただの祭りではない。校内のあちこちで、まだ未熟な神術の気配が立っては消える。火花ほどでもない現象が、あちこちで勝手に自己主張している。
紺野健太郎は門柱の陰に立ったまま、校門を見上げた。
「……場違いだな」
「誰が?」
隣で支倉真名が笑う。今日は仕事の衣装ではなく、色を抑えた私服だったが、それでも人目を引く人間は引く。派手に見せるときの華やかさとは別の、整っている人間の目立ち方だ。
「私たち?それとも紺野少尉だけ?」
「全員だ」
「安心して。樋道くんがいる時点で、場違いかどうかの議論は終わってる」
「聞こえてるんだけど!?」
後ろで樋道芳芙美が大げさに肩を跳ね上げた。給仕でも軍でもない、趣味の服だと言い張るには少し気合いの入りすぎた装いで、校門前の女子生徒がちらちら見ている。
「ボクは華を足してるの。文化祭ってそういうものでしょ」
「火薬も足しそうだから怖いんだよ」
真名が即座に返すと、樋道は頬を膨らませる。
「ひど。今日はちゃんと抑えてるよ。分子円塵も半径爪先くらいで我慢してる」
「.....あなたの我慢の単位が怖い」
会話は軽いが、紺野は目だけを校内へ向けていた。
今日は任務ではない。少なくとも名目上は。護国綾瀬が所属する学校の公開日で、宗一が外せない用件に捕まり、代わりに「様子を見てやってほしい」と東雲経由で話が回ってきた。様子を見るだけなら一人でいいはずだが、なぜこうなったのかは紺野にも分からない。たぶん、言い出した人間に悪気がないから面倒なのだろう。
「紺野少尉、顔が硬いですよ」
真名が言った。
「潜入じゃないんだから、そんな顔してると逆に浮くよ」
「元から浮いてるだろ」
「それは否定しないけど、開き直り方が雑」
樋道が門の方を覗き込んで、急に声を落とした。
「……あ、いた」
綾瀬は中庭側の通路に立っていた。
学校の制服姿で、腕章を付けている。案内係らしい。背筋の伸び方が生徒というより監視役で、近くを通る同級生が必要以上に距離を取って歩いていく。綾瀬本人は気にしていない顔をしていたが、気にしていない人間の硬さではなかった。
こちらに気づいた瞬間、綾瀬の眉がわずかに寄る。
嫌そうな顔、ではない。まず宗一を探した顔だ。次に宗一がいないと分かった顔。そのあとで、ようやく紺野たちを相手として認識した。
綾瀬は近づいてきて、真っ先に紺野ではなく周囲を見た。
「……兄は?」
「来られない」
紺野が答えると、綾瀬は短く息を吐いた。落胆を消すのが上手い。上手いが、消え切ってはいない。
「そうですか。なら、見物だけして帰ってください。面倒は起きません」
「面倒が起きる前にそう言うやつは、大体起きる」
紺野が言うと、綾瀬は少しだけ口元を引いた。
「紺野少尉も、兄と同じことを言うんですね」
「宗一ほど丁寧には言わないぞ」
「ええ。分かります」
棘はある。だが噛みつくほどではない。綾瀬なりに、今日は抑えているのが見て取れた。
真名が一歩前に出る。
「案内係なんでしょ? 頑張ってるじゃん」
「……別に。割り当てられただけです」
「割り当てられて、ちゃんとやってるなら十分えらいよ」
綾瀬は返事をしなかった。ただ真名の顔を見て、次に樋道の格好を見て、最後に呆れたように言った。
「その服で校内に入るんですか」
「何か問題ある?」
「目立ちます」
「文化祭だよ?」
「意味の分からない目立ち方です」
樋道はにやっと笑った。
「いいね、その言い方。嫌いじゃない」
綾瀬は真顔のまま視線を外した。相手にしない、ではない。相手にすると長引くと判断して切った顔だ。宗一と同じ切り方だった。
校内は思った以上に人が多かった。
展示、発表、模擬店。普通の学校と変わらない形をしているのに、端々にだけ神術師養成学校らしい歪みがある。木工展示の釘が妙に精密すぎたり、舞台袖の照明器具に外象術式の補助板が混ざっていたり、書道の半紙からまだ薄く冷気が滲んでいたりする。
「器用なもんだな」
紺野が呟く。
「未熟なだけに、生活へ寄るんだよ」
真名が答えた。
「高位の人って、どうしても“できること”が大きくなるでしょ。こっちは逆で、“今日使えること”から覚えるから」
その言い方は、少しだけ自分の昔話が混ざっている調子だった。
樋道が展示棚の前でしゃがみ込む。
「これ、綾瀬ちゃんの?」
棚の中には細い糸と金具を使った軌道模型が並んでいた。札には名前だけ。説明文は短い。だが配置が異様に几帳面で、一本の糸も遊んでいない。
綾瀬が頷く。
「授業用の応用課題です。……能力を使わずに、発想だけで罠を組む」
「能力を使わないのに、発想は能力寄りなんだ」
真名が感心したように言う。
綾瀬は少し迷ってから、説明した。
「私の能力は、射程内に“あり得た軌道”を斬撃の形で置けます。見えませんし、残せます。だから鳴子や罠にもできる。……これはその練習です」
言葉は簡潔だが、説明としては珍しく丁寧だった。学校の課題の話だからか、相手が隊の人間だからか、たぶん両方だ。
樋道が模型を眺めながら、ぽつりと言う。
「嫌な能力だなあ。強いし」
綾瀬が即座に返す。
「褒め言葉として受け取ります」
「うん、褒めてる。ボク、そういう“性格の悪い強さ”好きだよ」
「樋道准尉に言われると、褒められてる気がしません」
「ひどくない?」
その時、通路の向こうで乾いた音がした。
金属の支柱が鳴る音。続いて、悲鳴未満のざわめき。
中庭の仮設展示の一角で、天幕を支える骨組みが片側だけ沈んでいた。人が密集しているほどではないが、子供連れがいる。倒れ方が悪ければ頭を打つ。
綾瀬の目つきが変わる。
制服の生徒の顔から、御親領衛の顔へ切り替わるのは一瞬だった。
「下がって!」
声が通る。周囲が反射で動く。
同時に、綾瀬の指先がわずかに動いた。目には見えない。だが紺野には分かる。射程の中に、細い“線”が置かれた。落ちかけた支柱が、それ以上傾かない。止めたのではない。あり得た倒れ方を別の軌道へずらして、引っ掛けた。
樋道が舌打ち混じりに笑う。
「上手い」
そのまま駆け寄って、支柱の接合部を見た。
「金具が割れてる。誰か締めすぎたなこれ」
「直せますか」
綾瀬が言うと、樋道は肩を竦める。
「大げさにやれば一瞬。大げさにやると怒られる」
真名が先に前へ出て、集まった見物人へ声をかける。
「大丈夫です、少し離れてください。写真はあとで撮れますから」
ただそれだけの言葉なのに、人の視線の向きが自然にずれる。真名の能力は関心と無関心を撫でる。露骨に使えば強引だが、こういう場で薄く使うと、本人の愛想の良さに見える。
見えるだけで、効いている。
樋道は指先だけで割れた金具に触れた。
ぱき、と小さな音がして、割れた部分だけが崩れる。分子円塵。分解領域を極小で使えば、壊す場所を選べる。強すぎる力は、細かく使える時の方が怖い。
「はい、撤去完了。新しい金具ある?」
綾瀬が頷いて、工具箱から代替部品を出す。手つきが早い。普段からこういう作業もやっているのだろう。斬る能力の人間ほど、切らない段取りを覚えさせられることがある。
紺野は最後まで動かなかった。
動く必要がなかった、というのが正しい。三人で足りた。足りる時に前へ出ないのも仕事だと、この部隊に来てから少しずつ覚えた。
騒ぎが収まると、綾瀬は腕章の位置を直して小さく頭を下げた。
「……助かりました」
誰に向けた礼か、一瞬分かりにくかった。三人まとめてだと気づいたのは、真名が先に笑って手を振ったからだ。
「今日は綾瀬ちゃんが一番ちゃんとしてたよ」
「もともと私の持ち場です」
「うん。だから言ってる」
綾瀬は少し黙ってから、樋道へ向き直る。
「さっきの、ありがとうございます」
樋道が目を丸くする。
「お、ちゃんと二回言えるんだ」
「一回で足りますか?」
「足りる足りる。今のはボクが悪い」
そこで初めて、綾瀬がほんの少しだけ笑った。
勝ち負けのない顔だった。学校の中で見せるには、たぶん珍しい顔だ。
帰り際、校門のところで綾瀬が紺野を呼び止めた。
真名と樋道は少し先で売店を冷やかしている。距離はあるが、二人きりではない。綾瀬はそれを確認してから口を開いた。
「紺野少尉」
「何だ」
「兄に……今日のこと、余計な言い方で伝えないでください」
「余計な言い方って何だ」
「“うまくやってた”とか、“楽しそうだった”とかです」
紺野は少し考えた。
「じゃあ、事実だけ言う」
「事実なら構いません」
「持ち場を守った。判断が早かった。礼を言えた」
綾瀬の耳が少し赤くなる。
「……最後のは、要りません」
「事実だろ」
「そういうところです」
綾瀬は小さく頭を下げて、踵を返した。校門の内側へ戻る背中は、さっきより少しだけ硬さが抜けていた。
樋道が戻ってきて、紙袋を振る。
「見て見て、綿飴買った。三色」
真名が呆れ半分で笑う。
「それ、どうやって食べるの」
「色ごとに人格変えて食べる」
「元から変わってるから増やさなくていい」
紺野は二人のやり取りを聞き流しながら、校門を振り返った。
学校という場所は、隊の中で見る顔と違う輪郭を平気で出してくる。知らなくていいとは言い切れない。知ったところで何かが劇的に変わるわけでもない。
それでも、知っている方がましなことはある。
少なくとも次に現場で綾瀬が黙った時、その黙り方が一種類ではないと分かる。
それだけで十分だと、今日は思えた。
「紺野少尉、何か食べる?」
真名が綿飴を差し出す。
「いらん」
「即答」
「甘い匂いで腹が減る」
樋道が笑う。
「じゃあ減ってるじゃん。よかったね」
紺野は答えず、先に歩いた。
背中の後ろで二人がまだ何か言い合っている。くだらない話だ。たぶん半分以上どうでもいい。
どうでもいい声が続いているうちは、まだ平時だ。
そのくらいの区切りなら、信じていい。




