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幻想帝都 神州御親領衛記  作者: ニュートリノ鈴木
一章 神州と言う國
32/189

三十話 粉になる鍵


三十話



30-1 粉になる鍵


最初に見えたのは、破壊の跡ではなかった。

「手が入った」跡だ。


帝都外縁、解体待ちの小さな倉庫群。昼間でも人の声が反響しない場所はある。壁が厚いからではない。誰も声を置きたくないからだ。


入口のシャッターは半分だけ上がり、下には細い金属の粉が帯のように溜まっていた。削り取られたというより、丁寧に崩された痕。鍵穴の周りだけが、やけに清潔に壊れている。


「これは……鍵を“壊した”んじゃないな」


護国宗一が、粉を指先で摘まみかけて止めた。触れば情報が減る。そういう種類の現場だと理解している。紺野健太郎は粉の帯を見下ろしたまま言う。


「切断でも爆薬でもない。削り落とした。溶かしたとも違う」

「同意だ。腐食なら周囲に跳ねる。これは“線”だけ綺麗だ」


宗一の言葉は淡々としていたが、目は鋭い。現場の不自然さを拾う目だ。


そこへ樋道芳芙美が、白手袋の指先をひらひらさせて入ってきた。今日は女装の気合が強い。薄い外套の下、布の裾がやけに軽い。本人は軽いが、能力は軽くない。


「うわぁ、やだ。これ、ボクの仕事の匂いする」

「“匂い”で断定するな」


紺野が言うと、樋道は口を尖らせた。


「断定じゃないよ。嫌な予感。嫌な予感って当たるでしょ」

「当てるな」


宗一が入口のシャッターを少し持ち上げる。中は暗い。暗いのに、空気だけが新しい。最近、誰かが入っている。入って、長居せず、必要なものだけ抜いていった。


「目的は?」


宗一が警察の簡易報告を読み上げる。声音が変わらないのが逆に怖い。


「近隣の古物商が一晩で荒らされた。搬入庫のセンサーが記録を失ってる。盗難品は不明。警察は“異能の痕跡”とだけ記載」

「異能の痕跡って便利な言葉だよね」


樋道が言う。言い方は軽いが目は笑っていない。


「便利で、雑で、最後に現場が死ぬやつ」


紺野はシャッターの下から中へ目を通した。


「中に誰か残ってる可能性は」


宗一が首を横に振る。


「可能性はある。だが匂いが薄い。居たとしても、長居はしてない」


樋道が前へ出ようとして、宗一の手が止めた。


「樋道准尉。先に説明を」


「はーい。今日のボクの役目は?」


宗一が息を吐く。


「開ける。壊す。だが“崩すな”。建物を落とすな。証拠も残せ」


樋道は大げさに胸に手を当てた。


「難題。ボクの得意分野は“残さない”なんだけどなぁ」


紺野が目を細める。


「得意を出すな。必要を出せ」


樋道は一拍置いて笑う。笑ってから、声だけ少し落とした。


「うん。分かってる。だから呼ばれたんでしょ」


その一言が、案外ちゃんと仕事の顔だった。


30-2


倉庫の中は、奥へ行くほど音が減った。


足音が減るのではない。音そのものが、床に吸われていく。木材の古さではない。棚の隙間、床の割れ目、梁の裏。そこに“粉”が薄く残っている。さっきの鍵穴の粉と同じ色だ。


「……樋道准尉」


宗一が小声で呼ぶ。


「自分の粉か?」


樋道は首を横に振った。否定が速い。


「ボクのはもっと派手。こんな丁寧に残さない。残したくないからね」


言ったあと、樋道は自分の言い方が余計だと気づいた顔をした。だが引っ込めない。引っ込めないのが樋道だ。

紺野が棚の陰を指で示す。


「奥。扉がある」


扉は鉄。だが取っ手だけが新しい。交換した痕がある。鍵穴の周りには、同じ粉の細い輪。開けた。閉めた。戻した。そういう“丁寧さ”が残っている。


宗一が息を詰める。


「中に何かある。……嫌な種類の」


樋道が、肩を回した。


「じゃ、ボクの出番。……でも先に言うよ。ボクの能力は、やれば全部粉になる。粉にしないためには“やり方”がいる」


珍しく先に説明した。自分が危険だと知っている人間の言い方だ。


「『分子円塵(アボガドロエンジン)』。ボクの身体の周りに、分子をほどく領域を作る。強く出せば人も壁も同じ。弱く出せば、表面だけ削れる。……削れるけど、気を抜くと穴が空く」


宗一が頷く。


「穴を空けるな。空けたら落ちる」

「落とさない。落としたら怒られる。怒られたら悲しい」

「悲しいで済むならいい」

「護国少尉、ボクのこと信用してない?」

「信用してる。だから釘を刺す」


宗一の返しに、樋道が不満そうに頬を膨らませる。だが手は止まらない。白手袋を外し、素手を空気に出す。


──空気の肌触りが変わった。


冷えたのではない。乾いた。湿り気だけが剥がれるような乾き方だ。


樋道の指先の周りで、見えない粒子が踊る。踊るのに、音は立たない。静かなまま、扉の取っ手の表面が薄く曇り、次の瞬間には霜のように崩れた。


「……ね。削れる」


樋道が言う。声が少しだけ硬い。制御している時の声だ。


俯瞰すれば、起きているのは“分解”だった。

鉄の取っ手の表層が分子レベルでほどけ、微細な粉となって落ちている。扉の板金全体は無事。蝶番も無事。構造体に届かないよう、領域の厚みを薄く絞っている。

紺野が、扉の縁を見た。


「鍵の周り……同じ痕だな」

「そう。だから嫌だって言ったでしょ」


樋道の指先が鍵穴の縁をなぞる。なぞっただけで金属が粉になる。鍵穴が“消える”。取っ手を壊したのではない。鍵という概念の入口だけを失くした。

宗一が低く言う。


「こういう侵入は、警察じゃ追えない」

「追えるけど遅いよ」


樋道が言い返す。


「遅いと、証拠が死ぬ。……はい、開いた」


扉が、音もなく内側へ開いた。


30-3


中は小部屋だった。棚が三段。封緘箱が二つ。床に布。壁に薄い黒い跡。祭具でも研究器材でもない、どちらにも寄せられる“雑さ”がある。雑さがあるのに、ひとつだけ丁寧だ。


箱の封緘だ。


「……手慣れている」


宗一が言う。


「封緘を破らずに持ち出す気だった。箱ごと抜ける時間が足りなかっただけだ」


紺野が箱に近づき、鼻で息を吐いた。


「迂闊に開けるなよ。中身が“壊す仕掛け”なら終わる」


樋道が片眉を上げる。


「ボクに任せて。粉にするのは得意だけど、今日は“線だけ”やる」


宗一が釘を刺す。


「箱を消すな。中身も消すな」

「消さない。……証拠って、残す方が難しいから嫌い」


樋道はそう言いながら、指先を封緘の蝋に寄せた。


──瞬間、世界が軽くなる。軽くなったのに、胃が重い。目の前の箱が“食べられる物”に見える種類の軽さだ。樋道の能力は、そういう現実感の切り替えを強制する。

だが樋道は、そこで止めた。


一拍。


自分の呼吸を数える。数えてから、封緘の蝋の端だけを削る。蝋が粉になって落ちる。落ちる粉の量が少なすぎて、逆に気味が悪い。


「……ほら。開けられる」


宗一が箱を開ける。中にあったのは名簿の束と、小さな金属札、それから薄い薬包紙の袋。薬品の匂いがする。匂いがするのに、薬としての温度がない。

紺野の目が細くなる。


「人の名がある」


宗一が名簿をめくる。丁寧な字。だが“人の丁寧さ”ではない。分類の丁寧さだ。


「……護送先の記号。移送日。担当者。これは——」


言い切る前に、棚の裏で小さな音がした。


人の足音ではない。金属が触れる音でもない。もっと軽い。布が擦れるようで、同時に骨が鳴るみたいな音。

樋道が、目だけで紺野を見る。


「いる」


紺野は即答する。


「宗一下がれ。箱を持ってだ」


宗一は迷わない。箱を抱え、扉側へ半歩下がる。その動きだけで現場が締まる。綾瀬も志摩もいない。なのに線が引けるのは、宗一がいるからだ。


棚の陰から出てきたのは、背の低い男だった。年齢の分かりにくい顔。目だけが落ち着いている。手には小さな刃物。刃物は人を殺すためではない。箱を潰すための刃だ。


「返せ」


男が言った。声が平たい。平たいのに急いでいる。

紺野が答える。


「返すと思うか」

「なら、壊す」


男が刃を上げる。上げた瞬間、樋道が前へ出た。


「だめ」


言葉は短い。だが声に温度がない。温度がない時の樋道は危ない。

男の刃が振り下ろされるより先に、刃の先だけが粉になった。


主観で見れば、刃が折れたのではない。刃が“ほどけた”。握っている男が、自分の手の中の現実を見失う。

樋道の分子円塵が、刃の先端だけを狙って分解した。人体に届かない厚み。握りには触れない距離。刃を失わせ、動きを止めるための最低限。


男が一瞬固まる。固まった瞬間、紺野が踏み込む。

踏み込んで、手首を取る。取っただけで、男の肩が抜けるように落ちる。抵抗が死ぬ。怖さが先に出る。


「……っ」


男は息を呑み、すぐ口を開こうとした。


だが言葉の前に、舌が止まる。喉が詰まる。何かに“言うな”と押さえられている種類の止まり方だ。

宗一が低く言う。


「末端か」


樋道が、男を見下ろして笑う。笑みは可愛いのに、目が乾いている。


「末端でも、ここまで来るのは偉いね。……でもさ」


樋道は指先を男の胸元へ向けた。


向けただけで、男が震える。自分が粉になる未来を想像してしまった震えだ。想像だけで人は折れる。樋道はそれを知っていて、わざとやる。


「ボク、分解するの得意なんだ。嘘つくなら、粉の量が増える」


宗一がすぐ声を入れた。


「樋道准尉。脅迫の文言は記録に残る。言い方を変えろ」


樋道が口を尖らせる。


「えー、厳しい」

「厳しくないと部隊が溶ける」


紺野が男の耳元で言う。


「喋れ。死なせない」


男は歯を噛んだ。噛んだまま、かすれた声を絞り出す。


「……灯が、消えたら……運べって」


宗一が目を細める。


「合図か」

「……知らない。上は見ない。見るなって……」


紺野は一拍置いた。


「誰が教えた」


男は首を振る。振ると同時に、口角が勝手に引きつる。笑いではない。笑うことで誤魔化す癖だけを残された顔だ。


「……知らない。知らない。知らない」


樋道が、そこで一歩引いた。

引いたのは優しさではない。危なさを自分で感じたからだ。今の自分が、粉にしたくなる方向へ寄っていると分かった。


「……ねえ紺野少尉」


樋道が小さな声で言う。


「この人、喋ったら壊れるタイプかも。ボクの粉じゃなくて、別の壊れ方でさ」


紺野は短く息を吐いた。


「分かってる」


宗一が言う。


「持ち帰る。医療班と羽場桐中尉に繋ぐ。ここでは割らない」


樋道が不満そうに頬を膨らませた。


「割りたかった」

「割るな。残せ」


紺野が言うと、樋道は一瞬だけ黙った。

黙ってから、いつもの調子を戻すみたいに肩を竦める。


「はいはい。今日は“残すために壊す”日ね。……嫌いじゃないかも」


倉庫の外へ出ると、空気がやけに明るかった。


明るいのに、粉の帯がまだ目に残る。鍵穴の周りだけが崩された丁寧さも残る。

樋道は白手袋をはめ直し、指先を見た。


「ボクの粉、今日少なかったでしょ」


宗一が言う。


「少ない方が怖い」

「ひどい」

「褒めている」


樋道はそこで笑った。


笑いながら、ほんの少しだけ自分の指先を握り込む。握り込みすぎないように、すぐ開く。自分の危険を自分で知っている開き方だ。


「……また呼んでね」


紺野は即答しない。

即答すると、次が早くなる気がした。だが黙りっぱなしも違う。


「必要なら呼ぶ。……必要が増えるな」

「増やさないよ。ボク、可愛いから」


宗一がため息を吐き、紺野が鼻で笑った。


笑える程度の任務だったことがむしろ怖い。こういう軽い夜の裏で、誰かは重いものを運んでいる。


扉の鍵穴は粉になったままだ。

粉は掃いて捨てられる。だが粉にした“手つき”は、掃いても残る。


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