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幻想帝都 神州御親領衛記  作者: ニュートリノ鈴木
一章 神州と言う國
27/193

二十五話 焼かぬ紙


二十五話


25-1 焼かぬ紙



御親領衛本部に戻った時には、もう夜が浅くなくなっていた。


外の冷えが軍令部の石床にまで染みている時間である。人の出入りは少ないが灯りは落ちていない。帝都の平時は眠っているのではなく、別の帳簿に移るだけだ。そういう建物の呼吸がある。


羽場桐妙子は起きていた。


起きていたというより、最初から眠るつもりがない顔をしていた。机上には報告書の束と未処理の書類、それから新しく空けた記録票が整列している。整い過ぎた机は時に脅しになるが、羽場桐のそれは脅しというより処刑台に近い。何を載せても形になるからだ。


「報告を」


短い一言で始まる。


護国宗一が先に現場の流れを述べた。接触位置、拘束対象二名、術式の傾向、綾瀬の進路制限、志摩の減衰域の使用範囲。言葉に余計な熱はない。熱は現場に置いてくる。軍人としては正しい報告だった。


羽場桐の筆が走る。


「志摩君、使用範囲は申告通り三十歩以内ですね」


志摩龍二は椅子の背にもたれたまま頬を掻く。


「越えてねえ。越えそうにはなった」

「越えていないなら結構です。越えそうになった件は別紙で出してください」

「出さねえとだめ?」

「出してください」


志摩が天井を見た。諦める速度だけは早い。

羽場桐は次に綾瀬を見る。


「護国綾瀬さん。進路制限の糸は何本」

綾瀬は少しだけ考えてから答えた。

「主に四本です。切断目的は一。警告が二。誘導が一」

「被疑者への致命傷の可能性」

「ありません。走路の角度を削っただけです」


羽場桐は頷き、そこでもう一度筆を止めた。止めた先は紺野健太郎少尉だった。


「紺野少尉。追加は」


紺野は壁際から一歩出る。


「拘束した女が言った。『帳簿は焼けない』と」


部屋の空気がほんの少しだけ変わる。


羽場桐はその言葉を繰り返さなかった。繰り返さない方がいい種類の言葉だと分かっているからだ。代わりに紙へ一行だけ書く。


「……はい。そこが本尊です」


珠洲原陽鳥が、机の端に腰を預けたまま笑った。


「言い方。宗教みたいね」

「組織運用の話です」


羽場桐は顔も上げずに返す。


「明灯会の表向きの善性は、行為そのものより記録で保全されています。炊き出しをした、宿を紹介した、寄付を受けた、薬を回した。事実の一部は本当に善い。だから外から焼けません。焼けばこちらが悪く見える」


陽鳥は笑みを薄くした。面白がっている顔ではあるが、目は仕事のそれになっている。


「じゃあどうするの、中尉」


羽場桐は筆を置いた。


「焼きません。数えます。照らします。合法で囲います」


硯荒臣少将が部屋の奥で書類を眺めたまま言う。


「火は派手だが後が汚い。紙は地味だが逃げ場を潰す」


誰もそれに感想を返さなかった。感想を挟むより先に手が要る局面だと分かっているからである。

羽場桐は確認票を束ねて紺野へ視線を向ける。


「紺野少尉。休んでくださいと言いたいところですが、あと一つだけ」

「何だ」

「現場で見た“焦り方”を言葉にしてください。術式でも身振りでもなく、あの二人が何を嫌がったか」


紺野は少し黙った。こういう質問は苦手だ。だが嫌いではない。羽場桐が欲しがっているのは感想ではなく形だからだ。


「捕まることじゃない」

「はい」

「合図を返すのを見られることでもない。……順番が崩れるのを嫌がってた。誰が確認役で、誰が走る側で、誰に報告が上がるか。その手順を見られるのを嫌がった」


羽場桐の目が一度だけ細くなる。納得した時の反応だ。


「充分です」


紺野はそこでようやく息を吐いた。戦いの後に剣を収める感覚ではない。自分の見たものが別の武器に変わる場に立ち会った時の疲れだ。


明灯会の帳簿は焼けない。

なら、焼けない紙のまま締めるしかない。


24-2


翌朝、高倉源三は市場にいた。


八百屋だから当然だろうと言えばその通りだが、今朝の高倉は仕入れの顔を半分しかしていない。残り半分は御親領衛の隊員の顔で、もっと言えば羽場桐妙子に使われる時の顔だった。面倒事に巻き込まれた生活者の顔とも言う。


「おう源三、今日は早ぇな」


青果仲買の親父が声をかける。


高倉は曖昧に手を上げ、箱の山を見回した。葉物の湿り具合、根菜の泥、荷札の癖。市場の情報は口より先に品に出る。帳簿の数字だけでは見えないことが、現物の並びには出る。


羽場桐から渡された控えには、明灯会名義で申請された炊き出し用食材の数量が記されていた。表だけ見れば立派な数字だ。人数に対して不足はない。むしろ余裕がある。だから善意として映る。


問題は、その余裕の消え方だった。


「この二週、菜っ葉の流れ変わったろ」


高倉が仲買へ言う。


「ん? 何だ急に」

「北区の炊き出し連中。前は朝にまとめて引いてたのが、夕方にも細かく拾ってる」


仲買の親父は肩を竦める。


「よく見てんな。ああ、増えたよ。若いのが来る。現金でちまちま持ってく」

「名義は」

「出したり出さなかったりだな。寄付分ですって顔する時もある」


寄付分。


便利な言葉である。善意の世界ではそれで通る。通るが、帳簿を追う側からすれば雑音になる。雑音が増える時は、隠したい本線が別にあることが多い。


高倉は並べられた馬鈴薯を一つ持ち上げて重さを見た。芽の出方、皮の乾き、保存の癖。明灯会の申請数なら本来はもっと傷むはずの量だ。だが市場に戻ってくる廃棄相談が少ない。使っていないか、別で回しているか、その両方か。


「他、乾物は」

「乾物? それなら川向こうの問屋だろ。俺んとこじゃねえ」

「最近、急に動いた先あるか」


仲買は少し考えてから顎で奥を示した。


「あっちの米屋。あと薬種の横で新しく倉庫借りた連中がいる。炊き出しだ何だってのは言ってるが、荷の出し方が妙だな。昼に入れて夜に動かす」


高倉は頷いた。金は嘘をつく。物も嘘をつく。だが生活の都合は嘘をつきにくい。炊き出しの鍋は昼夜で回すにしても、荷の動きには人手と火の都合がついて回る。そこが合わないなら、鍋以外へ流れている。


「ありがとよ」

「何だよ、商売敵の探りじゃねえだろうな」

「バカ言え、ただの八百屋だよ」


高倉はそう言って笑った。半分は本当だ。半分は軍務だ。


市場を出る前に、彼は仕入れメモの余白へいくつか数字を書き足した。軍の報告書にそのまま写すには雑すぎる数字だが、羽場桐にはそれで通じる。あの中尉は現場の雑音を嫌う一方で、生活の感覚が混じった数字を捨てない。そこが厄介で頼りになる。


帰り道、荷車を避けながら高倉は小さく舌打ちした。

明灯会のやっている炊き出しは本当に人を食わせている。そこが腹立たしい。全部が嘘なら簡単なのだ。善いことをしながら中を腐らせるから、こういう手間になる。


善人の帳簿は焼けない。

だから秤で歪みを拾う。


高倉源三に回ってきた役目は、そういう種類の仕事だった。


25-3


昼過ぎの御親領衛本部は、珍しく紙の音が多かった。


羽場桐妙子は机を三つ使っていた。自分の机に御親領衛の記録、左に軍令部への照会文、右に外部機関へ回す依頼書。書式の違う紙を並べる時の羽場桐は、戦場で言えば射線を引いているに等しい。一本ずつは細いが交差させると抜け道が減る。


珠洲原陽鳥はその右側で情報端末を叩いている。叩いていると言っても動きは静かだ。静かすぎて、隣で見ていると逆に落ち着かない。端末の画面には時間帯ごとの申請、寄付控除の記載、炊き出し場所の衛生点検履歴、簡易宿泊所の収容数が並んでいる。


「中尉」


陽鳥が声をかける。


「北区第三宿泊所だけ、薬品の消費が妙に少ない。申請人数に対して消毒剤が足りない」


羽場桐は手を止めずに返す。


「衛生局へ定期確認の依頼を回します。抜き打ちではなく通常巡回の前倒しで」

「優しいね」

「通常業務です」


陽鳥は笑う。その笑いに薄い苛立ちが混じる。もっと速い手がいくらでもあるのに、それを使わせてもらえない時の顔だ。


羽場桐は分かっていて使わない。今必要なのは摘発の快感ではない。明灯会の表向き善性を崩さず内部だけを焦らせることだからだ。派手に踏み込めば一発で終わるように見えて、支持者の感情が残る。残った感情は次の温床になる。


「高倉さんの報告、来ました」


陽鳥が端末の横へ紙を滑らせる。市場で拾った数量差と時間帯のメモだ。報告書というより買い物控えに近い字面だが、羽場桐は目を細めて読み込み、すぐ別紙へ転記した。


「川向こうの倉庫、名義を照合します。軍からは行かない。税務の通常照会で十分」


「中尉」


高倉本人が部屋の入口から顔を出した。疲れた顔をしているが声は通る。


「米屋の方、表じゃない人が動いてるな。荷より先に学生みたいなのが来て、周り見てから入ってる」


羽場桐が顔を上げる。


「時間帯は」

「昼と夕方の間。人通りが一回薄くなる頃」

「ありがとうございます。市場の方は」

「しばらくは口利いてもらえる。ただし、やりすぎると勘付かれる」

「そこまではしません」


羽場桐はそう言ってから紙束を整えた。


机上に並んだ依頼書はどれも合法だ。衛生確認の前倒し、未成年就労実態の照会、寄付品保管の防火点検、宿泊所の収容報告の様式統一、医療物資の受払記録の提出依頼。どれも正面から拒みにくい。拒めば善意の看板に傷が入る。応じれば内部の手順が増えて焦る。


「……包囲ってさ」


陽鳥が端末から目を離さず言う。


「こんなに静かなものなんだ」


羽場桐の手が、封蝋の位置を決めるために一瞬止まる。


「静かにしないといけません。明灯会はまだ炊き出しをやっている。止める理由は今のところ無い」

「でも中は止める」

「そう、中だけを止めます」


言い切った声は硬かった。硬いが細くない。こういう時の羽場桐は、隊内の誰よりも軍人らしく見える。

部屋の端で紺野健太郎少尉がそのやり取りを聞いていた。


現場に出ている時と違って、自分の手はほとんど要らない。紙の上では羽場桐が前に出て、数字の歪みは高倉が拾い、細かい照合は陽鳥が速い。自分がここで出来ることは少ないように見える。


見えるだけだと、ようやく分かってきた。


昨夜の合図の返し方を覚えて持ち帰ったのは紺野だ。焦りの順番を言葉にしたのも紺野だ。その小さな断片が、今、机の上で別の武器になっている。


戦場は路地だけではない。

路地で拾ったものが紙になって戻る場所もまた戦場だ。


羽場桐が封を押した。


「これを出します。順番はずらして。今日三通、明日二通、明後日に一通。まとめて送ると警戒される」


陽鳥が頷く。


「二消一灯の逆だ」


高倉が苦い顔で笑った。


「灯ぃ消すのは向こうだけで十分だ」


その言葉に、紺野は小さく息を吐いた。


明灯会の表の灯はまだ点いている。炊き出しの鍋も、寝床の紹介も、表向きの礼も続くだろう。続かせる。そこに手を出さないためにこちらは面倒な道を選んでいる。


だが裏口の灯は別だ。


確認役の足が遅れれば一つ消える。荷の帳尻が合わなければ一つ消える。提出期限に追われて手順が崩れればまた一つ消える。そうやって内側だけが先に暗くなる。


派手さはない。切った手応えも薄い。

それでも確かに効く回り方がある。


御親領衛本部の午後は、その静かな効き方を形にする音で満ちていた。


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