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幻想帝都 神州御親領衛記  作者: ニュートリノ鈴木
一章 神州と言う國
26/191

二十四話 逆手


二十四話


24-1 逆手



夜の市街地というものは、明るいほど見えなくなる。


帝都の南寄り、川沿いの古い商店街はその典型だった。表通りには新式の街灯が増えたが、建物の庇と看板の影が光を細かく裂く。明るい場所と暗い場所がまだらに並ぶせいで、人の顔より先に歩き方が目につく。だから尾行は難しい。だからこそ、慣れた者はそこを使う。


紺野健太郎は、閉店した薬種問屋の二階窓から通りを見下ろしていた。


同じ室内に護国宗一、志摩龍二、護国綾瀬がいる。四人だけだ。御親領衛としてはいつもの人数だが、今夜の任務に限って言えば多いとも少ないとも言えない。人手ではなく、役割が噛み合うかどうかの方が重要だからである。


「時刻は」


護国宗一が小声で問う。


綾瀬が懐中時計を見た。学校帰りの少女の手つきではない。答えは短く、癖がない。


「二十二時十四分。予定より二分早いです」


志摩が窓枠に顎を乗せたまま鼻で笑う。


「善人サマってのは早寝早起きじゃねえのかよ」

「表向きはそうだろうな」


紺野が答える。視線は通りから外さない。


明灯会は、昼間に見ればよく出来た慈善組織だ。炊き出しもやる。簡易宿泊所の紹介もする。低位神術師の若年層に仕事を回す。警察も議員も、正面からは叩きづらい。叩けない善性には別の締め方がある。そこは本部がやっている。


羽場桐妙子が“合法の紙”で外を詰め、こちらは内側の焦りを拾う。

役割分担としては綺麗だ。綺麗すぎて、現場にいる人間の胃には悪い。


「来ます」


綾瀬が言った。


通りの向こう、提灯屋の軒先で灯りが二つ落ちた。すぐに一つだけ戻る。間を置いて、また二つ落ちる。


二消一灯。


明灯会の末端が使っている、合図とも癖ともつかない連絡手順だった。規模の大きい組織は、意外とこういう原始的な手触りを捨てない。便利だからではない。裏切り者を炙れるからだ。知っている者しか反応できない合図は、それだけで篩になる。


今夜はそれを逆に使う。


「志摩」


紺野が呼ぶ。

志摩は頷き、息を浅く吐いた。ふざけた顔が消える時は早い。


「三十歩だけだな」

「三十歩でいい。広げるな」

「分かってるよ、紺野少尉」


志摩が指先で床を軽く叩いた。


───音が痩せた。


消えたのではない。減ったのでもない。輪郭だけが薄くなる。室内の軋み、遠くの車輪、誰かの咳払い。耳に入るはずのものが一拍遅れて届く。慣れていない人間なら気づかない程度だが、戦う側にはそれで充分だった。


俯瞰すれば、志摩龍二の逆鱗静域は温度や運動だけでなく認知の“立ち上がり”に鈍りをかける。射程内の人間は、自分の異常に気づくのが遅れる。


「……いける」


志摩が言う。声が少し硬い。自分まで巻き込みかけていない時の硬さだ。


綾瀬が窓から身をずらした。彼女の視線は灯りではなく、灯りの間の暗がりを縫っている。人の歩幅、立ち止まり方、視線の向き。見えない糸を張る者は、まず空間を測る。


「二つ目の角、酒屋の前。今ので一人、合図を返しかけて止めました」

「末端か」


護国宗一が問う。


「末端なら止めません。止める必要がない。……あれは確認役です」


綾瀬の声に棘はない。任務中は、むしろ平板になる。感情を混ぜると精度が落ちると知っているからだ。


紺野は窓から離れる。


「下に回る。護国少尉」

「私が前に出る」

「志摩はそのまま維持。綾瀬は角を切れ」


綾瀬が短く頷く。兄を見る前に紺野を見る。その順番が、この場の形を示していた。


24-2


商店街の裏路地は、表通りより古い匂いがする。

湿った木、古い油、排水の熱。帝都の中心から少し外れただけで、街はまだ人間の手で継ぎ足している音を残していた。紺野はその匂いを嫌いではない。清潔ではないが、誤魔化しが少ないからだ。


護国宗一が先行し、紺野が半歩遅れてつく。志摩の減衰域は背中に薄く残り、綾瀬の位置は見えない。見えないのに分かる。自分たちの進路の先だけ、妙に“切り分けられている”感覚がある。


糸だ。


綾瀬はもう張っている。発動の密度は薄いが、十分に危険だ。味方だから踏み込める類いの危険で、敵なら一歩で終わる。


酒屋の角を曲がったところで、護国宗一が止まった。

路地の中ほどに男が一人いる。三十代後半か四十代手前。配達人の前掛けをして、空の木箱を二つ積んでいる。見た目はただの手伝いだ。肩の力み方と視線の置き方だけが違う。


「遅いですね」


護国宗一が丁寧に言った。


男が目を瞬かせる。最初の半拍は何を言われたか分からない顔をして、それから笑った。


「は? 何の話で──」


言い切る前に、男の右袖がぴくりと震えた。


紺野の視線がそこに落ちる。術の起点。内示か、外象の簡易式か。どちらでもいい。抜くほどではない距離だが、抜かなければ間に合わない場合がある。


迷う前に、護国宗一が前に出た。


一歩だった。


因果を無視し、始まりと終わりの間がない斬撃というのは派手な光景にはならない。見えるのは結果だけだ。男の袖が裂け、仕込んでいた薄刃の金具が地面に落ちる。遅れて、木箱が二つとも綺麗に割れた。


無足無刃(ゼロアポニア)


斬られたと理解した時には、既に斬られている。

男の顔から色が消える。護国宗一は刃を見せない。軍刀に手もかけていない。丁寧な声のまま、距離だけを詰める。


「質問します。答えてください」

「……何の権限で」

「近衛です」


それで足りる場面は、帝都には多い。多すぎる。

だが男は末端ではないらしい。怯えはしている。しているが、膝が落ちない。唇の動きが速い。何かの手順を思い出している顔だ。


紺野が口を開く。


「喋る前に決めろ。誰のために黙る」


男の目がこちらを向く。

ほんの一瞬、視線が噛んだ。そこに出たのは忠義ではない。計算だ。喋った場合の損、黙った場合の損、死ぬ場合の損。そういう数字が先に走る目だった。


次の瞬間、路地の奥の灯りが落ちた。


一つ、二つ。


間を置かずに、一つ戻る。


二消一灯。


逆用した合図に、逆側から応答が来た。こちらが餌を噛ませたことで、あちらが“確認役を確認しに来る側”を動かした。


「兄さん」


綾瀬の声が頭上から落ちる。屋根の縁だ。


「右、二人。走る。片方だけ通す」


護国宗一は振り返らない。


「了解」


男がその瞬間に逃げようとした。正しい判断だ。正しいが遅い。護国宗一の手が肩を押さえ、紺野が膝裏を払う。体勢を崩した男を地面に伏せる動きは、暴力というより手順だった。


奥の路地から足音が近づく。

志摩の減衰域の端に入ったらしい。一人分の足音が一拍よろける。もう一人は止まらない。止まらない方が厄介だと分かる速度だ。


───細い音が鳴った。


綾瀬の糸が一つ、空を切った。

叫び声はない。代わりに足音が一つ消える。もう一つはなお走る。走るが進路が妙に狭い。綾瀬が通り道を切っている。


「紺野少尉!」


護国宗一が呼んだ。

紺野は男を護国宗一に任せ、路地の奥へ踏み込んだ。


24-3


追うという行為は、速度ではなく確信で決まる。

相手がどこへ行くか分からないなら、どれだけ速くても追跡にはならない。


紺野は走りながら、逃げる影の肩の向きを見ていた。左へ抜けたいのに抜けられない人間の体は、腰だけ先に逃げる。綾瀬の糸が道を削っている証拠だ。


「止まれ」


命令に従う人間なら、最初から走らない。


影は振り返りもせず、掌をこちらへ向けた。内示術式の発顕。薄い閃光が弾け、路地の壁に刺さる。火花ではない。光の位相を短く固定して破裂させる類いだ。殺傷より目潰しと怯ませを狙った雑な術。


末端にしては出来る。

上に立つ者にしては軽い。


明灯会の中間だと紺野は判断した。

閃光の残滓を横切って距離を詰める。相手の術式は二射目が遅い。速く撃てないのではない。速く撃つ訓練をしていない。人を殺すための技ではなく、人を散らすための技を覚えた手だ。


「っ、来るな!」

「来る」


紺野が踏み込んだ瞬間、影の足首が跳ねた。


綾瀬の糸だ。見えない斬撃ではなく、見えない鳴子の方。逃げ足の軌道に触れて動きを乱しただけで致命傷は取らない。通す者と止める者を分けると言った通り、綾瀬は“片方だけ”をこちらに残していた。


紺野は体勢を崩した影の襟を掴み、壁へ押し付ける。相手は女だった。年は二十代半ば。炊き出しの手伝いにいそうな顔で、目だけが乾いている。


「名前を言え」

「……」

「黙る方を選ぶか」


女は紺野を睨んだ。睨んでから、妙に落ち着いた声で言う。


「あなた達だって守ってるでしょう。上を」


その言葉に、紺野の手がほんの少しだけ止まった。


明灯会の人間は、ときどき妙に筋の通ったことを言う。筋が通っているから厄介なのではない。筋が通っている言葉を使って、筋の通らない手口を隠すから厄介なのだ。


路地の入り口側から護国宗一と志摩が来る。護国宗一は男を引き立てたまま、志摩は少し顔色が悪い。


「三十歩越えた」


志摩が短く言う。減衰域の維持時間の限界が近いらしい。


「上出来だ」


紺野が返す。

綾瀬は屋根から降りてこない。視界に入らない位置で見ている。妹としてではなく、射線としてそこにいる。


護国宗一が女の顔を見て、眉を寄せた。


「炊き出しの現場責任者だな。先週、北区で見た」


女は黙る。否定しないのは悪手だが、もう取り繕う段階ではないと知っている顔だった。

志摩が壁にもたれ、低く笑う。


「善人の顔して足だけ速えじゃねえか」


女が志摩を見る。その目に一瞬だけ嫌悪が出る。


減衰の気配を読んだのだろう。低位の現場に志摩龍二の名が通っている証拠でもある。

紺野は女の襟から手を離し、代わりに手首を拘束具で留めた。必要以上に痛めない。痛めなくても、今夜は充分に効いている。


二消一灯を逆用して確認役を炙り、確認役を追って中間を拾った。


本部側の“紙の包囲”が効いたからこそ、向こうは合図を急いだ。急いだから癖が出た。癖が出たからこちらが掴めた。


現場と本部が繋がる時の手応えは、勝利感というより歯車の噛み合う音に近い。気持ちの良いものではない。だが、必要な音だ。


「本部へ上げる」


護国宗一が言う。

紺野は頷いた。

その時、女が小さく口を開いた。


「……帳簿は焼けないよ」


誰に向けた言葉でもない独り言だった。だが意味は重い。


羽場桐が追っているのは金の流れだけではない。善意が善意として積まれた記録そのものだ。明灯会はそれを盾にしている。盾を壊せば、市井の支持ごと壊れる。だからこちらは焼けない。焼けないものをどう締めるかで、今、互いに首を絞め合っている。


紺野は女を見た。


「焼かない」


女がこちらを見る。

紺野は続ける。


「焼かないで、お前らの困る形にする」


強がりではない。羽場桐妙子ならやる、という確信だけがあった。自分の言葉というより、あの中尉の帳簿から借りた言葉に近い。


女は初めて、少しだけ顔を歪めた。恐怖でも怒りでもない。焦りだ。


表の善性を崩さず、内側だけを詰める。


それが一番嫌なやり方だと、向こうも分かっている。

路地を出る頃には、商店街の灯りは何事もなかった顔で並んでいた。二つ消えて一つ点く程度の揺れなど、帝都の夜には埋もれる。埋もれるが、埋もれたまま残るものもある。


今夜拾ったのは人間が二人と、合図の返し方と、焦りの出方だ。

帳簿に載せれば小さい。現場では充分に大きい。


明灯会の輪郭はまだ遠い。だが、遠い輪郭ほど先に癖が見える。そこを掴めれば、次は少し近い。


紺野は歩きながら、胸の奥に残った薄いざらつきを確かめた。


戦っている時のざらつきではない。まだ決着の形が見えない時のざらつきだ。


嫌いではなかった。好きでもない。ただ、こういう時に自分は前へ出るしかないのだと、少しずつ身体が覚え始めている。


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