表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
幻想帝都 神州御親領衛記  作者: ニュートリノ鈴木
番外章 ニライカナイ 未来彼方
170/193

百六十八話 遊戯の席


百六十八話


168-1 遊戯の席



町の中央には、広場があった。


広場、と呼ぶのがいちばん近い。

石畳が円く開け、その縁を低い建物と長い回廊が囲んでいる。市場にも見える。祭礼の場にも、裁きのための空き地にも見える。


だが、どの見え方も少しずつ足りない。人が集まるために作られた場所ではなく、役目の方が先にあって、人は後からそこへ置かれたような造りだった。


中央には卓が一つあった。


卓というには大きい。祭壇というには低い。黒でも白でもない石で組まれ、表面だけが妙に滑らかだ。磨かれているのではない。長く触れられ続けた末に、触れるという行為そのものを覚えた質感だった。


その卓の周りへ、四つの席が用意されている。


背の低い椅子ではない。

椅子に見える形をした“置き場”だ。人を座らせるために作られたのではなく、人がそこへ座ることで初めて意味を持つ類の席。木でも石でもない、海辺で拾った骨を削って艶を消したような素材で、四つそれぞれ形が違う。


ひとつは背が高く、肘掛けが広い。

ひとつは直線が多く、剣を置くのに都合が良さそうだ。

ひとつは細かい引き出しが幾つもついていて、道具を抱える者のために見える。


最後のひとつだけが最も軽く、腰を深く沈める前に立ち上がれそうな浅い作りをしていた。


彼方の主が卓の向こうへ立つ。


「席は、もう整っています」


その言い方に、四人は誰もすぐには動かなかった。

席がある。だから座れ。単純な話のはずだ。だがこの国では、そういう単純さほど人を疑わせる。座った瞬間、何かを受け取るのではなく、何かへ組み込まれる気がしたからだ。


陽鳥が静かに言う。


「礼儀として一応訊いておきますが、拒否はできますか」


彼方の主は微笑んだまま答える。


「できますよ」


そこで一拍置いて、


「ただ、その場合は、ここまで来た意味が少し薄くなります」


柔らかいが、実質は拒否ではない。

荒臣はその声音に、天帝の命じ方と少し似たものを感じた。断定の形を取らないまま、他の選択肢を静かに痩せさせる口調だ。


荒臣が先に席へ向かった。

最も背の高いそれ――肘掛けが広く、どこか玉座の歪んだ名残みたいに見える席の前で一度だけ止まり、彼方の主を見る。


「相変わらず、趣味が悪い」

「褒め言葉として受け取ります」

「受け取るな。私は一つも誉めていない」


荒臣はそう言って、ためらわずに座った。

小柄な身体がその席へ収まった瞬間、椅子の方が先に“正しい持ち主が来た”と理解したみたいに静かに沈む。


紺野、陽鳥、綾瀬も続いた。

誰も命じられていない。だが、この場では座らない方が不自然だった。

席に腰を下ろした瞬間、広場の風が一度だけ止まった。


168-2


最初に消えたのは、格の差だった。


見えなくなったのではない。

無くなった。

正確には、“ここではそれを尺度として使えない”形へ折り畳まれた。


紺野は自分の皮膚の下に、いつもなら触れようと思えば触れられるはずの重さが、綺麗に指をすり抜けていくのを感じた。魂の出力。存在の格。位階差に裏打ちされた、あの理不尽な高低。


消えたこと自体が異様だった。自分が弱くなった、という感覚ではない。強弱を測る秤の方を、卓の向こう側で先に取り上げられたのだ。


陽鳥がわずかに眉を寄せる。


「……虫が、静かすぎる」


その言い方で十分だった。

彼女の万想狂花は発動していない。正しく言えば、発動する以前に“向こう側の言葉”へ閉じ込められている。


綾瀬は指先を軽く動かし、そこでようやく舌打ちした。


「糸も来ません」

「来るわけがない」


荒臣が椅子にもたれたまま言う。


「神術を持ち込ませぬための遊戯だ。位階差まで無効にしておいて、そこだけ通すほど向こうは甘くない」


紺野は拳を握り、開いた。


身体の内側にあるはずの底が、今は静かだ。静かなのではない。届かない。

東都の夜に嫌というほど見た自分の危うい底が、ここでは最初から卓の外に置かれている。その事実に安堵が無いわけではない。だが安堵だけで済むほど単純でもなかった。切り離された分だけ、別の裸が剥き出しになる。


彼方の主が卓へ手を置く。


「力は要りません」


その一言と同時に、卓の表面へ淡い線が浮かんだ。

文字に似ている。だが書かれたというより、石の中に最初から沈んでいたものが、水面へ近づくように現れてくる。


数ではない。

尺度でもない。

もっと厄介なものだった。


剣士。

調律師。

狩人。

魔王。


四つの名が、卓の中央からゆっくりと立ち上がる。

順に、四つの席へ光が流れる。


紺野の席。

陽鳥の席。

綾瀬の席。

そして荒臣の席。


広場の空気が、その最後の一語だけを少し遅れて拾った。

だが、与えられたのは名だけではなかった。


紺野の指先に、剣を握る前の呼吸の置き方が落ちてくる。

正面から受けること。

押し潰すのではなく、相手の型がどこで終わるかを見ること。

終点を見誤れば死ぬ。だが、見切った時だけ盤面がわずかにこちらへ傾く。

そういう文法が、数字の代わりに骨へ染みる。


陽鳥の肩が、ごく僅かに強張った。

彼女へ落ちたのは、噛み合いをずらす感覚だった。

糸と針と小瓶と札。道具を通して、人や場や音や手順を半拍だけ狂わせること。

奪うのでも、支配するのでもない。

“ちょうどよく噛んでしまっているもの”へ、別の齟齬を差し込む役。


綾瀬は息を止めた。

彼女へ来たのは、線を閉じる感覚だった。

逃げ道、侵入路、間合い、死角、罠。

どこを通せば相手が来るかではない。どこを塞げば相手が自分の終点へ入るか。

狩人とは弓を持つ者ではなく、線の外を減らしていく者だと、この国は最初から決めている。


そして荒臣だけが、少し長く沈黙した。


魔王。


そこへ落ちてきたのは、力の形ではなかった。

むしろ逆だ。今この瞬間に盤面を壊す権利が、自分には無いと知る感覚。


代わりに、門と節目と進行条件だけがこちらを通す。

盤面の側が“ここはお前の手番だ”と認めた時にだけ、世界が少しこちらへ傾く。


魔王とは、最初から全てを持つ者ではない。物語の終点側へ押し込まれ、終点として成立する時にだけ、場の方が力を寄越す役だと分かる。


数は無い。

だが、その方がよほど残酷だった。

何ができるかではない。

何として振る舞う時にだけ、この世界がこちらを通すのか。

それだけが、役として骨へ落ちてきた。


168-3


「……随分と、露骨だな」


紺野が先に言った。

声は低い。だが、呆れているだけではない。

荒臣の席へ刻まれた一語は、悪趣味というにはあまりにも“似合いすぎた”。


魔王。


ただ強い者ではない。

盤面の最終に置かれる側。試練として待つ者。超えるべき壁でありながら、同時に物語そのものの側へ組み込まれている存在。


荒臣がその席へ座った時の収まりの良さを思い出し、紺野は胸の奥が少しだけ冷える。

陽鳥も、珍しく軽口に逃がさない。


「嫌な配役ですね」

「お前が言うと、まるでこちらが選んだように聞こえる」


荒臣は小さく鼻で笑う。


「残念だが、これは向こうの悪趣味だ。私は座っただけだ」

「座って成立してしまう時点で、だいぶ嫌です」


綾瀬の声音は乾いていた。

遠慮がない。だが今の一言には、嫌悪だけではなく、正確な観察が混じっている。

荒臣はそれを咎めない。


「結構。役に似合うというのは、必ずしも愉快な話ではない」


その返し方に、紺野は少しだけ目を細める。

東都で見た荒臣の理不尽な格と、今この場で“魔王”の役へ静かに収まる姿が、同じ一本の線で繋がって見えた。だがそれをそのまま納得すると危ない気がして、胸の内側だけが少し逆らう。


彼方の主は、残る三人へ視線を向けた。


「剣士」


紺野の席が微かに温度を持つ。

肘掛けの脇へ、細身の剣が一本だけ置かれていた。質素だ。あまりにも質素で、最初は儀礼具にしか見えない。だが手に取れば重心は素直で、刃も粗末ではない。

ただし、神術を載せる前提の武器ではなかった。押し潰すためではなく、受け、見切り、終点へ置くための剣だった。


「調律師」


陽鳥の席の引き出しが音もなく開く。

小瓶、糸、針、薄板、札に似た小片、粉末の入った筒、用途の見えない器具。どれも武器に見えない。だが、彼女の指先がその並びを見た瞬間、わずかに硬かった肩の力が少しだけ変わる。

奪われたのではなく、別の言葉へ移された。そう理解できる程度には、珠洲原陽鳥は道具の人間だった。


「狩人」


綾瀬の席の背後へ、短弓と細身の矢筒が現れる。

大仰ではない。狩猟用を思わせる軽さだ。加えて腰に馴染みそうな短刀が一振り。

遠くを射抜くためではなく、近づく前に見つけ、逃がす前に仕留めるための装備。線を読み、足場を拾い、最短で終わらせる者のための役だ。


最後に、彼方の主が荒臣を見る。


「魔王」


荒臣の席には、何も現れなかった。


紺野が眉を寄せる。

陽鳥も綾瀬も同じ顔をする。役だけが重い。だが武器も札もない。

荒臣はそれを見て、むしろ少しだけ楽しそうに言った。


「結構。いかにも向こうらしい」

「何がです」


綾瀬が問う。


「魔王とは、最初から全てを持つ者ではない。揃うべき節目が揃った時にだけ、盤面の側から役を押し付けられる」

「不親切ですね」 

「役目というのは、だいたい不親切だ」


彼方の主は、荒臣の言葉を否定しなかった。

否定しないということは、ほぼ肯定だった。


168-4


席を立った瞬間、四人はすぐに理解した。


弱い。


荒臣が最初に自分の手を見た。

小さい手だ。もともと小さい。だがそういう問題ではない。そこへ宿る“通るはずのもの”が通っていない。力が無いのではない。理不尽さが綺麗に剥がされている。


紺野も剣を持ち、軽く振った。

振れる。体も動く。だが、正二位としての骨格はどこにも乗らない。訓練した兵としてなら十分だ。怪物を殴り伏せるための身体ではない。


東都の夜のような勝ち方は、ここでは最初から不可能だと、剣の軌道だけが静かに告げていた。

陽鳥は引き出しの小瓶を一本持ち上げ、指先で重さを測る。


「……制御手段を奪われたんじゃないですね」

「違う」


荒臣が答える。


「お前は今、“別の形で制御する側”へ置き換えられた。気に入るかどうかは知らんが」

「気に入るかどうかで言えば、あまり好きではありません」

「それは結構。気に入りすぎると、向こうの言葉でしか考えられなくなる」


綾瀬は短弓を引いてみる。

張りは重くない。矢羽の癖も素直だ。だが神術による補助も未来軌道も無い以上、手と目と呼吸だけで当てるしかない。


「当たり前の身体ですね」

「それを当たり前と呼ぶのは、既に当たり前ではないな」


荒臣の言い方には、いつもの皮肉が混じる。

だが今のそれは、少しだけ優しい。こちらの理不尽を剥がされた段階で、人間が最初に味わう不快と不安を知っている者の言い方だった。


彼方の主が卓の向こうから四人を見る。


「成長はしますよ」


その言葉に、陽鳥が反応する。


「遊戯だから、ですか」

「ええ」

「強くなれば、神術の代わりになりますか?」

「いいえ」


彼方の主は静かに首を振った。


「こちらで深まるのは、役への馴染み方だけです。以前の理不尽を、そのまま移して差し上げるつもりはありません」


紺野はその一言を聞いて、胸の内側で何かがわずかに静まるのを感じた。


戻れない。戻らせてもらえない。

だからこそ、別の選び方をするしかない。

彼方の主は続ける。


「剣士は、終点を見ることを学ぶでしょう。調律師は、噛み合いをずらすことを深めるでしょう。狩人は、閉じるべき線を鋭くするでしょう。魔王は、節目でのみ世界が従うという不自由に慣れていくでしょう」


荒臣が小さく鼻で笑う。


「最後だけ嫌がらせが深いな」

「役に見合った配慮です」


彼方の主は穏やかに返した。


「そして、ここでの死は、外の死と同じではありません」


広場の空気がわずかに冷える。


「ですが、軽いものでもありません。ここで果てれば、残る側へ落ちる可能性がある」

「残る側」


陽鳥が低く繰り返す。


「ええ。終われず、置かれる側です」


その説明だけで十分だった。

この国で“保存される”ことの気味悪さは、もう浜と町が見せている。死ぬより先に、終われなくなる。そういう脅しは、この国ではよく効く。


彼方の主は手を打たない。合図もしない。

それでも広場の四方で、鈴に似た小さな音が順に鳴った。どこかで誰かが遊戯の開始を書き留めたみたいな、乾いた音だった。


「では」


彼方の主は微笑む。


「始めましょう」


広場の石畳が、足元からほんの少しだけ沈む。

景色が裏返る。町の輪郭が一段遠のき、その代わりに別の道と、別の空と、別の低い風が四人の前へ組み上がる。


何も始まっていないように見えて、既にこちらの法則は剥がれていた。

剣士。調律師。狩人。魔王。

海の向こうで与えられたそれらの役が、ようやく身体の重さとして落ちてくる。


強者の理不尽を奪われた後に何が残るのか。

彼方の主は、それを見たいのだと、四人はもう理解していた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ