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幻想帝都 神州御親領衛記  作者: ニュートリノ鈴木
番外章 ニライカナイ 未来彼方
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百六十一話  古物屋


百六十一話


161-1 古物屋



帝都にも、歩幅の遅い通りがある。

古物屋の並ぶ一角は、その最たるものだった。


流行から取り残されているのではない。流行に乗る必要のない物だけを扱っているから、急ぐ理由がないのだ。

欠けた茶器、古びた燭台、止まった時計、用途の知れない銀具、誰がどこで手放したのか分からない古い軍装飾。そういうものは、新しい朝に追い立てられない。


紺野健太郎は午後の街を一人で歩き、その通りへ入った。


任務ではない。視察でもない。

本部と医務棟と屋上の往復だけでは、頭の中に残った白い夢の冷たさが、かえって濃くなる気がしたのだ。街の音に混ぜれば少しは薄まるかもしれない。そんな程度の理由しかない外出だった。


通りは静かだった。

人がいないわけではない。いる。だが皆、急いでいない。足音まで古道具の側へ寄るみたいに、少し鈍い。東都の夜が噂になっているはずの帝都で、ここだけはその速さから切り離されていた。


目当ての店の前で立ち止まる。

扉の内側で、小さな金具が一度だけ鳴った。

押し開ける。

中は薄暗い。だが陰気ではない。


磨かれた木の匂い、乾いた布の匂い、陶器の冷えた匂い。品の数に比べて埃が少なく、誰かが日々きちんとここを生かしているのが分かる。東都戦の翌日だというのに、この店だけは朝と昼と夕方が、どれも同じ厚みで積み重なっていそうだった。


「いらっしゃい」


奥から女の声がする。

明るすぎず、沈みすぎず、店の空気に最初から混じっていたみたいな声だ。


先に見えたのは、黒い給仕服の女だった。

長い髪を背に流し、木箱を両手で抱えている。前にここで会った時と同じ顔だ。

整っているのに、整っていること自体を少し忘れさせる顔立ち。人の視線に慣れていないというより、人の視線へ必要以上の意味を与えていない顔だった。


店主は紺野を見ると、少しだけ目を丸くし、それから柔らかく笑う。


「あら紺野少尉。お久しぶりね」

「邪魔したか」

「別に構わないけど」


その気怠げな返しがこの店の遅さによく似合っていた。

軽口だが、軽口として前へ出る気の薄い言い方。紺野は少しだけ肩の力を抜く。


「相変わらず暇そうな店だな」

「こう見えて忙しいよ。急いだところで価値の増えないものばかりだけれど」


その声に重なるように、店の奥で未来が無表情でこちらを向いた。


「急がせたいなら、野菜でも売ればいいのに」


161-2


店の奥で、店主は茶器を拭いていた。


見た目だけなら二十代半ばか、少し上か。その程度にしか見えない。

派手ではないが、妙に目に残る顔だった。整っているというより、顔立ちのどこにも急いだところがない。


若い女の顔をしているくせに、笑い方だけがその顔に少し馴染みきっていない。無理に老成しているのではない。もっと嫌な言い方をするなら、年齢という物差しの外から、便宜上そこへ収まっているような顔だった。


紺野は、その店主を見るたびに、言葉の選び方を一歩間違えそうになる。


「それにしても、また来たんだね」

「来ちゃ悪いか」

「別に悪くはないよ。若い男が古物屋に来る時は、だいたい二通りだ。誰かに贈り物を探してるか、少し疲れてるか」


そう言いながら、店主は茶碗の口縁を布でゆっくり撫でた。

手つきが妙に丁寧だ。欠けを隠すのではなく、欠けたままの形を確かめるみたいな手つきだった。


「俺が前者に見えるか」

「後者が似合う歳でもないけどね」


給仕服の女が、茶を運んでくる。


前にここで名乗った名前を、紺野は思い出していた。未来。古物屋には似つかわしくないようで、こういう店だからこそ成立する名前でもある。来る前からそこにいたみたいな顔で、彼女は湯呑を卓へ置いた。


「熱いです」

「やる気も無さそうなのに客に茶まで出すのか」

「長く立って見てると、倒れそうな顔をしてたから」

「余計なお世話だ」

「そういう顔をしてる人は、たいていそう言う」


未来は悪びれずに言う。


そのやり取りの最中も、店主は拭き終えた布をきれいに畳んでいた。急がない。急がないが、手を止めない。ここでは時間が止まっているのではなく、余分な焦りだけが抜け落ちている。


店の隅には、欠けた皿が幾つか重ねられていた。

捨てるには惜しく、使うには少し躊躇う程度の傷。そういう半端なものほど、この店では妙に居心地が良さそうに見える。


紺野は湯呑へ手を伸ばし、湯気越しに店内を見た。

東都の戦いからまだ間もないというのに、この店は何一つ巻き込まれていないような顔をしている。いや、巻き込まれていないのではない。巻き込まれたものまで、この店へ置かれた瞬間に、別の時間へ入ってしまうのだ。


「東都の話は、もうあちこちで尾鰭ついてるだろうね」


名無子が何でもない調子で言った。

紺野の指先が、湯呑の縁で一瞬だけ止まる。


「……市場より早いな」

「市場は腹に近いからね。噂より値段が先に立つ」

「随分詳しいな」

「古物屋はね、人が手放したものを預かる商売だよ。物は黙ってるけど、物の向こう側にある事情は案外うるさい」


未来が小さく笑う。

店主も笑う。

会話の流れとしては滑らかだ。だが、滑らかすぎた。東都の夜を、まるで近くで見ていた人間みたいな口の滑り方だった。


紺野は湯呑を置く。


「何を知ってる」


問いは低い。


脅しになりきらない程度に抑えていたが、それでも店の空気は少しだけ変わった。

未来は視線を下げない。

店主も慌てない。

この二人は、人が急に刃の角度を変えた時の気配に、妙に慣れている。


161-3


「知ってることなんて、大してないよ」


店主はすぐにそう言った。

言い方は軽い。軽いのに、その軽さで誤魔化すつもりが薄い。


「空が変なことになった。東都がひどい目にあった。偉い人が出て、終わらせた。噂なら、それくらいさ」

「噂で済ませる顔じゃねえだろ」

「そう見えた?」

「見える」


即答すると、店主は少しだけ目を細めた。

嬉しいのでも警戒しているのでもない。観察が当たった時に、学者がする顔に近い。そこで紺野は、自分の胸の奥へ小さく嫌なものが刺さるのを感じた。今の目は、人を見る目ではなく、何かの経過を確かめる目だった。

未来が口を挟む。


「からかいすぎです」

「からかってないよ。ちょっと確かめてるだけ」

「それをからかうって言う」


そのやり取りだけ抜けば、どこにでもある店の会話だ。

だが、どこにでもある会話にしては、紺野の名前も立場も何も出していないのに、話が近すぎる。

店主は新しい茶碗を取り出し、欠けのない方の口縁を光へ傾けた。


「でもね」


その一声で、店の空気がほんの少しだけ沈んだ。


「止められてよかったね」


紺野は動かなかった。

動けなかった、の方が近い。

何を、とは聞けない。


聞いた瞬間に、自分の中でまだ名前になっていないものへ、輪郭が与えられてしまう気がしたからだ。東都で自分がどこまで行きかけたのか。あれが何だったのか。喰うでも壊すでも足りなかったあの底の形を、目の前の女は知っているみたいな口をきいた。


店主は視線を上げない。

茶碗を見ている。見ながら、何でもないことを話す調子のまま続ける。


「壊れた器は、直せることもある。金を入れて、継いで、前より派手に見せることだってできる。けどね、割れた勢いまで元に戻せるわけじゃない。壊れた瞬間のまま走らせてたら、器じゃなくて床の方が先にだめになる」


未来が、その言葉の後半でほんの少しだけ顔を伏せた。

意味を知っているのか、音だけを知っているのかは分からない。だが、聞き慣れている反応だった。

紺野の喉が、遅れて鳴る。


「……何の話だ」

「古物屋の話さ」


店主は平然と答えた。

嘘ではない。嘘ではないが、本当でもない。その中間を自然に歩く声だった。


「君、今自分で思ってるより危ない顔をしてるよ」


今度は紺野が目を細める番だった。

怒りでも敵意でもない。距離を測る目だ。ここで踏み込めば、この女はもっと先まで言う。だが、言わせた先に自分の得たい答えがあるとも思えなかった。


「……今更だが、ただの古物屋じゃないな」

「普通の古物屋です」


未来が即座に返した。

その返し方が早すぎて、店主がくすりと笑う。


「未来、あんた庇い方が露骨すぎ」

「店の評判に関わる」

「評判の悪い古物屋なんて少し面白いじゃない」

「面白さで帳簿は埋まらない」


その会話に、妙な生活感がある。

だから余計に胡散臭い。異物は普通を演じる時ほど怖い。普通そのものの形を壊さず、その内側だけをずらしてくるからだ。


161-4


店を出た時、陽はまだ高かった。

通りの空気は変わらない。行き交う人間の速度も、他の店の軒先に吊るされた風鈴の鳴り方も、何一つおかしくない。


なのに、古物屋の扉を背にした瞬間だけ、皮膚の表面に薄い汗が浮いた。

紺野は数歩進んでから振り返る。

扉は閉まっている。


格子窓の向こうに人影は見えない。あの店だけが別の層に引っ込んでしまったような顔をして、通りの中に静かに収まっていた。


止められてよかったね。


言葉だけが、耳に残る。

意味は一つではない。東都戦そのものを指しているようでもあるし、自分の傷を指しているようでもある。だが、一番気持ち悪いのは、そのどちらでもなく、自分の中にまだ言葉になっていないものへ先に触れられた感じだった。


測られた。


力でも位階でもない。

もっと内側の、どこまで壊れるか、どこで止まるか、何を嫌がり、何に寄っていくか。そういうものを、あの女は茶碗の口縁でも見るみたいに確かめていた。


紺野は舌打ちしそうになって、やめた。

腹を立てるのは簡単だ。だが、腹を立てたところで、あの違和感の形は解けない。解けないまま、胸の奥に残る。


通りを抜ける風が少し冷たい。

帝都の空は今日も静かだ。静かすぎるくらいに、高くて青い。何もない。何もないのに、何かが次を待っているみたいな薄い圧だけがある。


紺野は歩き出しながら、もう一度だけ店の言葉を思い返した。

止められてよかった。

あれが嘘なら、たちが悪い。

本当なら、もっと悪い。

結局どちらにせよ、気分のいい話ではなかった。


「……あいつらは何だ」


誰に聞かせるでもなく呟く。

返事はない。返事はないが、あの店で向けられた視線の感触だけが、まだ肩のあたりに残っている。


見透かされた、ではない。

その手前だ。

まだ答えの出ていない何かを、答えが出る前から待たれている感じ。


紺野は眉間を押さえ、足を速めた。

街は普通に動いている。

だからこそ分かる。普通の顔をしたまま、普通ではないものが混じり始めている。東都の夜が終わったあと、この国の深いところでは、別の何かがもう静かに動いていた。


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