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幻想帝都 神州御親領衛記  作者: ニュートリノ鈴木
三章 東都が夜に落ちる日
159/192

百五十七話 帰る場所

百五十七話


157-1 帰る場所



東都を離れる車列は、勝者の列には見えなかった。


第二首都庁舎群の外縁から帝都方面へ抜ける高架道路は、まだ片側しか生きていない。

崩れた壁面へ足場が組まれ、補修班の車両がその脇へ寄せられ、遠くの港湾部ではクレーンが折れた首をゆっくり戻している。


街は動いている。

だが、その動きは元通りの軽さではない。

一度壊れたものが、自分の壊れた重さを抱えたまま前へ進もうとする時の、ひどく慎重な速度だった。

御親領衛の車両はその列の一角にいた。


先行帰投組。

荒臣の命令で、残置組より先に帝都へ戻される面子である。

羽場桐は前方車両で書類の束を膝に載せたまま揺れを受け流し、宗一は窓の外を見続け、高倉は助手席で寝ているのか起きているのか分からない顔をしていた。


真名は後部座席の隅で目を閉じ、志摩はヘッドレストへ後頭部を預けて舌打ちの気配だけを時々漏らす。

三木の三人は珍しく静かだった。

子供が騒がない車内というのは、それだけで前夜の値段を思い出させる。


紺野は最後列の車両にいた。

右肩はまだ固く巻かれ、肋にも固定が入っている。

完治どころではない。

だが、帝都へ戻る以上は担架より座席の方がましだと自分で言った。

その頑なさへ誰も反論しなかったのは、優しさではない。

今の紺野へ「寝ていろ」と言う方がよほど面倒だと、全員が知っているからだ。


陽鳥はその斜め前に座っていた。

端末は膝の上にある。

触ってはいない。

触る必要が無いからではなく、今は触らない方がまだ自分を人間の側へ引き留めていられると知っている顔だった。

車窓の向こうで、東都の群衆が線路沿いの仮設通路を歩いていく。


スーツ。

買い物袋。

工事用のヘルメット。

泣き疲れた子供。


何でもない顔へ戻ろうとする市民の列だ。

誰も御親領衛の車列へ手を振らない。

罵倒もしない。

ただ見る。

あの夜の下で何が起きたか、彼らは正確には知らない。

だが知らないままではいられないものがここにいたことだけは分かっている視線だった。


「東都ってさ」


不意に、樋道が別車両の無線で言う。

誰へ向けたわけでもない、だらしない声だった。


「思ってたより根性あるね」


高倉が、半分寝たまま返す。


「根性がなきゃ第二首都なんざ名乗れねえだろ」

「それ、何回も聞いた」


志摩が鼻で笑う。


「でも、まあ……そうだな。あれ見た後で朝からパン買いに並ぶんだもんな。人間ってすげえのか、馬鹿なのか分かんねえ』


真名が目を閉じたまま小さく言う。


「両方でしょ」


その一言で無線が少し静かになる。

結局そこへ戻る。

馬鹿で、しぶとい。

しぶといから街が戻る。

戻る街を見たから、御親領衛もようやく東都戦を一つの終わった出来事として背負い始められる。


車列が東都の外へ出る。

その瞬間だけ、紺野は振り返った。

第二首都の輪郭は、崩れている。

それでも崩れたまま立っている。

その事実だけが妙に胸へ残った。


157-2


帝都へ戻った御親領衛本部は、驚くほど普通だった。


廊下は狭い。

壁の白塗りは少し古く、床は昨日までと同じ鈍い光を返している。

断水の張り紙も無い。

派手な歓迎も、労いの整列もない。

歩く災害どもが帰ってきたからといって、本部の建物そのものに気を遣う機能は最初から無いのだ。


それが逆にありがたかった。

戦場のあとにだけ、日常は妙に狭く見える。

狭いものへ身体を戻せるかどうかで、人はようやく自分がまだ生きていると知る。

東雲が廊下の角で立ち止まり、軽く首を回した。


「やれやれ。帝都の廊下は、東都の空よりよほど狭いな」

「当たり前です」


宗一が答える。


「空が広すぎたんですよ、今回は」

「ボクはこっちの方が好き」


樋道が言う。


「空が広いと、だいたいろくなこと起きないし」


三木の三人が、久しぶりに少しだけ元の騒がしさを取り戻す。


「おなかすいた!」

「双葉は眠い……」

「あたしもおなかすいた!」


その声へ、ようやく誰かが笑う。

高倉だった。

笑いながら、「台所まだ生きてりゃいいな」とぼやく。

その程度の会話だけで、隊の空気は少しだけ元へ寄る。


完全には戻らない。

戻らないが、狭い廊下へ人間の音が差し戻る。

羽場桐はそこで振り返り、全員を見た。

疲れている。

傷んでいる。

何より、全員の中にまだ東都の夜が残っている。

だが、それでも歩いている。


それで十分だと彼女は判断した。


「本日の正式な報告は明日です」


羽場桐が言う。


「今夜は各自休養を優先。ただし、医務室から逃げた方は私が捕まえます」

「もう逃げてる奴いそうだけどねえ」


真名が目だけで紺野を見る。

露骨だ。

露骨だが、その露骨さの方が今はありがたい。


紺野は視線を逸らした。

陽鳥はその横で何も言わない。

何も言わないのに、何も終わっていないことだけがよく分かる。


羽場桐はその二人を見て、しかし何も触れなかった。

今そこを言葉にすると、隊の狭い廊下の中へあまりに大きい夜がまた入り込む。


それは明日以降でいい。

今はまだ、戻ったという事実だけを優先する。


157-3


医務棟の廊下は、本部のどこより静かだった。


静かだが、死んではいない。

消毒液の匂い。

包帯の白。

戸口の下から漏れる淡い光。

看護兵の抑えた足音。

その全部が、ここはまだ終わっていない場所だと言っている。


紺野は診察へ回される前に、廊下の先で一つだけ開いた病室の扉を見た。

開け放たれているわけではない。

ほんの少し。

だが、そのわずかな隙間の奥からだけ、妙に張り詰めた気配がある。


凛藤義貞がいた。

上半身へ幾重にも包帯が巻かれ、片腕には固定具、頬にも浅い裂傷の治療痕が残る。

だが目だけは死んでいない。

死んでいないどころか、前より妙に澄んでいた。


大敗を喫した人間の目ではない。

自分がどこで負け、何を取りこぼし、次に何を詰めるべきか、もう整理を始めている者の目だ。

凛藤は、扉の外へ気付くと小さく口元を動かした。


「生きていたか」


最初の言葉がそれだった。

労いではない。

確認だ。

それがひどく凛藤らしい。

紺野は病室へ入らない。

扉の外に立ったまま返す。


「そっちもな」

「死ぬ理由が無かっただけだ」


凛藤は言う。


「今回は、負ける理由の方が先に揃っていた」


そこで一瞬だけ、病室の空気が沈む。

園業との戦い。

東都陥落。

あの夜。

それら全部を、凛藤は敗北として処理し終えている。

言い訳をしない。

だから余計に重い。


「君は」


凛藤が少し言葉を切り、それから続ける。


「危うい所まで行ったな」


紺野は返答しない。

返したくない、の方が近い。

凛藤はそれを責めない。

責める段ではないと分かっているからだ。


「だが、まだ足りない」


凛藤は静かに言う。


「足りないままそこまで行けるのは、良くない。良くないが、価値はある」


その物言いに、紺野は少しだけ眉を寄せた。

褒められているのか、値踏みされているのか分からない。

多分、その両方だ。


「東都では、私は負けた」


凛藤は続ける。


「園業にも、盤面にもだ。だが次は違う。違わせる」


短い。

それだけで十分だった。

この男は、敗者の顔で笑わない。

むしろ負けた後の方が怖い。

一度失ったものを、次はもっと高い位置から取り返しに来る男だからだ。

扉の向こうから看護兵が顔を出す。


「凛藤中将、会話は——」

「聞こえている」


凛藤が遮る。


「今終わる」


それから、紺野へもう一度だけ視線を置く。


「珠洲原を無駄にするな」


唐突だった。

だが、唐突ではない。

東都の細路地で何が起きたか、凛藤なりの情報線で既に把握しているのだと、その一言だけで分かる。

紺野は少しだけ息を詰め、それから短く返す。


「……言われなくても分かってる」


凛藤はそこでようやく、かすかに笑った。

勝者の笑みではない。

次の局面にまだ興味を失っていない者の顔だった。


「ならいい」


その一言で、会話は終わる。

廊下へ出た紺野は、妙に息が重くなったことへ少し遅れて気付いた。

凛藤義貞は少しだけ。

本当に少しだけ。

だが、その少しで十分だった。


東都戦の夜が終わっても、この国の高い所にいる理不尽どもは誰一人終わっていない。

その事実だけを、あの病室は静かに告げていた。


157-4


夜、本部の屋上は風が強かった。


帝都の夜景は東都ほど傷んでいない。

灯りは整っている。

道路も流れ、遠くの橋梁も淡く照らされている。

それがかえって、東都で見た夜の異常さを現実の側へ押し戻す。


紺野は手すりへ寄りかかっていた。

右肩がまだ痛む。

だが寝台に戻る気にはなれなかった。

身体を横たえると、細路地で開きかけたあの底だけがまた近づいてくる気がしたからだ。


陽鳥が来たのは、その少し後だった。

足音で分かる。

軽い。

だが、今夜は少しだけ慎重だ。


「ここにいた」

「いたら悪いか」

「別に」


陽鳥は手すりの反対側へ寄り、夜景を見た。


「私も、寝ると嫌なもの見そうだったし」


それだけ言って黙る。

沈黙が長い。

今夜の二人には、それがちょうどいい。


帝都の風が抜ける。

陽鳥の髪が少し揺れ、紺野はそれを見て、細路地で自分を止めた時の顔を思い出す。

端末を捨てた顔。

虫を爆ぜさせた顔。

絶対に譲らないと決めた女の顔だった。


「……お前」


やっとそれだけ言う。

続きがすぐに出ない。

陽鳥は視線を夜景へ置いたまま、小さく答える。


「うん」

「止めたな」

「止めた」


即答だった。

迷いがない。

そこだけは最後まで変わらない。


紺野はしばらく何も言えない。

怒りはまだある。

多分。

だが、それだけではもう足りない。

助けられた。

裏切られた気もする。

救われたとも思う。

全部が混ざっていて、どれか一つの言葉へ落とすと嘘になる。


「……また勝手にやりやがって」


ようやく出たのは、その程度だった。

軽い。

軽いが、今はその軽さの方が救いだ。

陽鳥は少しだけ笑う。


「そういうとこだって言ったでしょ」


紺野はそこで、やっと小さく息を吐いた。

怒鳴らない。

責め切れない。

責め切れないこと自体が、余計に腹立たしい。


「次は」

「うん」

「次は、先に言え」


陽鳥はその言葉を聞いて、珍しく返事に詰まった。

からかいでもない。

謝罪でもない。

ただ、その要求だけが妙に真っ直ぐで、だから少しだけ面食らったのだ。


「……善処する」

「ふざけるな」

「だって、約束すると破りそうだから」


陽鳥は言う。


「私、そういうの得意じゃないし」


その返し方があまりに陽鳥で、紺野はとうとう少しだけ笑ってしまう。

笑いというより、呆れの息に近い。

だが、それで十分だった。


二人のあいだに残った距離は、まだ消えていない。

消えるはずもない。

止めた者と止められた者の距離は、そんなに安く処理できない。

それでも今夜、二人はまた同じ屋上に立っている。

言葉より先に、また一つ共有してしまった危ういものを、それぞれ自分の中へ持ったまま。


帝都の夜景は整っている。

東都みたいな傷は見えない。

だが見えないだけで、この国の高い所ではもう次の理不尽が静かに順番を待っている。


凛藤も。

荒臣も。

天帝も。

園業が消えても、終わるものなど一つもない。


陽鳥がふと空を見た。


「ねえ」

「何だ」

「東都の空、また見たい?」


紺野は少しだけ考えた。

あの夜。

三万メートル。

細路地。

自分の中に開きかけたもの。

思い出したくない。

だが、忘れたいとも違う。


「……二度と見たくないな」

「私もよ」


そう言って、陽鳥は手すりから背を離した。


「でも、たぶんまた見るよ」


紺野は返事をしなかった。

しなかったが、否定もしない。

否定できないからだ。


風が抜ける。

帝都の夜は静かだ。

その静けさの中で、二人はしばらく並んで立ったまま、何も終わっていない国の空を見ていた。



第三部終了


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