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幻想帝都 神州御親領衛記  作者: ニュートリノ鈴木
三章 東都が夜に落ちる日
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百五十六話 復旧線


百五十六話


156-1 復旧線



第二首都東都の朝は、綺麗ではなかった。


空は戻っている。雲もある。陽も差す。それでも街全体が薄く煤けて見えるのは、昨夜までそこに立っていた3万メートルの夜の名残だけではない。


砕けたガラス。抉れた舗装。斜めに折れた標識。仮設柵の脚へ巻き付いた警戒テープ。都市が都市として自分を保つための部品が、あちこちで少しずつ壊れたまま朝を迎えていた。


それでも、人は動く。

中央駅東口前では、駅務主任が掠れた声で怒鳴っていた。


「東口前、一般導線を二列に戻します! 庁舎群方面はまだ片側規制、慌てなくていい、でも立ち止まらないで!」


乗客の一人が顔をしかめる。


「昨日と案内が違うじゃないですか」

「昨日のまま動いてる街の方が嫌でしょう」


主任が即答する。その返し方だけで、徹夜明けの神経の細さが知れた。

少し離れた売店の前では、缶コーヒーを握った男が言う。


「再開すんの、早くない?」


店員が肩をすくめる。


「止める方が高くつくんですって」


その会話が、いまの東都をひどく正確に表していた。勝ったから動くのではない。止まったままでいる方が、第二首都には高すぎる。だから動く。動きながら、自分の傷の深さだけを後から知る。それが都市という生き物の朝だった。


南棟外周では、近衛と駅務と庁舎管理が同じ紙を覗き込んでいる。前夜ならありえなかった並びだ。ありえなかったからこそ、今はそれをやるしかない。


「ここ、搬送帯戻すとまた詰まります」

「詰まっても戻す。片側だけでも日常の顔を作れ」

「警備列は」

「見せるな。今朝から先は見せるほど負ける」


宗一がそう言って紙へ線を引く。声はまだ落ち着いている。その落ち着きへ、何人もの現場が寄りかかっているのが見て取れた。東都の朝は、そういう寄りかかりの集積だった。


156-2


羽場桐妙子は、西棟三階の臨時復旧統括室にいた。


部屋は本来、小会議用の会議室だ。長机が二つ。椅子が十脚。壁一面の掲示板。そこへ仮設回線、地図、被害一覧、部局別の復旧優先順位表、人的損耗の暫定集計が無理やり積まれている。紙が多い。だが、山にはなっていない。山にすると整理した気になってしまうからだ。羽場桐はそこを決して甘やかさない。


「中央駅東口前は歩行導線二本復旧、ただし滞留率まだ高いです」

「庁舎群北棟、外壁損傷で上層閉鎖継続」

「港湾連絡路は午前中に片側開通見込み」

「医療搬送帯の優先順位、陸軍側から異議が」


報告が飛ぶ。紙が増える。判が押される。電話が鳴る。誰かが走る。羽場桐は一つずつ切る。


「港湾連絡路は午前優先のまま。医療搬送帯への異議は却下。外壁損傷棟は閉鎖を一日延長。中央駅は二本で足りません。地下導線を一本だけ先に戻してください」


補佐官が顔を上げる。


「地下を戻すと、庁舎群側の人流が読みにくくなります」

「読みにくくなる方が良いんです」


羽場桐は言う。


「昨日の秩序を綺麗に引きずると、あの夜がただの一時障害に見える。東都は壊れた。壊れた上で回している。そこを誤魔化さないでください」


淡々としている。怒ってはいない。怒るより先に、言い分の正誤と値段を切り分ける声音だ。

書記官の若い女が、小さく尋ねる。


「羽場桐中尉。市民向けの文面ですが、“安全は確保されています”という文は残しますか」


羽場桐は少しだけ黙った。その沈黙は短いが、部屋にいる全員が待つ類いのものだった。


「残しません」


やがて言う。


「“安全確保のためにご協力ください”と修正を。こちらが安全を保証できる段ではありません。出来ないことを書くくらいなら、協力を求めた方がまだ誠実です」


若い書記官が頷く。頷きながら、少しだけ顔色が良くなる。こういう時、正直な文面の方が現場は助かる。羽場桐はそれを知っている。


窓の外では、復旧班が足場を組んでいた。崩れた庁舎壁面へ細い金属骨組みが少しずつ立ち上がる。応急。仮設。暫定。そういう言葉ばかりが並ぶ朝だった。だが、第二首都の復旧とは、そういう仮の積み重ねの別名でもある。


「妙子」


不意に、背後から声が落ちる。誰も驚かない。驚かない方が、逆にこの部屋の緊張を物語っていた。硯荒臣がいつ入ったのか、誰も気付かなかったのである。

羽場桐は振り返る。白い軍装。黒い外套はもう羽織っていない。その小さな輪郭が、紙と回線で張り詰めた部屋の空気だけを一段静かにする。


「進捗は」


問いは短い。だが、短い方がいい。長く訊かれると、人は言い訳を足し始める。


「東口前、群衆導線復旧途中。南棟外周、搬送帯と一般導線の再分離が午前中。港湾路は昼までに片側開通見込み。庁舎群の上層機能はまだ戻りません」


羽場桐は一息で落とした。


「第二首都としての顔を最低限保つところまでは、本日中に可能です」

「最低限、か」


荒臣は窓の外を見る。足場。作業灯。補修班。折れた標識。そして、その下を既に歩き始めている市民。


「それでいい。東都が元に戻る必要はない。元に戻った顔だけはまだ作るな」


羽場桐は小さく目を伏せる。それがこの人の正しさだった。過去を無かったことにする速度ではなく、壊れた現実を壊れたまま運用する速度を選ぶ。美しくはない。だが現実だ。


「了解しました」


荒臣はそれ以上踏み込まない。細かい指示も出さない。この部屋で誰がどれだけ働けるかは、既に見切っているからだ。


「倒れるなよ」


去り際に、それだけ言う。

羽場桐は一瞬だけ目を上げた。あまりに短い。あまりにさりげない。だが、こういう時の一言の方が、長い労いよりよほど部屋へ残る。


「はい」

そう返してから、羽場桐はすぐ次の紙を取った。倒れない。倒れている暇がない。それもまた、第二首都の朝だった。


156-3


昼へ近づくにつれ、東都はようやく人が住む街の声を取り戻し始めた。文句。確認。値切り。催促。そういう小さな人間らしさだ。

東口前では、仮復旧した売店へ列が出来る。


「パン二個までです」

「何で二個なんだよ」

「後ろにも人がいるからです」

「昨日の分も食ってないんだぞ」

「昨日の分を今日ここで取り返されても困ります」


そのやり取りに、周りの数人が少しだけ笑う。弱い笑いだ。それでも笑いが出るだけ、街はまだ死に切っていない。


庁舎群前では、スーツ姿の女が近衛の兵へ食ってかかっていた。


「会議はどうなるんですか」

「延期です」

「いつまで」

「未定です」

「未定じゃ困るんですけど」


兵は少し困った顔をする。そこへ、たまたま通りかかった真名が横から言った。


「困ってください。今朝の東都で困らずに済む人の方が少ないんだから」


女は一瞬だけ呆気に取られ、それから口を噤んだ。真名はそれ以上何も言わずに通り過ぎる。疲れている。だが、こういう時だけ切れ味が落ちないのが支倉真名だった。


港湾部寄りでは、荷運びの男たちが崩れた導線を前に立ち止まる。


「こっち開くのか?」

「昼には開くって」

「昨日もそう言ってたぞ」

「昨日は空に何か立ってたろ。今日は立ってねえ。それだけ昨日よりましだ」


その言葉に、周囲が妙に納得した空気になる。真理かどうかではない。人が今日を生きるための雑な理屈として、十分すぎるほど正しかった。

東雲はそのやり取りを聞いて、小さく息を吐く。


「人間は逞しいですね」


横にいた高倉が鼻を鳴らす。


「逞しいんじゃねえよ。昨日の恐怖より今日の不便の方が近いだけだ」


それもまた真理だった。昨日、空に夜が立った。その恐怖は確かに本物だ。だが人は、今日のパンの数や、会議の延期や、開かない道路の方へ先に文句を言う。そうやって日常の方から崩壊へ噛み返していく。それをみっともないとは、東都の誰も言わなかった。


156-4


夕方、復旧統括室へ新しい地図が貼られた。


赤い封鎖線が減る。黄色の注意線が増える。黒い未確認区画が、一つずつ薄くなる。地図の色が変わるということは、街がもう一度だけ人間の扱える範囲へ戻り始めたということだ。

羽場桐はその地図を見ながら、短く言う。


「ここまでです」


部屋の数人が顔を上げる。


「今日中に出来る復旧は、ここまで。それ以上は、無理をすると明日死にます」


誰も反論しない。この部屋では、羽場桐がそう言った時点でそれが現実の線になる。

宗一が腕を組んだまま地図を見る。


「第二首都としては」

「顔だけなら保ちます」


羽場桐が答える。


「中身はしばらく保ちません」

「十分でしょ」


真名が椅子へ背を預けて言う。


「顔が残れば、人はそこへ合わせて動く」


樋道が珍しく真面目に頷く。


「逆もそうだしね。顔が死ぬと、中身が残ってても街は死んだって思う」


その言葉のあと、部屋は少しだけ静かになる。今の東都がまさにそういう段だからだ。壊れた。中身も大きく傷んだ。


それでも、第二首都の顔を保てば、人はそこへ戻ろうとする。戻ろうとする人間の数が、また街を少しずつ街にする。綺麗な循環ではない。痛みと面倒の押しつけ合いだ。だが都市の復旧とは、本来そういうものだ。


扉が鳴る。荒臣ではない。伝令だ。帝都への帰投予定と、東都残置部隊の再編表を持ってくる。羽場桐はざっと目を通し、宗一へ一枚渡し、真名へ二枚、東雲へ一枚と振り分ける。配り方に迷いがない。それだけで、この部屋にいる人間は自分の次の一日を引き受けやすくなる。


「御親領衛は明朝、先行帰投組と残置組に分けます」


羽場桐が言う。


「東都に残るのは最小限。ただし、今日ここで見たことは誰も“終わった話”にしないでください」


誰も返事を急がない。やがて宗一が短く言う。


「当然です」


東雲が続ける。


「忘れるには、まだ近すぎる」


真名は目を閉じたまま、少しだけ笑う。


「近くなくても忘れないよ。あんな空、二度も見たくないし」


志摩が壁際で鼻を鳴らす。


「見たくねえってのは、だいたい忘れねえって意味だ」


その言い方だけで、部屋の空気が少しだけ人間のものへ戻る。


第二首都東都は、完全には戻らない。戻る必要もない。壊れたまま回る。回しながら、自分の傷を毎日一枚ずつ紙へ書いて、線へ引いて、足場を組んで、群衆の足を前へ向けていく。


羽場桐は新しい地図の前で一度だけ目を閉じ、それから次の紙を取った。夜はまた来る。次の朝もまた来る。そのたびに街は、自分がまだ第二首都であることを証明し続けなければならない。そういう仕事を、東都は今日からまた始めていた。


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