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幻想帝都 神州御親領衛記  作者: ニュートリノ鈴木
三章 東都が夜に落ちる日
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百四十四話 共闘



百四十四話


144-1 共闘



陽鳥が動いたのは、考えたからではない。


紺野健太郎が壁へ叩きつけられ、細路地の石と鉄と粉塵の中でなお立とうとした、その次の呼吸だった。判断は後からついてくる。先に動いたのは身体の方だ。観測者としての距離を取り、半歩先を渡すだけで済む段はもう終わっている。ここからは、自分も戦列へ入らなければならない。それだけが確かだった。


親機群が陽鳥の周囲へ戻る。

戻りながら、形を変える。


もう細かい侵入や改竄ではない。繊細な仕事をしている暇が無い。いま欲しいのは、紺野がもう一度だけ園業律心斎へ届くための道だ。だから用途を切り替える。視界の濁り。感覚のノイズ。位置把握の乱れ。接続の撹乱。人間なら気が散る程度の揺らぎだが、高位同士の距離ではそれで十分なこともある。


「健ちゃん、立って」


紺野は返事をしない。


返事の代わりに、右手が地面を掴む。

砕けた舗装の欠片が指の下で軋み、そこへ血が混じる。右肩はもう駄目だ。自分でも分かっている。肋も痛い。視界の左端は白く霞み、呼吸は浅い。なのに立とうとする。立つしかないと思っているからではない。そうしないと、自分の内側にある別の何かへ呑まれそうだからだ。


園業は追わない。

追えばすぐ終わる。

終わる程度の獲物なら、ここまで値踏みしない。

北方守護はいま、目の前の男がどこまで崩れ、どこから別のものへ変わるのかを見ている。その目が嫌だった。怒りでも嘲りでもない。ただ、価値があるかどうかを決めるための目だった。


「立つのか」


低い声が落ちる。

紺野はやっと顔を上げた。

上げただけで息が乱れる。喉の奥へ血の味が上がる。それでも視線だけは切らない。


「まだだ」


掠れた。

それでも、言葉にはなった。

園業の口元が少しだけ動く。

笑ったわけではない。

面白がっているのとも違う。

その気骨だけなら買える、という程度の評価だった。


陽鳥はそこへ割って入る。

前へ出るのではない。紺野の斜め後ろ、園業から見れば視界の端へ位置を取る。正面は紺野に任せる。自分がそこへ立つ意味は別だ。視界の外側で、目障りな何かとして残ること。そのためだけに陽鳥は息を整えた。


「一人で行くな」


紺野の肩が微かに揺れる。

痛みの反応ではない。あまりに当たり前のことを、いまさら言われたからだ。


「……今さら言うなよ」

「言う。今さらだから」


声音は冷えている。


怒っているのではない。怒る余裕が無い。

ただ、ここでいつもの軽さを使うと全部が崩れると知っているだけだ。

園業の視線が、初めて陽鳥へ流れる。

短い。

だが、それだけで背骨へ嫌な汗が落ちた。


「なんだ、お前も混ざるのか」

「混ざるわよ」


陽鳥は即答した。


「健ちゃん一人じゃ、あなたに触れてもその先が無いから」


園業の目が細くなる。


その一言は正しい。正しいからこそ、気に食わない。

紺野個人ではまだ足りない。御親領衛の噛み合わせがあって、ようやく届く。その現実を、陽鳥は隠さなかった。


「なら見せろ」


園業が言う。


「お前が混ざった時、どこまで通せるのか」


144-2


陽鳥は親機を二つに割った。


片方は細かい子機群となって、園業の前方と両側へ散る。

もう片方は残る。

残って、節を作る。


一本、二本、三本。


細い光が噛み合い、長い身体を作っていく。百足。繊細な観測と改竄を捨て、無理に無理を通すためだけの兵器へ変えた形だ。一本の獣へ束ねるほど制御は難しくなる。だが、いま必要なのは難しさではなく突破力だった。


「健ちゃん」


呼ぶ。

紺野が頷く。

小さく。

それだけで十分だった。

次の瞬間、園業が前へ出る。


今度はさっきまでと違う。

値踏みの歩幅ではない。試しに触るでもない。明確に二人まとめて潰すための前進だ。黒い巨躯が細路地へ寄る。細路地そのものが狭くなるのではない。そこに残っていた余白だけが、園業の歩幅の方へ吸われていく。


陽鳥の子機が一斉に弾けた。


破裂。

破裂。

破裂。

連鎖したノイズが、園業の輪郭と周囲の位置関係へ薄いざらつきをかける。止まらない。そんなもので止まる相手ではない。だが、焦点はずれる。視界の中心がほんの少しだけ遅れる。その遅れを買うために、陽鳥は自分の神経へ熱を流し込んだ。


園業の腕が来る。

紺野は避けない。

避けるより先に踏み込む。左から入ると見せて右肩を沈め、最後は肋へ潜る。右腕は死んでいる。だから使わない。使えない部位を最初から計算へ入れない動きだ。そのこと自体は悪くない。だが個人でやれば、園業にとっては読みやすい。


そこで陽鳥が百足を走らせる。

真正面ではない。

園業の膝裏でも肩口でもない。


その二つを結ぶ、ごく短い線へ噛み込ませる。躯の均衡を保つために、絶対に無視できない場所だ。百足の先端がそこへ触れた瞬間、胴の節が一斉に別の計算を始める。片方は位置のずれ。片方は感覚の鈍り。残りは自壊寸前の熱を押し込み、園業の「いま立っている」という認識だけを薄く濁らせる。


園業の重心が、そこで初めてずれた。

大きくではない。

それでも十分だ。


紺野の肩がその隙へ入る。肋へ届く。さらに胸の中央へ浅く触れる。浅い。だが、さっきの「通じたように見えた」だけの触れ方とは違う。部隊の後ろ支えではなく、この細路地で二人が同時に噛みついた結果として届いた一撃だった。


園業の口元が初めてはっきり動く。


「そうか」


歓喜ではない。

まだそこではない。

だが興味は深くなった。


紺野は止まらない。

止まれば次が死ぬと分かっている。左肘で園業の腕を逸らし、肩を沈めて懐へ入り、もう一度だけ胸の同じ位置へ届こうとする。そこへ百足の尾が絡み、園業の躯の一部をほんの少しだけ引き戻す。無理だ。無理だからこそ、二人で噛み合った時だけ意味がある。


陽鳥の鼻から血が落ちる。

視界がぶれる。

それでも目は切らない。


「もう一回!」


紺野が返す。


「分かってる!」


その声は、さっきの敗北の時よりよほど生きていた。

細路地の石と壁と砕けた柵の中で、ようやく共闘の形ができている。綺麗ではない。荒い。だが荒いからこそ、この二人らしい。

東雲の無線が入る。


『南西、今のは通したな』


綾瀬も短く続く。


『通した。綺麗ではないけど、殺傷線としては成立しています』


宗一の声はなお低い。


『だが押し切るには足りん。次で来るぞ』


宗一の予測は正しかった。


144-3


園業は、ここでようやく熱を変えた。


それまでは見ていた。

値段を測っていた。

紺野個人の深さと、陽鳥が混ざった時の届き方、その両方を測っていた。そこまではまだ余裕の内側だ。だが、いま園業の中で何かが変わる。興味が浅くなったのではない。逆だ。より深く見ようとするからこそ、甘い手つきでは足りなくなる。


「悪くない」


園業が言う。

その声音に、陽鳥の背中が冷えた。


「お前一人より、遥かにましだ」


紺野の目つきが少しだけ変わる。

褒められたのではない。

いまの言葉はもっと悪い。個として足りないことを、真正面からもう一度言い直されただけだ。


「だが」


園業の目がそこで冷える。


「それでも違うな」


次の瞬間、細路地そのものが一段深く唸った。


園業が一歩出る。

一歩で十分だった。

さっきまで二人で届かせていた距離が、いきなり死ぬ。速いのではない。軌道ごと途中で喰われる。肩の落ち方、腕の伸び、足の踏み出し、その全部を見てから対応するのではない。対応される前提そのものが噛み砕かれる。だから陽鳥の観測が半拍だけ遅れる。半拍で足りる相手ではない。だから終わる。


紺野が左から入る。

園業の前腕がそれを潰す。

陽鳥が百足を差し込む。

園業の躯が途中で形を変え、先端だけを外す。

紺野が肩で押す。

園業の膝が肋へ入る。

呼吸が裏返る。


二撃目で肩口。

三撃目で首の横。

四つ目はもう見えない。

細路地の壁が砕ける。

仮設柵が二枚まとめて吹き飛ぶ。


紺野の身体が横へ持っていかれ、庁舎の壁面へ叩きつけられる。今度はさっきより深い。深いだけではない。もう次の手が残らないと分かる壊し方だった。


「健ちゃん!」


叫ぶ。

呼び戻すための声ですらない。ただ、まだ届いているかを確かめるための叫びだ。

紺野は立とうとする。

それ自体は止められない。


止められないが、もうそれは攻めの立ち上がりではなかった。壊れた身体を無理やり人型へ戻すための動きだ。右肩は死んでいる。呼吸も浅い。視界の左端も暗い。それでも前へ出ようとする。その意地だけは、園業にもはっきり見えた。


「下らん」


園業が言う。

今度は確認ではない。

切り捨てる時の声だった。


「俺が見たいのは、そんなものじゃないと何度言えば分かる」


陽鳥の喉が固まる。

来る。

ここから先は、もう値踏みではなく失望だ。

期待していたものが出なかった時、園業律心斎は急に冷たくなる。その冷たさだけは、今までの熱より遥かに嫌だった。


144-4


園業は追わない。


追えばこの場で片付く。片付いてしまう程度の相手なら、もう価値が無い。だから立つ。立ったまま、紺野がどこまで自分を引きずってくるのかを最後に見る。


「立て」


命令ではない。

試験官が、まだ落第させる前に答えを出させるようなな声だった。


紺野の膝が地面へつく。

右手が石を掴む。

血が垂れる。

息は乱れ、喉の奥が焼け、胸郭はうまく開かない。それでも立とうとする。立たなければ終わると思っているからではない。もっと別の、もっと危ない理由がその内側で育ち始めている。


陽鳥は、そこでようやく本当の意味で怖くなる。

敗北そのものは見慣れている。

負けた相手を何人も見た。

壊れた神術師も見てきた。


だが、いま紺野の中で起きているのはその先だ。身体の方がもう限界だと知っているのに、魂の方だけが別の理由で前へ出ようとしている。ここで立ち上がったら、それはさっきまでと同じ紺野ではない。そう分かる種類の揺れが、肩から背へかけて生まれていた。


「……健太郎」


今度の呼びかけは小さい。

叫ぶと壊れる。そんな予感があった。

紺野は返事をしない。

返事をするための言葉より先に、内側の別の何かが濃くなっている。

園業の目も変わる。

失望の奥へ、また別の熱が戻り始める。


「そうか」


低い。

だが、それだけで十分だった。


「まだ底があるのか」


その声音には、先ほどの苛立ちがもう薄い。

代わりに戻ってくるのは歓喜だ。

代わりとして噛みに来た獲物の奥から、思っていた以上に危険なものが覗く。そのこと自体が、北方守護にとっては報酬になる。


陽鳥はそれを聞いて、はっきり理解した。

次はもう観測ではない。

止める。

園業ではない。

紺野の方だ。

紺野の膝が、そこでようやく地へ落ちる。

完全な敗北の形だった。


だが最悪なのは、その敗北がただの敗北で終わりそうにないことだ。

細路地の上では、まだ昼の光が高い。

東都そのものは、なお何事もない顔をしている。


その下で、紺野健太郎は敗北した。

園業律心斎は、その先にあるものの気配だけで歓喜しかけている。

珠洲原陽鳥は、それを止める以外の選択肢を失った。


そして、紺野自身だけが、まだ自分の底へ何が触れようとしているのかを知らないままだった。


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