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幻想帝都 神州御親領衛記  作者: ニュートリノ鈴木
三章 東都が夜に落ちる日
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百四十二話 食い合いの形


百四十二話


142-1 食い合いの形



庁舎群南西の細路地は、守るには狭く、殺し合うには妙に都合が良かった。


第二首都の喉元から半歩外れたそこは、仮設柵、管理札の車列、細い歩道、庁舎壁面の死角が中途半端に噛み合っている。広い場所なら逃げ場がある。狭すぎる場所ならそもそも巨躯は入れない。だがこの幅だけは違う。人が人の形のまま前へ出るにも、怪物が怪物の形を保ったまま届くにも、どちらにも少しだけ優しすぎた。


紺野健太郎は、その中央に立っていた。

右手は開いている。

握れば、その時点で次の段へ行くと分かっているからだ。


半歩後ろに珠洲原陽鳥。

端末を抱え、視線だけを園業律心斎へ貼り付けている。虫を飛ばす段ではない。いま高いのは攪乱ではなく観測だ。あの怪物の肩がどこへ落ち、肘がどこで生まれ、踏み込みがどの角度で次の捕食へ変わるか。それだけを拾い、紺野へ渡す。二人で戦うというより、陽鳥が紺野の「半拍先」を押さえ続ける形に近い。


園業は、急がない。

第二首都をほぼ手に入れた男の歩幅だった。

追い詰めるためではない。

逃げないと知っている獲物へ、自分から値段を合わせに行く歩き方だ。


「出たか」


低い声。

喜びも嘲りもない。

ただ、「ようやくその段に来た」と確認するだけの音だった。


紺野は答えない。

答える必要がない。

ここで言葉の値段は安い。

陽鳥が低く言う。


「最初の二手、私が見る。健ちゃん、三手目から」

「偉そうに言うな」

「偉いから言ってる」


冗談みたいな調子だった。

だが、この女はこういう時だけ本気を冗談の顔で言う。

無線の向こうで宗一が短く落とした。


『護国少尉より。南西細路地、ここから先は正面で持つな。向こうの歩幅を一度でも乱せ』


それで十分だった。

園業が一歩入る。

それだけで、細路地の両側に立っていた仮設柵の意味が薄くなる。倒れてもいないのに、「ここで人を整理してよい」という理由だけが喰われる。捕食者というのは牙より先に場の都合を奪う。歩き方一つでそれが分かる。


142-2


一手目。


綾瀬が拾っていた線が生きる。

細路地脇の支柱、その根元に残っていた旧規格の金具が一度だけ嫌な反響を返す。意味のない罠ではない。「そこへ当然に重心を乗せてよい」という前提だけを、一拍外すための小さな傷だ。園業の右足が僅かに遅れる。


二手目。


志摩の《逆鱗静域》が薄く噛む。

止めない。

止まる相手ではない。

だが、踏み込みの気持ちよさだけは削れる。巨大なものほど、流れに濁りが入った時の値段が高い。

陽鳥が間髪を入れずに言う。


「右肩、開く。次、肘が先」


紺野が動く。

陽鳥の言葉に体ごと寄るのではない。もともと出るつもりだった半歩を、その情報で迷いなく切る。

右へ。

園業の肩口へ。


右手が触れるか触れないか、その境目で空気が濁る。押したのではない。殴ったのでもない。そこにあった「次の一手へ綺麗につながる形」だけが、不気味に痩せる。傍目にはただの異様な圧縮と崩壊にしか見えない。だが、紺野の手はいつも「壊したい」より「自分の側へ引きずり込みたい」の形で伸びる。本人だけがまだ、その本質を知らない。

園業の肩が落ちる。

次の肘が半拍だけ遅れる。


「入った」


東雲が無線越しに低く言った。

宗一も短く言う。


『そのまま噛め。今ならまだ部隊戦の延長だ』


その通りだった。

ここまでは御親領衛の戦いだ。綾瀬が線を拾い、志摩が流れを鈍らせ、陽鳥が癖を渡し、最後に紺野が芯へ入る。格で勝つのではない。連携で「向こうが綺麗に勝つ形」を崩す。いまの御親領衛に出来る一番高い戦い方だった。


園業の目が、そこで初めて少しだけ細くなる。

怒りではない。

値段の再計算だ。


「いい」


低い声が落ちる。

それだけで陽鳥の背筋が冷える。

紺野は返事の代わりに次の一歩を入れる。

左。

肋。

肩口から沈んだ形の外側へ、今度は深く。ここで通せば、細路地全体の主導権がこちらへ寄る。少なくとも、そう見えた。


142-3


園業は、その二撃目の途中で形を変えた。


大きくなるわけではない。

まだ、その段ではない。

むしろ逆だ。崩された肩口を含めて、もっとこの細路地で使いやすい怪物の形へ寄る。肩が前へ落ちる。首が埋まり、胸郭が押し出され、腕が「長い」のではなく「次の半歩へ届く位置」に置き直される。崩されたはずの部分が、そのまま次の捕食に都合の良い角度へ組み替えられていく。


陽鳥が小さく吐く。


「最悪」


端末を見ていない。

見るまでもないほど、目の前の変化が露骨だった。

園業が前へ出る。

右から来ると読ませ、その読みごと喰う。

紺野は半拍遅れて腕を上げ、辛うじて流す。受け切れない。だが直撃でもない。壁が鈍く鳴る。細路地の左壁へ、紺野の肩が叩きつけられる。

派手ではない。

だが、その鈍い音の方が周囲には効いた。


「うわ……」


どこかで誰かが息を漏らす。

一般兵か警備か、市民かすら分からない。

だが、その驚きだけは本物だった。


園業は止まらない。

止まる理由がない。

紺野が二歩下がる、その二歩目が地面へ落ちる前に、もう次の前進がある。真正面から押すのではない。紺野が「ここならまだ立てる」と思った場所へ、先に嫌な重さを置いてくる。


東雲が無線へ落とす。


『連携の崩し方を覚えてる。一撃目で肩を入れられてるのに、そこで線が切れない』


宗一。


『崩された分だけ次が嫌になる相手だ』


それが全てだった。

通じる。紺野の手は園業へ届く。届いて、崩せる。

だが、崩した形がそのまま勝ちに繋がらない。

向こうは崩れた分だけ別の形で噛んでくる。

この差は、単純な出力差より遥かに厄介だった。

陽鳥が半歩後ろで言う。


「健ちゃん、次は受けないで」

「分かってる」

「分かってない」


陽鳥は即答する。


「今のは流せたんじゃない。流したからまだ立ってるだけ。次も同じだと、今度は立てない」


紺野は返さない。


返さず、呼吸だけを整える。肩が鈍い。視界は生きている。足もまだ出る。

それでも、今ので一つだけはっきりした。

勝負の形には入った。

だが主導権はまだ取れていない。


142-4


紺野はそこで、初めて一人で前へ出た。


後ろに御親領衛の線はある。

東雲が東外縁を濁らせ、真名が群衆事故を遅らせ、宗一が南棟の幅を残し、志摩と綾瀬と樋道が条件を汚し、陽鳥が癖を拾う。全部ある。だが次の一歩からは、その連携が届くより先に自分の身体で答えを出さなければならない。


右。下。斜め前。

園業の腕が来る前、その起点だけを外す。逃げるのではない。逃げれば細路地の喉がそのまま死ぬ。だから逃げずに噛む。肩。肋。首の付け根。触れるか触れないかの位置へ、右手を差し込む。


今度は確かに深く入った。

園業の輪郭が、ほんの一瞬だけ「そこで保たれている理由」を失う。圧縮された形の右肩が落ち、次の前進の連続が半拍だけ切れる。


「通ってる」


宗一が言う。

真名が息を吐く。


『こちらもまた頭が止まってる。まだこっちの噛み方は通じる』


通じる。

それは本当だ。

御親領衛の連携も、紺野の一撃も、園業へ確かに届いている。届いて、細路地だけは一瞬こちらの戦場になる。


だからこそ、まだ危ない。

戦いになっている、と思える時がいちばん危ない。

通じている。

噛み合っている。

手応えがある。

そう感じた瞬間、人は次の半歩を少しだけ自分の都合で踏む。

その半歩を、園業のような怪物は待っている。


園業は後退しない。

後退する理由が無い。

崩れた右肩をそのまま「次に左が深く入る形」へ変える。

人間なら切れるはずの連続が、この怪物には切れない。

だから、こちらが二拍取ったつもりでも一拍半で戻ってくる。


「悪くは無い」


園業が言う。

その目は、もう紺野しか見ていない。

御親領衛全体ではない。陽鳥でもない。

今は中心だけだ。


「ようやく戦いになる」


その一語に、紺野の奥歯が鳴った。

腹立たしい。

だが否定できない。

実際、ここからだ。

通じる。

それでも勝てるとは限らない。


むしろ、戦いになったからこそ、これからどこまで差が開くかが見える。

細路地の上では、昼の光がまだ高い。

市民の足音も、車の振動も、遠くにはまだ残っている。


それでもこの場所だけは、もう東都の中に穿たれた別の穴の様に見え始めていた。

紺野は右手を握り直す。

照準ではない。

覚悟でもない。

次の半歩で、自分がどこまで通じるのかを見切るための握りだった。


戦いにはなっている。

だからこそ、まだ本当に危ないのはこれからだった。


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