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幻想帝都 神州御親領衛記  作者: ニュートリノ鈴木
三章 東都が夜に落ちる日
142/193

百四十話 御親領衛、潰される


百四十話


140-1 御親領衛、潰される



御親領衛が崩れ始めたのは、誰かが死んだからではない。役目が繋がらなくなったからだ。


東都東外縁の受け入れ線では、相変わらず車が入ってくる。

庁舎群向け。

搬送優先。

保全補助。

通信。

工兵。

どれも正規の顔をしている。

その正規さが、もう昨日までとは別の意味を持ち始めていた。


「第三列、どこへ回す」


若い兵が叫ぶ。


「第二帯ですか、第四帯ですか」

「待て、第四帯はさっき庁舎群優先へ変わった」

「誰が変えた」

「知らん、今朝の紙に――いや、違う、さっきの更新だ」


東雲丈雲は、そのやり取りを通信車の脇で聞きながら、視線だけを上へ滑らせた。

高架の上。

連絡路の先。

受け入れ線のさらに向こう。

向こうの兵は、もうこちらを押し切ろうとしていない。

押し切るより先に、「どの部署がどの瞬間に誰の責任を負うか」の方をズラしてきている。

それが包囲の第二段だった。


最初は助けに行けなくなる。

次に、自分の持ち場が本当に自分の持ち場なのか分からなくなる。

最後に、部隊はまだ立っているのに、誰も部隊として噛み合わなくなる。


「大尉殿」


近衛の若い兵が振り向く。

東雲は短く言う。


「第三列は第四へ回すな。第二にも入れるな。保留へ落とせ」

「保留ですか」

「そうだ。流した瞬間に向こうの帳面が綺麗になる。だったら汚れたまま残せ」


兵は息を呑み、それから頷いた。

理解したわけではない。

だが、理解している時間の方が高いと分かる程度には、もう東都に染まっている。

東雲は無線を取った。


『東雲丈雲。受け入れ線、第四帯が死にました。死んだのは線そのものではなく、“誰がそこへ流して責任を持つか”です。向こう、こちらの役目の継ぎ目を順に削っています』


宗一の返答は一拍も置かなかった。


『了解。南棟も同じです。いま壊されているのは前線ではなく役目です』


真名も続ける。


『東口前も。群衆より先に、駅務と警備の境目が死んでる』


御親領衛は、まだ誰も倒れていない。

それでも、もう十分に潰され始めていた。


140-2


南棟外周で、宗一は三度同じ命令を言い直していた。


「搬送帯へ寄せるな。止めるな。幅だけ殺せ」


最初に言った時は通じた。

二度目は半分通じた。

三度目になると、命令の意味は同じなのに現場の状況の方が変わっている。

そこが最悪だった。


庁舎前へ入る管理札車両。

その脇を抜ける補給列。

南西連絡帯へ流れ込む徒歩の警備補充。

全部が「それぞれ別の理由で正しい顔」をしている。

だから、幅を殺すだけの命令でも、何をどこまで削ればよいかが毎分変わる。


「少尉殿、補給車が優先と言っています」


東都駐屯混成の兵が言う。


「搬送が先だ」


別の兵が返す。


「でも庁舎群の通信補助だって」

「じゃあ誰が決める」

「誰がって……」


宗一はそこで口を挟んだ。


「私が決める」


静かだった。

だが、その一言でその場の全員が黙る。


「補給は待機。搬送を通す。通信補助は南西連絡帯ではなく西側へ逃がせ。庁舎前を綺麗に回すな」


兵たちは動く。

動くが、その背中にもう余裕は無い。

向こうが押しているのではない。

こちらが毎秒、自分の役目を再定義しなければ立てないからだ。

宗一はその苦さをよく知っていた。

前線が壊れる時、人はたいてい「押された」と言う。

違う。

本当に悪い潰され方は、前線そのものが「ここで何を守ればいいか」を失った時に来る。

綾瀬の声が入る。


『護国少尉。南棟西端の管理札、押印位置がまた変わりました。表記は正規でも、責任部署の順が入れ替わっています』


宗一が低く返す。


「……こちらの問いに、向こうが毎回別の答えを返してくるわけか」

『はい。止めるたびに、次は別の“正しさ”で来ます』

「了解。なら問いを捨てる。綾瀬、今からは正しさを切るな。矛盾だけ拾え」

『了解しました』


それが決定的だった。

問いを置いて相手の帳面を汚す段ですら、もう向こうは越えてきている。

毎回別の正しさで来るなら、こちらは正誤ではなく矛盾の蓄積だけを狙うしかない。

宗一はその瞬間、自分の止血線が薄くなったのではなく、古い意味を失ったのだと理解した。


140-3 


中央駅東口前では、真名が初めて「ここを離れたら終わる」と身体で理解した。


群衆はまだ暴走していない。

だが、駅務の判断だけでは持たない密度になり始めている。

仮設柵。

拡声器。

駅務の誘導。

庁舎側の警備。

全部がもう一歩で「完成した秩序」の顔になる。

その一歩だけを邪魔するために、真名はここを離れられない。

歩廊の下で、若い女が不安そうに言う。


「まだ出られないんですか」


駅員が答える。


「順にご案内していますので」

「でも向こうは進んでるじゃないですか」

「庁舎関係の方です」

「じゃあ私たちは何なんですか」


その問いに、駅員は答えられない。

答えられないからこそ、真名は離れられない。

無線へ志摩の声が飛ぶ。


『東口から南西へ抜ける細路地、今なら噛める。真名、こっち来れるか』


真名は目を閉じなかった。

閉じると多分、行きたくなるからだ。


「行けない」


短く返す。


「私が抜けた瞬間、東口前は“もう駅務の判断が残ってない広場”になる」


志摩が舌打ちする気配。


『こっちも離れらんねぇ。静かな裂け目が二本増えた』


東雲も入る。


『受け入れ線から東口へ一班送ると、第四帯が完全に向こうの門になる。こっちも無理だ』


宗一が最後に言った。


『南棟も同じだ。私は動ける。だが動いた瞬間、南西連絡帯の細い幅が死ぬ』


その瞬間、全員が同じことを理解した。

助けに行けないのではない。

行ける。

だが、行くと別の誰かが死ぬ。

それが包囲の完成だった。


円陣も銃列も要らない。

お前がそちらへ行くと、別の持ち場が終わると全員へ思わせた時点で、部隊はもう十分に切り分けられている。

陽鳥が端末から目を上げた。

紺野は前を見たまま返す。


「分かってる」

「もう“予備楔”じゃ足りない」

「ああ」


短い。

だが、そこまで来たということだ。

御親領衛はまだ崩れていない。

それでも、部隊としての噛み合わせはもう限界へ近い。

次に誰かが前へ出て、無理やり役目を繋ぎ直さなければ、このまま一人ずつ持ち場の中で乾いて死ぬ。


140-4


園業律心斎は、庁舎群北東の広場からほとんど動いていなかった。


動かないまま、東都の中で何が死に、何がまだ嫌な形で生きているかを見ている。

その視線の冷たさが、紺野には何より腹立たしかった。

街全体はもういい。

第二首都は十分に傾いた。

後は兵と紙で固めれば済む。

だから園業は、いま東都の中でなお形を保つ異物だけを見ている。


南棟外周の宗一。東外縁の東雲。東口前の真名。外側の志摩。札を拾う綾瀬。道を削る樋道。


全部面倒だ。

だが、中心は一つだ。

紺野健太郎。

前へ出るだけの男なら扱いやすい。

出て、殴って、壊して、その責任を被せれば終わる。

いまは違う。

出る値段と出ない値段を測り始めている。

それは育つ。

育つ前に噛まなければならない。

その空気の変化を、紺野自身も感じていた。

右手が握られる。呼吸を整えるための握りに近い。

宗一の声が無線へ落ちる。


『護国少尉より各員。状況更新。御親領衛の各線、限界。次で崩れる』


東雲が続ける。


『受け入れ線、第四帯維持不能まであと一段』


真名。


『東口前、駅務の判断が残る顔も限界。次に同規模が来たら事故防止を優先するしかない』


志摩。


『細路地二本死ぬ。これ以上は鈍らせきれねぇ』


綾瀬。


『規格線、もう全部は拾えません』


樋道。


「道の嫌がらせも、次は向こうが慣れる」


陽鳥が、そこで初めてはっきり言った。


「健ちゃん、行って」


紺野は一瞬だけ目を閉じた。

行けば、盤面は変わる。

変わるが、その先はもう元へ戻らない。

御親領衛は“残っている異物”から、“北方守護が自分で噛みに来る価値のある相手”へ確定する。

それでも、もう他に無い。


「護国少尉」


紺野が無線へ言う。


『ああ』

「前をもらう」


数秒の沈黙。

短い。

だが、今までで最も重かった。


『了解』


宗一が返す。


『ここで出さないなら、もう二度と出せない』


それが全部だった。

東雲も真名も、もう止めない。

止められないのではない。

止める段が終わったのだ。

陽鳥が横へ並ぶ。

端末を抱えたまま、低く言う。


「私も行く」

「観測だけしてろ」

「無理よ」


陽鳥は即答した。


「今の東都で、あんた一人前に出して済むと思ってるなら、まだ甘い」


紺野はそれに返さなかった。

返さないまま一歩出る。

庁舎群南西の影から、広場の方へ。

その一歩だけで、東都の中に残っていた細い遅滞線の意味が全部こちらへ寄る。

園業が初めて、はっきりと笑った。

北方守護にとって、それは街の掌握よりよほど価値のある一歩だった。


御親領衛は、ここで部隊戦の限界まで潰された。

だから紺野が出る。

東都の空はまだ高い。

人も歩いている。

車も流れている。

その全部の下で、戦場の焦点だけがついに一人へ絞られた。


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