百三十九話 北方守護、御親領衛へ向く
百三十九話
139-1 北方守護、御親領衛へ向く
東都が落ちた後の仕事は、大きく二つに分かれる。
一つは、掌握した街をそのまま日常の顔へ戻していくこと。
もう一つは、その日常へ戻るのを邪魔する異物を取り除くことだ。
第二首都庁舎群北東の広場で、園業律心斎は後者の方だけを見ていた。
東都そのものは、もう十分に傾いている。
中央駅東口前は制服と案内板と拡声器で「こういう運用の日」へ塗り替えられた。庁舎群前も、搬送帯も、東外縁の受け入れ線も、多少の濁りはあれど、国家の顔をしたまま回っている。兵を流す。紙を通す。記録を残す。そこはもう部下にやらせればいい。
「東口前、再整理完了見込み」
副官が言う。
「受け入れ線も、第二波以降は大きな滞留なく——」
「見込みか」
園業が言った。
静かな声だった。
責めているのではない。
だが、その一語だけで副官の背筋が伸びる。
「はい」
「なら、まだ終わっていない」
副官は返す言葉を持たなかった。
持てないのが当然だ。
東都は落ちた。
第二首都掌握も、大勢としては済んでいる。
それでも“終わっていない”と園業が言うのは、街の話をしていないからだった。
園業の視線は南西へ落ちる。
庁舎群の影。
細い連絡帯。
さっき御親領衛が噛みついた喉元。
そこに残っている面倒くさい濁りだけを、園業は丁寧に見ていた。
「東都はもうよい」
園業が言う。
「重いものは、取った後しばらくそこにある。街は逃げん。だが人は違う。面倒なものほど、脚があるうちに噛まないと後で高くつく」
副官がやっと口を開く。
「御親領衛、ですか」
園業は頷いた。
ほんの僅かに。
それで十分だった。
北方守護にとって、掌握した街はもう景色だ。
景色の中でなおこちらに傷を付けるものだけが、次の獲物になる。
139-2
庁舎群北東の広場から少し離れた仮設指揮所では、陸軍の士官たちが忙しく動いていた。
「第二首都機能維持の文面を先に——」
「東都駐屯混成の再編案ですが、表向きは合同警備として——」
「中央駅東口前の統制権限は、現地治安維持名目で吸収可能かと——」
声が重なる。
紙が動く。
命令が通る。
人が走る。
どれも必要だ。
必要だから、園業はそこへほとんど興味を示さない。
「使える理屈は好きに使え」
園業が言う。
「東都を守るためでも、国家を正すためでも、陸軍の発言権のためでもいい。兵に読ませる文は、兵が前へ出やすい形にしておけ」
若い参謀の一人が思わず顔を上げた。
「閣下は、どれを」
園業はそこで初めて、その参謀を見た。
驚くほど平坦な目だった。
「どれでも構わん」
園業は言う。
「理屈は、前へ出るための取っ手だ。掴みやすい形であればよい。本気で信じるのは使う者の自由だ。
私は別に、そこへ付き合わん」
参謀の口が止まる。
若い。
若いから、こういう時まだ驚ける。
副官が低く補った。
「布告文は予定通り進めます」
「進めろ」
園業はそれで終わらせた。
大義が不要なのではない。
必要だ。
兵は大義で走る。
地方部隊も、文官も、都市機能の現場も、皆そういう言葉を必要とする。
だが、前へ出てくる者がそれを本気で握りしめる必要は無い。
園業律心斎は、国家を喋ることは出来る。
だが、それで前へ出る男ではなかった。
前へ出る理由はもっと狭い。
もっと個人的で、もっと危険だ。
「凛藤は終わった」
園業が静かに言う。
「なら次だ」
その一言で、指揮所の空気が変わった。
東都制圧の完了報告を待つ段ではない。
北方守護本人が次を口にした時点で、そこから先はもう別の戦場になる。
139-3
南西連絡帯の影では、宗一が兵を引き直していた。
引く。
だが崩れない。
残す。
だが気持ちよくは残さない。
御親領衛の遅滞戦は、そういう汚い微調整の積み重ねになっていた。
「庁舎横の細路地、そのまま残せ。ただし車両二台が並べる幅はもう要らない。“まだ通れる”顔だけを残して、“便利に通れる”顔は殺せ」
東都駐屯混成の若い中尉が復唱しながら動く。
昨日までなら、こういう命令にもっと迷いが混じったはずだ。
今は違う。
もう全員が理解している。
東都を取り返す話ではない。
向こうの掌握記録を綺麗に閉じさせないための仕事だ。
無線へ東雲の声が入る。
『東外縁、第三波の流入始まる。でも向こう、広げてこない。絞ってる』
宗一はすぐ返す。
「こっちもだ。目立つ制圧じゃない。私たちの線へ“次にどこへ寄れば助けに行けなくなるか”を置き始めてる」
真名も続ける。
『東口前、警備の立ち位置変わった。群衆より私の抜け道見てる』
志摩が鼻を鳴らした。
『分かりやすいな。街の処理終わったら、次はオレらって顔だ』
宗一はそこで一度だけ空を見た。
高い。
まだ昼の光だ。
それが腹立たしい。
こんな明るさの中で、第二首都が落ちた後の後始末として、自分たちが次の獲物にされる。
綾瀬の声が静かに入る。
『護国少尉。南棟西端の札、また混ざりました。今度は旧式ではなく、同じ版を使っているのに押印位置だけが違います。向こう、こちらの“問い”に対して整えながら進んでいます』
「了解」
宗一は短く答えた。
「なら問いを増やす。止めるな。ただ、“まだ手直しが要る掌握”に見せ続けろ」
御親領衛は勝っていない。
だが、負け切ってもいない。
その半端さが、いまは一番高い。
向こうにとっても、こちらにとっても。
139-4
紺野は、南西連絡帯の影から園業の視線がこちらへ寄るのをはっきり感じていた。
東都全体を見ていた目ではない。
広場で凛藤と噛み合っていた時の目とも違う。
もっと絞られている。
街から部隊へ。
部隊から個人へ。
そうやって狙いが研がれていく時の視線だった。
陽鳥が端末を抱えたまま言う。
「もう、東都のついでじゃない」
紺野は前を見たまま返す。
「ああ」
それで通じる。
向こうにとって東都掌握はもう部下へ流せる仕事になった。
なら本人が自分で処理する価値のある面倒だけが残る。
御親領衛。
そして、その中心にいる自分だ。
「嫌な感じだね」
樋道がぼそっと言う。
「ボク、こういう“次お前だ”って空気嫌いなんだけど」
志摩が無線越しに笑う。
『好きな奴いねぇよ』
真名も短く続ける。
『でも分かりやすくはなった。街をどうこうする段じゃない。今度は私たちを潰しに来る』
東雲が言う。
『そうなると、向こうは逆に速い。街は逃げないが、人は逃げるからな』
宗一が最後に落とした。
『護国少尉より各員。状況更新。向こうの主目的は完全に移った。東都掌握は維持段階。以後、御親領衛処理が本命。各員、位置を欲張るな。生きているだけで向こうの記録を汚す位置を取り続けろ』
返答が重なる。
広場の向こうで、園業律心斎が一歩だけ歩く。
その一歩は、東都のための一歩ではない。
第二首都はもう十分に傾いた。
凛藤も敗れた。
正規軍は腰を折られた。
なら次だ。
街を取った後に、ようやく人を狩りに来る。
それが北方守護のやり方だった。
東都の空はまだ高い。
その全部の下で、戦場の焦点だけが確かに絞られた。
次に噛まれるのは、自分たちだ。
その事実が共有された瞬間から、御親領衛にとって本当の戦いはようやく始まる。




