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幻想帝都 神州御親領衛記  作者: ニュートリノ鈴木
三章 東都が夜に落ちる日
138/191

百三十六話 掌握した街で


百三十六話


136-1 掌握した街で



東都が落ちた後の方が、街はむしろ整って見えた。


中央駅東口前の列は、あれほど危うかったのに今は妙に静かだ。

庁舎群前の車列も、南棟外周の搬送帯も、東外縁の受け入れ線も、それぞれ詰まりながら、それでも「詰まっているなりの秩序」を持って動いている。

拡声器の声は変わらない。

制服の列も崩れない。

一般市民の顔に浮かぶのは恐怖より先に「今日はそういう日なのだろうか」という種類の疲れだった。


「防災演習って、こういうもんなんですかね」


東口前で学生服の少年が呟く。

隣を歩く女が、紙袋を抱えたまま首を振る。


「分からない。でも、帰れるなら帰った方がいい気がする」

「でも駅、あっち閉まってるって……」

「係の人に聞いて」


その会話自体がもう、向こうの秩序の中にある。

真名は歩廊の上からそのやり取りを聞いた。

嫌な静けさだった。

群衆が壊れていない。壊れていないからこそ、向こうはもう一段先へ進める。

事故も暴発もなく、第二首都を「管理済みの街」として塗り直せる。

それが東都陥落の完成形だ。

だが、完成していない箇所がある。

だから御親領衛はまだここにいる。


宗一が南棟外周で止血線を細く残し、東雲が東外縁の受け入れ線に“まだ整理中”の顔を保ち、真名が駅前へ駅務の判断をわずかでも残す。

志摩が静かな裂け目を鈍らせ、綾瀬が札と規格の流れを汚し、樋道が道の当然さを壊す。

陽鳥がそれを観測し、紺野だけがまだ前へ出切らずにいる。


掌握した街では、本来なら抵抗の残り香は早いほど消した方が良い。

群衆に余計な希望を持たせないためにも、兵に次の迷いを生ませないためにも、その方が安い。

なのに東都では、それが消えていない。


御親領衛がいるからだ。

それは小さな乱れに見える。

駅務の判断が残る。

庁舎前の横幅がわずかにこちら寄りだ。

受け入れ線の一部が、整然と流れ切らない。

小さい。

だが、掌握した側から見れば小さい異物ほど嫌だ。

大きい抵抗は潰せば終わる。小さい乱れは、掌握完了の顔をずっと汚す。


紺野は南西連絡帯の影で、東都のその整い方を見ていた。

落ちた街。

そのはずなのに、まだ少しだけこちらの都合が残っている。

ほんの少しだ。

だが、そのほんの少しが向こうの神経を逆に撫でる。


「見てる」


陽鳥が端末を抱いたまま言った。


「何を」

「街じゃない。私達」


紺野は広場の向こうを見た。

園業律心斎はまだ庁舎群北東の広場にいる。

だが、その目はもう東都の確認をしていない。


東都は十分に傾いた。

いまこの男にとって気になるのは、傾いた街の中でなお綺麗に片付かない箇所だけだ。

そこへ、御親領衛がちょうど残っている。


136-2


園業律心斎は、東都制圧の仕上がりを確認しに来ていなかった。


確認など、部下にさせればいい。

第二首都庁舎群前の警備列。

中央駅東口前の統制。

東外縁受け入れ線の管理。

港湾から上がる補給の順番。

どれも、既に「国家の顔」で回り始めている。

あとは兵を流し、紙を通し、何事もなかったかのように今日一日を終えさせればいい。

それは園業自身が前へ出なくても出来る仕事だ。

副官が傍らで報告する。


「東口前、滞留制御安定。庁舎群前、警備列再編済み。受け入れ線、第一波、第二波ともに概ね流入完了。東都駐屯混成の一部はまだ持ち場に残存——」

「残存ではない」


園業が言った。

低い声だった。

抑揚は無い。


だが、その一言で副官の背筋が伸びる。


「異物だ」


副官は一瞬だけ黙り、それから「失礼しました」とだけ返した。

園業はその訂正に興味を示さない。

見ているのは、東都全体ではない。

異物だけだ。

近衛御親領衛。

軍の中枢から見れば、実験部隊。

人格も身分も年齢も揃わない、扱いづらい寄せ集め。

平時にあえて必要とされる部署ではない。

にもかかわらず、こういう時に限って嫌な形で残る。


駅前には支倉真名。

群衆流を壊さず、だが向こうの秩序にも綺麗には寄せない。

東外縁には東雲丈雲。

完全封鎖でも反撃でもなく、「まだ整理中」の顔だけを残し続ける。

南棟外周には護国宗一。

前線を作らず、前線の代わりになる面倒だけを置く。

その外で志摩龍二が裂け目の速度を鈍らせ、護国綾瀬が規格と札の傷を拾い、樋道芳芙美が道の当然さを削っている。

珠洲原陽鳥はそれを全部見て、まだ紺野健太郎を前へ出し切らない。


園業は、その連携の嫌らしさにようやく口元を動かした。

笑いではない。

評価だ。


「よく出来ている」


副官は返答しない。

返答を求められていないと分かるからだ。


「強いから残っているのではない。雑味が多い。場を汚す手が多い。それでいて、今どこで自分が目立つと安いかを知っている」


園業は庁舎群南西の影を見る。

紺野がいる。

公然と前へ出ていない。

まだ予備楔の位置に留まっている。

それが気に食わない。

いや、気に食わないというより、面白い。

あの男がすぐ飛び出してくるなら、もっと楽だった。

高位の神術師は、正しい怒りほど扱いやすい。

前へ出る。

殴る。

場を壊す。

そこへ責任を被せれば終わる。

紺野は今、それをやらない。

やらないということは、止める者がいる。

珠洲原陽鳥。あの女の匂いだ。


「東都はもう良い」


園業が言った。

副官が顔を上げる。


「では、次段階へ」

「そうだ」


園業は広場の向こうから視線を外さずに続けた。


「街は取った。次は、ここでなお取れていないものを取る」


その言い方で十分だった。

東都制圧は既に既成事実となった。

なら、次に潰すべきものは一つしかない。

御親領衛。

そして、その中心にいる紺野健太郎だ。


136-3


宗一は南棟外周の連絡帯で、その空気の変化を先に感じた。

向こうの兵の歩幅が変わる。

整列は崩れない。

だが、視線だけがこちらへ寄る。

庁舎前を取った。

搬送帯も押さえた。

東都は落ちた。

その上でなお残っている抵抗線は、最初から東都の付属物ではなく、別の獲物だと兵の方が理解し始めたのだ。


「……来るな」


宗一が小さく言う。

隣にいた若い中尉が問う。


「何がです」

「順番だ」


宗一は前を見たまま答えた。


「街を取る順番が終わった。次は、人を取る順番に変わる」


それは戦術の言い換えではない。

戦場の温度の話だった。

いままでは東都掌握の一部として御親領衛が邪魔だった。

これからは違う。

御親領衛そのものが、向こうの進行表に一項目として乗る。

東雲の声が受け入れ線から入る。


『東外縁、兵の目線が変わった。車列の維持じゃない。こっちの配置を数え始めてる』


真名も続ける。


『東口前も。群衆じゃなくて、私たちの立ち位置を見てる』


志摩が低く毒づく。


『ああ、そういうことか。街の方はもう済んだって顔してやがる』


綾瀬の声は静かだった。


『第二首都運用はもう向こうの規格で回っています。

なら次に処理するのは、規格の外に残っている私たちです』


言葉にされると、あまりに嫌なほど明瞭だった。

御親領衛は負けていない。

だが勝ってもいない。

東都掌握は止められなかった。

それでも、向こうに“綺麗に終わった”と言わせない程度には残っている。

だから狙われる。

片付いていないものは、片付けなければ記録が汚れるからだ。

宗一は無線を取った。


『護国少尉より各員。状況更新。向こうの主目的が東都掌握からこちらの処理へ移る。持ち場を動かすな。

目立つ場所に残るな。今から先は“生きてるだけで向こうの書類を汚す”位置を取り続けろ』


真名が短く返した。


『了解。東口前、駅務の判断が残る顔を維持する』


東雲も続く。


『受け入れ線、“まだ整理中”を残す』


志摩は鼻で笑った。


『上等だ。こっちも綺麗には死なねぇよ』


陽鳥だけが、無線ではなく紺野へ直接言った。


「健ちゃん」

「分かってる」

「まだ前じゃない」

「……分かってるって言ってんだろ」


短いやり取りだった。

だが、それで十分だった。

御親領衛は残っている。

残っているから、次に狙われる。

その順番だけが、もう東都全体へ見える形で置かれた。


136-4


園業律心斎が初めて、広場から一歩だけ視線を外した。

第二首都庁舎群北東。

凛藤義貞が膝をついた場所。

そこから少し南西。

庁舎の影。

南棟外周の薄い遅滞線。

東口前の高架歩廊。

東外縁の白帯。

その全部に、御親領衛がまだ残っている。

街を取る段では、彼らは邪魔な副産物だった。

掌握を綺麗に終わらせない小さな汚れ。

だが、街が十分に傾いた今、彼らは副産物ではない。

次の獲物だ。

園業が静かに言う。


「ようやく前を向く」


誰へ向けた言葉でもない。

副官は聞こえた顔をしたが、意味は聞き返さない。

聞く必要が無いからだ。


「東都はもう逃げない。街は重い。重いものは、取った後はしばらくそこにある。だが人は違う。面倒なものほど、足があるうちに噛まないと後で高くつく」


副官が低く返す。


「御親領衛、ですか」


園業はようやく頷いた。


「そうだ。とくに、あれだ」


視線の先。

紺野健太郎。

前へ出ているわけではない。

だからこそ気に食わない。

前へ出て殴るだけの男なら、もう少し安かった。

いまは違う。

自分が前へ出る値段と、出ない値段を測り始めている。

それは面倒だ。

面倒なものは、育つ前に噛むのが一番安い。

園業の周囲で、北の兵たちの空気も変わる。

第二首都掌握の緊張から、次の処理へ移る顔。

列を維持する兵の目ではない。

目標を探す兵の目だ。

紺野はその変化を、距離のあるままでもはっきり感じた。

広場の向こうの空気が、もう東都全体ではなく自分たちへ収束してくる。

あれほど大きかった第二首都が、一瞬だけ狭く見える。

狭くなったのではない。敵の視線が、街から部隊へ、部隊から個人へと絞られただけだ。


「来るぞ」


紺野が低く言う。

陽鳥は頷く。

端末を抱え直し、短く返した。


「うん。今度は街のついでじゃない。私たちを狩りに来る」


第二首都東都は、そこでようやく次の段へ移った。

街を取る戦いは終わった。

ここから始まるのは、掌握した街の中でなお形を保つ異物を、一つずつ潰していく戦いだ。

園業律心斎の次の標的は、もう隠れていない。

御親領衛。

そして、その中心へ置かれた紺野健太郎。


東都の空はまだ高い。

人も歩いている。

車も流れている。

何も変わっていないように見える。

だが、戦場の視線だけは、確かに次を向いていた。


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