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幻想帝都 神州御親領衛記  作者: ニュートリノ鈴木
三章 東都が夜に落ちる日
123/193

百二十一話 同時多発の朝

百二十一話


121-1 同時多発の朝



御親領衛本部の朝は、電話の音で始まる日と、紙の音で始まる日がある。今日の始まりは、その両方だった。


執務室の戸を開けた時点で、羽場桐妙子はもう一つだけ理解していた。

これは「一件ずつ捌く朝」ではない。

件数が多いからではない。件数なら昨日の方が多かった。そうではなく、今日の異常は互いに距離を取りながら、同じ刻限に歯を立ててくる。だから厄介なのだ。近いものから順に処理すれば片付く形をしていない。


机の上には、昨夜までの報告束がまだ残っている。


西都湾岸。北都第三鉄道結節。南都第三補給廠。帝都近衛第二師団外縁配置。東都第二首都庁舎群導線再編。


そこへ今朝の分が、もう重なり始めていた。


一通目は帝都北外れ、中央通信局付近。

臨時点検名目で、予備回線の切り替えが前倒し。

二通目は西都港湾、第五岸壁。

災害優先荷の積載順位変更。

三通目は南都沿岸、民間輸送契約の再確認。

四通目は北都、旅客優先適用範囲の再解釈。

五通目は東都周縁、避難導線仮設札の追加。

六通目は帝都官庁街、工兵配置の前倒し。

七通目は東都中央駅、地下連絡路片側閉鎖の事前通達。


どれも単独なら、小さい。

どれも単独なら、「演習が大きくなったせいで現場が少し無理をしている」と言い張れる範囲に収まっている。


羽場桐は立ったまま、机の縁へ指を置いた。

静かな異常。

それが一番高い。

爆発や銃声は遅い。人が驚いてからようやく形になる。静かな異常は違う。人が驚く前に、驚いた後の順番まで先に置ける。


「……多いですね」


独り言のように落ちた声に、返事は無い。

返事の代わりに、内線が二本同時に鳴った。

当直の少尉が入ってくる。顔色が悪い。だが徹夜の顔ではない。報告が増えた人間の顔ではなく、報告のどれを上へ通すか、それ自体が値段になり始めた人間の顔である。


「羽場桐中尉。帝都と東都から優先指定が」

「机へ」


短く言う。

当直少尉はすぐに従う。すぐに従うが、置く位置をほんの僅かに迷う。迷う時点で、その紙はもう現場の紙ではない。本部内の政治に入っている。

羽場桐は、その迷いごと見た。


同時多発。

それ自体は珍しくない。

珍しいのは、「どれが囮か」ではなく「どれも囮として成立する」ように配置されていることだった。

主観では、執務室の空気が少しだけ薄くなった。

広さは同じ。机の数も変わらない。

なのに、呼吸の届く範囲だけが狭くなる。処理の順番を一つ誤るだけで、別の場所の死人がこちらへ回ってくる朝は、いつもそうだ。


報告はまだ十を超えていない。

件数だけなら、本来この部署が潰れる数ではない。

だが、今日の報告は全部が「いま決めろ」とは言っていない。


「いま決めなくても、後でお前のせいにできる形で置いておく」と言っている。

そこが嫌だった。


121-2


羽場桐は最初に、東都第二首都庁舎群から来た報告を横へ避けた。


避けた、という表現が一番近い。

無視ではない。軽視でもない。

いま一番目立つからこそ、最初に噛み付いてはいけない報告だと判断したのだ。

代わりに手を付けたのは、帝都中央通信局付近の予備回線切り替え。

地味だが、中央通信局が本当に止まれば帝都は一時間で慌てる。にもかかわらず、その報告は驚くほど冷静に書かれていた。冷静に書ける異常は、本当に小さいか、もう書いた人間が「ここはこれ以上騒いでも誰も助けない」と諦めているかのどちらかである。

添付の回線表を見る。


切り替え対象は二本。

本来なら午後の予定。

それが午前前倒し。

理由は「第二首都側との演習連携強化」。

第二首都。


その語が、もう地方ではなく国家の語彙になっている。東都が単なる遠隔行政都市ではなく、帝都の代替ではなく、もう一つの首都として扱われているからこそ、この一文だけで帝都側の回線予定を動かせる。

羽場桐はそこに付箋を置いた。


追う。

だが本命ではない。

次に、西都港湾。

第五岸壁の荷役順差し替え。

高倉源三の朝の報告と一致する。西都はもう喉を握られている。だが西都の喉は露骨すぎる。港を見れば誰でも嫌な顔になる。嫌な顔になる場所は、今朝の本命になりにくい。


そこも付箋。

追う。

だが飛び込まない。

北都。

旅客優先の再解釈。

東雲丈雲から上がってきた本線停止と待避線の報に、さらに旅客側の警備照会が重なっている。つまり、北は「動かない」だけでなく、「動かないことが正しいかどうか」を下士官まで確認し始めた。

そこも重い。

重いが、いま見に行っても切れるのはせいぜい一枚だ。

北は半日単位で人を殺す。今朝の本命はもっと速い。


南都。

民間輸送契約の再確認。

補給廠経由ではなく、沿岸商会からの匿名気味の照会が混ざっている。嫌な匂いだ。暮らしの方が先に軍へ怯え始めた時、南都は長引く。

だが、長引く方だ。

今日の朝を決める方ではない。

残ったのは、東都中央駅地下連絡路片側閉鎖の事前通達と、第二首都庁舎群外周の避難導線再表示、それに帝都官庁街工兵配置の前倒しだった。

三つ並べる。


地下。

地上。

帝都。


羽場桐は、そこで初めて椅子へ座った。

座るのは疲れたからではない。盤面の中心が見えた時だけ座る。立ったままでは、机上の線が遠くなる。


「敵の中心は一つではない」


小さく言う。


「本命は一つ」


帝都官庁街を守る工兵配置が前倒し。

第二首都庁舎群の避難導線が追加。

東都中央駅地下連絡路の片側閉鎖。


一見、別だ。

だが全部が人をどちらへ流すかの話で揃っている。

港ではない。

補給でもない。

線路でもない。

人の流れだ。

派手な異常から見に行くと、大抵そこで死ぬ。

相手はそのために派手な場所もちゃんと用意している。港も、燃料も、遅延も、全部必要だ。必要だが、今朝すぐに盤面をひっくり返すのは、もっと小さい導線の方だった。


机上の紙の山の見え方が少しだけ平たくなった。

どれを見捨てるかが決まると、山は低く見える。低く見えるようになった時点で、もう遅い。

それでも決めるしかない。


本部に上がった報告のうち、いま最も速く人命へ直結するのは東都周縁の導線再編だった。

第二首都庁舎群と東都中央駅、その間を繋ぐ流れ。

群衆が自分の足で“正しい避難”を始めた瞬間、封鎖もまた完成する。


「……東都ですね」


羽場桐はそこで、ようやくそう言った。


121-3


「どうぞ」


入ってきたのは、宗一ではない。東雲でもない。

三木双葉だった。

一葉でも三葉でもなく、双葉が一人で来る時は、だいたい本人が来たがったのではない。東雲に押し出されたか、一葉が押し込んだか、そのどちらかだ。


「羽場桐さん」


双葉が扉の前で止まる。


「東雲さんから。北都は動かないことで一番よく動いてる、って」

「承知しています」


双葉は少しだけ目を瞬かせた。

伝言を終えた子どもの顔ではない。これ以上何か言うべきかどうかを、自分の中でまだ決め切れていない顔だ。


「……一葉たちは?」


羽場桐が訊く。


「待機です。位置で止まる練習の続き……やってます」


いい。

それでいい。

大事件の朝ほど、動かさない札の使い方が値段になる。


「双葉」

「はい」

「東雲大尉へ。北都の追加確認は不要。待避線と確認待ちの時刻だけ残して離脱するように」


双葉の目が少し揺れた。


「追わないんですか」

「追う価値が無いのではありません」


羽場桐は言った。


「追えば、そこへ今日の半日を全部吸われます」


双葉は唇を結び、それから頷いた。

子どもでも分かる。

分かるから、余計に嫌な判断だ。

双葉が出ていき、すぐに内線を取る。


「高倉九席へ。西都は岸壁番号と優先変更時刻だけ。追加の確認不要。南都は現地判断で会計線を維持、深掘り禁止。真名十席へ、地下導線と第二首都庁舎群を同時に見ろ。宗一四席へ、東都周縁へ寄れ。帝都官庁街は切る」


言い終えて、少しだけ手を止めた。

帝都官庁街は切る。

それは、帝都を見捨てるという意味ではない。

だが、今日の午前だけ見れば、そう見える。

本部が一番嫌う判断であり、同時に本部がやらなければならない判断だった。

それから最後に、紺野へ繋ぐ。

繋がるのが早い。

待っていた呼吸音だ。


『……何だ』

「東都です」


返答は無い。

だが、沈黙が一段低くなったのが分かる。


「第二首都庁舎群と中央駅地下導線。

派手な異常は囮です。本命は、人の流れです」

『やっとだな』

「ええ」


羽場桐は言った。


「ただし、まだ入れません」


向こうの呼吸が少しだけ荒くなる。

怒りではない。苛立ちだ。

苛立ちを飲み込めるようになった分だけ、前よりずっと嫌な沈黙になっている。


『理由は』

「宗一少尉と支倉十席で十分だからです。あなたが入ると、向こうが“そこまで読まれている”と知る。知った瞬間に、次の紙が切られます」


また沈黙。

短い。

だが、それで十分だった。


『……分かった』


本当に分かっている時の声だ。

気に食わないのも一緒に聞こえる。

それでいい。

通話を切り、羽場桐は深く息を吸わなかった。

深く吸うと、机上の紙の匂いが胸まで降りる。いまそれをやると、一時間後の判断が少しだけ鈍る。


121-4


昼前、東都から二本の報が同時に入った。


一本は真名。

短い。


——地下連絡路、半分閉じました。

——まだ誰も封鎖だと思っていません。


もう一本は宗一。

こちらも短い。


——第二首都庁舎群外周、避難導線と警備導線が重なりました。

——理由は揃いました。


羽場桐は二枚の紙を並べた。


地上。

地下。

そこへ帝都官庁街の工兵前倒し配置表を重ねる。

三枚で十分だった

第二首都の外で人を整列させる。

中央駅地下で人を流す。

帝都官庁街で工兵を立てる。

それぞれ別の防災に見える。だが全部が人をどちらへ寄せるかの話で繋がる。

兵站でもなく砲火でもない。

人間の脚そのものを、正しい顔のまま戦力へ変える段である。


机の上の三枚の紙が、急に一枚へ見えた。

本当に重なったわけではない。

異常の形が揃った時、別々の報告はこういう見え方をする。そこまで行くと、もう“本命がどれか”ではなく“何を犠牲にどこへ人を押し込むか”の話になる。

第二首都東都に対する攻撃準備は、まだ銃声を必要としていない。


導線。

避難。

警備。

工兵。


その四つだけで十分に都市の呼吸を変えられる。

そして、その変化は誰も戦争と呼ばない。

そこが最悪だった。

羽場桐は端末を取り、全体線へ短い命令を流した。


「派手な異常は囮です。本命は、誰も戦争と呼ばない場所にあります。現場で解決しないでください。順番だけ残してください」


送信。

その後で、机の右端へ残し切る位置を少しだけ広げた。

明らかに、これからもっと紙が来る。

そして、そのどれもが“いま起きていることはまだ演習の範囲だ”と言い張るために使われる。


執務室の窓の外では、昼の前なのに兵の影が増えていた。

まだ少ないのに、通りの幅だけはもう半分になって見える。

羽場桐は目を閉じなかった。

閉じると、次に開けた時、もう一段遅れる気がしたからだ。

誰も戦争と呼ばない場所。

そこが、いま一番危ない。

そしてそういう場所は、たいてい助けるのが一番遅くなる。


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