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幻想帝都 神州御親領衛記  作者: ニュートリノ鈴木
三章 東都が夜に落ちる日
124/193

百二十二話 味方の定義


百二十二話


122-1 味方の定義



東都外縁の合同指揮所は、仮設の建物にしては整いすぎていた。


整っている、というのは使いやすいという意味ではない。机の数、壁の地図、通信線の引き方、臨時照明、予備発電機の唸り――そのどれもが、昨日のうちに国家の中枢になると決まっていた顔をしている。だから嫌だった。即席の現場なら、まだ人間の乱れが残る。乱れが残っていれば、そこを掴んで動ける。だが今日は違う。乱れが無い。乱れが無いということは、乱れる前の段から誰かが用意している。


護国宗一は、入口の前で一度だけ足を止めた。

扉の横に立つ兵は三人。


近衛の腕章。

陸軍の襟章。

警備総監部の識別票。


本来なら、心強い並びである。国の手が全部そろっている顔だ。

だが今朝、その顔は逆だった。近衛が立っているから安心なのではない。陸軍がいるから不安なのでもない。三つが同じ場所に立っていること自体が、誰も誰を信じ切れていない証拠にしか見えなかった。


「護国少尉」


扉を開けた当直兵が名を呼ぶ。

それだけで、中の空気が一度こちらを見る。

室内には、思っていた以上に人がいた。


帝都近衛第二師団の参謀。

東都駐屯混成部隊の現場指揮官。

交通統制官。

第二首都庁舎群の管理官。

港湾連絡の文官。

鉄道側の軍務出向。


そして、同じ机に着いているくせに、互いの紙を半歩ずつ離して置く人間たち。

誰も大声を出していない。

怒鳴り合いも無い。

それなのに、室内の空気だけが妙に荒い。

戦場の荒さではない。言葉を選びすぎた部屋の荒さだ。

宗一は席を勧められても座らなかった。


「現状を」


短く言う。

それだけで十分だった。ここで長い前置きをする人間は、たいてい自分の責任範囲を増やしたくない。

一番奥にいた近衛中佐が口を開く。


「東都第二首都庁舎群外周の警備再編は進んでいます。地下導線も支障なく――」

「支障が無いなら、何故この人数で机を囲んでいるんです」


宗一が言うと、中佐は少しだけ黙った。

責めたわけではない。確認しただけだ。

確認しただけで黙る時点で、支障はもう数字の外に出ている。

次に陸軍少佐が口を開いた。


「警備再編は進んでいます。ただし、第二支援路の合流先について、現地警備大隊と輸送警備中隊で命令の解釈差が――」

「命令文を」


宗一が手を出す。

少佐はすぐには渡さない。隣の文官を見る。文官が頷いてから、ようやく紙が来る。

その一拍が、いちばん高い。


味方同士で、命令文を一枚渡すのに確認が要る。


そこまで来ている。

宗一は紙を受け取り、ざっと目を走らせた。

表題は同じだ。

総合防災演習。

第二首都保全。

緊急搬送路維持。

その下の一文だけが違う。


一方は「妨害勢力による庁舎機能阻害に備える」。

もう一方は「妨害勢力による交通結節混乱に備える」。


敵の顔が違う。

同じ東都の同じ道路を見ているのに、見ている敵が違う。

宗一は紙を机へ戻した。


「そういうことですか」


誰も返事をしない。

返せないのではない。返した時点で、この部屋の何人かは「敵を違うものとして見ていた」と認めることになる。


122-2


地図の上では、第二首都庁舎群と中央駅と東都湾岸が、色の違う線でつながっていた。

青が搬送。

黄が避難。

赤が警備。

白が緊急車両。

どれも正しい。

そして、そのどれもが同じ道路を奪い合っている。

宗一は地図ではなく、その横に積まれた照会票を見た。


五枚。

七枚。

いや、机の下にもある。


様式照合。署名照合。窓口照合。合流先照合。補給責任照合。


「誰が言い出した」


宗一が問うたのは、怒りからではない。起点を見失うと、この手の部屋はいつまでも皆で慎重にやっていた顔になるからだ。

今度は東都駐屯混成の大尉が答えた。


「最初は第二支援路の現地警備です。交通統制隊の命令書が旧式署名だった。そこから、合流予定の輸送警備中隊の添付文と窓口番号が合わないと出て……」

「次は」

「港湾連絡側が、緊急搬送車両の識別票が一世代前だと照会。その後、鉄道側が避難誘導用の導線図面の版が違うと……」

「つまり」


宗一はそこで言葉を切り、部屋を見回した。


「誰も怠慢していない」


嫌な沈黙が落ちる。

そこが本題だからだ。

誰も職務放棄していない。

誰も露骨な裏切りをしていない。

むしろ全員が正しい。命令書が怪しいなら止める。署名差があれば照会する。合流先が本当に味方か確かめる。

全部、正しい。

正しいから、止まる。

止まるから、落ちる。

陸軍少佐が低く言った。


「護国少尉。我々も分かっています。ですが、ここで誤って北都主力に通じた部隊へ導線を渡した場合、第二首都全体が終わります」


その言い方は、逃げではなかった。

本気の恐れだった。

北都主力に通じた地方部隊。

それがどこまで混じっているのか、誰にも分からない。

全部が敵ではない。

だから余計に切れない。

近衛中佐が続ける。


「同じ第二師団内でも、今朝の時点で“何を敵と見ているか”に差が出ています。官庁保全。交通維持。災害対応。文面は全て正規です。全て正規だから、逆に何が混ぜられているのかを現場では見切れない」


宗一は、その一言でようやく机の上の照会票の量に納得した。

これは無能な部屋ではない。

優柔不断な部屋でもない。

全員が、正しい判断をしようとしている。

だから何も進まない。

室内の空気が少しずつ狭くなる。

壁が近づくわけではない。

誰かが一つ発言するたびに、その発言の責任線だけが机の上で広がっていく。広がった責任線のせいで、次に喋る人間がさらに慎重になる。

慎重さが人を殺す瞬間は、だいたいこういう形をしている。


東都外縁にいる正規軍の数は決して少なくない。

東都駐屯混成で一万二千前後。

帝都近衛第二師団は二万。

西都近衛第一師団も二万。

北都方面軍主力は四万八千。

南都方面軍は二万六千。


兵はある。

あるのに、目の前のこの部屋だけで、その兵の何割かがもう“確認待ち”へ変換されている。

宗一が低く言った。


「敵を探しているんじゃない。味方を味方と証明しているだけで、もう朝が死に始めている」


誰も反論しなかった。


122-3


扉が乱暴ではない速さで開いた。

乱暴に開ければ、部屋の誰かが怒れる。

怒れるならまだ楽だ。

今日の一番嫌な報せは、怒る暇もなく机の上へ置かれる。

入ってきた憲兵中尉が、書類を差し出した。

敬礼は正しい。声も落ち着いている。

だがその落ち着き方が、余計に嫌だった。


「第二支援路、緊急搬送車両二台、燃料車一台、指定物資車両一台、現地で停止。解除命令との照合待ち」


部屋の空気が一度だけ止まった。

宗一は書類を取る。

時刻を見る。

停止開始から、もう七分。

七分なら、まだ短い。

短いはずなのに、第二首都へ入る搬送と燃料が狭窄部で七分止まる意味は、もう短くない。


「理由は」


憲兵中尉が答える。


「現地側は“演習上の一時制止”。搬送側は“第二首都保全に基づく優先通行”。後詰め予定部隊は、合流先交通統制隊の署名差確認中。解除命令は別窓口から既に出ていますが、真贋照会に入っています」


そこまで聞いて、宗一は一度目を閉じた。

疲れではない。

整いすぎた最悪を、一拍で飲み込むための閉眼だった。


現場は勝っているかもしれない。

ちゃんと止血しているかもしれない。

だが、この部屋の机の上で、もうその勝ち方は死に始めている。


近衛中佐が思わず言う。


「現地に誰が入っている」


宗一はすぐ答えた。


「御親領衛です」


部屋の何人かが、そこで僅かに顔を動かした。

安堵ではない。

それでも、いまこの場にいる正規軍よりは早く動ける札が既に切られていることへの、遅れた理解だ。

陸軍少佐が問う。


「ならば現地判断に任せて——」

「任せた後を、いまここで紙が殺している」


宗一が切った。

部屋が静まる。

怒鳴っていない。

怒鳴っていないから、余計に重い。


「停止車両は四台」


宗一は書類を机に叩きつけず、静かに置いた。


「医療搬送二、燃料一、指定物資一。数字だけ見れば小さい。だが第二首都へ入る喉元で、こういう小さい停止を何本も机の上で殺していくと、現場は勝っても都市が先に死ぬ」


文官が、そこでようやく口を開いた。


「では、どうするのが正しいと」


問い方が嫌だった。

“解答を出せ”という問いではない。

“誰が責任を持つか、ここで決めろ”という問いである。

宗一はその男を見なかった。

机の上の地図の、東都第二首都庁舎群と中央駅の間だけを見た。


「正しい、ですか」


小さく言う。 


「いまここで一番人を殺すのは、正しさです」


部屋の誰かが息を呑む。

だが、その息は反論ではない。理解の息だ。


122-4


結局、その場で大きな決定は何も出なかった。

いや、出せなかった。

それがこの部屋の現実だった。

帝都近衛第二師団の一部は、まだ合流先の師団内照会を切れない。

東都駐屯混成は、交通統制隊の旧式署名の扱いで止まる。

港湾連絡は、搬送優先を認めれば次の紙で自分の責任になるのを怖れている。

鉄道側は、導線図面の版違いから先に動けない。

誰も怠けていない。

誰も裏切りを公言していない。

ただ、誰も最初に「こいつは味方だ」と断言できない。

その断言できなさが、兵力の全てを殺していた。

宗一は最後に、机の端に置かれた照会票の束を見た。


束の厚さはまだ紙の厚さだ。

だが、この束があと一時間積み上がれば、外では道路が死に、駅が死に、搬送が死ぬ。

兵站の死に方は、だいたい机の上から来る。


「護国少尉」


近衛中佐が低く呼ぶ。

さっきより声が小さい。

部屋の空気に押された声だ。


「御親領衛は、いまどこまで動ける」


宗一は少しだけ考え、それから答えた。


「短い指揮線で動ける分だけ、まだ動けます。ですが、それは強いからじゃない。他が互いを信用できないから、その確認の段を飛ばして無理矢理前へ出せるだけです」


中佐は頷いた。

悔しそうでも、安堵でもない。

現実の値段を、ようやく自分の口で認めた顔だった。

宗一は端末を取り出した。

羽場桐妙子へ繋ぐ。

一度で繋がる。待っていたのだろう。


『羽場桐です』

「護国宗一です。合同指揮所」


短く、必要なことだけを言う。


「各軍、味方確認で止まっています。命令照合、署名差、窓口差、合流先確認。誰も怠慢していません。その正しさのせいで、一番遅れてはいけない東都の喉元が死に始めています」


向こうで一拍。

羽場桐の計算の沈黙だ。


『承知しました』


短い。

だが、その短さの中に次の段がもう入っている。


『もう敵を探している場合ではありませんね』

「ええ」


宗一は言った。


「味方を味方と証明するだけで、時間が死んでいます」


通話が切れる。

宗一は端末を下ろし、部屋をもう一度見回した。


同じ地図。

同じ机。

同じ制服。

同じ国側の言葉。

そのはずなのに、誰もまだ隣の人間を完全な味方として扱えていない。


扉の外では、東都へ向かう朝の車列がまだ続いている。

何も始まっていない顔のまま、だ。

だがこの部屋の遅さが、その何も始まっていない顔の下で、確実に人を殺している。


宗一は席に着かず、そのまま踵を返した。

ここで会議を続けても、もう大きくは変わらない。

変わるのは机の上の責任線だけで、東都の道路はその間にも狭くなる。


味方を味方と証明するだけで、時間が死ぬ。

今朝の東都は、その一文だけで十分に説明がついた。


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