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幻想帝都 神州御親領衛記  作者: ニュートリノ鈴木
三章 東都が夜に落ちる日
122/193

百二十話 現物

百二十話


120-1 現物


車が増えていた。


東都第二庁舎群へ向かう大通りは、朝の通勤が本格化する前から荷台つきの軍用車と、工兵用の補修車と、医療搬送を名乗る白い箱車で妙に詰まっていた。詰まっているのに渋滞の音が薄い。誰も急いでいないからだ。急がないまま、きっちり同じ方角へ吸われていく。そこが不気味だった。


護国宗一は歩道の端で立ち止まり、流れていく車群を見ていた。

標章は正しい。

塗装も正しい。

車体の識別番号も、見える範囲ではおかしくない。

だが、積んでいる物が揃いすぎている。発電機、折り畳み柵、信号灯、携行無線の予備、簡易寝台、燃料缶、封鎖板、誘導灯。災害対応にも見えるし、都市制圧の初動にも見える。問題は、その両方に見えるよう詰められていることだった。


「少尉殿」


背後から声がした。東都駐屯の若い中尉だった。徹夜明けの目をしているが、制服だけはきっちり整えている。


「見ていますか」

「見ている」


宗一は視線を車群から切らないまま答えた。


「補修隊にしては通信資材が多い。搬送隊にしては柵が多い。工兵にしては医療が多い。全部の名目を一台ずつで済ませているんじゃない。同じ車群の中へ全部を混ぜてる」


中尉が乾いた唇を舐める。


「本隊ですか」

「本隊なら、もっと堂々と来る」


宗一はそう言った後で、小さく息を吐いた。


「これは都合だ。都市を切るための都合が、そのまま車になって走ってる」


車群の一台が減速し、道端の係員へ通行票を見せる。係員は確認に時間を掛けない。見慣れた印章なのだろう。あるいは、確認を急がされている。どちらにしても、東都の入口はもう「誰が入るか」を厳密には選んでいない。「正しい文面を持っているもの」を通している。その時点で、街の喉はかなり深く噛まれている。


歩道の反対側では、出勤途中らしい男が足を止めていた。


「朝から物々しいな」


隣の2人組の女が言う。


「庁舎群で事故でもあったんですかね」

「防災訓練じゃないの」

「この時間に?」

「知らないわよ。通れるなら何でもいいでしょ」


良くない、と宗一は思う。

だが、ああ言いたくなる気持ちも分かる。街に生きる人間は、目の前の道が通れるかどうかで判断する。通れる間は平時へ寄せて考える。逆に言えば、通れる間は異常が進む。


車群の末尾に、見覚えのない仕様の通信車が混じっていた。北都方面の規格に近い。あからさまではない。だが、東都常駐の装備しか見ていない目にはまず入らない種類の違いだった。

宗一はようやく中尉の方を向いた。


「照合を増やせ」

「どこまで」

「見えるもの全部だ。だが露骨にはやるな。止めた瞬間に向こうが“止められた”事実を使う」

「時間を稼ぐ形で?」

「そうだ。壊すな。鈍らせろ」


中尉は短く頷いて走った。

速い。若い兵は、ようやくやることが言葉になった時だけ動きが綺麗になる。

宗一は再び大通りを見る。

車はまだ来る。

増援ではない。

命令の効き方を街へ植え込むための器材だ。

東都はまだ無傷に見える。だが、無傷のまま使われるための準備だけは、もう始まっていた。


120-2 


中央駅の地下は、地上より先に異常を隠す。


天井は低い。

照明は明るい。

人の流れは視線を上げずに済むよう作られている。だから少しの違和感は、たいてい「今日は混んでいる」で済まされる。


支倉真名は、地下通路の柱陰でその“少し”が何段も重なっていくのを見ていた。

看板の向きが変わっている。

普段なら出口二号へ抜ける人流が、今朝だけ三号へ細く寄せられている。

清掃用具入れだった場所に、仮設の荷捌き机が置かれている。

制服の違う係員が二人増えている。

その二人が、乗客ではなく搬送用の台車だけを見ている。


静かだった。

誰も大声を出していない。

そこがいちばんひどい。


「すみません、庁舎群へ行きたいんですが」


若い会社員らしい男が駅務員へ訊く。

駅務員は疲れた目をしたまま、丁寧に答えた。


「本日は東口側の経路が一部変更されています。こちらの通路を使って地上へ――」

「昨日と違いますよね」

「本日は安全確保のため」

「何の安全です?」

「……混雑回避です」


嘘ではない。

だから厄介だ。

混雑は確かに起きる。起こすように人を振っているのだから当然だ。真名が見ているのは、その混雑を避けるための変更ではなく、混雑が起きた後にどちらへ人を逃がし、どちらへ通さないかを先に決めている図面だった。


地下の奥から、折り畳み担架が二台運ばれてきた。

担架そのものより、付き添いの兵の歩幅が気になる。速すぎない。遅すぎない。人の流れを止めない程度に、しかし乗客の歩き方とははっきり違う。通路の幅を身体で測っている歩き方だ。

真名は柱陰から出た。


「その担架、どこまで持って行くんですか?」


兵の一人が足を止める。

年は若い。表情もまだ硬い。


「地下二層の臨時待機区画です」

「何の?」

「搬送用の」


少しだけ詰まった。


「予備区画として」

「へえ」


真名は笑わない。

笑うと軽くなる。


「予備区画に、通信中継器まで持ち込むんだ」


兵の目が、ほんの短い間だけ揺れた。

台車の下段。布で覆ってある。だが四角い。医療機器の形ではない。


「支援機材です」

「誰への」


答えない。

答えられないのだろう。末端の兵ならそういうこともある。

真名はそれ以上追わず、今度は駅務主任の方へ歩いた。

主任は彼女を見るなり、昨日から寝ていない人間の顔で眉を寄せる。


「またあなたですか」

「また私」


真名は言う。


「今朝の変更、誰が切ったの」

「統合対策室と東都管理局と警備と――」


「名義はいいの。最初に言い出した所を訊いてる」


主任は口を閉じた。

閉じたまま、視線だけを右へ流す。

その先には閉鎖中のはずの保守扉がある。扉の前に二人。制服は東都駐屯の警備大隊。だが立ち方が違う。乗客ではなく、この地下全体の入口と出口を頭に入れている立ち方だ。


真名はそこでようやく、地下が先に食われる理由を理解した。

地上は広い。だから異常が見えやすい。

地下は狭い。だから少しずつ喉を細くできる。

東都の入口はいま、悲鳴ではなく案内表示で閉じ始めていた。


120-3


東都駐屯の中枢通信室は、普段ならもっと単調な場所だった。

受信。

転送。

確認。

修正。

その繰り返しで一日が終わる。

ところが今朝は違う。

入ってくる命令が多すぎる。多いだけならまだいい。問題は、全部が正しく見えることだった。


机に置かれた端末へ、四系統の文面が並ぶ。

第二首都機能保全。

庁舎群周辺警備強化。

臨時搬送帯再編。

北部補給路優先開放。

単独で読めば、どれも通る。

だが同時に通すと街の喉が締まる。

締まるように出来ている。

若い通信将校が汗ばんだ指で受領印を迷っていた。

背後から年嵩の少佐が言う。


「止めるな。流せ」

「ですが、優先権が競合しています」

「分かっている」


少佐の声は低い。


「分かっているが、ここで“競合している”と上へ返したら、今度はこっちの統制不全が記録に残る」

「では、どれを先に」


少佐は少しだけ黙る。

その沈黙の方が、怒鳴り声よりずっと現場を冷やす。


「……庁舎群だ」

「北都系の補給路は」

「後だ」

「しかし、文面上はそちらが先に――」


少佐が初めて机を叩いた。

紙ではない。金属の天板が鈍く鳴る。


「先とか後とかではない!誰がここを見ているかだ!」


その言葉が出た瞬間、室内の空気は死んだ。

忠誠の話ではなくなったからだ。

上を気にする。記録を気にする。命令者の目を気にする。現場がそこへ落ちた時点で、もう軍は戦っていない。自分の責任の置き場だけを探している。

通信将校は結局、三つを流し、一つを留保にした。


最善ではない。

だが今の東都で“最善”を選べる者はもう少ない。

不正解だけを避け続ける選択が、都市掌握の前段をもっとも静かに進める。

少佐は窓の無い通信室の壁を睨んだまま、小さく呟く。


「誰が書いてる……」


その疑問に答える者はいない。

ただ、その問いが出た時点で十分だった。

東都駐屯の中枢は、命令を出している側ではなく、命令の洪水の下流へ落ちている。

そういう形の占領が、もう始まっていた。


120-4


宗一と真名が再び顔を合わせたのは、第二首都庁舎群と中央駅を結ぶ高架歩廊の途中だった。

下では通勤客がまだ動いている。

動いているが、昨日までの歩き方ではない。

駅から庁舎へ向かう流れと、庁舎から駅へ逃がすための流れと、搬送と補修のための流れと、その全部が一つの幅へ押し込まれ始めている。人が多いのではない。多いように使われている。


「地下も食われてる」


真名が言った。


「駅務はまだ駅務のつもり。でも、扉の向こうにいる連中がもう別」


宗一は頷く。

「こっちも同じだ。大通りは工兵と搬送の車で埋められてる。補修に見えるが、中身は都市を切る器材だ」

「いつから?」

「もう動いてる」


宗一は歩廊の手すり越しに下を見た。


「“これから始まる”段じゃない。現物が入って、配置まで終わり始めてる」


真名は息を吐く。

長くはない。

短い吐息に、苛立ちと納得が同時に入っていた。


「だから119であんなに綺麗に理屈を揃えてたんだ」


宗一は返事の代わりに無線を取る。

羽場桐へ繋ぐ。

向こうはすぐ出た。


『羽場桐です』

「護国少尉です。東都側、現物まで入りました」


宗一が言う。


「庁舎群周辺は工兵、搬送、通信、封鎖器材が混成で流入中。駅地下も導路の組み替えが始まっています。まだ銃声はありません。だから余計に重い」


真名が横から割り込む。


「中央駅地下、閉鎖中の保守扉の向こうに臨時区画作ってる。医療の名目だけど、あれ搬送と通信の拠点にも使うつもり。乗客の足を使って地下を先に細くしてる」


向こうで、ごく短い沈黙。

羽場桐が計算している時間だ。


『承知しました』


声は平坦だった。


『御親領衛を先に切ります』


高架の下で、補修車が一台だけ停車し、荷台から金属柵が降ろされる。

柵そのものはただの柵だ。

だが置かれる場所が悪い。

そこへ置いた瞬間、人の流れも車の流れも、向こうの都合でしか曲がれなくなる。

宗一はその光景を見て、ようやく腹の底が冷えるのを感じた。


東都はまだ燃えていない。

叫びも少ない。

だから市民には日常の延長へ見える。

だが、落ちる都市というものは、派手に壊れる前にまず自分の可動域を失う。

見える頃には遅い。

そして今、ようやく見えたということは、もう充分に遅い。


『護国少尉、支倉さん』


羽場桐の声が無線へ落ちる。


『その場で監視継続。

正規軍を一斉に動かすと照合で詰まります。


先遣はこちらで出します』


「了解」

通話が切れる。

真名は高架の下を見たまま言う。


「先遣って、誰を出す気です」


宗一は答えない。

答えなくても分かる。

この都市で警察でも軍でも処理しきれない段へ落ちた時、結局出てくるのはあの隊だ。

風が歩廊を抜ける。

東都の空はまだ普通の高さにある。

だが、普通の高さの空を見上げていられる時間は、もうあまり残っていなかった。


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