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幻想帝都 神州御親領衛記  作者: ニュートリノ鈴木
三章 東都が夜に落ちる日
116/191

百十四話 西都港封鎖


百十四話


114-1 西都港封鎖



西都湾岸の朝は、海が明るくなる前に番号が起きる。


岸壁の番号。

クレーンの番号。

倉の番号。

牽引車の番号。

人間はその後だ。人は荷を運んでいると思っているが、実際に動いているのは優先順位の方である。優先順位が先に決まり、それに遅れて人間の身体が引っ張られる。港とはそういう場所だ。


高倉源三は、防波堤沿いの道路で車を降りた瞬間に、その優先順位がもう昨日のものではないと分かった。

潮の匂いはある。

重油の匂いもある。

それより強いのが、乾いた紙の匂いだった。

港の紙は本来、もっと湿っている。海風を吸い、手袋の油を吸い、角が丸くなる。

今朝の紙は違う。

角が立っている。白が硬い。机の上で生まれた紙が、そのまま岸壁まで運ばれてきた顔だ。


「……嫌な朝だな」


独り言に、返事は無い。

返事の代わりに、クレーンの警告音が三度鳴った。規則的すぎる。現場の鳴らし方ではない。事務の人間が「正しい注意喚起」として設計した鳴り方だ。


門衛が通行票を見て、一瞬だけ目を細めた。

近衛の番号を見る目ではない。誰の許可で入るのか、誰の責任で歩くのか、その両方を見ている目だ。

門衛はすぐには敬礼しなかった。

後ろにいた別の兵の顔を一度だけ見て、それからようやく敬礼した。

その一拍が、今朝の値段だった。

味方同士で確認している。

確認しなければならない程度に、もう紙が混ざっている。


「第三区画、第七倉庫です。港湾管理課も、近衛第一師団の先遣も、先に入っています」


西都近衛第一師団、総数約二万。

港で見えるのは、そのうちのごく一部だけだ。岸壁の外周、燃料線、貨車の入替口、倉庫帯の交差点。

数千も要らない。置く位置さえ正しければ、港は十分に黙る。


高倉は門を抜けながら、その“正しい置き方”を見た。

岸壁警備が二列。

貨車の連結区画に近衛の工兵。

燃料ドラム保管帯に輸送隊。

海軍の港湾警備が消えたわけではない。いる。

いるが、一歩ずつ後ろへ下がっている。命令で下がったのか、責任を被りたくなくて下がったのか、ぱっと見では分からない。

分からないことが、もう相手の勝ち方だった。


遠く、第四岸壁で旗が上がる。

赤白ではない。災害対応の仮旗。

港を閉じる旗ではない。港の優先順位を塗り替える旗だ。


「封鎖じゃねえな……」


高倉は小さく言った。

封鎖ならまだ分かりやすい。

港は動いている。動いているまま、通していいものだけが通る顔になっている。そちらの方がずっと怖い。


114-2


第七倉庫の前には、補給服の男と港湾事務の男が二人並んで立っていた。

補給服の方は昨日も見た山科准尉。顔色は悪いが、目はまだ現場の目をしている。

隣の港湾事務官は逆だ。顔色は普通で、目だけが机の方を向いている。


「高倉さん」


山科准尉が言った。

その言い方に、助かった、が少し混ざっている。

現場の人間は、誰かが自分と同じものを嫌な顔で見た時だけ少し楽になる。


「今朝から岸壁優先が切り替わりました。燃料線、救難物資線、仮設医療物資線。全部“災害対策優先”です」

「西都の空、今にも落ちてきそうか?」


高倉が言うと、山科准尉は笑いそうになって、笑えなかった。


「いえ」

「なら災害じゃねえ。災害の顔だ」


港湾事務官がそこで口を挟んだ。


「形式上は正規命令です。西都近衛第一師団の先遣、港湾管理課、防災対策局の連署。問題はありません」


問題はありません。

その言い方をする時点で問題しか無い。

高倉は相手を見ず、倉庫前に積まれたパレットを見た。


木箱が三列。

鉄枠コンテナが二列。

燃料ドラムが別棟へ回され、代わりに白い医療物資コンテナが前へ出ている。

白い。

海風を浴びていない白さだ。


「問題が無いなら、何であんたは俺の顔見て喋らねえんだ」


高倉が言うと、港湾事務官の喉が動いた。

答えない。答えないのではない。答えると、この場が現場になる。現場になると、自分の責任が生まれる。

山科准尉が低く言った。


「岸壁の使用順が、今朝の四時で差し替えです。第五と第七が災害優先、第二区画の貨車入替も同時に。海軍側は異議を出しかけましたが……」

「止まった」

「はい」

「誰が止めた」


今度は山科准尉も即答しない。

港湾事務官の方を一瞬だけ見る。

その視線の一往復で、もう十分だった。

海軍が譲ったのではない。

譲らされた。

あるいは、譲った方がまだ生き残れると判断した。


高倉はそこで、やっと港湾事務官の顔を正面から見た。

若いのに、目の下に疲れが無い。現場の疲れではない。説明責任の疲れだ。

朝から、何度も同じ書式を見せ、同じ説明を繰り返し、そのたびに“自分は決めていない顔”を保ってきた顔である。


「聞くぞ」


高倉が言った。


「港は、今朝から誰を一番通したい」


事務官は、そこで初めて答えた。


「港は通したいのではありません。止めたくないのです」


高倉は一瞬だけ黙り、それから鼻で笑った。

悪くない答えだった。

現場の人間ではないが、現場がどう死ぬかは分かっている答えだ。


「止めると誰が怒る」

「それが分からないから、皆止められないのです」


それが本音だった。

北都主力に通じた部隊がどこまで港へ噛んでいるか、誰にも分からない。

海軍の中にいるかもしれない。近衛第一師団の先遣の中かもしれない。港湾管理課の上かもしれない。

正しい命令に逆らったつもりで、本当に正しい上官を敵に回すかもしれない。


だから、皆が一歩ずつ後ろへ下がる。

命令が強いから止まるのではない。

命令の裏にいる人間が分からないから止まる。

それが一番嫌な支配だった。


114-3


第七倉庫の中は、以前よりさらに整っていた。


整っている、というのは片付いているという意味ではない。

“今ここにあるべきもの”が、綺麗すぎる位置へ並んでいる。綺麗な位置は、そこへ置く理由が先にある位置だ。


高倉は倉庫へ入ってすぐ、床の木屑の少なさに気付いた。

箱を開けたなら、もっと荒れていていい。

清掃が入った。現場の掃除ではない。証拠を消すためではなく、今日も運用を続けるための掃除だ。


「ほらな」


高倉がしゃがみ込む。

箱の底の滑り跡。

台車のタイヤ痕。

釘の打ち直し。

全部が綺麗すぎる。


「以前の空箱は?」


山科准尉が指した。

列の右端。

だが高倉はその箱を見ず、手前の白コンテナへ向かった。


「今朝動いたのはこっちだ」


封印札。

印影。

朱の輪郭が妙に濃い。押した後に紙をずらした印だ。責任が二重に見える時の顔である。

しかも札の端が微妙に浮いている。貼り替え後に急いで押さえ直したが、倉の冷えが追いついていない。

主観では、紙の白さがやけに冷たく見えた。

白は白だ。

だがここまで白いと、もう医療物資ではなく、医療物資という理由そのものに見える。


白いコンテナが六基。

台車が四。

そのうち三基には搬出札。

行き先は地名ではなく、符号。

E-3。

その下に、別の小さな札で T-2。

高倉は舌の裏で何かを噛み、声を落とした。


「……東だな」


山科准尉が息を呑む。


「分かりますか」

「分かるように置いてる。分かられなきゃ困る程度には、正しい顔してるからな」


高倉はコンテナの横へ回った。

そこに細い赤線が引いてある。

安全確認済の線ではない。積載重量の区分線でもない。

荷役担当が「ここまでは災害対策優先」と現場で覚えるための線だ。

つまり、港湾管理課の命令はもう紙だけではない。

現場の床へ落ちている。

そこまで落ちると、人は逆らいにくい。床に描かれた順番は、命令より先に足を動かすからだ。


「高倉さん」


山科准尉が低く呼んだ。

倉の外、クレーンの動作音が変わっていた。

遅い。

だが迷いが無い。

第五岸壁で優先荷の吊り上げが始まっている。

まだ出港していない。なのに、出ていく理由だけがもう完成している。

港湾事務官が、初めて倉の中へ一歩だけ入ってきた。


「この荷は、今日の十時までに東行きの貨物線へ乗ります」


高倉は振り返らなかった。


「聞いてねえが」

「ですが、言うべきだと判断しました」

「なぜ」


少し間があった。


「ここで止めると、別の岸壁から出ます。止めなければ、この岸壁の責任で済みます」


高倉はそこで、ようやく相手の言いたいことを理解した。

これは忠告ではない。

悲鳴だ。

止めた時に怒るのが誰か分からない。

だが止めなければ、自分の部署の責任としてだけ整理できる。

現場がそういう計算を始めた時点で、もう港は落ちている。


114-4


高倉は倉の外へ出た。


第五岸壁の方で、クレーンが一本、ゆっくり荷を吊っている。

派手ではない。

だが、その遅さが嫌だった。急いでいない者の遅さだ。

急がなくても間に合う側の遅さである。

道路の向こうには、近衛第一師団の先遣が立っている。


本体は見えない。

見える必要が無い。

港湾、燃料線、貨車、岸壁、その喉元だけへ二千五百、一千五百、一千。

それで十分だ。

十分であることを、高倉みたいな現場の人間ほどよく知っている。


「高倉さん」


山科准尉が追ってくる。

声は低い。

大声を出すと、すぐ書式になると分かっている声だ。


「どうします」


高倉はすぐには答えなかった。

正解が分からないからではない。正解が一つじゃないからだ。

港をここで止める。

それは一見、正しい。

だが、ここで派手に止めれば、他の岸壁と他の貨車線が一斉に動く。

港全体は止まらない。港全体を止めた顔だけがこちらへ残る。


「残す」


高倉は短く言った。


「岸壁番号。優先変更時刻。白コンテナ六。搬出札三。E-3とT-2。宛名は書くな。札と線だけ残せ」


山科准尉が頷き、手帳を出す。

その手帳は汚れている。現場の手帳だ。だから残る。

港湾事務官が、そこで初めて小さく問うた。


「止めないのですか」


高倉はそちらを見た。

まっすぐではなく、肩の辺りを見る。目を合わせると、ここは対話になる。対話になると、互いに後戻りできなくなる。


「港はまだ敵じゃねえ」


高倉が言った。


「でも港の順番は、もう他人の手にある。ここで暴れりゃ、港まで向こうのもんになる」


事務官は何も返さない。

返せないのではない。返すと、自分がどちら側で喋っているのかが固定される。

高倉は内ポケットから汚い控え紙を出し、鉛筆を走らせた。


岸壁五。

優先切替四時零八分。

白コンテナ六。

E-3。

T-2。

海軍一歩後退。

近衛先遣配置、燃料線・岸壁・貨車。


字は汚い。

汚いから、後で綺麗にされにくい。

端末を取り出す。

相手は一人でいい。

こういう時、報告相手は多いほど死ぬ。


「羽場桐中尉へ」


繋がるまでの短い無音の間、第五岸壁で荷が一つ動いた。

白い。

正しい顔のまま、東へ向かう荷だ。


『羽場桐です』

「高倉だ。西都湾岸。封鎖じゃねえ。港湾優先の塗り替えだ。第一師団の見える配置は、岸壁、燃料線、貨車。海軍は残ってるが一歩下がってる。白コンテナ六、搬出札三。E-3、T-2。十時までに東行き貨物線」


向こうで一拍。

羽場桐はそこで計算している。


『了解しました。港はまだ生きていますか』


高倉は第五岸壁を見る。

クレーン。

白旗。

動く荷。

動いている現場。

だが、止める勇気をもう失い始めている現場。


「生きてる。だが喉が他人のもんだ」

『十分です』


通話が切れる。

高倉は端末を下ろし、潮の匂いを一度だけ深く吸った。

海は変わらない。

変わったのは海へ出ていく順番の方だ。


港はまだ落ちていない。

だが港を封鎖する必要は、もう相手には無い。

港を動かす喉だけ、一つずつ他人の手へ渡せばそれで済む。

それが一番、始末が悪かった。


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