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幻想帝都 神州御親領衛記  作者: ニュートリノ鈴木
三章 東都が夜に落ちる日
117/193

百十五話 北都遅延表


百十五話


115-1 北都遅延表



北都の朝は、白いというより、白で言い訳を塗る。


線路脇の積雪。

転轍機の腹に噛んだ氷。

信号柱の根元に凍りついた泥。

貨車の屋根に残る夜霜。


それら全部が、「遅れても仕方がない」と先に言っている。北ではそれが一番厄介だ。止められた列車も、差し替えられた運行も、旅客優先も雪害対応も、全部“自然な遅れ”の顔をしてしまう。自然な顔をした遅れほど、意思より強い。

東雲丈雲は、その白さをそういうものとして見ていた。


北都第三鉄道結節。

旅客線二本、貨物本線三本、待避と入替の短線が枝みたいに何本も差し込まれている。人の町ではない。物流が一晩だけ腰を下ろし、また次へ流れるための場所だ。だからここは、戦場にならないまま国家になる。


吐いた息が白い。

息が視界を曇らせる前に、東雲は構内全体を見た。

照明は最低限。

除雪は途中。

なのに、貨車の並びだけが整いすぎている。

整っているのではない。

整えられている。


「……嫌な並びだな」


独り言に、返事は風だけだった。

単独で来たのは、速さの問題でも、気軽さの問題でもない。


宗一を南都へ、高倉を西都へ、真名を東都周縁へ切った以上、北都へ一人で来るしかなかった。各地の異常が同時に起きている朝に、助けを連れて歩く時間は、それ自体が敵の味方になる。何より、ここは派手に止血する場所ではない。紙の温度と兵の顔色を見誤らずに帰る方が、今朝の値段は高い。


駅務棟の前に、若い大尉が立っていた。

頬が赤い。寒さの赤ではない。説明を繰り返している人間の赤だ。


「東方貨物統制所北都支部、笹森大尉です」


東方。

北都の朝にその単語が口の先に来る時点で、もう値段が付いている。

東雲は通行票を見せた。


「近衛御親領衛六席、東雲丈雲。照合だ。差し替え前後の運行表、出発保留の根拠、旅客優先の適用範囲。全部見る」


笹森大尉の喉が鳴った。

その音で十分だった。ある。しかも、綺麗な形である。


115-2


駅務棟の中は暖かい。


暖かいのに、紙だけは冷えていた。

机が二つ。

壁に掲示運行表。

その下に内部運行表。

棚の奥に差し替え前の控え。


普通ならそこまで露骨に三層で置かない。今日は置かざるを得なかったのだろう。見せる顔、回す顔、隠しておきたい顔。その三つを同時に抱えた朝だ。

笹森大尉が掲示用の運行表を指す。


「旅客優先と雪害対応で、本日午前の貨物運用は再編です。第三線と第四線の入替は一時停止。南行き貨物は旅客列車通過後に——」

「差し替え前」


東雲が切った。

笹森は一拍止まり、棚から昨日の紙を出した。

昨日の紙がもう古い顔になる。そういう朝である。


東雲は二枚を並べて見た。

旅客列車の本数は変わっていない。

貨物本線の使用時間だけが削られている。

削られた分を埋めるように、南側待避線と仮留置線の欄が増えている。


止めたのではない。

本線から外して、“まだ動いている顔”へ変えたのだ。

主観では、机の上の紙が少しだけ歪んで見えた。

印刷のズレではない。遅れを事故に見せるために、列車の生死を紙の上で一度だけ薄めている時の歪みだ。


変更されたのは貨車二十六両分。

うち、東都方面へ回せたはずの補給車両が九両。

人員輸送へ転用可能だった空車が六両。

工兵移送に使える平板車が四両。

旅客優先の札一枚で、都市一つ分の反応が半日死ぬ。


「雪害は嘘じゃない。旅客優先も嘘じゃない。だからこそ一番嫌だ。正しい遅れは、誰も切れない」


笹森大尉が苦い顔をする。

反論ではない。分かっている顔だ。

東雲はそこで、運行表ではなく笹森の肩越しに窓の外を見た。


旅客ホーム側に立つ警備兵。

貨物側で雪をかく工兵。

南側待避線の外周を見張る輸送警備。


同じ軍服なのに、目の置き場が揃っていない。

一部は落ち着きすぎている。

自分の役目だけを粛々と果たしている顔だ。

一部は、本気で何が起きているのか分からないまま、正しい命令へ縋っている。

残りは、そのどちらのふりをすべきか決め切れていない。


「割れているな」


東雲が言う。

笹森大尉は何も返さない。

返せないのではない。返した瞬間に、どちら側で喋っているか固定される。


「知っている側と、知らない側だ。しかも、知らない側は自分の正しさで自分を縛っている。だから厄介だ」


笹森の喉が、また小さく鳴った。


115-3


外へ出ると、旅客線へ列車が一本入ってきた。

定刻。

雪の北都で定刻というだけで、不自然だった。

本当に全部が雪害対応なら、どこか一つくらいもっと乱れていていい。全部が綺麗な時は、誰かが綺麗にしたのである。


東雲は南側待避線へ歩いた。

雪は深くない。

だが踏み跡が少ない。見に来るべき人間まで減っている証拠だ。


九両の貨車が止まっている。

その外周に、一個小隊規模の兵が立つ。

三十前後。

少ない。だが少ないからこそ顔が見える。

半分は、真面目すぎる顔をしていた。

旅客優先と雪害対応を、そのまま信じている。

残り半分は、周囲を見すぎている。誰がどこで聞いているか、その手の目だ。


同じ小隊の中で既に温度が割れている。


「最悪だな」


東雲は小さく言った。

笑わずに言うと、余計に冷える。

信号柱の下に、臨時札が吊られている。


——確認待ち。


それだけだった。

誰の確認かは書いていない。

書いていないから、全員が自分より上を勝手に想定する。

上を想定するほど、人は動けなくなる。そこへ撃たれる必要は無い。確認待ちの札一枚で十分だ。

主観では、雪の白さが急に深くなった。

景色が綺麗になったのではない。待つ理由だけが、地面より厚く積もった。


停止しているのは貨車九両と待機兵三十。

数字だけ見れば小さい。

だが、その小ささが嫌だった。これで止まる。これだけで十分止まる。

誰も発砲していない。誰も敵と対面していない。

それでも東都へ行けるはずの反応速度が半日死ぬ。


待避線の兵の中から、一人の中尉がこちらへ来た。

敬礼は正しい。

だが歩幅が迷っている。途中で止まるべきか、最後まで来るべきかを決め切れない歩き方だ。


「第七独立輸送警備中隊、三上中尉です」


独立。

その呼称が嫌だった。独立している部隊は便利だ。便利だから、どちらの紙にも乗せやすい。


「東雲大尉」


三上中尉は声を落とした。


「確認です。この待機命令は、本当に帝都側でも共有されていますか」


東雲はすぐには答えなかった。

“本当に”という一語が重い。

この男は、既に自分の上を信じ切れていない。


「共有されている紙はある」


やがて東雲は言った。


「だが、その紙が“お前を待たせるためだけの紙じゃない”とは、まだ言えない」


三上中尉の顔が凍る。

凍るが、怒らない。怒れるならまだ楽だ。怒りは向きを持つ。いまこの場にあるのは、向きを持たない不安である。


「……了解しました」


了解。

何も了解していない時の返事だった。

東雲はその返事へ頷きもせず、待避線から視線を切った。

いまここでこの兵たちを責めても値段は下がらない。

悪いのは彼らの怯えではない。

怯えを正しさとして使える紙の方だ。


115-4


駅務棟へ戻る途中、東雲は一度だけ立ち止まった。


構内の全景が見える位置。

旅客列車は定刻。

貨車は待避。

警備兵は確認待ち。

司令線は照合中。


全部が正しい。

正しいからこそ、これ以上ないほど悪質だった。

端末を取り出し、羽場桐妙子中尉へ繋ぐ。

すぐに出る。

本部も、もう待つ段ではない。


『羽場桐です』

「東雲です。北都第三鉄道結節」


短く、必要なことだけを言う。


「北都方面の即応線、旅客優先と雪害対応で正しく遅れています。知っている側と知らない側が同じ制服の中で割れています。確認待ちの札一枚で、待避線が死んでいる」


向こうで一拍。

羽場桐の計算の沈黙だ。


『……北は“不在”ではない、という理解でよろしいですね』

「ええ」


東雲は白い息を吐いた。


「不在ではない。動かないことで一番よく動いている」

『承知しました。帝都側の救援編成も、照合で鈍っています』

「でしょうね」

『東都へ回せる正規の大部隊は、今のままでは間に合いません』


東雲は空を見上げた。

どこまでも白い。

その白の下に、四万八千の主力がいる。

いるのに、その全部を今すぐ兵力として数えてはいけない。数えた瞬間、現実と喧嘩する。


『東雲大尉』

「何でしょう」

『御親領衛を先遣で押し込む可能性が上がりました』


東雲は驚かなかった。

驚ける段ではない。


「妥当です」

『妥当、ですか』

「ええ」


東雲は言った。


「正規軍はいる。ですがいまは、“味方を味方と証明する時間”が無い。その時間が無い時、小さい部隊ほど先に押し出される」


通話が切れる。

東雲は端末を下ろし、構内をもう一度だけ見た。

待避線の兵たちはまだ立っている。

動ける。武器もある。命令もある。

それでも動かない。

北は、動かないことで一番よく動く。


その言葉を胸の中で反芻しながら、東雲は踵を返した。

雪はまだ降っていない。

それでも、もう十分に視界は悪かった。


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