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幻想帝都 神州御親領衛記  作者: ニュートリノ鈴木
三章 東都が夜に落ちる日
115/193

百十三話 総合防災演習


百十三話


113-1 総合防災演習



その日の御親領衛本部の朝は、空が低かった。


曇っているわけではない。窓の外に雲が垂れているわけでもない。

ただ、机の上に置かれた封の厚みが、そのまま天井の高さを奪う朝がある。目に見える騒ぎは無い。怒鳴り声も足音も、平時よりむしろ少ない。静かなのに、もう誰かが外で動いている。動いた後の責任だけが、遅れてここへ運び込まれる。そういう朝だ。


羽場桐妙子は、執務室へ入る前から今日がその朝だと分かっていた。

扉を開けた瞬間、机の中央に封が五通。

並べ方が良すぎる。偶然の揃いではない。わざわざ「同じものが届いた顔」を作る時の揃い方だ。

羽場桐は椅子へ座らず、そのまま机の縁へ立った。


一通目を見ず、まず全体を見る。

封の厚みが揃っていない。

正面から見れば同じ命令文の束に見えるのに、側面の膨らみだけが違う。中に入っている添付の種類が違う。

同じ表題で、各地へ別の理由を配っている。


指先で一通目の端を軽く弾く。

紙質。糊の湿り。封緘札の貼り位置。

全部が今日の紙だ。保管庫の冷えを吸っていない。外で切って、そのままここへ運ばれた紙の顔をしている。

表題は同じだった。


総合防災演習。


その四文字を見た瞬間、羽場桐の喉がわずかに乾いた。

小さい名目は、まだ事故に見える。大きい名目は、事故を国家の仕事へ変える。

総合。そこへ至った時点で、もう一部署の都合ではない。


一通目。帝都近衛第二師団。

二通目。西都近衛第一師団。

三通目。北都方面軍輸送統制。

四通目。南都補給調整。

五通目。近衛御親領衛。


宛名は違う。

だが管理番号の頭が同じだ。副署も同じ。回覧欄の段数まで同じ。

同じ幹に、別の枝だけを生やしている。

羽場桐は五通目だけを手前へ引き、封を切った。

本文は短い。短いが、そこが嫌だった。長文の命令は読む間がある。短い命令は、読む前提で動いていない。読まれる前に盤面が動く。


「帝都圏防災演習に伴う緊急協力」

「交通・通信・避難・物資搬送の一時再編」

「対抗勢力による妨害を想定した実地運用」


対抗勢力。

羽場桐の目が、その一語で止まった。

誰を敵と見ているかを、命令文の方が先に決めている。

そして、その“敵”の定義が、各地で違う時、軍は互いを信じられなくなる。

部屋の空気が一段だけ重くなった。

机も壁も何も変わらない。なのに、紙の厚みだけで執務室の容積が半分になったように感じる。

これが一枚の命令ではなく、複数の弱さを束ねた紙だと身体が先に理解した時の圧だ。


目の前にあるのは五通の封に過ぎない。

だが、ここへ届いた時点で、もう全国のどこかでは兵が立ち、どこかでは荷が止まり、どこかでは待機が命令へ変わっている。


机上の紙はいつも遅い。遅いのに、遅れて届いた時にはもう十分に重い。

羽場桐は五通目を閉じ、一通目を開いた。

帝都近衛第二師団。

本文は同じ骨格をしている。だが、添付の重点が違う。


官庁街の通行統制。

中央通信局保全。

災害時を想定した庁舎封鎖訓練。

対抗勢力による官庁妨害に備えた予備配置。


帝都は、政治の顔を守るための命令になっている。 


次に西都。

港湾優先。

燃料保全。

岸壁使用順位の再編。

積荷の選別。


西都は、物流の喉を握るための命令になっている。

北都。


雪害対応。

旅客優先。

鉄道遅延の受忍。

貨車再編。


北都は、動かないことを正当化する命令だ。

南都。


補給安定。

査察延期。

沿岸救難物資の優先。

民間輸送契約の臨時更新。


南都は、生活の顔をしている。

だから余計に強い。

羽場桐は封を机へ戻し、静かに言った。


「……敵の定義が違う」


誰に向けた言葉でもない。

だが、それだけで十分だった。


113-2


呼鈴を鳴らす前に、羽場桐は窓の外を見た。


本部中庭を、警備の兵が横切っていく。

走っていない。走る必要がない者の歩き方だ。

朝の点呼にしては人数が多い。平時の入れ替えにしては持ち物が重い。

それでも、ぱっと見は異常ではない。

異常なのは数ではなく、置き方だ。


帝都近衛第二師団。

名目上の定数は約二万。

その二万が、いきなり全員街へ出ることはない。出た瞬間に、誰の目にも軍事行動になるからだ。


だが、その二万のうち、官庁街二千、通信・交通拠点千五百、工兵八百、災害予備千。

これだけを“正しく”置けば、都市は十分に縛れる。

兵数ではなく、理由の配置。

敵はそこを分かっている。

扉が叩かれた。


「どうぞ」


入ってきたのは護国宗一少尉だった。

軍帽を持ったまま、机上の封を見て、そこで足を止める。

いつもの彼なら、まず羽場桐の顔を見る。今日は違う。顔を見る前に、紙の方が先に値段を持っている。


「……大きいですね」

「ええ。大きいです」


羽場桐は一通だけを机の縁へ滑らせた。

宗一は受け取らず、視線だけで読む。


「総合防災演習」

「名目はそうです」


宗一の目が、副署と宛名欄の間で止まる。

そこへ気付くのが早い。だから彼を外周へ出す。


「文面が少し違う」

「帝都、西都、北都、南都で、敵の定義と優先事項が違います」


宗一が短く息を吐いた。


「味方同士を疑わせる」

「はい」


そこへ、東雲丈雲が入ってきた。

続いて高倉源三。

支倉真名。

部屋に増える足音の質が違う。宗一は現場の足。東雲は間を置く足。高倉は生活の足。真名は舞台に上がる前のように静かな足だ。

羽場桐は四人が揃ったところで言った。


「状況を整理します。同一名目の下で、各方面へ別々の優先順位が配られました。帝都は政治。西都は港。北都は遅延。南都は補給。これだけならまだ地方ごとの事情です。問題は、各命令文で“妨害勢力”の書き方が微妙に違うことです」


真名が小さく問う。


「誰を敵と思わせたいか、違うってことですか」


「ええ。帝都では官庁妨害。西都では物流阻害。北都では旅客軽視。南都では補給撹乱。同じ軍服でも、見ている敵の顔が違えば、合流した時にまず照合が始まります」


高倉が鼻で息を吐いた。


「敵より先に味方を見張らせるわけか。趣味が悪い」


東雲が静かに続ける。


「趣味ではない。効率だ」


その一言で、部屋の温度が少しだけ下がる。

効率。

そう言ってしまえる時点で、もう戦場は紙の方にある。

羽場桐は頷いた。


「各地はこれから、敵を探す前に味方の正当性の確認を始めます。それ自体は正しい。だから止まりません」


宗一が問う。


「こちらは」

「全部は追いません」


即答だった。

全部追えば、向こうの速度になる。

ここから必要なのは網ではない。切断だ。


113-3


羽場桐は机上の紙を並べ替えた。


西都——高倉。

港、岸壁、燃料、封印。

数字より先に違和感を嗅げる者が要る。


北都——東雲。

鉄道結節、遅延表、差し替え前後。

追わずに値段だけを持ち帰れる者が要る。


帝都外縁——宗一。

合同指揮所、通信照合、検問線。

止血の順番を知る者が要る。


東都周縁——真名。

群衆誘導、避難導線。

正しすぎる流れを嗅ぎ分け、壊さずに曲げられる者が要る。


「綾瀬さんは待機」


羽場桐が言う。


「規格が混ざった段で切ります。いま出すと、向こうがこちらの札を一枚早く見る」


真名が頷き、宗一は何も言わない。

東雲は初めから異論を持たない顔だ。

高倉だけが小さく肩を竦める。


「紺野少尉は」


宗一が訊いた。

羽場桐は視線を上げない。


「本部近傍待機。詰まった時だけ切ります」


高倉がそれに口を挟まないのが、いちばん嫌な現実だった。

皆、その方が正しいと分かっている。

最初から紺野を出せば、相手に“そこまで見ている”と教えるだけになる。


「珠洲原主任は」


東雲が問う。


「後段です。いまはまだ虫を切る値段ではありません」


羽場桐は答えた。


「あの術を観測で使うには、こちらも相手も“観測が始まった”と認識する必要がある。まだそこまで行っていません」


高倉が低く言う。


「ってことは、もう半歩で行くんだろ」


羽場桐はそれに答えない。

答えないことが答えだからだ。

代わりに、各人へ紙片を渡す。


番号だけ。

宛名は無い。

宛名を書いた瞬間、こちらが相手の書式へ乗る。


「残してください」


羽場桐が言う。


「番号、時刻、順番。理由は不要です。理由は後で

向こうが整えます」


宗一が短く頷く。


「了解」


東雲は紙片を受け取り、すぐ懐へ入れた。

高倉は二度見た。数字の意味より、紙の質感の方を見ている。

真名は一瞬だけ天井を見た。視線の流れを先に整える時の癖だ。


四人が出ていく。

扉が閉まる。

静けさが戻る。

だが、さっきまでの静けさではない。紙が切られた後の静けさだ。


113-4


羽場桐は最後に残った封へ手を伸ばした。


東都向け。

他より厚い。

厚いということは、説明ではなく、説明の後処理が多いということだ。

攻める前より、攻めた後にどう説明するかの方が分厚い。そこまで来ている。

封を開く。


避難訓練。

交通規制。

首都機能保全。

臨時治安維持。

官庁間連携強化。

緊急医療搬送路確保。


どれも正しい。

この紙一束だけで、東都はまだ何も起きていない顔のまま、もうかなりの割合を殺せる。

扉がもう一度叩かれた。


今度は伝令だった。

若い兵が、硬い顔で一礼する。


「西都湾岸、同番号別命令の追加回付です」


置かれた封を見て、羽場桐はわずかに目を細めた。

やはり来る。

本命が一つではない時、追加はいつも早い。


管理番号は同じ。

副署も同じ。

違うのは、本文の最後にある一行だけだった。


——妨害勢力による港湾機能攪乱に留意せよ。

西都の敵は、港を乱す者。

帝都の敵は、官庁を乱す者。

北都の敵は、旅客を遅らせる者。

南都の敵は、補給を乱す者。


同じ国の中で、敵の顔が四つある。

主観では、机の上の封が少しだけ増えたように見えた。

実際には一通しか増えていない。

だが一通増えただけで、外で疑うべき相手が一つ増える。

それがこの紙の嫌らしさだった。


ただの追加回付だ。

しかし同じ番号で敵の定義だけが増える時、現場は敵を探す前に味方同士で照合を始める。

照合は正しい。

正しいから、遅れる。

遅れるから、落ちる。

羽場桐は新しい封を、机の右端へ滑らせた。

そこは“残し切る”位置だ。

読むためではない。後から誰かが「そんな紙は無かった」と言った時、その嘘に値段を付けるための位置。


窓の外で、朝の光が少しだけ強くなった。

それと同時に、中庭を横切る兵の数も増える。

見える兵だけでも十分多い。だが、いま怖いのはその数ではない。


兵たちが、誰を敵だと思って立っているか。

それが、部隊ごとにもう違っている。


「……本命は、もう動いていますね」


羽場桐はそう言って、端末を取った。

次に入れる相手は紺野か、宗一か、それともまだ待機の綾瀬か。

迷う時間は無い。

だから迷わない。

最初に切ったのは、東都周縁へ向かった真名だった。


「支倉十席」


通話が繋がる。


「派手な異常は囮です。本命は、誰も戦争と呼ばない場所にあります。見つけても、解決しないでください。

順番だけ残してください」

「了解です」


通話は短く切れる。

机の上には、まだ封がある。

それでも、もう机の上だけの段ではない。


総合防災演習。

その名目は、いまこの瞬間から、各地で別々の顔をして人を縛り始めていた。


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