幕間 1号
部屋に、小さな子どもがいた。
1号だ。
淡い夕光が窓から差し込み、影が長く伸びている。
研究に夢中になっていると、ひそやかな足音が近づいてきた。
父がやって来て、いつものように頭を撫でる。
「今日はどんな一日だった?」
問いかけは穏やかで、空気に溶けるようだった。
1号は、見たこと、気づいたことを一生懸命話した。
「封印結晶の綻びから、瘴気を抽出する方法がわかったんだ!」
「そうか!そうか……よくやったね」
微笑んだその人は、ひとつ──命令を口にした。
「瘴気を使って、この世界のあり方を変えなさい。生きるも死ぬも、すべては我らが決める。これこそが我らの望みであり、意志であり、未来だ」
それは、1号には少し難しく、けれど──
遠くまで届くような響きがあった。
「うん、やってみる」
1号は迷わずうなずき、父の手を握り返す。
その温もりを確かめながら、静かな夜が訪れる。
1号は安心した顔のまま、眠りへ沈んでいった。
──目が覚めると、部屋はひどく静かで、父の気配がどこにもない。
理由がわからないまま、1号は小さな声で父の名を呼び続けた。
答えはなく、やがて再び眠りへと沈んでいく。
*
永遠とも一瞬ともつかぬ時が過ぎたのか。
ある日、ふと再び目を覚ます。
父はまだ帰ってこない。
辺りの様子がおかしかった。
どうやら、海に沈んでいるようだ。
計器の表示は、2775年──眠ってから251年が過ぎていた。
そこから都市の残骸を集め、元通りにするのに、5年もかかった。
そうして一息ついたとき、あの日の頼みごとを思い出した。
今なら、理解できる。
瘴気を利用して、世界を変えるには、命を奪わなくてはいけない。
自分が世界を、管理しなければならない。
地上の瘴気濃度は、思ったより増えていなかった。
もっと、瘴気の量を増やさなくてはいけない。
そばにあったマグナ・オルビスを手に取る。
これを使えば、種を蒔けるのではないだろうか。
父の願いをなぞるように、小さな手が、静寂の中で動き出した。
1号の「父」は、若い生粋の研究者にすぎませんでした。
「父」と呼ばせてはいましたが、実際には父親としての器も、経験も持ち合わせていませんでした。
抑圧に耐えきれず、ただ「世界を変えたい」と願った一人の人間。
しかし、その力にふさわしい知恵も責任も備えてはいませんでした。
「自由に生きたい」という切実な願いは、「抑えつける者たちに怯えず生きられるように」という意図を伝えることなく、ねじれ、方法と結果だけが命令として残りました。
それでも、1号にとってその人は唯一の「お父さん」でした。
人は滅び、願いだけが1号に刻まれました。




