あとがき(言葉)
「落窪物語」は京都での公達と姫君の恋のお話です。
京都なのに、どの現代語訳も標準語で書かれています。
田辺聖子・著「落窪物語」でも標準語ですが、登場人物でただ一人京都弁を話しているのが「典薬の助」です。
それで、私も「典薬の助」だけを京都弁にしていました。(めっちゃパクってしまいました。)
書いている時、「やっぱり変。当時の標準語は京都弁だったはず。天皇がいる京都の言葉、天皇が使っていた言葉が標準語だったはず。」と思いました。
それで、登場人物の言葉の全てを京都弁にしました。(田辺聖子・著「おちくぼ姫」からの脱却も出来ました。)
今、最初の頃の言葉を京都弁にしています。順次変えていきます。
さて、京都弁ですが……
京都のお方に伺うと「テレビで、ドラマなんかで京都いうたら、『~どす。』って使うてはるけど、あれは京都でも花街の言葉で、一般の人は使わへんえ。」と仰っていました。
それで、私の書いたこの「一条戻り橋」の京都弁では「~どす。」は一切使っていません。
京都弁は3つあるそうです。
御所言葉…御所や公家で使われていた言葉。
町方言葉…京都の一般の人が使う言葉。
花街言葉…町方言葉の中の一つで、花街で使われている言葉。
私が書いた言葉は、「なんちゃって御所言葉」です。
先ず、平安時代に使われていた言葉はどんなものだったのか分かっていません。
今、分かっている御所言葉は幕末の言葉だそうです。
有吉佐和子・著「和宮様御留」は幕末の御所言葉です。
私は、現存しない平安時代の御所言葉は書けませんので、先ずは「京都弁」しました。
「標準語」の「落窪物語」を「標準語」→「京都弁」にし、その「京都弁」の単語で分かった分だけ「御所言葉」を入れただけです。
「麿」と「おじゃる」は使いませんでした。
理由は有吉佐和子・著「和宮様御留」の公家(男性)の言葉で一切出て来なかったからです。
出て来なかった理由として考えられるのは、「麿」と「おじゃる」が無かったのではないか…ということです。
古い時代の文献では出て来なかったようです。
加えて、どうしても「おじゃる丸」が浮かんでしまったからです。
このような訳ですので、これは「なんちゃって御所言葉」だとご理解ください。
御所言葉の中では、「お成りになる。」という標準語の言葉は「ならしゃる。」になりますが、この「~ならしゃる。」は皇族(宮様以上)に対してだけ使う言葉ですので、私が書いたこの「一条戻り橋」では、一回しか使っていません。
他にも皇族(宮様以上)に対してだけの言葉があります。
それは、身体を表す言葉です。
「お顔」ではなく「おみ顔」、「血」は「おみ汗」、「首」は「おみ首」、そして「お体」は「おみ体」です。「おみ」が付くのですね。
「おいしい」は御所言葉で、皇族や公家が使っていた言葉です。
私の母は子どもが「美味い。」「不味い。」を使うと激怒しました。(子どもの頃の話です。)
理由は「下品な言葉」だからでした。
母は自分の親から同じように育てられたそうです。
「おいしい」のように御所言葉が今も一般人が使う言葉の中にあります。
「おひや」(冷水)、「おむすび」(おにぎり)、おじや(雑炊)、おかず(惣菜)、おから(豆乳を絞った後の残りカス)など、思っていたより多い印象です。
それと、京都と大阪では「おいど」(お尻)も長年住んでいらっしゃる方はお使いだそうです。
私はこれまでにWEB小説を幾つか拝読いたしましたが、残念なことに男性の一人称は「俺」が多いようです。
日本語は一人称で身分を表してもいます。
1.朕……天皇、皇帝が使う。
2.余…国王、領主が使う。(大奥の上様は、余と言っています。)
3.某…武士が使う。
「俺」を国王が使うというのは、日本語としては?です。
皇太子、王太子、王子も「俺」?です。
?なのは……なぜなら、昭和天皇は公的な場所では「朕」を使い、私的な場面では「僕」や「私」使っておられたようです。
イメージ的には「私」は民間人でも公式な場所で使う言葉で、「僕」は社会的地位が高い方が日常で使う言葉のような気がします。(由緒あるお家の方など)
「僕」や「俺」は、民間人が一般的に使う言葉です。
他に「おいら」「おら」「儂」などあり、それに方言(「おいどん」など)が加わります。
実に多様なのです。
この辺が英語などとの違いですね。
日本語は奥深くて、表現も大変多いです。
方言がありますし、敬語もあります。
京都弁、とても素敵な言葉です。
変換は大変でしたが、楽しゅうござりましたえ。
「あとがき」は、次で終わります。
もう少し、お付き合い下されば幸いでございます。




