老い
公廉の元に婿からの使いの者がやって来ました。
娘・大君の良い知らせでした。
「さよであらしゃいますか。」
「はい。」
「おめでとうございます、とお伝えあれ。」
「はい。」
大君はゆっくりと回復に向かっているとのこと、使者を持て成し、文を二通渡しました。
使者は受け取った文を持ち帰りました。
使者が邸を出たのを確認してから、公廉は孝子の部屋に向かいました。
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そのころ、大納言の父・右大臣は「おとしめしてゆくこの身に、衛府司は耐えられへんよになったのや。お若いお方が就くべき役職や。」と言って、右大臣と兼任していた左大将の職を、大納言に譲りました。
大納言の意思が全て通る世の中ですので、誰も何も言いません。
こうして大納言は左大将の職をも兼任し、大納言の地位が華やぐこと限りがありません。
舅である源中納言も、栄えある婿の出世を前にも増して嬉しく喜びました。
大病ではありませんが、源中納言は寝ても覚めても体調を崩すようになってきました。
女君は父のそのような容態を聞きました。
「法華八講をあないにお喜さんであらしゃいました。そやのに……。もちと孝行をしたいと思うていたのに、今暫くは命を長らえて頂かされ。」と神仏に祈りを捧げました。
中納言が今年七十になると聞いた大納言は言いました。
「まだまだおかくれ遊ばすには程遠いお方なれば、おゆるゆると孝養をと考えてお
ります。
けれども、女君の父上はもう七十、いつおかくれ遊ばすやも分からん。
世間の人は祝い事ばかりすると思うやもしれへんけど、七十賀をしよう。
私がしようと決めたことは、やりとおそうやないか。
悪しきことは女君の仕返しで何遍でも、それこそ飽きるほどやった。
けど、お喜びさんは一遍しかしてなかったら、意味が無いのやないか。
おかくれなさった後では、どないなおひしひしなことをしたところで誰が見てお
喜びさんであらしゃいましょう。
こないなことが出来るのも今のうちだけや、やれるだけやろう。」
そう思い立った大納言は、七十賀の祝いの準備を急がせました。
全国各地の国司たちも、言われるがままに従い、なんとかして、どうにかして大納言に取り入りたいと思っていたので、大納言が祝賀の宴に必要なものを一つづつ割り当てたが、あまりに簡単にあつまったので招待客のもてなしの準備まで割り当てた。
衛門尉(惟成)は、冠を得て、三河守になっていました。
「七日だけ夫の任国に下りとうございます」
そう衛門が暇を申し出ますと、女君は衛門の旅支度を揃えました。
旅の道具はもちろん、銀の食器を一揃い、化粧道具、その他にも細々とした物まで揃えて衛門に贈りました。
大納言は三河守にも「女君の父上の七十賀の祝いをするのた。絹を少し贈っておくれ。」と使者をひとっ走りさせました所、三河守はすぐに生絹百疋を大納言に贈りました。
衛門は茜に染めた絹を二十疋(400m)、女君に贈りました。
大納言は七十賀の祝いのために、舞い手の子供を探したり、いろいろの準備を命じました。
調度品には贅を尽くし、金のものばかりを多く揃えました。
大納言の父の右大臣は、「なんでまた、こないにしきりにおひしひしな祝いをするのや?」と聞くこともありましたが、「女君の父上は、もう長うないやろうと思います。おかくれ遊ばしますより前に、存分にお喜びさんであらしゃいますよに、出来る限りしてあげなされや。女君の兄弟のことは、及ばずながら私が力を貸そう。」と言って、力をあわせて取り組んだのです。
右大臣は、大納言のこういうところが気に入っているからこそ、いつも可愛がっていました。
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「孝子! 孝子……。おひるのや……。」と呼ぶ公廉の声に驚き、孝子は目を覚ましました。
「まぁ……吾が君さん、どないなさいましゃいました?」
「大君が……大君が……。」
「大君が……どない……。」
「おこまがきやったが……もう、およしよしやそうや。安堵せよ。孝子。」
「ほんまであらしゃいますか?」
「ほんまや。……ほんまや。」
孝子の目から大粒の涙が次々と流れ落ちました。
泣いている孝子を抱き締めている公廉の目からも大粒の涙が流れ落ちました。
おとしめし…老人。
衛府司…近衛府の長官、宮中の全ての兵を率い、天皇を警護する。
七十賀…七十歳の祝い。
おひしひし…盛大なこと。
冠を得る…五位になること。五位以上の貴族は殿上人と呼ばれる。
三河守…現在の愛知県のあたりを治める国司。
百疋…一疋=約20m、百疋=2km。
二十疋…400m。
おひる…起きること。
おこまがき…病気が悪いこと。
ぉよしよし…平癒。




