対面
公廉が孝子の身体のことを上の息子にだけ話したのには訳があります。
下の息子は遠い赴任先に居ます。
娘は子を産んでから、少し床に就く日が増えたと婿から聞いていました。
娘のことは孝子の耳にも入っています。
話せるのは上の息子だけだったのです。
ただ、このまま良くならなければ、下の息子にも娘にも伝えなければなりません。
⦅このまま伝えずに過ごせたら、ええのになぁ……。
孝子がおひろけに……なってくれたら……。⦆
そう願いながら、娘のことも気掛かりな公廉でした。
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七月の間は宮中の仕事や行事が多くあり、大納言も兵部の大輔も忙しく過ごしていました。
大納言と大輔は暇がない間にも八講の用意が滞らせることなく、八講の日取りを八月二十一日に決めました。
初めは三条邸で八講を執り行おうと大納言と大輔は話し合っていましたが、『あのお母さんが、おさっと、お越し頂けへんやろなぁ……。』と思い、源中納言邸で行うこととし、こちらから出向くことに決めました。
「…………。」
「大輔さん、どないなさいました?」
「大納言さん……私は……。」
「何を思案されてあらしゃいますのやら……。」
「私の顔をご覧しゃりまして、お笑いましゃいましたら……四の君が………。」
「笑われましゃいませぬ。
笑われましゃいましても、お気になされなんだら宜し。
胸をお張りあらしゃいましたら、笑うた者が、はもじやと思うことでござりまし
ょう。」
大納言と大輔は、八講に向けて源中納言邸を修理させました。
砂子を敷かせ、御簾や畳なども新しい物に入れ替えました。
中の君の夫の左少弁や、越前守なども、皆が大納言の家司を兼務していましたので、そのまま八講の行司に任命して用意をさせました。
寝殿の古いものを新しく設え、大納言と大輔が八講中に留まる部屋は北の廂にそれぞれ用意しました。
大納言の子どもや北の方(女君)と四の君と子どもの部屋には、塗籠の西の端に、大納言の部屋と隣り合うように設えました。
八講が明日となって、大納言一行と大輔一行は夜のうちに中納言邸に行きました。
大納言も大輔も女房達を一緒に連れて行きませんでした。
「源中納言さんの御邸は皆で留まったら狭うなってしまうやろ。
そないなことは出来しまへん。
女房らはこの三条邸から通うて聞きなはれ。」
と大納言も大輔も言って、女房たちは三条邸に留めて、車を六、七輌連ねて源中納言邸に行きました。
源中納言の邸に着くと、女君は北の方や姉妹と顔を合わせました。
女君は濃い紅色の綾の袿と、女郎花色の細長を着て、色から始まって、何から何まで立派でした。
女君が落窪に住んで着物にも困っていた頃、裁縫の褒美に北の方がくれたぼろぼろの紅の着物を着ていました。
今の立派な姿は比べようもありません。
主催者としての女君と四の君は、大君、中の君、三の君を相手に、用事の中で時間を割いては昔語りをしていました。
昔「落窪の君」と呼んでいた時も、『ちらともやつれず、きゃもじな方。』と思っていましたが、今は重々しい貫禄があり、大納言の妻としての気品をまとい、装いも格別に美しく見えます。
この女君を前にしては、義理の姉妹が着ている物などこの上なく劣って見えました。
北の方は⦅ああ、どないしよ。……えぇい、もう今更や、どないどなるやろ。⦆と開き直って、女君に話し掛けました。
「幼い頃に私の元へいらしたので、そちらさんのことを我が子のように思うており
ました。
ですが、私は生まれついての癇癪持ちでござります。
思いやりの無い言葉をかけたこともあったのやもしれまへん。
癇癪持ちでござりますので、もしや、そちらさんが私のことでおもなしに思わ
しゃったのやないかと思うと、おいとしいと存じ上げます。」
流石の女君も、これには⦅あら、けもじなこと……。⦆と心の中で笑いました。
「いいえ、滅相もござりません。
私は、おいとしいと思うたことなんぞござりませぬ。
心に思い置くことなぞ、何もござりませぬ。
ただ、私を、せもじしましゃりました北の方さんにご恩をお返ししたいと、それ
ばかりは心に思い置いておりました。」
「嬉しいことを仰せあらしゃいます。
私の子らはお粗末な者ばかりでございますよって、思い通りにすることもままな
りまへん。
そなたさんがこないに立派におなりやして、誰も彼もがお喜びさんですわ。」
この会話を聞いていた四の君は恥ずかしくて顔を上げられませんでした。
⦅お母さん! 物言わしゃるな……。⦆と四の君は思っていました。
夜が明けると、大納言と大輔は朝早くから八講を開始しました。
法会には上達部さえもが多く訪れ、四位五位の殿上人は数え切れないほど詰めかけました。
殿上人達は、「ここ数年の間、老いぼれていた源中納言さんが、どないして、こないな時の人を婿にお迎えであらしゃいましたのやろ? 運がええなぁ……幸せなお方や。」と言っては驚きを口にしています。
大納言はまだ二十歳余りで、姿もとても美しく、堂々とした様子で出ては入り、法会の指揮をしています。
大輔はその大納言を補佐しています。
源中納言はとても顔が立って嬉しくて、老いた心地に涙を流して喜びました。
大納言の弟の宰相中将や、三の君の昔の夫の中納言も、とても美しく着飾って源中納言邸を訪れました。
三の君は中納言を見ると捨てられる前が思い出されて、とても悲しいと思いました。
三の君が中納言をよくよく見ますと、身に着けている物に始まって、とても美しい様子で座っている姿が目に入り、とても心憂く辛い想いでいます。
⦅我が身に幸福があったんやったら、今一緒におひろいなされている宰相中将さんのよに、昔の夫の隣に連れ立ちおひろいしても身分も引けを取らへんことやったやろな…。⦆と思い、自分で自分の身の上が悲しくなり、人知れず泣いて、人知れず歌を詠みました。
「思ひ出づやと 見れば人は つれなくて 心弱きは わが身なりけり」
⦅もしかしたら思い出してくれるんやないかしら、と期待して見つめていても、貴方はつれなくて、昔を思って悲しい想いに暮れているのは私だけやった。⦆
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孝子は公廉に聞きました。
「あの子は……どないかご存知であらしゃいますか。
おひろけでござりますやろか。」
「おひろけ……其方もや。」
「はい。さよでござりますね。」
「あの子のことは案じてないのや。
婿さんが付いてくれてなさる。」
「はい。」
「この邸におるより、ええ薬師、ええ加持祈祷をしてくれはる。
そない思わんか?」
「……さよでござりますね。」
「……次は、なんと書くのや。」
「はい。…………。」
落窪の君の物語は公廉が居なければ書くことが叶わぬようになりました。
おひろけ…病気が治ること。
おさっと…簡単に。
家司…親王家や摂関家の執事のような仕事。
行司…担当、仕事を取り仕切る人。
塗籠…納戸。
細長…女性が法会などで着る、小袿の上に着る細長い着物。
ちらと…ちょっと。
きゃもじな…綺麗な、華奢な、清潔な。
おいとしい…気の毒な。
せもじ…世話。
上達部…三位以上の上位の公家。
おひろい…歩くこと。




