表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
一条戻り橋  作者: yukko
59/95

三条邸

孝子は公廉ともう一度だけ、共に散策したいと思っています。

春、夏、秋、冬……四季を夫と二人で感じたいと願っています。

日が経ち、お腹が大きくなった娘の出産が近づいてきました。

無事に生まれて来て欲しい、無事に産んで欲しい、その願いが今の孝子の一番の願いです。

祈りとも言える願いです。



⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂



衛門督に一報が入りました。


「源中納言家では明日三条の邸へ()()()()()遊ばします。

 北の方さんやお姫さんらのお道具を運びましゃります。

 女房らや供人の物まで運びましゃります。」


衛門督はこの報告を聞いて、衛門督の実家の家司けいしの資格を持つ者が無く、建前の上で実家の者としているである但馬守たじまのかみ下野守しもつけのかみ、政所の別当の衛門佐えもんのすけ、雑色などの面々を召しました。


「三条にある土地で、私が持っている所に、()()()()()しよかと思うてたが、

 どないなことか源中納言がその三条の土地に邸をお建てましゃいましたと聞い

 た。

 いつか事の仔細を私に御話しましゃいますと思うて待っていたんやが、

 何も言わしゃらぬままに『明日、()()()()()』と聞いたんや。

 其方ら、行って『この土地を持つ人に無沙汰のまま御わたましやなんて、

 どないなことであらしゃいますか?』と言うて来ておくれ。

 そなたさんが運び込んでしまった物も、取りかえさせるんやない。

 こちも明日()()()()()する。

 男らは三条邸に雑色所ぞうしきどころを作り、居座れ。」


衛門督が命ずると、皆が承って男達を率いて三条邸へ向かいました。

実際に三条邸を見てみると、造りはとても理想的で、砂子すなご…庭に敷く美しい白砂を敷かせたり、簾をかけさせたりしていました。

そこへ、衛門督の家司が男達を引き連れて堂々とやって来たのです。

源中納言家の者達が「どこの邸の者や?」と問うと、「衛門督の家司と職事しきじや。この邸は、我が大殿が所有する土地であらしゃいます。『何故(なにゆえ)こちに無沙汰のまま御わたましましゃいました。暫くこちに移しましゃいませぬように!』と仰せであらしゃいます。そのお言い付けで参りました。」と入り込んで「ここを雑色所にしよう」と決めて、「ここをああしろ」「あれをこうしろ」と邸の様相を変えさせました。

源中納言家の人々は呆れ戸惑い、邸に駆け戻りました。


「三条の御邸が()()()されましゃりました。

 家司や職事まで引き連れて来て、さらに下衆げすらまで出入りさせましゃり、

 私らを閉め出してしまいました。

 『衛門督さんも明日()()()()()であらしゃいます。』と言うて……

 雑色所、政所などを設けて、内装も変えさせましゃいます。」


これを聞いて中納言は、老いの身ながらに混乱してしまいました。


「なんということをしなさるのや。

 あの邸は、私の手に地券こそあらぬけれども、私の子の家なんやぞ。

 私以外の誰が持てることが出来るというのや。

 あの子が生きているのなら仕方が無いことやけど……

 あの子が生きているはずもなし、一体どないなってるのや。

 そなたさんが衛門督さんでは何も出来へん。

 衛門督の父君の右大臣さんに物申すことにしよ。」


そう思って、出かける仕度も早々に、装束も取り敢えず、急ぎ慌てて右大臣の邸を訪ねました。


「右大臣さんにお伺いたい事がござります故に、参りました。」

「何事であらしゃいますか?」


源中納言は嘆きながら右大臣に訴えました。


「私が持っていた土地が三条にござります。

 その邸を直して明日()()()()()しよと思うて侍従らで物を運ばせておりました。

 そこへ衛門督さんの御邸の家司と名乗る者がやって来ました。

 『我が大殿さんの土地であらしゃいます。どないして無沙汰のまま()()()()()

 しゃるのか。殿さんも明日に()()()()()であらしゃいます。』と言うて三条邸に

 居座り、私の邸の下衆らを通してくれはりませぬ。こないして私らの()()()()()

 を御防ぎましゃいますので、驚いて事の仔細を申し上げに参りました。

 この三条の邸を、衛門督さんがお持ち遊ばすなぞ、出来ようはずがござりませ

 ぬ。

 どないなことであらしゃいましょう。

 地券をお持ちやとでも仰せであらしゃいますか。」

「全く存じ上げぬことでござります。

 兎にも角にも何とも申せぬとしか……。

 仰せのことが誠ならば衛門督が道に外れた行いをしていることでござります。

 何か理由があるのやもしれませぬ。

 詳しい話は当人に聞かな分からへんと思います。

 そのことについては最初から全く存じ上げておりませぬ故、私からは源中納言さ

 んに何とも申し上げられぬことお許しましゃいますように。」


と、そっけなく心にも掛けない様子で返事をしましたので、源中納言も食い下がるわけにもいかず、またひどく嘆きながら帰って行きました。


「右大臣さんに申し上げたが、『私は何も聞いてへんから』と……

 全く耳さえ無いようやったんや。一体どないなってるのや。

 この数年の間、ただ念を入れて造った邸を()()()されて、また世間の物笑いにな

 るのやろうか。」


と言って、嘆く様子は並の言葉では言い表せません。



衛門督が内裏で仕事を終えて右大臣邸に帰ると、さっそく右大臣は引越しの件について尋ねました。


「源中納言さんがお出で遊ばしました。

 中納言さんは、こうこうと仰せましゃったぞ。

 ほんまのことか?」

「はい、源中納言さんの仰せの通りでござります。

 三条の邸は私が()()()()()しよと思うておりました。

 その前に、ちと住みやすいよにしておこうと思うて人を遣ったのでござります。

 すると、『源中納言さんが()()()()()します。』と仰せになりましゃいました。

 ()()()な話やと思うて、事の真実を確かめるために男らを遣わして、事実関係

 を()()とさせねばならぬと思うたのでござります。」

「中納言さんは『私以外に持つこと出来る人がいない邸を、こないに勝手なこと

 しはるなんて非道な行いや。』と仰せ遊ばしましたんや。

 そこはいつから其方の邸になったんや?

 地券はあるんか? 誰から貰い受けたんや?」

「あの二条邸の女君の母君さんの邸です。

 女君の母方の祖父は宮で、その邸でござりました。

 女君に相続されていた邸やと言うのに、現中納言は()()()()()故に、北の方の言

 いなりで、無礼なことばかりであらしゃいます。

 『この邸を()()()なされてなるものか!』と思い、このようにしました。

 地券は確かに持っております。

 地券も持たずに勝手に家を造って、『私以外にこの邸を持つ者はいない』と仰せ

 遊ばすお方が、()()()やと思います。」


こう理路整然と言われては、疑うべくも無い。

右大臣は安心した様子です。


「ほな、其方は一つも落ち度は無いのやな。

 源中納言さんに早うその地券をご覧頂きなさい。」

「はい。()()()()()、さよに致しまする。」


と言って、二条邸に行き、明日の引越しに向けて女君に仕える者たちを集め、出だし車(いだしぐるま)を割り当てました。



中納言は夜一夜を嘆き明かし、また翌朝に太朗君の越前守えちぜんのかみを右大臣の邸に寄越しました。


「父自身が参るのが筋でござりまするが、昨日より()()()()で臥せてござります。

 故に私が参じました。

 昨日父が申し上げた件について、いかが思し召しであらしゃいますか?」

「衛門督に()()()()問うてみたが、確かに衛門督の土地だと申しておいたのや

 し………詳しい話は越前守さんから衛門督にお聞きましゃるしかあるまい。

 私の預かり知ることやないから、何とも申しようが無い。

 そもそも地券が無いのにそなたさんの邸やとを言わしゃることが、()()()なこ

 とであらしゃいます。」


と言って相手にしませんでした。

已む無く越前守は衛門督の邸へ参上しました。

衛門督は直衣だけを着た姿で、御簾のそばに座っていましたので、越前守は畏まってその向かいに座わりました。

女君も御簾の中に座っていたので、久し振りに義兄に会い懐かしく思っています。

衛門と少納言は、かちかちに固まった越前守を見て、「源中納言邸に居た頃は、今すっかり固まっている方を(おと)ろしゅうて……お心に背くまいと肝を冷やしておりましたね。」と笑い合いました。

越前守は衛門督に直談判をしに来たのです。

そのために来たのですから、緊張をしていてはなりません。


「そなたさんのお父君の御邸に伺いましたが、衛門督さんのお話を伺うようにと仰

 せ遊ばしました。

 地券は誠にお持ちであらしゃいますか。

 地券のことを詳しゅう伺うた上で、どちらが三条の土地邸の持ち主か判断するの

 は、どないでございますか。

 それに、ここ数年衛門督さんがお持ちやと言わしゃりますのやったら、ちと早

 うから仰せ遊ばされなんだのは何故(なにゆえ)であらしゃいますか。

 さすれば、私も父も何もお話せずに面倒なことにはなりませなんだ。

 三条の邸を造るのには、二年の歳月を費やしました。

 その二年間には音沙汰もござりませぬ、

 邸が完成して()()()()()する段になってから、こないなことになり、父は嘆いて

 おります。」

「ここ数年、地券は私の手元にありましてござります。

 邸というものは『地券を持っている人以外の物やない。』と聞いておりましたの

 で、地券を持っていれば他の人に()()()されるよなことは無いと心安んじており

 ました。

 そやから、なんで『ここが私の土地邸や。』と名乗ることがあります?

 こないして他人に土地を()()()そうになった今やからこそでござります。

 『地券があるのに土地を()()()されることもある』と知りました。

 さあさあ、地券をお持ちか否か、越前守さんが御覧遊ばしませ。」


そう優雅に答えて、とても色白で可愛らしい三歳くらいの子どもを膝に乗せて、あやしています。

こちらは大事だと思っているのに、衛門督は子どもの相手の片手間に返事をしています。

その様子が越前守は腹立たしく情けないと思いました。

それでも何とか気持ちを静めて、尚も話しました。


「この三条の邸の地券は、失くしてしまいました。

 探させておりますが、まだ出てこないようです。

 もしや、あなたがお持ちやと言う地券は、()()()した者が売った物やもしれませ

 ん。

 我が邸から()()()されて…そうやないと、この三条の邸の主はおりませぬ。」

「地券は()()()された物を()()()()()わけやござりませぬ。

 世間の道理でお考えましゃりますよに……。

 私以外に三条邸の主はおらぬと思います。

 ここまで言うからには相応の理由が有るとご納得して下さりますよう。

 この件からは手をお引きましゃりますことが肝要かと……。

 中納言さんには『おゆるゆると、私自ら地券をご覧に入れましょう。』とお伝え

 あらしゃいますよう。」


そう言って子供を抱き上げて御簾の中に入ってしまいました。

取り残された越前守はどうすることも出来ません。

ただ嘆いて二条邸を去りました。



⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂



「お(たあ)さん、()()()って頂かされ。」

「……もう朝でござりまするか?」

「はい。お(たあ)さん、見て頂かされ。」

「何をでござりますか?」

「ほら、桜が咲きました。」


娘が部屋の戸を開けると、庭の桜が見事に咲いていました。


「ほんまに……()()()()なこと……。」

「はい。」

「桜を見られました。」

「お(たあ)さん?」

「次は……。其方の……。」

「お(たあ)さん? 今、何を言わしゃりました?」

「……………。」

「お(たあ)さん? お(しずま)り遊ばしました?

 お(たあ)さん、早う、()()()()()に……神仏に祈願しておりまする。

 ()()()()()になりましゃいますることお祈りしております。」


臥せったまま庭の桜をほんの少し見て、また眠りに就いた母を娘は案じています。

御わたまし…転居。

家司けいし…上級貴族の屋敷で事務や家政を取り仕切る執事のような役割。

雑色所ぞうしきどころ・・・雑色の詰め所。

砂子すなご…庭に敷く美しい白砂。

職事しきじ…貴族の屋敷の職員。

ともじ…盗むこと。

けもじ…奇妙な。

おとしめし…老人。

下衆げす…下男。

すきと…すっきり。

宮…皇族。

出だし車(いだしぐるま)…女性の着物の裾や裳を車から出して、華やぎを見せる車。

おちかぢか…近いうちに。

太朗君…長男。

越前守えちぜんのかみ…今の福井の辺りを治める受領。

おふでき…気分が悪いこと。

すなわち…直ぐに。

けもじ…奇妙な。

こしらえる…買う。

おひなる…起きる。

きゃもじな…華奢な、綺麗な、清潔な。

およしよし…平癒。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ