空腹
「お腹空いた・・・」
終礼が終われば胡蝶の仕事は全て終了だ。だから俺は自分の部屋へ引き上げたのだが・・・すっかり忘れていた。
「今日から飯どうしよ・・・」
いつもは家へ帰る途中の飲食街で食事を取っていた。出勤時には朝食、そして退勤時には夕食を街の食堂で食べるのが俺の日課だ。だが昨日から俺は胡蝶で暮らし始めた。つまり今後は「ついで」で食事を取る事が出来ない。
「飯の為だけに外出するのは面倒だな。」
今後は食料を買い込んで部屋にでもおいておこうか。ある程度保存食をまとめ買いしておけばよさそうだ。ただこの部屋においておいたらうちの嬢達に全部食われる気がしなくもない。
「まあどのみち今日は外に出るしかないな。飲食街までいくか。」
さすがに昨日の今日ここに引っ越して来たばかりだし買い置きはない。このまま寝てしまうのも一つの手だが、空腹過ぎて寝れなさそうだ。それに今日はトラブルも多く、何発も殴られた。酷い厄日だったからせめて飯くらいは美味しい物が食べたい。そんな気分だ。
「ただ勝手に出歩いたら怒られるよな・・・アマネ達に頼むか。」
きっとまだ誰かしらは胡蝶に残っているだろう。嬢の誰かに護衛を頼めば大丈夫だ。
「アマネー!コハルー!ヨギリー!」
とりあえず1階の待合室に向かいつつ、3人の名前を叫ぶ。だが返事はない。
「サクヤー!サクヤー!」
それならサクヤだ。
「サクヤも駄目か・・・誰かいないかー!」
俺は胡蝶に響き渡るように大声で叫ぶが、やはり返事はない。
「あ、待合室にも誰もいないじゃん。」
1階まで下りてきたが、人の気配は一切無い。どうやら俺の叫びは無駄な努力だったようだ。嬢達は既に全員帰ったらしい。
しかし誰もいない胡蝶はどこか物寂しい。いつもアマネ達がいるから気付かなかったが、うちの娼館はこんなにも広かったんだと改めて実感する。それにアマネ達はどんな時でも明るく楽しく仕事してくれるので、うちの娼館はいつも賑やかだ。
「あのアパートにいた時より寂しいな、これ。」
静寂に包まれた娼館に1人でいるのがこれほど切ないとは思わなかった。
でも本当に誰もいないのだろうか。
俺は一縷の望みにかけてもう一度だけ叫ぶ。
「おーい!ロリババア!!!!!」
反応なし。
うん、これは絶対にいない。ロリババアという単語にアマネが反応しないはずがない。ちなみに待合室でこの言葉を叫ぶと「ばばあ言うな!」と怒号が鳴り響く。つまりアマネは今確実にいないということになる。
「まあ分かってたけど・・・俺の飯・・・」
しかしこれは困った。飯を食べに行きたいのに護衛がいない。アマネ達と連絡を取る方法もない。こうなると選択肢は2つ。諦めて断食するか、アマネ達に内緒でこっそり出掛けるか。
「・・・行くか。まあ大丈夫だろ。」
バレたらめちゃくちゃ怒られる気がする。でも空腹には勝てないのだから仕方ない。例の噂は心配だが、昨日のトラブルも無条件で殴られたわけではないから大丈夫だろう。街中を歩いているだけで絡まれたりはしないはずだ。「俺が胡蝶のスタッフだ!嬢達を好き勝手しているぞ!」とか叫ばない限りさすがに気づかれる事はないと思う。
「腹減った、今日は何食おうかなぁ。」
俺はそんな軽い気持ちで飲食街へと向かう。
―ボコ!バキッ!
「かはっ・・・」
やばい、死ぬほど痛い。
「おい、こいつ本当にあの娼館の関係者か?」
俺を殴った男が呟く。
「間違いないぜ。俺が娼館に行った時、こいつに案内されたからな。」
「ふーん、ならもう少し遊んでやるか。」
そう言うと同時に蹴りが飛んでくる。
「がっ・・・けほっ・・・」
当然防御なんて出来るはずもない。腹に蹴りを食らった俺は地面に倒れ込む。それを見た男達は鼻で笑いながらさらに蹴りを入れてくる。
痛い。
蹴られる度に激痛が走る。コハルの蹴りとは違う、手加減なしの本気の暴力。
今思うとあれはコハルなりに手加減してくれてたんだなとつい苦笑してしまう。
「なに笑ってんだてめえ!」
くそが。ただ現実逃避してただけなのにこいつらの神経を逆なでしてしまったようだ。また蹴りが飛んでくる。
もう立ち上がる気力がない。
「あぁ・・・アマネ達の言う事ちゃんと聞いておけばよかったなぁ・・・」
俺は地面に這いつくばりながらぼそっと呟く。
誰が見ても分かるように俺は今4人の男達に袋叩きにあっている。飲食街を呑気に歩いていたら急に絡まれ、裏路地に連れ込まれたのだ。しかもこの連中、どこかで見た事があると思ったら先日コハルと飯を食っていた時にいた冒険者達だ。
そしてその中の1人が以前うちで嬢を買った事があり、俺の顔を知っていたというわけだ。確かガゼルとか言ったか。そいつに「お前のせいで胡蝶の嬢ちゃん達が苦しんでるんだ」と訳の分からない文句を言われ、現在に至る。
「おい!お前!なんか言う事ないのかよ!」
なんで俺に意見を求めるんだこいつらは。大体俺に何を言って欲しいんだ。噂自体がデマなのだから否定しか出来ないだろうが。あと俺が今話せる状態に見えるか。地面に転がって痛みに悶えてる俺が喋れるように見えるのか。
「ねぇ・・・よ・・・」
「はあ?嬢ちゃん達に対する謝罪とかないのかてめえ!」
「なにも・・・してないからな・・・」
「嘘つくんじゃねえ!お前が嬢を苦しめてるってのはみんなわかってんだよ!」
誰の情報だよそれ。もしアマネ達が本当にそう言ったのであればこの仕打ちは甘んじて受けよう。彼女達を苦しめていたのであれば当然の報いだ。だが彼女達はさっき「ハルさんは悪くありません」と言ってくれた。だからそれはありえない。
「おらっ!ほらなんとか言えよてめえ!」
「かはっ・・・ごほっ・・・」
言えるか阿保が。こっちは息が出来なくて苦しいんだよ。
「はぁ・・・はぁ・・・」
意識を保つだけで精一杯だ。こいつらが飽きるまで耐えられるだろうか。俺の事を殺す気はないみたいだし、少しの間我慢すれば・・・
「おい、もうその辺にしとけ。あっちの噂も知ってるだろ。」
冒険者連中の1人が止めに入る。あっち噂だと・・・どれのことだ。
「あ、あれか・・・くそっ!」
「ちっ、もうちょい遊びたかったが・・・確かに報復は怖え。引き上げるぞ。」
ああ・・・「俺に手をだしたらアマネ、コハル、ヨギリの3人が黙っていない」って噂か。残念だったな・・・その噂は本当なんだ。
まあ彼女達が俺の側にいればの話だが・・・
でもまあなんとか耐えれた。あとは何とかして胡蝶まで戻らないと。
「でもまあ最後に1発くらいはいいだろ!おらっ!」
「かはっ・・・」
くそ・・・せっかく耐えたのに最後の最後に余計な事しやがって。
無理だ。もう体が痛みに耐えられない。意識が飛ぶ・・・
「ハ、ハルさん・・・大丈夫・・・ですか?」




