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9.

「孤児だったので出身地はわかりませんが、育ちはフレンツェル地方です。年齢は十九歳で、今年の秋に二十歳になります。学校は出ていませんが、私の養い親から文字や算術、歴史など、必要最低限の教育を受けました」


 これはアラセリスがパン屋の夫妻と作った設定だった。彼らの世話になるとき、アラセリスは正直に明かせる範囲で事情を説明した。身元不明の不審者を住み込みで働かせるのはあまりにも危険である。


(私が記憶喪失で養い親に拾われて、その家の娘の身代わりに結婚させられそうになったところを逃げ出して……って言ったのよね)


 まるで物語のような設定だが、半分くらいは事実である。パン屋の夫妻は、アラセリスの手を見て労働階級ではないことを最初から見破いていたらしい。

 心優しい彼らは、アラセリスを彼らの遠縁の娘として名乗っていいとまで言い出した。だがそれはふたりの迷惑になりかねないので、一番疑われにくい設定を新たに考えたのだ。


「フレンツェルは国境付近にある町だな。君の養い親は高貴な出自か?」

「あまり多くを語られる方ではなかったので、恐らくとしか……隠居生活をされていたときに私を拾ってくださったんです。高齢でしたので、去年他界しました。それで職を求めてトレンメルへ」


 心臓がドキドキしているが、落ち着いて会話ができている。下手な嘘を重ねたらボロが出そうだが、この程度ならごまかせそうだ。


(お義兄様が高齢なのは本当のことだもの。千歳を超えてから年齢なんて数えていないって言ってたわ)


 勝手に死んだことにしたら怒られそうだが、ここにはいないから問題ない。それにしても何故、アラセリスはこのような会話をしているのだろう。

 空気が重くて、紙袋に入っているパンをついリーンハルトへ向けた。

「よろしければおひとついかがですか?」と尋ねた瞬間、従者からじろりと睨まれる。


(あ、間違えた……!)


「すみません、不躾でしたよね」

「いや、気持ちだけ受け取っておく。それで本題だが、ひと月ほど前に君が郵送手配をした小包について話が聞きたい」


 アラセリスが個人的に送った荷物ではなく、郵便局で担当した小包になにか確認事項があるらしい。

 マリアンネとして疑われているのではないことにホッとしたが、それも束の間。アラセリスが手配した荷物には違法薬物が混入していたと明かされた。


「い、違法薬物ですか?」

「そうだ。単刀直入に訊こう。なにか心当たりは?」

「ありません! そもそも私は代筆課に所属していて、文字を書くことが仕事です。基本的には荷物の手配は担当外で……」


 そこまで言いながらハッと思い出す。アラセリスの仕事は代筆業務が主だが、切手の手配や荷物を預かることももちろんある。そして人手が足りていないときは、手が空いている代筆課の者が窓口に立つこともあるのだ。


「そういえば少し前に小包を送りたいと言われて、重さを量ったことがあります。小さめの箱でしたが結構重いのだなと思い、荷物を確認しました」


 依頼者は三十代の男性だった。王都の学校に通う甥のために本を買ったのだと言っていた。貴重な図鑑だったと記憶している。


「その本の中身はくりぬかれていた。代わりに薬が埋め込まれていたのだが、そこまでの確認は?」

「え……っ!?」


 本をくりぬく人がいるなど信じられないことである。アラセリスは竜の国にいたころから、読書が趣味だった。本を読んでいるだけで知識が得られる。少しでも賢くなりたくて、寝る間を惜しんで頁をめくり続けた。

『人は悪知恵がよく働く』と義兄が言っていたが、こういうことなのかもしれない。


「基本的には、梱包済みの荷物を開けてまで中を確認することはいたしません。それに荷物は申告制です。郵便局としても梱包が不十分だと判断しない限り、中を改めることはありません」


 恐らくデリンガーも同等のことを告げているはずだ。リーンハルトは先に局長に話を聞いていたようだった。


(というか私、なにか疑われている? 違法物だと知ってて郵送の手続きをしたって思われてるとか……!?)


 つまり犯罪に加担したと思われているのではないか。

 嫌な汗が背筋を伝う。緊張から身体の体温が下がっているかのよう。

 リーンハルトの冷たい眼差しを直視するだけで、胃がすくみそうになる。彼はアラセリスに不審な挙動がないか、じっくり観察しているようだ。


「あの、もしも私が関係者でしたら、自分の名前が残るようなことをしないと思います。郵送手配をした担当者は名前入りのスタンプを押印する規則ですので、すぐに足がつくかと」


 たまたま運が悪かっただけ。そして郵便局員がこうした問題に巻き込まれることもゼロではない。

 

「わざと見過ごしたわけではないと」

「違います! それにその方の名前も覚えていません」


 知人でもない。なにも関与していないのだと、はっきりと断言しなくてはならない。

 数秒の沈黙が流れたが、先にアラセリスから視線を逸らしたのはリーンハルトの方だった。


「わかった。ドミニク、今の証言は記録しているな」

「はい、もちろんです」


 張りつめていた空気が和らいだ。一番の山場を乗り越えた気分だ。


(……マリアンネ様の前ではいつも穏やかに微笑んでいらしたから、こんなお顔ははじめてだわ)


 あまりにも記憶の中の彼と違いすぎて、怯えそうになった。悲しくなる権利などアラセリスにはないというのに。

 納得のいく答えを聞いたら、彼らも帰ってくれるだろう。そう期待したが、リーンハルトは最後に自身の手帳を取り出した。


「ところで君は、女性から特に評判がいいそうだな。君が清書した恋文を送ったら、相手と結ばれるという噂を耳にした」

「……っ、ありがたいことです」


 まさかもう、彼には恋文を送りたい相手がいるのだろうか。

 再婚してほしいとは思っていたが、それを本人の口から聞くのは少々堪える。


「せっかくだからなにか書いてもらおうか。“親愛なるリーンハルト”だけでもいい。先日代筆してくれたコリンナの手紙も、君が書いたんだろう。機会があれば、届いたことを伝えておいてくれ」


 そう言ったリーンハルトの表情が柔らかくて、少しだけかつての面影を思い出させた。

 アラセリスの胸がツキンと痛む。うれしいのか切ないのかわからないが、自分の感情がかき乱されているようだ。


「はい、もし次にコリンナとお会いする時が来ましたら、必ず」


 ドミニクからペンを借りて、言われた通り手帳に文字を綴る。

 “親愛なるリーンハルト殿下”と書いた後、コリンナが願ったことと同じ文章を記した。


「たくさん食べて寝ろ、か。皆同じことを言う」

「殿下は少々、お痩せになったようですので……皆、殿下の身体を案じているのだと思います」


 最後にアラセリスの名前も書いてほしいと言われ、希望通りに従った。ただ純粋に、アラセリスは自分の文字を気に入ってくれたのだと思ったから。


(リーンハルト様にお会いするのも、これが最後。記念にと思ってくれたことは光栄なのかもしれない)


 笑顔でふたりを見送り、応接室にひとりになったアラセリスは深く息を吐いた。緊張の糸が緩んで、扉の前でペタンと座り込む。


「はは……情けない。手が震えているわ」


 よく文字が書けたものだ。緊張しすぎて震えたかもしれないが、それはきっと誰でもそうなるだろう。


(本当、別人みたいだった。私が知っているリーンハルト様じゃない)


 マリアンネが見ていたリーンハルトは、理想的な夫を演じていただけかもしれない。

 彼は幻影の魔術がかけられたアラセリスを愛おしそうに笑いかけていたが、元々その笑顔は自分に向けられたものではなかった。

 嘘と偽りで過ごした三か月間は苦しいだけではなかったが、常に罪悪感がまとわりついた。けれど誰かのために生きることでしか、アラセリスは自分の存在意義を確かめられない。


「……名前、呼ばれなかったわ」


 リーンハルトから一度も「アラセリス」と呼びかけられなかった。

 たったそれだけのことなのに、無償に悲しくて胸が苦しくなる。

 王族から名を呼ばれたいなどおこがましい考えだ。身の程知らずなのはアラセリスの方だ。そうわかっているのに、言いようのない感情がこみ上げる。


「あれ……なんで?」


 手の甲に水滴が落ちた。視界が滲んでよく見えない。

 一目だけでもリーンハルトと再会ができてよかったと思う反面、昔の面影を感じない彼を目の当たりにして胸が痛んだ。

 どうしようもなく切なくて、なにが最善だったのかもわからない。犯罪に加担した可能性を疑われたことが悲しいのではない。ただ、ここで会うべきではなかったことだけはっきりとわかる。

 床に座り込んだまま、アラセリスは項垂れる。純粋に再会を喜べたらいいのに、寂しいと思ってしまった自分を浅ましく感じた。



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