7.
郵便局は週に一度の定休日がある。職員は他にも好きな日に一日休みを取れるようになっており、アラセリスは三日に一度の頻度で休みを取得する。
休みの日はベッドのシーツを洗い、溜まっている洗濯ものを干して、一通りの家事を終わらせてから街へ出かける。そしてお世話になっていたパン屋へ必ず立ち寄るのだ。
「こんにちは、店長、女将さん」
「あら、アリス! いらっしゃい。待っていたわ」
少し前まで住み込みで働いていたパン屋の夫妻が快くアラセリスを出迎えた。ちょうど朝の忙しい時間を終えて、これから昼のパンが焼き上がる。
寡黙なパン屋の店主と明るく朗らかな女将は仲がいい。アラセリスを妹か姪のように接してくれる。
「お腹減ってない? 新作のパンを取っておいてあるのよ。感想を聞かせてちょうだい」
「ありがとうございます。これ、ハーブティーです。よろしければ休憩時間にどうぞ」
物々交換になるのもいつものことだ。ふたりはアラセリスに「お土産は不要」と言ってくれるが、アラセリスの方が気持ち程度のものを用意したいだけ。
「リリーも大きくなりましたね」
「それ、先週も言っていたわよ。でも、赤子の成長は早いわね」
託児所に預けられないときは店の片隅に赤子のゆりかごを置いているが、リリーは滅多にぐずらない。店内が騒がしくても眠るほど肝が据わっているらしい。
(可愛い。あのとき生まれた赤ちゃんがもうこんなに大きくなったなんて、すごいわ)
アラセリスが産気づいた女将を助けたことがきっかけで、この家の人たちと出会えた。生まれてきたリリーは店主譲りの眉と、女将の目の色を受け継いでいる。
「もしかして、恋がしたくなったりした? 赤ちゃん可愛いなっていう顔をしているわよ」
カフェテーブルの上にパンと紅茶が置かれた。見たことのない見た目のパンは、先ほど女将が言っていた通り新作なのだろう。
「赤ちゃんは可愛いですし、いつかは母親になれたらとは思いますけど、恋愛はよくわからないですね」
「あら、もったいない。アリスはとっても可愛いのに。恋人募集中っていう看板でも持っていたら、すぐに候補者が殺到するわよ」
(それは身内の欲目みたいなものだと思うわ)
アラセリスは十人並みの容姿だと思っている。自分を育ててくれた義兄と、城仕えをしていた竜族は皆、自分と比べるのもおこがましいと思えるほど見目が麗しかった。
そんな彼らに囲まれていたら、自然と自己評価が下がるのかもしれない。だがひとつだけアラセリスにも気に入っているものがあるとしたら、義兄が褒めてくれた夜空色の髪と目だろう。
「お世辞でもうれしいです。ありがとうございます。これ、新作のパンですよね?」
気恥ずかしいので話題をそらす。バターが練られたサクサクの生地の中央にプリンが載っていた。
「そう、プリンパンよ! 子供に大人気で、もう少し販売期間を延長しようかって話しているの。プリンまで手作りをするのが少々手間だから、定番化は難しいけれど」
「見るからにおいしそうですが、手を汚しそうですね……あ、だからスプーンもあるんですね」
プリンを一口味わう。カラメルソースの苦みと甘味が絶妙で、これだけでも十分おいしい。
サクッとしたパイ生地のようなパンと、プリンがしみ込んでしっとりしたパンの両方を味わえる。食感の変化を楽しめる贅沢なパンになっていた。
正直においしいと告げると、ふたりは喜んでくれた。
パン屋の夫妻は、ザカルディアに来てからはじめてできた家族とも呼べる親しい人たちだ。アラセリスが遠慮せずに話せて気持ちを伝えられる。
「アリスが好きな卵のサンドイッチも用意しておいたからね。好きなだけ食べてちょうだい」
「ありがとうございます。今日こそ代金を払いますので受け取ってくださいね」
「いらないわよ。だってもう家族じゃない」
屈託のない笑顔でそう言ってくれる人がいるだけで、アラセリスの胸の奥がきゅうっと締め付けられた。自然と笑みがこぼれて、涙腺が刺激されそうになる。
(こんな私に、いつも優しく接してくれる。無条件で受け入れてくれるって、温かい気持ちになるのね)
思い返すとアラセリスはいつも孤独を抱えていた。竜族と人間とでは価値観が異なる。義兄は優しかったが、アラセリスが無条件で甘えられるような人ではない。
いつしか寂しさに気づかないふりをすることばかりうまくなり、自分の気持ちに蓋をすることが癖になっていた。今もまだ、本当の自分はどうしたいのかを模索中である。
「それならせめて、お店の手伝いをさせてください。家族ですので」
「あら、一本取られたわ」
看板のメニューに新しい商品が記載されていたが、文字が少々歪だ。読めなくはないが、美しいとは言い難い。
アラセリスは無償でメニューを書き直す。そして目を覚ましたリリーをあやして、帰りには山ほどのパンをお裾分けされた。
◆ ◆ ◆
「いつもすごい量のパンだわ……こんなに貰って大丈夫なのかしら」
紙袋を両手で抱える。行先は職場の郵便局だ。
この日は定休日ではないため、通常通り営業している。「休みの日も職場に行くなんて考えられない」と同僚から言われるが、アラセリスは交友関係が狭いため、職場の人とレベッカしか知り合いがいないのだ。
普段通り正面玄関から郵便局に入る。職員専用の休憩室に向かおうとしたが、なにやら空気が重い。
(ちょうど待合室にお客様はいないようだけど、どうしたのかしら?)
応接室の方から誰かの話し声が聞こえてくる。この声は局長のデリンガーで間違いがなさそうだ。
もしかしたら貴族の来客があったのかもしれない。レベッカが来る予定は入っていなかったため、他の貴族が急遽立ち寄ったのだろう。
それなら近づかない方がよさそうだ。
アラセリスは職員たちの休憩室に行こうとし、応接室の前を通り過ぎたところで扉が開いた。
「君は誰だ。郵便局の関係者か?」
「っ!」
(この声……)
心臓がドクン、と大きく跳ねた。
何度も聞いた声を忘れるはずがない。
(待って、違う。そんなことはないわ。だってここ、王都じゃないもの)
「何故、私服を着ている者がこんなところを歩いている? 制服はどうした」
カツン、と靴音が響いた。まるで不審者を咎めるような声で、アラセリスの心臓が激しさを増していく。
振り返らないと怪しまれる。質問に答えずに逃げたら不審に思われるだろう。
口内に溜まった唾を飲み込んでから、アラセリスはゆっくり背後を振り返った。
(……ああ、やっぱり)
もう二度と会うことは叶わないと思っていた、元夫が立っていた。




