6.
王太子の執務室に呼び出されたリーンハルトは、兄に頼まれていた仕事の報告をしていた。月に数回、こうして直接会話がしたいと言われることが増えてきた。それも兄なりの気遣いからくるものなのだろう。
妻を亡くしてから半年が経過している。もう余計な心遣いは不要だが、それを言葉にして告げるのも気が進まない。
(兄上は堅物に見えるが、情が深い方だからな)
質実剛健で融通の利かない印象を抱かせる男だが、内面は違う。為政者としての厳しさと情を併せ持つバランス型であり、弟想いの男でもある。
だが顔色を窺い、弟を労わろうとする気遣いが、リーンハルトの心を少しだけ重くさせる。苛立ちとまではいかないが、放っておいてほしいというのが本音でもあった。
「報告ご苦労。それで、最近はどうだ。食事はちゃんととれているか?」
「はい、もちろんです。忙しいときは栄養食をとっているので問題はないかと」
「お前……栄養食って非常食だろう。それは栄養を補うものであり、食事を抜いていい理由にはならないからな」
食べることは生きることである。
リーンハルトもバランスのいい食事と生活習慣を心掛けていたが、自分を労わることに意味を感じなくなっていた。
マリアンネの亡骸は未だに行方がわからないままである。王族の墓が暴かれて棺が空になっていた件は、すぐに国王と王太子に報告した。
彼らも驚愕したが、誰がどんな目的で暴いたのかがわからない。犯人を追うにしても無理がある。
なにか証拠が残っていたらいいが、夜中の犯行で目撃者はおらず、雪で僅かな痕跡すら消えていた。泣き寝入りをするしかない状況なのが歯がゆくて情けない。
「マリアンネ妃のことだが、カロンにはなにも手がかりがなかったのだろう。もう諦めたらどうだ」
「……っ!」
リーンハルトはすぐにカロンの国王夫妻に会いに行った。彼らは酷く動揺し、憔悴していたようだったが、マリアンネの亡骸など知らないと言い切った。
王女が亡くなったというのに、葬儀にも参列しなかった人たちである。マリアンネに対する情は薄いのだろう。
彼らの挙動に不信な点がないとは断言できなかったが、強く追求することも難しいと判断した。嫁ぎ先で亡くなったのだ。糾弾されても文句を言えないのはリーンハルトの方である。
「カロンに墓を移したいと言われたわけでもないなら、もうどうすることもできないと思わないか」
王太子が痛ましい表情を浮かべる。兄の気持ちは理解できるが、リーンハルトの心が強い拒絶反応を示していた。
「俺は諦めたくないんですよ。誰かがマリアンネの亡骸を奪ったのなら取り戻したい。一体どんな目的で、なにが理由でそんなことをしたのかを問い詰めたい。ただ理由が知りたいだけです」
眉間に深く皺を刻む。これまで執拗に誰かを憎んだことも恨んだこともなかった。今のリーンハルトは、まるで架空の復讐相手を葬るために生きているかのよう。
王太子はそんな弟を見て、危うさを感じているのだろう。「気持ちはわかるが、折り合いも必要だ」と諭すように告げた。
「王都で他に墓荒らしが起こっていたか、調査を進めていたんだろう。それの結果はどうだった? 不審な事件はなかったという報告を受けているぞ」
騎士団の調査権限を行使し、リーンハルトは同様の事件が起こっていないかを調べだした。
死者の思い出の品を棺に入れることは珍しくはない。強盗目的で貴金属を奪う不届き者もいなくはないが、ここ十年ほど発生していないようだった。
「つまり目的を持って、マリアンネの墓だけを狙ったということになります。強盗ではないのなら、なにかほかの理由があったはずだ。俺はどうしてもそれが知りたい」
考えれば考えるほど、気分が悪い。憎悪に似た感情が腹の底で渦巻いているようだ。
死者への冒涜という言葉だけでは言い表せられない。「安らかな眠りを」とマリアンネに伝えたというのに、そんな当たり前の願いさえ叶わないのか。
「毎晩、睡眠薬で無理やり寝ている状態だと聞いたぞ。眠れなくても、せめて休息を取るんだ。お前の身になにかがあったら、天国のマリアンネ妃が悲しむだろう」
リーンハルトの周りの人々はいつも、同じ綺麗ごとで労わろうとする。
休んでいる間に大事ななにかを見逃すかもしれない。犯人の手がかりを取り逃すかもしれない。後悔なんて二度としたくないから、体力が続く限り動き続けたいだけ。それをわかってくれる人はいないらしい。
「犯人を捕まえた方が、マリアンネは喜んでくれますよ」
踵を返して扉へ向かおうとする。だが王太子が慌ててリーンハルトを呼び止めた。
「待て、まだ用事は残っている。お前充てに手紙が届いているぞ」
「不要です。兄上に差し上げます」
妃を亡くしたリーンハルトを慰めようと、優しい民たちが手紙を送ってくる。
貴族からの手紙はすべて側近に処理させていた。慰めの言葉と共に自分の娘を売り込むような下種にかかわる暇はないからだ。
「お前はいつからそう短気になったんだ。貴族からのものはこちらで引き受けるから、せめて民からの手紙には目を通してやれ」
純粋な心でリーンハルトを案じている。王族であれば、その気持ちを無下にしてはならない。
リーンハルトは眉間に皺を刻んだまま、小さく嘆息した。王子としての矜持が勝り、真心を受け取ることにする。
一通、二通、と手紙に目を通す。封を開けた痕跡があるが、検閲はいつものことである。王族に届く手紙の内容は一通り確認されている。誹謗中傷や人格否定など、本人に届けるべきではないと判断したものを除外するためだ。
五通目の手紙を手に取った。それは五歳の少女からの手紙だった。
『王子様へ。私はコリンナ、五歳です。
お母さんから、王子様がお妃様を亡くされて、元気がないのだと聞きました。
大切な人が死んじゃったら、とっても悲しいと思います。
私も大好きな犬のロッキーが死んだときは、何日も泣きました。
王子様もちゃんと泣きましたか? ご飯は食べてますか?
私はたくさん泣いたらお腹が減って、ご飯を食べたら眠くなります。
寝たら少し元気になります。
お父さんが、大きくなってもロッキーのことを忘れなければ、
私の中で一緒に生きていけると言ってました。
王子様も、お妃様をずっと覚えていてください。
ご飯を食べてあたたかいお布団で寝て、早く元気になってね。
コリンナより』
最後の名前のところだけ、コリンナが書いたのだろう。手紙の本文は両親か、代筆係に書かせたに違いない。
リーンハルトはその手紙に視線を落としたまま動けなくなった。何故だろう、鼻の奥が少しだけツンとする。
「子供の純真無垢な気持ちは響くだろう。五歳の女の子だってお前を案じているんだ。自暴自棄になって周りを心配させるより、少しずつでいいから心を回復させろ」
「……そうですね」
たくさん泣いていいのだと、少女に諭されている。大人だから、男だから、王子だから泣いてはいけないなんてことはない。
(一体いつ、涙を流しただろうか)
そう思いながらもう一度最初から手紙を読み直し、ふとなにか既視感を覚えた。
封筒を手に取る。コリンナという少女は、第三の地方都市と呼ばれるトレンメルに住んでいるらしい。貿易で栄えている大きな海沿いの街だ。恐らくそこの郵便局で代筆を頼んだのだろう。
「……兄上。明日からしばらく休暇をいただきたい」
「急にどうした?」
王太子は珍しく驚いた顔をした。
リーンハルトは一言、トレンメルに行くことを告げる。
「トレンメルか。あそこは騎士団の駐屯地でもあるから、急な出張という態で滞在することも可能だと思うが」
訝しむ兄に手紙を渡した。
五歳の少女が書いた労りの手紙だ。王太子は相好を崩す。
が、すぐに顔を引き締めて、恐る恐る問いかける。
「まさかと思うが、コリンナという少女に会いに行くのか? お前、五歳児に興味が……」
「変な想像をしないでいただけますか。俺が興味があるのは、この手紙を書いた人物ですよ。この筆跡に見覚えは?」
王太子はふたたび手紙に目を通す。だが丁寧で読みやすいという感想以外は特になにも浮かばない。
「お前の言いたいことがわからん。見本のように綺麗な文字だ。恐らく代筆で書かせたものだろう」
「ええ、そうですね。マリアンネの筆跡にそっくりです」
「な……」
癖のない文字ではあるが、女性が書いたことがわかる柔らかさがある。誰が見ても読みやすいというのが、ある意味特徴とも言えるだろう。
「待て待て、なにを言っている。ただ似ているだけだろう。そんな人はごまんといるぞ」
「ええ、そうですね。ただ似ているだけかもしれません。だからこそ会ってみたい。それに今年に入ってからトレンメルは、違法薬物の密輸の拠点になっている疑いがあります。郵便局から薬物を発送したのではないかとも言われてますね」
調査のために王都の騎士団からも、誰かが派遣される必要があるだろう。副団長でもあるリーンハルトが出向く必要はないが、ある意味ちょうどいい。
騎士団長ならすぐに話が通じるだろう。数人の部下と共に派遣が許されるはずだ。あまり大々的に動いたら密輸組織に気づかれるかもしれないため、休暇という態が望ましいかもしれない。
「しばらくトレンメルに出張したいと思います。許可を出してくださいますよね? 兄上」
「……お前、久しぶりに笑ったと思えば、なんて企み顔だ」
静かに溜息を吐いた王太子は、渋々リーンハルトの出張を許可したのだった。




