32.
レベッカとオリヴァーを病院に搬送し、屋敷の事後処理はリーンハルトの部下であるドミニクたちに任せることになった。大半の蜘蛛はリーンハルトが退治したため、彼らは残りの冬眠中の蜘蛛を回収する。
リーンハルトは手袋着用を命令し、絶対に素手で毒蜘蛛に触れないように部下たちに伝えてから、伯爵家の屋敷を離れることにした。
「臭すぎて馬車にも乗れない。歩きで屋敷まで戻るのか」
「馬がものすごい顔をしていましたよね。あんな表情、はじめて見ました」
歩くことは嫌いではない。人通りのない道を選びながら、アラセリスはリーンハルトと共に彼の屋敷へ向かう。
(一体なんて質問されるのかしら。私から謎の多いポシェットの話をするべき? それとも……)
「レベッカ様はどうなりますか。私は、彼女は被害者のように見受けられました」
婚約者に利用されただけなのではないか。友人としての情があるため、客観的な意見ではないかもしれないが、きちんとした事情聴取をしてあげてほしい。
「君が部屋を退室した後、レベッカ嬢から大体の話を聞いた。違法薬物に関しては、魔法の薬という言葉でヘルムフリートから融通されていた。服用していたのは弟のオリヴァーだったそうだ」
「……そうだったんですね」
情状酌量の余地はあると聞いてほっとする。これから婚約者であるヘルムフリートについての情報を聞き出すことになりそうだ。
「つまりヘルムフリート様が違法薬物の首謀者ということなんでしょうか」
「いや、どうだろうな。ヘルムフリートを捕まえたら終わりという問題ではなさそうだ。あの男がしたことは、銀後家蜘蛛を密輸したということだけ。他に確固たる証拠は残していないだろう」
「でも、バルシュミーデ伯爵家に薬を融通していたのですよね?」
「自分も騙されていた、麻薬ではなく素晴らしい薬だと聞いていたと主張したら? レベッカ嬢に伝えたように未承認の薬だったことを追求しても、知らぬ存ぜぬで言い逃れをしようと思えばいくらでもできる」
生物の密輸も、判明した時点で罰金が課せられたそうだ。すべて処分したと思っていた蜘蛛を一匹逃してしまったとでも言い出すかもしれない。
(人間は悪知恵がきくって、お義兄様が言っていた言葉が身に染みる……)
弱い者が強い者に従うという竜族の方が、単純で生きやすい気がした。弱い者を食い物にしようとする悪い人間には天罰が下ってほしい。
「この違法薬物の件が落ち着いたら、リーンハルト様は王都に戻られるのですよね」
彼はぴたりと歩みを止めた。
リーンハルトがアラセリスと歩くとき、歩幅が小さいアラセリスに合わせてくれている。そういう些細な優しさを好ましいと思っているが、それを言葉にして伝えることはない。
「アラセリス、俺は君も王都に連れて帰りたいと思っている」
目を見て真っ直ぐ懇願された。嘘を感じさせない眼差しが力強くて少し眩しい。
「君を迎え入れてくれる家を本格的に探す予定だ。今度こそ一緒になれるように」
「お気持ちだけで十分です。ありがとうございます」
曖昧にしておくわけにはいかない。アラセリスはここではっきりと、自分の意思を告げることにする。
「私は、リーンハルト様と再婚するつもりはありません。あなたには素敵な女性と幸せになってほしいと思ってます」
「な……っ」
怒らせただろうか。それとも悲しませただろうか。
好きだから結婚するという単純な道を、自分たちは選べない。少なくともアラセリスは選ぶつもりがない。
「なんでそんな残酷なことを言うんだ。君は俺が好きだと言っただろう?」
「私、はっきりと「好き」と言ったことはありませんよ」
リーンハルトは愕然とした。記憶を思い返しているようだ。
アラセリスはキスをしたとき、嫌ではなかったと言った。ドキドキして、嫌悪感はなかったと断言した。だが、肝心な「好き」の一言は伝えていない。
「ちょっと待て、ふざけんなよ。キスを受け入れておきながら、好きじゃないだと? キスができるなら俺が好きで間違いないだろう!」
「なかなかに傲慢な発言ですね。さすが王子」
「俺が傲慢なら君は強情だ、この意地っ張りめ」
「強情で意地っ張りで結構です。可愛げのない女なんて第二王子殿下には相応しくありませんね」
傲慢な王子と強情な平民。ある意味お似合いかもしれないが、共に同じ未来を歩むというのは無理がある。
「現実を見ましょう、リーンハルト様。私はもう、マリアンネ様ではないんです」
「ああ、わかってる」
「あなたには誰よりも幸せになってほしいと思ってます。罪の意識があるからとか、後悔から逃れるためにそう思っているのではありません。次の結婚は失敗してほしくない。心から愛する女性と、これからの人生を歩んでほしいんです」
政略結婚で妻を娶ったのなら、次は自分で選んだ人と結ばれてほしい。
そして彼が幸せになる姿を、アラセリスは遠くから見守りたい。今、こうして顔を合わせて会話ができているだけで奇跡なのだ。
「きっとあなたも、マリアンネ様のことを引きずっているから私に執着しているだけではないですか。彼女が死んだとわかってから、後悔したことがあるから私とやり直したいと思ったのではないですか」
「違う、そうじゃない。それだけじゃない」
きっとその考えもあったのだろう。だが、後悔だけでアラセリスに気持ちを伝えたわけではないと言い出した。
「俺が君の中のマリアンネを追い続けていると思っているのならはっきり否定させてもらう。マリアンネとはこうして共に歩いて言い合いをできるほど、互いを知らなかった」
「それなら、私が物珍しいから惹かれているだけですよ。竜王の義妹という身分も十分面白く感じるでしょう」
好奇心が好意と混じっているだけ。アラセリスはきっと、子供が手に入れたくてたまらない珍しい玩具と同じだ。
それでいいと思えるほど、アラセリスは愚かではない。貴族の養子に入れば後見人ができるという点は、少しいいかもしれないと思ったが。
(ダメ、貴族社会なんてしがらみが多くて大変だもの。生きやすさを重視して後見人を得ようだなんて、虫がいいにも程がある)
やはり第三の国を探すべきではないか。ここでも竜の国でもない、新たな国に移住し、一から人生をやり直した方が……。
「わかった。そこまで言うのなら俺にも考えがある」
「……え?」
リーンハルトが俯いていた顔を上げた。諦めてくれたのかと思いきや、彼の目は爛々と力強い光を放っている。
「強情な君が泣いて離れたくないと懇願するほど、俺のことが好きだと言わせてやる」
「は……い?」
「竜王への好奇心? 珍しいから惹かれている? 冗談じゃない。そんな気持ちで好意を伝えていると思われているのなら、どうやら俺が遠慮をしすぎていたようだ」
片手を握られた。その手が思いのほか熱くて、アラセリスの心臓がドキッと高鳴った。
「君が疑う余地もないほど、俺は君に愛を注ぎまくるからな。覚悟しておけ」
「……っ! け、結構です、遠慮します!」
「俺が王都に戻るときは、君も王都の郵便局に移動できるよう手配しよう」
「はあ? 余計なお世話すぎるのですが!?」
繋いだ手が離れない。振りほどこうとすれば、今度は指を絡められる。
「こんな風に言い合いができる女性がほかにいるはずないだろう。マリアンネとは似ても似つかないじゃじゃ馬だ。俺は多分、好きな女性に振り回されたい願望があるようだな」
「ちょっと勝手に巻き込むのはやめてください! 私は、あなたに愛する人ができるように協力しますので」
「結構だ、遠慮する」
先ほどアラセリスが告げた台詞をそのまんま返された。
心臓がドキドキして激しくて、顔が熱くてたまらない。
「再婚は保留でいい。だから俺と恋からはじめよう、アラセリス」
「……っ!」
その笑顔が見惚れそうになるほど優しくて、不覚にもアラセリスの胸がときめいてしまったのだった。
ここで一旦完結となります。
お付き合いいただきありがとうございました!
月城うさぎ




