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30.

 伯爵家の屋敷の扉を開いたリーンハルトとアラセリスは息を呑んだ。あちこちに蜘蛛の巣が張られ、玄関ホールには見覚えのある銀色の蜘蛛がかさかさと歩いている。


「きゃあ! 蜘蛛っ!」


 女性らしい悲鳴を上げたカミルは大きく後ずさった。咄嗟に扉を閉めて、状況を整理する。


「殿下、ここ本当にバルシュミーデ伯爵家のお屋敷ですか!? 蜘蛛屋敷じゃないですか! 早く応援を呼びましょう」

「落ち着け、カミル。お前は詰所に行って人を呼んできてほしい。今日は祭りだから、警備で駆り出されているだろうが……」

「ええ……わかりました。ですが、私が戻るまでおひとりで中には入らないでくださいね。絶対ですよ!」


 カミルは大急ぎで馬車に乗り込んだ。第二王子の側近をしているのだから、きっとあれで優秀な人物なのだろう。


「まさかレベッカ様の様子を見に来たら、銀の蜘蛛だらけだなんて……夢に出てきそう」

「凄まじいな。もう屋敷ごと燃やすしかないんじゃないか?」

「ぶ、物騒! ダメですよ、まだ人がいるかもしれませんから!」


 リーンハルトは短絡的なのかもしれない。だが炎で焼き尽くすという案は確かに合理的だ。


「一匹ずつ地道に斬っていくか? 害虫駆除業者を呼ぶには時間がかかりすぎる」

「その前に、レベッカ様が中にいないか確認を……」


 ふいに人の気配がした。裏口から出てきた屋敷の使用人たちと遭遇する。

 レベッカの弟が蜘蛛に噛まれて、裏庭に寝かせているという報告を受けた。そしてまだレベッカが中にいるらしい。


「リーンハルト様、銀後家蜘蛛はどのような毒を持っているんですか」

「確か神経性の毒だったと思う。意識が混濁するほど強力な毒だとしたら早く解毒をしないとまずいな」


(あ、解毒剤ならもしかして)


 アラセリスは斜め掛けにしているポシェットを漁る。いつなにが起きるかわからないため、万が一を想定した万能薬を複数渡されているのだ。


「解毒剤……あった、これだ」


 手のひらにガラスの瓶が吸い付いた。それをポシェットから取り出すと、リーンハルトは目を丸くする。


「そんな小さな鞄に入っていたのか?」

「説明は後です。この薬を飲ませてください。あらゆる生物の毒に有効なはずですので」


 小さな丸薬である。一粒飲むだけで効果はあるはずだ。

 アラセリスは「舐めるだけでもいいから」と告げて、侍女にオリヴァーの口を開けさせた。隙間に丸薬を入れて、口を閉じさせる。

 水と共に飲みこんだ方が早く楽になれるが、今は屋敷に入れない。ふたたびポシェットに解毒剤の瓶を仕舞い、他になにかないかを探る。


「虫除けの香水、短剣、虫取り網、かご……あとなにが有効ですかね」

「待て待て、そのポシェットはどうなってるんだ? どう考えてもおかしいだろう」


 意外とリーンハルトは常識に囚われているのかもしれない。アラセリスが竜王の義妹で、死を偽装して蘇った話を聞いているというのに、目の前で無限にものが出てくるポシェットを見たら混乱するようだ。

 説明は面倒なので後回しにする。アラセリスは彼に虫除けの香水を全身に振りかけた。毒性のある虫には有効なので、恐らく蜘蛛にも効果があるはずだ。


「臭いな……」

「虫除けですので。いい匂いをさせたら寄ってきちゃいますよ」


 弓矢のような武器もあるが、蜘蛛の数が多すぎたらきりがない。もっと簡単に一網打尽にできる方法を考えて、アラセリスは秘薬の存在を思い出す。


「あ、蜘蛛も仮死状態にしたらいいのかも」


 アラセリスが義兄に渡された秘薬は水に溶ける。そして予備を含めてふたつ渡されていた。


「これ、持っててください」

「は? 君はどこへ……」


 虫かごや網などをリーンハルトに押し付けて、アラセリスは裏庭にある池に近づいた。飲み水には適さないが、蜘蛛に吹き付けるなら問題ないだろう。

 ポシェットから出したバケツに池の水を汲んだ。意外と汚くは見えない。


(他になにか容器……たくさん水が入って勢いよく噴射できるものはなかったっけ。大きな香水入れみたいなやつ)

 

 がさごそと腕を目いっぱいポシェットに突っ込んで、ちょうどいい道具がないかを探る。液体を噴射ができればいいが、見つかったものは風船だった。


「なんだ、それは。紙じゃないな」

「伸縮性のある素材でできた子供向けの風船ですね。大昔、私が大好きだった玩具です」


 それと一緒に、木の筒で作られた水鉄砲がポシェットから落ちた。水浴びのときに使用した思い出がよみがえる。


「そうだ、水風船を作りましょう」

「水風船とは?」

「風船に水を入れて膨らませるんです。これは勢いよく投げると弾ける素材でできているので。確か蜘蛛は気温が下がると活動できなくなりますよね。冬が苦手だったかと」


 アラセリスの仮死状態は冬眠同然とも言えた。屋敷中を冬のように冷気で満たすことはできないが、秘薬を薄めた水を浴びたら毒蜘蛛も活動を停止するのではないか。

 リーンハルトは虫取り網とかごを抱えたまま思案する。


「それなら普通に、このバケツの水をばらまいたらいいんじゃないか」

「……あ、打ち水ですね」


 アラセリスは風船と筒をポシェットに収納し、代わりに長い柄がついたひしゃくを取り出した。








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