3.
冬の日の朝、アラセリス・アリアスは死んだ。第二王子であるリーンハルトの妻、マリアンネ・ラシェル・カロンとしての生を終わらせるために。
仮死状態になれる秘薬を飲んで、一時的に臓器の機能を停止させた。冬を選んだのは身体を腐らせないためである。
目論見通り、城内はパニックになった。彼らは速やかに葬儀を終わらせて、王都を見渡せる丘の上にマリアンネの墓が作られた。
ここは生前のマリアンネが、夫であるリーンハルトに「いつかここにお墓を立てたい」と告げていた場所である。政略結婚ではあったが、妻想いのリーンハルトはきちんと覚えていたらしい。
彼ならマリアンネの希望を叶えるはずだと思っていた。律儀で優しい夫を騙したことを心苦しく思いながら、アラセリスは生き返った。
「お目覚めですね、アラセリス様」
年が明けてからはじめての満月の晩。棺の蓋を開けてくれた協力者を見て、アラセリスはようやく元の自分を取り戻すことができた。
墓荒らしなど死者への冒涜ではあるが、アラセリスにとっては計画通りだ。むしろ生き返らせてもらえなかったら、このまま永遠に死んでいただろう。
「ありがとう、フィデル。お義兄様とマリアンネ様は?」
「息災です。アラセリス様にはこれを渡すようにと」
フィデルはアラセリスの義兄である竜王の従者だ。主に忠実な彼はアラセリスの味方ではあるが、必要以上に手助けをするつもりはないらしい。
仮死状態から目覚めたばかりだが、なんとか自力で棺から這い上がった。秘薬を飲んだら時間停止魔術がかかるようにしていたため、多少体力に衰えを感じる程度で済んでいる。
竜族が使える特殊な魔術は便利だが、完璧ではないらしい。仮死状態から目覚めない可能性もあると知っていただけに、問題なく目が覚めてほっとする。
雪の上に腰を下ろすと、フィデルに外套をかけられた。そして彼から革張りのポシェットを手渡される。
「私のポシェット。ありがとう、助かるわ」
「必需品をすべて収納しています。それと、こちらもどうぞ」
金属製の鍵だ。なにかの宝石がはめ込まれている。
見覚えはあるが使用したことはない。これはアラセリスが竜族の国へ帰るために用意された鍵らしい。
「使用方法はわかりますね」
「ええ、大丈夫。メモもあるし、お義兄様に何度も教えてもらったから」
フィデルは僅かに眉をひそめた。一度で覚えないなど、物わかりが悪いと思っている顔だ。
(竜王を煩わせるなんてって思っていそう。目は口程に物を言うというやつだわ)
アラセリスの義兄は竜族の王である。竜の国は、小国のカロンから海を渡った場所にある島国だが、地図上には存在せず、招かれざる客は足を踏み入れることも許されない。
幼い頃、アラセリスは竜の国に繋がる扉をうっかり開けてしまい、かの国に迷い込んでしまったらしい。
アラセリスは普通の人間の子供で、竜族の血を引いてはいない。そして保護されたときは、自分の名前も家族構成もすべてを忘れていた。
かろうじて覚えていたことは年齢だけ。どこからどうやって来たのかはわからないが、幼いアラセリスを見つけた竜王は気まぐれに人間の子供を引き取った。そしてアラセリス・アリアスという名前を与えた。アリアスの森で拾ったからという理由でつけたのだと、後に聞かされた。
彼はアラセリスを義妹として扱い、五歳から十九歳になるまで育ててくれた。その恩を報いるために、アラセリスは義兄の番の身代わりになることに同意した。
マリアンネは小国のカロンの王女であり、大国との繋がりのために政略結婚をさせられる予定だったが、幸か不幸か竜王の番に選ばれてしまった。
竜にとって番とは、広大な砂漠から一粒のダイアモンドを見つけだすくらい困難で奇跡的なこと。
千年も番を待ち続けた竜王に、番を諦めろだなんて言えるはずがない。諦めるのは人間の方である。
両国を混乱させず穏便に済ませるためには、身代わりが必要だった。結果、アラセリスはマリアンネの替え玉となりザカルディアの第二王子、リーンハルトの元へ嫁いだのだ。
(婚姻期間は三か月……本当はもう少し短くしろって言われていたけれど、さすがに嫁いでひと月なんて怪しまれるものね)
マリアンネは病死を装い死んだことにして、ひと月後の満月の晩に竜王の従者が墓を掘り起こす。仮死状態になる秘薬と時間停止魔術は竜王が自ら作り出した貴重な代物だ。
そしてマリアンネの指には、亡き母の形見と偽った指輪を嵌めていた。サファイアの宝石には幻影を見せる術をかけており、指輪を嵌めている間はマリアンネの容姿になれる。
アラセリスは美しいローズブロンドの髪と緑の目をした儚げな美少女のマリアンネとは似ても似つかない。青みを帯びた黒色の髪と、夜空を切り取ったかのような群青色の瞳。夜の化身である竜族に相応しい色合いだったことだけが、アラセリスの自尊心を満たしていた。
「私はこれから国に戻りますが、アラセリス様はいかがなさいますか」
「私は……もう少し国に残ってからお義兄様の元へ帰ろうと思います」
ザカルディアにはマリアンネとして入国している。身分証もないため、一度この国を出たら最後。いつこの国に入国できるかはわからない。
(リーンハルト様の様子も気になる。裏切り者の私が心配する道理はないかもしれないけれど)
一番の被害者はマリアンネの夫だった男、リーンハルトである。カロンの国王夫妻は本物のマリアンネの行方も、アラセリスが身代わりとして嫁ぐことを把握していた。それでも国のために、ザカルディアに婚約解消を申し出ることをせず、知らぬ存ぜぬを貫き通している。
「まさか身籠っているなんてことはないでしょうね」
「違います、ありえません。殿下は私が心を開くまで待つと言ってくれました」
無理やりにでも初夜を遂行できただろう。万が一のことを考えて、アラセリスは義兄から避妊薬を渡されていた。
だがそれも杞憂だった。リーンハルトは誠実で精錬で、高潔な人柄だった。マリアンネに恋心が芽生えるまで、自分たちのペースで夫婦になろうと告げてくれたのだ。
そのときのことを思い出すと、アラセリスの良心が痛む。『恋心など絶対に抱くな』というのが義兄との約束だったため、リーンハルトに惹かれないようにそっけない態度を貫き通していたのだ。
竜王への報告はフィデルに任せて、アラセリスは王都の馬車乗り場まで彼に送ってもらった。ひと月程度の旅費や着替えなどはポシェットに入っている。見た目は小さいが、中は竜王が施した術がかけられている。無制限に収納が可能だ。
朝日が昇るまで、アラセリスは人気につかないように身を潜めた。第二王子妃のマリアンネの死去からひと月が経過しており、しばらくリーンハルトは喪に服すのだろう。
(せめて笑顔で、元気になった彼を確認するまでは国に残りたい)
いつか近い未来にリーンハルトが再婚してくれたら、アラセリスは心置きなく義兄の元へ戻れるだろう。そこに果たして自分の居場所があるかが心配だが、それは今考えることではない。
こうしてアラセリスは本来の自分を取り戻し、馬車を乗り継いで海沿いの街、トレンメルにたどり着いたのだった。




