2.
海沿いにある第三の地方都市、トレンメル。ここはザカルディア王国の貿易の要として発展した街である。
東地区の大通りにある郵便局にて、アラセリス・アリアスは手紙の代筆課に勤めていた。
「書いてもらった恋文を渡したら成功率が100%という噂の代筆係って、あなたのことですよね?」
「……はい?」
目を輝かせている年頃の少女の前で、アラセリスはぽかんと口を開ける。
彼女は「青みがかった黒髪と夜空のような群青色の瞳の女性って、他にいますか?」と問いかけるが、その特徴はアラセリスしか当てはまらない。
(ここしばらく、若い女性に「私が書いた恋文を綺麗に清書してほしい」という、少し変わった依頼が続いていたけれど、まさかそんな噂が立っていたなんて……)
仕事中は手紙の内容を記憶しないようにしている。あくまでも綺麗に書き写すだけなので、なにが書いてあったかまでは覚えていない。
「えっと、私は文字を書くことが仕事ではありますが、内容は皆さんが考えたものですので……恋文を代筆したから告白が成功したということにはならないかと」
「もちろんわかっています。清書をしただけなんですよね? でも綺麗で読みやすいって評判なのは本当ですよね。ぜひ、私のもお願いしたいんです! 文字は書けるけど、全然綺麗じゃないから」
手紙には丸っこい文字が綴られていた。可愛らしくて個性的で、十分彼女の気持ちが伝わる。
「私は素敵な文字だと思いますよ。このまま渡されては?」
「いいえ、無理です。字が汚いからって振られるかもしれないもの。私はあなたみたいな、綺麗な字がいいんです」
少しでも自分をよく見せたい。その気持ちも乙女心なのだろう。
アラセリスが書く字は、ありがたいことに評判がいい。丁寧で読みやすく、お手本のようにバランスがいいが、無機質な感じはしない。そして女性的な柔らかさがあると言われることが多い。
(真正面から褒められたら素直にうれしいわ)
恋する女性にとって、代筆は正当な報酬を支払って依頼するためズルだとは思わないらしい。それに内容は依頼者本人が考えたものだ。受け取った相手のことを考えて綺麗な手紙にしたいのだそう。
ごほん、と奥から局長の咳払いが聞こえてきた。アラセリスは思わず背筋を正す。
(いけない、依頼人を追い返したら局長に怒られちゃう)
売上と依頼者を逃すなと思われそうだ。
「わかりました。お手紙を拝借しますね。便箋は購入されますか? インクの色も選べますが、いかがなさいますか?」
「便箋はこの、季節の花が描かれたものがいいわ。インクは青でお願いします。彼、青が好きだと言っていたから」
恋する女性は可愛らしい。アラセリスは依頼人からの手紙を読みながら、便箋に同じ文章を綴る。丁寧で読みやすく、気持ちが伝わりやすいように心がけて最後まで書き上げた。
確認を依頼すると、女性の顔に満面の笑みが広がった。「すごく綺麗で読みやすいわ!」とはしゃいでくれている。
アラセリスはほっと胸を撫で下ろす。この仕事についてから、手紙を確認してもらう瞬間が一番緊張するのだ。
封筒に宛先も記入し、依頼者へ渡す。このまま切手を貼って郵送することも可能だが、彼女は直接想い人に手渡す方法を選んだ。
「うまくいったら報告に来ますね」
代筆の代金を支払ってもらい、彼女の背中を見送った。うれしい報告が聞けることを願いながら、次の依頼者が現れるまで束の間の休憩を取ることにした。
◆ ◆ ◆
アラセリスがトレンメルの郵便局で働きはじめてから二か月弱。まだ新人だが、ありがたいことに暇を感じる間もないほど毎日依頼者が訪れていた。
ザカルディア王国の識字率は、地方に行くほど低くなる。大多数の人は文字を読むことはできるため日常生活に支障はないが、書くことに苦手意識を抱いている者が多い。若い世代は問題なく読み書きができるそうだが、それでも綺麗な字に憧れて代筆を頼むことも少なくはない。
気持ちを文章に載せて手紙を書く。その手助けができる仕事に、アラセリスは毎日やりがいを感じている。
(私はとても運がいいわ。人から感謝をされる仕事にありつけるなんて、少し前の自分には考えられないくらい)
郵便局員が住まう寮の一室がアラセリスの住まいである。十分な広さの個室を与えられており、必要最低限の家具が備え付けられていた。また、各部屋には洗面室までついている。贅沢すぎる設備がありがたい。
この仕事に就く前は、南地区にあるパン屋を手伝っていた。アラセリスがトレンメルの街にやってきて早々に、パン屋の女将が道で産気づいているところに遭遇した。困っている彼女を助けて助産院まで運び、パン屋の店主に連絡を入れたことがきっかけで店を手伝うことになったのだ。
ちょうどトレンメルに来たばかりだったため、住まいも職もなく、行く当てもなかった。そんな状況でたまたま生まれた縁がきっかけでパン屋に住み込みで働きはじめて、赤子が生後三か月を過ぎた頃。今度は街で迷子になっている男の子を保護した。
身なりが整った男の子はバルシュミーデ伯爵家の嫡男だった。トレンメルの街も伯爵領の一部で、街まで遊びに来たところ付き人とはぐれたらしい。
弟を迎えに来た彼の姉が、アラセリスが書いていたパン屋の新商品のメニューに目を留めた。「すっごく綺麗な字だわ。あなた、郵便局で代筆の仕事をしたらどう? よければ私が紹介するわ」と、新たな仕事を斡旋してくれたのだ。
その後、アラセリスはとんとん拍子でパン屋の住み込みを卒業し、郵便局に就職ができることになった。まだ使用期間中のため臨時職員扱いだが、半年が経過したら正職員になれるらしい。
「不思議なご縁よね。レベッカ様にお会いしなかったら、私は自分の文字が武器になることも知らなかったもの」
窓を開けて、夜空に浮かぶ月を眺める。あと数日もすれば満月になるだろう。
トレンメルの街に来てから、何回月を見上げただろうか。数か月前に眺めた満月は、儚くて冷たくて、切ない気持ちにさせられた。
後悔と罪悪感と、未来への不安。複雑な感情を投影したかのようで、直視ができなかったことを覚えている。
郵便局の部屋には毎日新聞が届けられる。今朝は忙しくて読めなかったが、毎晩寝る前に必ず目を通すようにしていた。
目的はひとつ。とある人物の動向を探るためである。
「リーンハルト様、また痩せたみたい」
掲載されている写真を見て、アラセリスは眉を顰める。そこにはザカルディア王国の第二王子、リーンハルトが大きく取り上げられていた。
報道写真が王立新聞に掲載されるようになってから、人々はこぞって新聞を読むようになった。この傾向もあり、文字に関心を持つ人が増えたことは好ましいが、まだ丁寧に書くことに苦手意識を抱く人も多い。
新聞記事の見出しには、リーンハルトが検挙した事件が報道されている。彼は王太子の補佐と王立騎士団の副団長を兼任していた。
仕事が忙しいのだろう。アラセリスの記憶の中より頬がこけて、目の下にある濃い隈が隠しきれていない。髪も伸ばしっぱなしのようで、ひとつに結んでいる。目から精気を感じないのはきっと写真のせいではない。
「……ごめんなさい」
リーンハルトはひだまりのような笑顔が似合う優しい人だった。爽やかな微笑が眩しくて誰からも愛されており、困っている人には自然と手を差し伸べるような王子だった。
だが今は、当時の面影を感じられない。仕事に邁進する姿が痛々しく、新聞にもはっきりと「心の傷が癒えていないのだろう」と心配する声が書かれている。
(謝罪なんて無意味なこと。罪悪感を抱くなら見なければいいのに、元気になった姿が見たくて止められない)
少しでも昔の彼の面影を感じたくて、もう大丈夫だと思いたくて、アラセリスは毎日隅々まで新聞に目を通す。
それは少しでも自分が安心したいからだ。彼を傷つけた張本人のくせに、遠くから見守りたいと願うなど、虫が良すぎて嫌になる。
「せめて笑顔を取り戻す姿を拝見するまでは、国から出られない」
王国から一度でも外に出たら最後、二度と入国は不可能である。
孤児だったアラセリスには身分証明書や戸籍もなく、アラセリス・アリアスという名前も本名ではない。
だからもう少しだけ今の仕事をしながら、遠くからリーンハルトを見守りたい。それがかつて彼の妻だったアラセリスの、せめてもの贖罪だと思えるから。




