1.プロローグ
マリアンネ・ラシェル・カロンが死んだ。
小国の王女だったマリアンネが大国の第二王子、リーンハルトの元に嫁いでから僅か三か月後のことだった。
その日の朝は深夜から降り積もった雪で、城の外は一面が銀化粧で覆われていた。マリアンネを起こしに来た侍女は、何度揺すぶっても返答がないことに違和感を抱き、慌てて人を呼びに行ったのだと泣きながら証言した。
マリアンネの顔は穏やかで、ただ深い眠りについているだけ。いつか目を覚ますのではないかと錯覚しそうになるほど静かな眠っている。
「マリアンネ」と、夫であるリーンハルトが何度も呼び掛けても、彼女は指一本動かさない。身体は冷たく、心音もない。左胸に手を置いたが、鼓動を感じ取ることができなくて、リーンハルトはその場で呆然と立ち尽くした。
幸い苦しんだ形跡はなく、安らかな死を迎えたようだった。死因は心筋梗塞か脳出血か。元々マリアンネは身体が弱く、季節の変わり目には必ず風邪をひいていたらしい。
深夜から降り出した雪の影響で室内の温度が著しく下がったことも要因のひとつとして考えられると言われ、リーンハルトは深い悲しみの渦に巻き込まれた。
「結婚して三か月しか経っていないじゃないか。これからたくさん、国内を巡ろうと約束したのに……まだなにも、君に紹介できていない」
ふたりは政略結婚だった。小国のカロンには貴重な資源が眠っており、大国のザカルディアは国交を強化したかった。カロンにとっても大国の後ろ盾ができるため、侵略の心配から免れる。王家の中でただひとりの王女、マリアンネを第二王子のもとへ嫁がせることにしたのだ。
リーンハルトはすぐにマリアンネを好ましく思ったが、彼女の心は頑なだった。少しずつ交流を増やして互いを知り、恋心が芽生えるまで彼女に触れない。誠実な男であろうと、辛抱強く待つことを選んだ。
マリアンネが微笑んでくれるだけでうれしかった。心の奥がざわついて自然と頬が緩んでいた。確実に恋だとわかっていたから、リーンハルトはただ待ち続けた。無理やり彼女の心を踏みにじることはしたくない。義務として初夜を遂行するのも虚しいだけである。
けれどマリアンネのもとに、天の使者から早すぎる迎えが来てしまった。最後に交わした言葉がなんだったのかも思い出せない。
「こんなに早く別れがくるなんて……もっと、気持ちを伝えておけばよかった」
葬儀の日まで、マリアンネの棺は大聖堂に保管された。リーンハルトは時間ができるたびに足しげく通い、何度も彼女が蘇ることを祈った。
だがその願いが叶うことはなく、粛々と葬儀が執り行われた。
カロンから国王夫妻が現れることはなく、代わりに使者がやってきただけ。
マリアンネは国王と側室の娘で、正妃には疎まれていたという報告を受けていたが、実の娘の葬儀にも参加しないカロンの国王には言いようのない不快感を覚えた。
マリアンネの実母は数年前に他界している。彼女は天国で最愛の母と再会しているだろうか。
棺の中で手を組んだマリアンネを、蓋が閉まる瞬間まで見届ける。
彼女の母の形見である指輪を手から抜き取りたい衝動に駆られたが、これを奪ってしまったら彼女が悲しむだろう。もしかしたら天の国で母親と再会できなくなるかもしれない。
「安らかな眠りを、マリアンネ」
何年後か、何十年後かはわからないけれど、リーンハルトもいつかは死ぬ。
そのときは、彼女と笑顔で再会できるだろうか。「遅い」と罵られるだろうか。それとも「もう来たの?」と言われるかもしれない。
もしも再会できたら、抱きしめさせてほしい。生きているときは遠慮してしまい、彼女を抱きしめることもできなかったのだ。
マリアンネの墓は、王城から少し離れた丘の上に建てられた。見晴らしがよく、王都の街が見下ろせる。
生前彼女は言っていた。死んだらここに墓を作ってほしいと。
まだ十八歳の王女が死後の話をするなんてと思ったが、もしかしたらなにかを予期していたのかもしれない。元々身体は弱かったのだ。これまで死を覚悟した瞬間が何度もあったのだろう。
雪の日も雨の日も、リーンハルトは毎日マリアンネの墓標に花を添えた。
以前のように笑うことはできなくなったけれど、墓の前に立ったときは少しだけ深く呼吸ができる気がした。
そして葬儀から一か月後。年が明けた一月のある日のこと。
リーンハルトは墓の前で、微かな違和感を抱いた。自分以外にも誰かがここに来た痕跡が残っていたのだ。
雪に足跡は残っていないが、積もり方が歪だった。マリアンネの墓の周辺だけ、均一に雪が積もっていない。
野生の動物かなにかかと思ったが、リーンハルトは己の直感に従うことにした。彼は兄である王太子の補佐をしつつ、騎士団の副団長を兼任している。僅かな違和感の正体を突き詰めるべく、リーンハルトは側近の手を借りることにした。
死者への冒涜だと苦言を呈されつつも、リーンハルトは墓を掘り起こした。
ここは王城の敷地内のため、一般人が入れる場所ではない。だがもしかしたら、王族の墓には金目のものが眠っていると考える輩が城に勤めている可能性も否定できない。
そしてリーンハルトは違和感の正体を突き止める。
棺の蓋を開けて、大きく息を呑んだ。
「……いない?」
マリアンネの亡骸が消えていた。
もぬけの殻になった棺には、彼女の周りに敷き詰めていた花の残骸が残っているだけ。
何度も瞬きを繰り返して確認したが、マリアンネの姿が見当たらない。
「どういうことだ……? 一体いつから」
側近と共に驚愕する。
死んだはずの最愛の妻は、まるで最初から棺にはいなかったかのように、姿を消していたのだった。




