28.
リーンハルトが髪を切った。喪に服している間はずっと伸ばしっぱなしなのかと思っていたが、特にこだわっていたわけではないらしい。
「殿下が、以前に戻られている……」
「大げさだな。髪を切っただけだぞ」
目を潤ませて喜んでいるのは、リーンハルトの側近のカミルである。ドミニクは騎士団の副官で、カミルは身の回りの世話や王太子との連携などをしていたそうだ。
リーンハルトがトレンメルに長期滞在している間、カミルは王城に残っていた。だが仕事も大詰めになった今、王城から呼び寄せることにしたらしい。
「ちなみに髪を切ってくれたのは彼女だ。アラセリス・アリアス、俺の大事な女性だ」
「ええっ!? 殿下、どういうことですか!」
アラセリスは手にしていたカップを置いて、カミルに一礼した。昨日突然、リーンハルトが「髪を切ってほしい」と部屋に押しかけてきたのだ。
秘密を明かした翌日から、アラセリスはリーンハルトが滞在している屋敷で世話になっている。危険な事件に巻き込まれないようにという配慮だそうだが、特別待遇をされていることがいつ誰に漏れるかわからないため、早く寮に戻りたい。
「はじめまして、カミル様。たまたま職場の郵便局で第二王子殿下と知り合い、成り行きで友人のように親しくしていただいているアラセリスと申します。それ以上の関係ではございませんので、どうぞご安心ください」
余計なことは言わせない。アラセリスがマリアンネだったというのは、ふたりだけの秘密だ。
また、貴族の養子に入るという話は保留にしている。リーンハルトと再婚なんてとてもではないが現実的ではないし、アラセリスも望んではいない。
カミルは戸惑いつつも挨拶を返した。だが、すぐにアラセリスにジトっとした眼差しを向ける。
「友人以上の関係ではないのに、殿下の御髪を切られたのですね……私でさえ任されたことがないというのに」
(もしかして私、嫉妬されてる?)
見た目は童顔で可愛らしい顔立ちをしている男だが、大分癖が強い。マリアンネのときも会釈をしたことはあったが、そのときはキリッとした表情を崩さない男に見えた。どうやら本性はこっちなのだろう。
「うまいだろう? 適当でいいと言ったんだが、アラセリスは手先が器用なんだ」
「ええ、そうですね。さっぱりしてよくお似合いだと思いますよ」
他人の髪を切ったことなどはじめてで、アラセリスの寿命は少し縮んだ気がしたが、意外にも高評価でホッとした。髪切り用の鋏を渡されたときは、どういうつもりなのかとヒヤリとしたが。
(吹っ切れた、ということでいいのかな。私のせいでずっと心に靄がかかっていたのが晴れたってことで)
髪を切るというのが一種の儀式のように思えた。気持ちを切り替えるための大事な役目を任されてうれしいと思った反面、責任を取らされたとも思っている。
カミルは王太子から預かった仕事の束を持ってきたらしい。「いつ王都に戻ってくる予定なのか確認してこい、とのことです」と伝言を伝えている。
「それはまあ、今抱えている問題が解決するまでか」
リーンハルトがちらりとアラセリスに視線を移した。何故、朝食の席で彼らの話し合いに同席する羽目になったのかが疑問である。
黙々と出された食事を平らげる。残すなんてありえないので、皿の上はいつもきれいに食していた。
「殿下がトレンメルで発見した不審物は、やはり今話題の薬物、テティで間違いないそうですよ。ここを薬の拠点にしていると思いますが、恐らく他にも根城があるでしょうね」
「そうだろうな。ひとつずつ暴いて潰していくしかないか。密輸した原料は早く押収したいところだが」
これから大がかりな摘発が起こるようだ。騎士というのは大変な職業だと、アラセリスはしみじみ思う。
だが自分も無関係ではない。レベッカが関わっている可能性が残っているのだ。彼女の心を開いて、知っていることを訊きだすのがアラセリスの役目である。
(私にできるかしら……きちんとした交友関係を築くのははじめてだから、ものすごく自信がない)
もしもレベッカが、「副作用も後遺症もなく、適量を正しく服用するなら問題ないじゃない」と主張したら、確かに……と納得しそうだ。毒と薬は使い方次第なのだから。
だが問題は、国が認めていない薬に依存することである。所持しているだけでも罪になるのなら、友として正しい道に戻してあげなくては……。
「アラセリス、今日はこれからレベッカ嬢と噴水前で待ち合わせをしているんだろう。そろそろ出かける準備をした方がいいんじゃないか」
「あ、そうですね」
ゆっくりしていたら待ち合わせ時間のギリギリになってしまいそうだ。
カップのお茶を飲み干して、リーンハルトとカミルに一礼する。
「それではお先に失礼いたします」
「待ち合わせ場所まで馬車で送ろう」
「いいえ、お気持ちだけで十分です」
「俺もレベッカ嬢に挨拶しようと思う」
リーンハルトはなるべくアラセリスをひとりにさせたくないらしい。
夏至祭が行われる今日、郵便局は一日休みになった。そのためレベッカとデートができるのだが、リーンハルトまでついてくるつもりらしい。
「今日はカミル様とご一緒に行動されては? トレンメルでの夏至祭ははじめてでしょう」
「君もはじめてだろう。それならはじめて同士で楽しもうじゃないか」
「……レベッカ様が難色を示したら、別行動でお願いしますね」
彼女は今さらだと思うかもしれないが。もしかしたら、弟のオリヴァーを連れてくるかもしれない。
(オリヴァー様はあまり屋敷から出られないって仰っていたわよね)
内向的で集団行動が苦手だそうだ。大人しい性格のため、屋敷に引きこもることが多いらしい。
外向的で明るいレベッカとは正反対である。だがレベッカは、言葉の端々から弟を気にかけているようだった。
先日彼女と購入した色違いのカチューシャを着用し、耳飾りもつける。地味だと言われるアラセリスも、装飾品をつけたら年頃の女性に見られるかもしれない。
準備を整えて玄関まで向かう。軽装姿のリーンハルトは、騎士の制服を着用していなくても目を惹く男である。
「殿下は、人ごみでは変装した方がいいのでは。せめて帽子をかぶるとか」
「それを言うなら君も帽子をかぶった方がいいんじゃないか。そんなに可愛く着飾っていたら不埒な男から声をかけられるかもしれない」
「私はただの平民なので適当にあしらえますが、殿下はできないでしょう」
褒められたことは聞き流す。髪飾りと耳飾りが可愛いのはレベッカが選んでくれたので当然である。
リーンハルトは渋々帽子を深くかぶることにした。
カミルを含めた三人で馬車に乗り込み、レベッカとの待ち合わせ場所に到着する。
だが待ち合わせ時間から一時間が経過してもレベッカは現れない。
いつもなら必ず五分前には到着していた彼女の行動とは思えず、アラセリスは嫌な胸騒ぎを感じた。




