27.
「どういう意味ですか?」
昨日はあんなに仲良さそうに話していたというのに、彼は裏で伯爵家の調査でもしていたのだろうか
リーンハルトが上体を起こした。アラセリスも身体を起こし、彼と向き合う。
「まだ断定できていないが、レベッカ嬢は間接的に違法薬物に関与している可能性が浮上している」
「え……!?」
「正確には、婚約者であるヘルムフリート・バルリングに手を貸しているのではないかと見ている。バルリング家は去年、海外からとある生物を密輸した疑いで調べが入っている」
「密輸……」
それが違法薬物に関係しているのだろうか。薬物の原料として使われているものなのかもしれない。
「まさかそれって、昨晩見つけた蚕の糸ですか?」
「あれは恐らく、蜘蛛の糸だ。銀色に輝く毒蜘蛛を君も見ただろう」
リーンハルトが郵便局で退治した蜘蛛のことだ。見かけない種類だと思ったが、やはり外来種だったらしい。
「外来種の虫は、稀に船に入ってしまうことはあるが、街中で見かけるまで繁殖することはあまりない。天敵も多いからな。それに雪が降るザカルディアで、蜘蛛は冬を越せないとも言われている」
誰かが蜘蛛を飼育しない限り、急激に増えることはないそうだ。アラセリスたちが見たシルバーウィドウと呼ばれる毒蜘蛛は、特殊な環境下でしか繁殖しないらしい。
「その蜘蛛が、違法薬物の原料に使われているのですか?」
「恐らく。蜘蛛の糸なのか、毒の成分なのかは調査段階だが……トレンメルのどこかに隠れ家があるはずだ。そこで毒蜘蛛を飼い、蜘蛛から成分を抽出して薬を精製している可能性を考えている。レベッカ嬢には見張りをつけているが、今のところ怪しい動きはないそうだ」
レベッカは無関係だと思いたい。髪に付着していた蜘蛛の糸もたまたまどこかでついただけだろう。
だが彼女はれっきとした貴族の令嬢だ。貴族は心の声を完璧に隠す術を身に着けている。
それにこの街はバルシュミーデ伯爵が治めている。伯爵が違法行為に関わっているのなら、レベッカも事情を知っている可能性は高そうだ。
「レベッカ様が違法薬物に関心を持たれるはずが……」
彼女は聡明な貴族令嬢だ。頭の回転も速く思いやりもあり、平民のアラセリスを友人として接してくれている。
はじめて年齢が近い友ができたと思っていた。彼女を疑うような真似はしたくない。
「その違法薬物はどんな作用があるんですか?」
「新種の麻薬の類だな。なりたい自分に近づける魔法の薬、という悪魔の囁きと共に売られるらしい。最初は安価で配り、段々と高額になっていく。気づいた頃には家財道具を売らないと手が出せないほど高額になり、薬が切れればこれまでの反動で精神を病むそうだ。依存性が高く中毒性もあるため、他国では規制されている」
何故そんなものが出回るのか。
その問いに、リーンハルトは「金のためだ」と言い切った。
「人間の欲望に付け込むことが手っ取り早く儲かる。人の欲とは際限がないからな」
事業に失敗し、多額の借金を背負った貴族も加担している可能性が高い。ストレス過多な人間も薬物に手を出しやすい。
理想の自分に近づきたくて、安易に手を出してしまうのだろうか。皆、最初は違法な薬だとは知らされていなかったのかもしれない。
(貴族社会は特に重圧が大変だもの。社交界なんて誰かと比べることばかりで、もしも理想の自分になれたらって思うことはあると思う)
頭の片隅に、レベッカとの会話が蘇る。以前郵便局の応接室で、社交界が変だと話していなかったか。
以前とは別人のような人格になっている人が数人いると言っていた。そのときはただ不思議だと思っていたが、その人たちも薬に手を出していた可能性が高そうだ。
そしてもしかしたら、アラセリスはレベッカに試されていたのかもしれない。彼女が本当に薬の関係者なら、アラセリスも理想の自分に変わりたいひとりかどうかを見極めようとしただろう。
少しでも興味があるふりをしていたら……そこまで考えて、嫌な思考を打ち消すように首を左右に振った。
(疑うことは簡単だけど、私はレベッカ様を信じる)
なにか困ったことになっているのなら、自分が助けになりたい。彼女のおかげで、アラセリスは今の自分がいるのだ。
「私、レベッカ様と話をしてみます。なにか困ったことがないかと」
「落ち着け、彼女との接触は慎重になった方がいい」
裏で騎士団が調査をしている。素人のアラセリスが彼らの段取りを無視するわけにはいかない。
「先日の郵便局での監査は、違法な郵送物が混じっていないかの確認だけではない。郵便局員に不審な行動がないか、裏帳簿が存在しないかを確認するためのものでもあった。あの日、誰か極度に緊張していたり、怪しい動きをしていた人物はいないか」
「特には……騎士の皆さんへの評価が下がったみたいで、女性たちはご立腹でしたね。裏帳簿とやらはわかりませんが、職場でよからぬことをしようと思えば、全員出来る気がします」
荷物を届ける配達員や窓口の受付もそうだろう。配達前にこっそり別のものを混入しようと思えばできてしまうのだから。違法物だとわかっていても、黙認して受付を済ませることもできる。誰が不正を行っていても見抜くことは難しい。
「緊張という意味では、デリンガー局長くらいでしょうか。でも普段から汗っかきですし、いつもレベッカ様相手にも腰が低いんです。よくハンカチで額を抑えていますね」
まだ夏の暑さには早い時期に、それほど汗をかくことがあっただろうかと思っていた。館内は風通しもいいが、あれは精神的な緊張からくる汗ではないか。
「デリンガーは元々目をつけていた男だ。この間も銀後家蜘蛛の名前を呟いていたな。もしも横領ができるとしたら、局長が一番濃厚だ。不正を見逃しやすい立場にいる」
横領していた資金を薬物の組織に渡していたのなら大問題である。見返りに薬物をもらっていたのだとしても、デリンガーの気の弱さと腰の低さは昔から変わっていないらしい。
(理想の自分になれる魔法の薬って、簡単に周囲が見抜けるものではないのかも? 皆が気が大きく自信家になりたいわけではないものね……)
真剣な眼差しで考え込んでいるリーンハルトをじっと見つめる。凛々しい表情は騎士団の副団長の顔だ。
彼はアラセリスの視線に気づくと、自然な流れで唇を奪った。
「……っ!」
「物欲しそうな顔をしていたから。違ったか?」
「ち、違います! キスしてほしいとか言ってません……!」
そもそも寝起きの顔である。身支度もできていないまま会話をしている状況だと気づき、今さらながら羞恥心に悶えそうになった。
「なあ、アラセリス。もう一回してもいいか」
「ダメです」
「恥ずかしがる君をじっくり堪能したい」
「だ、ダメに決まってます!」
リーンハルトは笑いながら立ち上がった。「残念だ」と言っているが、また隙を見てやりそうである。
(この人、本性はこんな性格だったんだ……甘いだけじゃなくて、なんかこう、ムズムズする……!)
空気が甘くて困る。これからどうしたらいいかがわからない。
「デリンガー以外にも職場で怪しい動きをしている者がいたらすぐに俺に報告するように。それと、君は危険な行為に首を突っ込むなよ?」
朝食後、馬車で郵便局まで送られるまでの間、彼はアラセリスの手を繋いだまま忠告した。恥ずかしすぎて何度も手を離そうとしたけれど、繋がれた手はびくともしなかった。




