26.
目が覚めたら朝だった。見知らぬ天井と部屋の内装を見て、アラセリスは身体を無理やり起こす。
頭がすっきりしない。鈍い痛みは二日酔いかもしれない。
「ここ、どこだっけ……?」
寮の部屋ではない。どこかの屋敷の客室のようだ。
窓の外はしとしとと雨が降っている。今日は朝から雨模様で、外に出るのも億劫になりそうだ。
「あ、仕事……!」
慌てて寝台から降りようとして、つま先が毛布に絡んだ。体勢を崩して床に落ちそうになったとき、寝室の扉が開かれる。
「そろそろ目が覚めた、か……なにをしてるんだ、君は」
「あの、寝台から落ちそうで……」
危うい体勢のところを助けてくれたのはリーンハルトだった。彼はアラセリスの身体を難なく持ち上げて、寝台の上に下ろした。
「目を離した途端これか。君は案外そそっかしいんだな」
「違います、ちょっと慌てただけで……って、ここは? 私、もしかしなくても昨晩あのまま寝てしまいましたか?」
飲酒をして泣いて、意識を落としたのではないか。そんな子供のような真似をしでかすとは思わず、頭がさらに痛くなりそう。
(寝間着に着替えさせてくれたのは、屋敷の人だと思いたい……)
考えることがありすぎて申し訳なくなる。
リーンハルトは寝台に腰を下ろすと、アラセリスに水が入ったグラスを手渡した。
「まずは水でも飲め。水分補給は大事だ」
「……ありがとうございます。いただきます」
時間を尋ねたが、いつもの起床時間よりも早かった。一度寮に戻り、制服に着替えてから出勤しなくてはいけない。
「一晩考えてみたんだが、簡単に状況を整理したい。まず竜の国に戻る鍵は使用済みで、迎えが来てくれない限りこの国から出られない。そういうことだな?」
「はい、そうですね。お義兄様に連絡はできますが、どう思われるか……マリアンネ様が私に話し相手になってほしいと言うのを、あまり面白く思っていませんでしたので」
自分以外に頼ることが気に食わないのだろう。話し相手なら自分がいるではないか、と義兄が嫉妬心を燃やしていることには気づいている。
番に対する竜族の執念は凄まじいのだと説明すると、リーンハルトはわかりやすく引いていた。「昨今は村を燃やしたりはしませんから」と伝えたら、余計脅すことになってしまった。
「人とは倫理観が違うことを理解した。カロンの国王が従うしかなかったというのも、今なら理解できる。君を巻き込むことが一番穏便に済ませられる方法だったんだろう」
「はい……カロン側としても、ザカルディアとの縁談は断れない立場でしたので」
小国としては大国の後ろ盾がほしい。王女は二つの国から輿入れを望まれていた。竜王を怒らせれば国が滅び、大国を蔑ろにしても国が衰退するとなると、アラセリスの存在は実に都合がよかったはずだ。
空になったグラスに、ふたたび水を注がれた。水分補給をすると少しずつ頭痛が引いていく。
「ならばやはり、どこかに養子に入るのが手っ取り早いか。いくつか候補を考えていたんだが」
「は? え、養子って、私がですか? どうして」
「君は竜王の義妹になっているが、公にはできないんだろう。アラセリス・アリアスという名前も竜王が命名したんだよな。ちなみにアリアスというのは?」
「私を見つけた場所の名前だそうです」
義兄の名前の一部というわけでもない。
ちなみに竜王の名前は長すぎるせいで、本人も全部は覚えていないらしい。アレンサナ、という名前だけは教えてもらったので、親しい者は竜王をアレンと呼ぶ。きっと今頃は、マリアンネが付けた名前で呼ばれていることだろう。
「なるほど、それならアラセリスという名前だけ残しておけばいいな。ザカルディアで後ろ盾になれる家があった方がいい。でないと俺と再婚ができない」
「ごふっ」
水が気管に入った。
盛大に咳き込んでいると、リーンハルトはアラセリスの背中をさすりながら、手にしていたグラスを抜き取った。
「大丈夫か?」
「いいえ……聞き間違いじゃなければ、再婚とか言いませんでしたか」
「言ったな。マリアンネの葬儀から一年は喪に服す必要があるから、その後に婚約と再婚。最短で一年半から二年はかかるだろう」
「なにを仰ってますか?」
アラセリスは寝台の上を後ずさる。よく考えれば、元夫婦とはいえ男女が同じ寝台に座っているなど、よろしくないのではないか。
「なんで離れるんだ。昨晩はあんなに甘えてきて可愛かったのに」
「甘え……!? ちょっと、変なこと言わないでください! 私なんてマリアンネ様と比べたら可愛くなんか」
「何故他人と比べる必要があるんだ。俺は君のことも美しいと思っているが」
「な……、きゃっ!」
寝台に押し倒された。片手を握られて、真上から見つめられる。
「君はどうも自己評価が低いようだが、それはこれから改善したらいい。俺は君の青が混じった黒髪と、夜空のような瞳も綺麗だと思っている」
髪をひと房手に取られた。
リーンハルトは躊躇いなく毛先にキスをする。
(ひぇ……っ!)
一瞬で顔が真っ赤に染まった。こんな状況が信じられなくて、色香を振りまくリーンハルトを直視もできない。不自然なほど呼吸が荒くなる。
「無理、無理ですって! 現実を考えてみてください。私がたとえどこかの家に養子に入ったとしても、殿下と再婚なんて許されるはずが」
「いい加減、俺のことは名前で呼んでくれないか。殿下呼びは他人行儀みたいで嫌だ」
(一応他人なんですよ……)
渋々彼の要求を受け入れる。アラセリスはもう一度、現実的に素性のわからない平民の女を養子にしてくれる貴族の家は見つからないと宣言した。
そもそも彼と結婚したいなど考えてもいない。共に未来を歩みたいなど、おこがましい夢は抱いていないのだ。
「私の養子先でかろうじて可能性があるとしたら、レベッカ様の伯爵家だと思いますが」
「バルシュミーデ伯爵家は……止めておいた方がいいだろう。少々きな臭い噂がある」




