25.
アラセリスが竜王に拾われて育てられたのは、人間の雌の生態を知るためである。いつか現れるかもしれない番のために、人間を深く知っておきたいと思ったのだろう。
ようは観察対象として傍に置かれて、いつか番との間にできる子供を知るための予行練習で育てられたに過ぎなかった。
竜族に見初められることは天災と同じこと。手段を選ばず囲い込まれて箱庭から逃げられない。なんの力を持たない弱い人間は、竜の寵愛を一身に背負うことになる。
そして竜の国に連れてこられた人間は、その存在を他の者には明かさない。誰の目にも触れられない場所で慈しみ、愛を育むのだ。
だからこそ、あの国でアラセリスは異質な存在だった。誰の番でもないただの人間が竜王の義妹になり、堂々と城で過ごしている。きっと竜にとっては、奇妙な珍獣でも見ている気分だっただろう。
何事にも執着せず、無気力だったアラセリスの義兄も、番を見つけてからマリアンネが世界の中心になった。千年以上生きてきてはじめて運命の相手と出会えたのだ。最初で最後の恋に夢中になるのも無理はない。
竜王に拾われる以前の記憶をなくし、孤児になったアラセリスに名を与えて教育を施したのは義兄である。困っているなら助けてあげたい、恩を返したいと思うのは人として当然のことだろう。特殊な環境で育てられたが、アラセリスの倫理観は人間のままだった。
たとえ義兄から与えられたものが無償の愛ではなかったとしても、アラセリスにとってはどうでもいい。子供だった自分を保護してくれて、家族になってくれただけで十分なのだから。
「マリアンネ様は番として、竜族の王に嫁がれました。私は竜王の義妹として育てられた人間の孤児です。この名前はお義兄様から与えられたもので、本当の名前と素性はわかりません」
亡き母の形見だと偽って身に着けていた指輪に幻影の魔術が施されていたこと、死んだことにして国へ帰還するように命じられたことも明かす。
三か月間、第二王子妃として過ごしていたのは偽物のマリアンネだった。大国の王族を騙していた罪はどれほど重いのだろう。投獄されて、一生日の下を歩けないかもしれない。
「ならばあの日、君が死んだ日の朝は生きていたのか? 死亡判定をした医師は共犯か?」
「いいえ、違います。お城の人たちは誰も共犯者ではありません。私はいわゆる仮死状態で、迎えが来るまで身体を冬眠させていたんです」
「いや、だとしてもおかしいだろう。だって君は墓に埋葬されていたんだぞ。棺に閉じ込められている間の酸素は? 生きていたとしても窒息死していたんじゃないか」
厳密に考えればその通りだと思いつつも、アラセリスは生きている。竜族が使う特殊な魔術によって冬眠し、時間停止で身体の生命を維持していた。常識に当てはめることが無意味なのかもしれない。
マリアンネの正体を明かし、死んだふりをして城から脱出した。誤算といえばリーンハルトがマリアンネに恋心を抱いたことと、毎日墓参りに来ていたこと。そして墓を暴かれたことである。
(すべて洗いざらい話してしまった。これでもう、完全に嫌われたわ)
怒るどころではないはずだ。不快感と嫌悪感を向けられても当然の所業である。
国を騙した罪を贖うなど、想像するだけで恐ろしい。アラセリスが個人的に償えるだろうか。一生、死ぬまで地下牢に幽閉されるだけなら、まだ罪は軽いかもしれない。
「こんな頭のおかしい話を聞いて、はいそうですか、とは言えないが……すべてのつじつまが合ってしまう」
リーンハルトは大きく息を吐きだした。前髪をかき乱し、両肘をテーブルについている。
もはや勝負を続けるどころではなくなっていた。アラセリスも、これ以上隠し事をするつもりはない。
「そもそも竜の国が本当に存在したとは……噂程度で聞いたことはあったが、おとぎ話だと思っていた」
「限られた人にしか存在を明かしていないそうです。カロンの国王夫妻は、お義兄様が自ら足を運んでマリアンネ様を迎えに行ったので、ご存じですが……」
「やはりあいつらは事情を隠していたか。あの怯えようはきな臭いと思っていた」
マリアンネの死後、リーンハルトは真っ先にカロンの王族を疑ったらしい。遺体が消えたのなら、カロンが盗んだ可能性が高いと踏んだからだ。
「俺たちはまんまと君に騙されていたということか。だが幻影の魔術は指輪にかけられていたんだろう? 君が仮死状態になったときにそれを抜き取られていたら、窮地に陥ったんじゃないか?」
「それは、殿下の慈悲にかけました。母の形見だと伝えていた指輪を抜き取らず、共に埋葬するだろうと」
「……」
彼の優しさを利用したのだと白状すると、リーンハルトはなんとも言えない苦々しい顔をした。
アラセリスも、彼ならそのように動くだろうと推測していたのだが、「妻の形見だ」と言われる可能性があったことも伝える。
「……で、竜王の腹心が君を墓から助け出して、なにも持たない君に最低限のものを授けた。そのひとつが、川に落とした鍵だった……そういうことだな」
「仰る通りです」
「だがわからない。迎えが来たのなら、何故一緒に国へ戻らなかった? 王都を離れてトレンメルに流れ着いたのは観光がしたかったからではないだろう」
それは一度国を離れたら、もう戻れることはないと思っていたからだ。一方的に傷つけたリーンハルトが笑顔を取り戻すまで、遠くから見守っていたかったことを白状する。
「私の身勝手なわがままを通した結果です。せめて殿下の元気な姿を確認できるまで、残りたかったんです」
けれどリーンハルトは喪に服したまま、やつれた姿を公に晒していた。誰が見ても心配になるほど、かつての面影が見当たらなかった。
責任を感じていたところに、アラセリスに代筆依頼が入った。少女がリーンハルトを励ましたいという、コリンナの手紙だ。
「トレンメルに来てから、殿下は毎晩眠れていますか? 食事もきちんと召し上がっていますか?」
夜がくることに怯えていないだろうか。毎朝目覚めるだろうか。
当たり前の日々がずっと続くとは限らない。マリアンネが朝、目を覚まさずに死んだことが彼の心の傷になっていたかもしれない。
今は随分薄れたが、少し前まで彼の目の下の隈は酷い有様だった。薬に頼って無理やり寝ているのだろうと思わされた。
「……心配には及ばない。大丈夫だ、ちゃんと人並みの生活に戻っている」
「本当に?」
「本当だ」
そう断言されて、アラセリスはほっとした。きっとこの言葉が一番聞きたかったのだろう。
「よかっ、たぁ……」
そう微笑んだ瞬間、目尻からぽろりと雫が垂れて頬を伝った。
「あ、れ……なんで」
人前で泣いたことなど、記憶にある限り一度もない。子供の頃に義兄の前でも泣かなかった。
飲酒の影響だろうか。感情が制御できなくて、ぽろぽろと涙が零れて止まらなくなる。
「違う、ごめんなさい。困らせたくないんです。見ないでくださ……っ」
腕を引っ張られて身体を抱き寄せられる。気づいたときには、アラセリスの顔はリーンハルトの胸板に押し付けられていた。
「見るなと言われると見たくなるが、これなら文句はないな」
「……私のこと、幻滅しましたよね? 嫌いになりましたよね?」
最初から偽物だった。騙していた。竜王の義妹という肩書だけしかなく、アラセリスはなにも持たない。素性もわからない人間の娘が、カロンの王女を名乗って王子妃にまでなっていた。蔑まれて投獄されてもおかしくない所業である。
「ごめんなさい……許してなんて言わないから」
「何故君が謝るんだ。結局誰も死んでいなかったんだろう?」
おずおずと頷いた。本物のマリアンネも生きていて、アラセリスには後遺症もない。
「ならいい。君は俺を騙していた加害者ではあるが、被害者でもある」
背中と頭を抱き寄せられる。力強い腕と温もりが服越しに伝わり、アラセリスの涙腺をさらに刺激した。
「拾われて育てられた恩を返すためにマリアンネの身代わりになったんだろう。そんな君を、どうして俺が嫌えるんだ。結局俺が好きになったのは、最初から君だっただけだ」
「……っ」
喉が震えて声が出せない。嗚咽を漏らしそうになるから、口を開くこともできない。
(優しくしないでほしい。甘えたくなる)
同じ未来は歩めない。ここで別れることがわかっているのに、リーンハルトへの気持ちが止められない。
人を好きになることが辛くて苦しいのなら、もう二度と恋なんてしなくていい。誰かに甘えることもこれっきりだと思いながら、今だけ彼の優しさにすがりついた。




