24.
食事をしながら密談ができる。そんな隠れ家的な場所として連れ込まれたのは、とある屋敷だった。ここは王妃の生家の別荘であり、今は年に数回、リーンハルトがトレンメルに滞在するときに使用しているそうだ。
「普段は宿舎に寝泊まりをしているが、たまに滞在している。今夜もここに戻る予定だった」
遅い夕食を提供される。この日は朝から予定外のことばかりだ。
(こんな風にまたリーンハルト様と向い合わせで食事をする日がくるなんて……)
緊張して喉を通らないのではないかと思ったが、よほど空腹だったのだろう。郵便局の寮で出される食事とは比べ物にならないほど豪華なものばかりで、前菜からデザートまでぺろりと平らげた。
食後のお茶を飲むとホッとする。ほんのり甘い花の香りがするハーブティーは、王城でもよく出されたものだった。
「そのお茶はマリアンネが好んでいたものだった。君の口にも合うようだ」
「……女性の口に合うんだと思います」
リーンハルトは人払いをした。使用人が食堂から退室したのを確認後、彼はようやく本題に切り込んだ。
「君には訊きたいことがたくさんある。何故君とマリアンネには似ている点が多いのか、落とした鍵がなんなのか。川が青白い光を放っていた理由と、俺とのキスに嫌悪感はあったのか、君は俺をどう思っているのか」
「あの、多すぎませんか? それに最後の質問を訊くなら、私も逆に問いかけますよ。どうして私にキス……したのかと」
互いに後悔がしたくないというのなら、納得のいく答えを見つけたらいい。もう関わらないという段階はとうに過ぎている。ここで不自然に逃げ出したら、心に棘を残してしまう。
「君は強情だから、真正面から質問しても答えてはくれないだろう」
アラセリスはムッとした。強情と言われるのは少々納得がいかない。
「殿下が傲慢なだけではありませんか? 王族が問いかけたらなんでも口を開いてくれるものだと信じていらっしゃるでしょう」
「本当に君は俺に対する遠慮が消えたな。まあその方がいいが」
愉快そうに笑いながら、リーンハルトは小さなグラスをふたつ用意した。
黄金色の果実酒をグラスに注ぐ。
「アラセリス、俺と勝負をしよう。負けた方が質問に答えるなら公平だろう」
「私、チェスとかそういうのはあんまり得意ではないのですが」
運試しのような勝負内容なら検討するが、頭脳戦ならリーンハルトに勝てる気がしない。負け戦をする者はいないだろう。
リーンハルトは「カードかサイコロ……いや、どちらも道具が必要か」と呟いている。
「わかりやすいのがいいか。コインを使おう」
彼は銀貨を取り出した。それをどちらかの手に隠し、アラセリスが言い当てるだけの単純な勝負を提案される。
確率は半分だ。いかさまもなしで勝敗がわかりやすい。
「言い忘れていたが、負けた方がこれを飲む」
「ただの果実酒ですよね? 別に構いませんが」
「いいや、それだけじゃない」
リーンハルトは小瓶の蓋を開けた。薄紅色の液体が入っている。
それを果実酒に数滴垂らしたが、香りづけのようなものだろうか。
「これは騎士団でも使っている自白剤だ」
「自白剤!?」
「尋問で使うときより濃度は薄いから安心していい。少し口が軽くなる程度だな」
リーンハルトの目は本気だった。口元は弧を描いているが、アラセリスの一挙一動を見逃さないつもりらしい。
まさかここまでやるとは思わず、アラセリスは息を呑んだ。思わず立ち上がりかけたが、ふたたび椅子に腰を下ろす。
(逃げ……られる気はしない。こんなことをするなんて、今度こそ本気なんだわ)
「……負けた方が飲むんですよね?」
「そうだ」
「勝った方が質問権を得られるんですよね?」
「その通りだ」
それなら勝てばいいだけ。確率は半分なのだから、アラセリスが連敗になることもないだろう。
アルコールには耐性がある。簡単に酔いつぶれることもないと思いながら、アラセリスは勝負に挑んだ。
◆ ◆ ◆
リーンハルトがコインを隠し、アラセリスが言い当てる。そんな簡単な勝負の一回戦はアラセリスが勝った。
負けた彼は素直にグラスを飲み干した。小さなものなので、一口で飲み干せる量である。
「果実酒の甘さに微妙な苦みが混じっている。これに気づかない奴は舌バカだろう」
「殿下の舌が肥えているだけかと……それでなんでも質問していいんですよね」
何回戦にするかを確認していなかった。恐らく一回だけということはないはずだ。
アラセリスはしばし逡巡し、やはり一番白黒はっきりさせたい質問を投げることにした。
「殿下は私のことをどう思ってるんですか?」
「君は甘いな。こういうときは逃げ道を許すような質問をするべきではないぞ」
そう言いつつも、はぐらかすつもりはないらしい。リーンハルトは細く息を吐いてからぽつぽつと話し出す。
「面白いと思っているし、目を離したくないと思っている。俺に遠慮がなくなってきたところも愉快だ。俺は君に惹かれている」
「具体的にはどういう」
「質問は一回までだ。次負けたら答えてやる」
リーンハルトはふたたびコインをどちらかの手に隠した。先ほどは右手を選んだので次は左を選びたいが、そう思う人間の心理をついて右に隠しているかもしれない。
(二回連続で右の可能性も高い。でも裏をかいて左?)
「時間制限を設けるか。五秒以内に答えろ」
「左にします」
コインは右手に隠されていた。
「残念、君が飲む番だ」
恐る恐るグラスに口をつける。彼が言っていたような苦みというものは感じなかった。
「おいしいです。林檎酒ですね」
「君は外で目を離した飲み物に口をつけるなよ? 一服盛られても気づかずに飲み干しそうだ」
「失礼ですね」と反論しつつ、アラセリスも自信がない。
たくさん訊きたいことがあるリーンハルトは質問を選び出した。自白剤の効果がどの程度のものかはわからないが、アラセリスの緊張が高まっていく。
(ちゃんと言葉を選ばないと。私は偽りだらけだから……)
マリアンネのことをなんて説明しよう。心臓がバクバクと鼓動しているのは自白剤の効果ではないだろう。
「俺にキスをされて嫌だったか?」
「……最初の質問がそれですか?」
覚悟をしていただけに、思わずポカンと口を開く。
リーンハルトはなんとも言えないムスッとした表情で、眉間に皺を刻んでいた。
「だって橋の上では黙秘しただろう。本当に嫌だったんなら、謝罪と慰謝料を支払うべきだ」
彼の本質はアラセリスが知っているリーンハルトのまま、律儀な人だった。そう再認識できただけで、肩から力が抜け落ちた気分になった。
自白剤が本物なら嘘はつけない。そして恐らく、リーンハルトは本心を明かしても言い訳ができるように自白剤を使用したのだろう。
(先ほどの小瓶が本物かどうかはわからない。飲酒の影響で口が軽くなっているだけかもしれない)
それでもわざわざ薬を使うと告げたのは、アラセリスに負い目を感じさせないためだ。真実を伝えたことは仕方がなかったのだという状況を作り出すために、彼はわざわざ小瓶まで見せた。
その気遣いを無下にはできない。そしてリーンハルトに嘘はつきたくない。
アラセリスは観念して本心を告げる。
「嫌じゃ、なかったです。本当はすごく……ドキドキしました」
顔に熱が集まりそうだ。このような状況ははじめてで、自然と視線が彷徨いだす。
心の中を誰かに打ち明けることは緊張以上に恐ろしい。嫌われたくない、疎まれたくない。ようやく見つけた居場所を奪われたくないという、アラセリスの弱くて脆い一面が顔を出しそうになる。
「それは俺が好きということか?」
「……質問はひとつまででしょう?」
もうほとんど気持ちを明かしているようなものだが、抗えるだけ抗おう。
リーンハルトに淡い気持ちを抱いていることは認めている。だが、だからと言って彼との未来を歩むつもりはない。
(気持ちを伝えるだけですっきりできることもあるかもしれない。区切りをつけたら、ようやく別々の道を歩めるようになるんだわ)
これが大人になるということなのだろう。好きになった人とは結ばれない経験も、成長するための糧になる。
三回目はアラセリスが勝った。彼がグラスを呷った後、先ほど答えてくれなかった質問の続きを問いかける。
「殿下は私に惹かれていると言いましたが、私とどうなりたいのですか」
「具体的なことはまだなにも。俺は君に興味があるし、恋愛的な意味でも惹かれているんだろう。マリアンネのように気持ちが芽生えるのを待つだけではダメだということは学んだが、強引に囲い込むような真似はしたくはない」
城に連れて帰るという強硬手段を取るつもりはないらしい。気持ちを押し付けて無理に迫ることもしないと断言されて、アラセリスは安心した。
「そもそも君には謎が多すぎるからな。すべてを明かしてもらわないと、次の提案ができないだろう」
「提案内容はなにを」
「ここまでしか答えられない」
四回目はアラセリスが質問に答える番だった。二杯目の果実酒を飲む。酒には強いはずだが、身体が少し熱くなってきた。
次もまた、リーンハルトに対する気持ちを確認させられるのだろうか。そう思っていたが、彼は一番知りたがっていた質問を投げてきた。
「君とマリアンネの関係が知りたい。外見は違うのにどうしてマリアンネに似ている? 秘密があるなら守るから、どうか俺にだけ真実を教えてほしい」
真実を明かす。アラセリスの心臓がドクン、と大きく跳ねた。
「私は……」
自白剤を飲んでいるから嘘は言えない。本当のことを言ったとしても、薬のせいだと言い切れる。
アラセリスは目を閉じた。ここで本当のことを告げたら、義兄を裏切ることになるだろうか。
(……ごめんなさい、お義兄様。やっぱり私は、これ以上この人を騙したくない)
未練を断ち切れない。新たな一歩が踏み出せない。
それならすべてを明かして、今後のことを考えた方がいいのではないか。リーンハルトは約束を守る男である。
「私が、あなたと結婚したマリアンネ妃だったからです」
真っ直ぐリーンハルトの目を見つめる。
彼の驚きと混乱と、確信が混じった表情が痛々しくて、アラセリスは自分の罪深さを改めて思い知った。




