23.
「殿下、こんな夜に磁石釣りなんてなにを考えているのですか?」
苦言を呈するのはリーンハルトの副官であるドミニクだ。
郵便局の抜き打ち監査依頼の再会である。あの日を思い出すと苦い気持ちがこみ上げるが、彼は職務をまっとうしただけ。余計なことを蒸し返すつもりはない。
「俺の不注意のせいで彼女の大切な鍵を落としてしまった。責任を持って俺が見つけ出そうと思う」
「はあ……殿下が平民の私物を? わざわざ? こんな夜に?」
(とげとげしい……!)
ドミニクにじろりと睨みつけられた。アラセリスも概ね同意見だが、言い方というものを少し考えてほしい。
「私はもう見つからないと思っていますので、このような真似は不要です。ドミニク様も殿下を止めてください」
恐らく鍵は扉の内側に吸い込まれているはずだ。いくら川底を捜しても出てこないだろう。
「だそうですよ。殿下の自己満足にしかならないようですが」
余程アラセリスが嫌いなのだろう。貴族らしいといえばその通りである。
「ああ、そうだな。俺の自己満足だ。磁石で引き上げられるかもわからなければ、見つかるかどうかもわからない」
あれからリーンハルトはアラセリスを連れて騎士団の詰所へ戻り、磁石と縄を用意した。
今では廃れているが、百年ほど前までは磁石を縄に括り付けて釣りをする人たちがいたらしい。誰かの落とし物や、上流から流れてきた金目のものを拾い、換金していたそうだ。
「殿下も磁石釣りをしたことがあるんですか?」
「いいや、はじめてだ。君が落とした鍵も金属製だろう? それなら引き上げられるかもしれない」
ドミニクは呆れたように溜息を吐いている。リーンハルトは一度言い出したら聞かないらしい。
三人は馬車で橋の近くまで戻った。そして橋の下に移動し、リーンハルトは鍵を落としたあたりを狙って磁石を放り投げた。
(無駄だと思うんだけどな……でも、自分で納得するまでやりそう)
アラセリスは完全に諦めていた。ただ落としただけではないのだ。リーンハルトに気づかれないように偽物の鍵をわざと落として、彼に拾わせたらいいのでは? とまで考えそうになる。
「なかなか難しいな。コツがいるようだ」
ちゃぷちゃぷと釣りをする姿を見守る。アラセリスは隣に佇むドミニクに視線を移した。
「止めなくていいのですか?」
「無駄です。言い出したら聞かない人ですから。適当なところで諦めてもらいます」
ドミニクは時間を設けることにしたらしい。三十分は釣りに付き合うつもりだそうだ。
「それにしてもゴミが多いな。空き缶や錆びた金属ばかりが落ちているぞ」
安全面を考慮して手袋をしているが、むやみにゴミに触れない方がいいのではないか。アラセリスはリーンハルトを見守りつつも、ハラハラする。
(なんかちょっと、楽しんでない? 少年みたいというか)
爽やかで真っ直ぐな第二王子の印象を思い出させた。彼は元々遊び心がわかる性格なのだろう。マリアンネを亡くしてから笑顔を消して荒んでいたが、今は本来の自分を取り戻しつつあるのかもしれない。
何度も何度も挑戦するリーンハルトを見守りながら、アラセリスは周囲を見渡した。少し歩いた先には手漕ぎの遊覧船……画舫の乗り場がある。主に観光客用だが、物資を運ぶこともあるらしい。
(昔は画舫でも郵便配達をしていたって聞いたことがあるけれど、あれがそうなのかな。私も一度くらい体験してみたいかも)
トレンメルは水の都と呼べるほど街中に水路があるわけではないが、昔は日常的に画舫を活用していたらしい。今もその名残があり、街にはいくつかの乗り場もある。ここもそのひとつだそうだ。
「あ、誰かの指輪を引き上げた。これは落とし物として処理した方がいいな」
「素晴らしいですね殿下。ではもうその辺でやめましょう。これ以上は無駄ですよ。川の流れも早くないとはいえ、きっともうお目当てのものは流されてしまっています」
落とした場所で鍵が見つかるとも限らない。アラセリスはドミニクの発言に同意した。
「お気持ちだけで十分ですから、ここまでにしましょう。鍵は予備がありますので大丈夫です」
嘘ではない。手元にはないが、竜の国にならある。
「……わかった。アラセリスがそう言うなら」
リーンハルトは渋々ふたりの意見に従った。縄を手に巻き付けて磁石を引き上げる。
あと少しのところで、磁石がなにかにくっついた。
「ん? 手ごたえがあるな。これも空き缶か?」
金属製の小箱だ。ずっしりした重みがある。その箱の上部には小さな穴が空いており、細い釣り糸が括り付けられていた。
糸を手繰り寄せると、川辺にある注意書きの看板に繋がっていた。
「箱がどこかへ移動しないように、木の看板に結んでいたんでしょうか?」
「怪しいな。見たところ鍵はかかっていない。開けるぞ」
こういうとき、騎士という職業は役に立つ。不審物の確認をしているだけなので、罪に問われることはない。
川に沈んでいたというのに箱の中は濡れていなかった。そして中には一枚の紙が入っていた。
「数字の四とだけ書かれているな。なんだこれは?」
「子供の悪戯とも考えられますが、手の込んだことをするとも思えませんね」
恐らくなにかのやり取りだろう。磁石を使わないと引き上げられないような場所に隠されていたのだ。やましさしか感じない。
「つまり、この辺で四の数字を探したらいいんですよね? 私、見てきます」
「待て、アラセリス。ひとりじゃ危ない」
川に落ちないように気をつけたらいい。それに少し周辺を散策するだけだと告げて、アラセリスはリーンハルト達から離れる。
「四……四番目? なにかの暗号か、ただの指示か」
こんな場所に数字を隠すなど、大事なやり取りに違いない。この近くに答えがあるはずだと考えて、先ほどまで見ていた画舫の乗り場に辿り着いた。昔は鮮やかな色合いの塗装をしていたそうだが、今はすべて黒一色である。
今日は定休日だったらしい。ただ紐で繋がれているだけの状態で、不用心ともいえる。
「船の数は五つ。番号は……あった!」
アラセリスは急いでリーンハルト達を呼びに行き、乗り場へ案内した。彼らもなにかを感じたのだろう。颯爽と四番目の船に乗り込んだ。
「無許可で乗ってもいいのですか? 問題になるのでは」
「不審物が仕掛けられている可能性があるんだから、正当な調査だ。それに動かすわけではない」
アラセリスは無言になった。権力者というのは大胆で傲慢である。後でいくらでも言い訳は作れるのだろう。
「殿下、ただ見て回るだけに留めましょう。下手に触れて壊しでもしたら問題になりますから」
意外とドミニクの方が慎重だった。上官の暴走を諫めるのも副官の役目なのだろう。
「ああ、わかっている。俺がなにかを隠すなら、隠しやすく出しやすく、絶対に見つからない場所にする」
長居をしていたら怪しまれる。すぐに出し入れが可能な場所に隠すと言い、アラセリスも頷いた。
「それなら人が座る場所ではないですよね。船頭さんも無関係なら、基本的には誰も触れない場所では? たとえば船首の飾りとか」
「飾り……この人形か」
船の全面には金属製の人形がついている。これは水難事故から守る女神を模したものだと言われているそうだ。
「ドミニク、この女神の名前はあれじゃないか」
「ええ、テティシアかと。テティ、テテとも呼ばれているアレと酷似していますね」
「テテ……とは?」
口をはさむべきではないと思いつつも、つい問いかけてしまった。もしかしたら騎士団が追っている事件の手がかりが隠されていたのかもしれない。
「アラセリス、テテという言葉に聞き覚えはあるか?」
「いいえ、まったく。はじめて知りましたし、その水難事故から守る女神様? も、存じ上げていません」
マリアンネの身代わりを勤めるとき、カロンの歴史には一通り目を通していた。最低限の知識もなければ王女の役目など務まらない。
「テティシアは海を守護する女神の名だが、テテとは俺たちが追っている違法薬物の通称だ。テティ、TTと書かれることもある。君が手配した郵便物に入っていた薬物がそれだ」
「……っ!」
この一年弱で、急に国内に出回るようになったらしい。だがどこから持ち込まれているのかがわからない。出所はこのトレンメルではないかと疑っているそうだ。
「トレンメルには貿易港があるだろう。そこの検査を強化しているが、国外から薬物そのものを持ち込まれているわけでもなさそうだ。それなら国内のどこかで薬を精製しているのではないかと疑っている。原料だけ密輸し、精製はここで。だが調査は難航中だ」
リーンハルトは船首の女神の人形に触れた。そして軽く力を入れて、反時計回りに女神をくるくる回しだした。
「動いた……!」
「思った通り、中が空洞だ」
女神の頭と胴体が真っ二つに分かれた。そしてリーンハルトは中からガラスの筒を取り出した。その容器にはキラキラ光る糸が入っている。
「なんだ、これは。銀色のような」
「蚕か蜘蛛の糸ですか……?」
みっしりと詰まっている糸は一見綺麗だが、少し不気味だ。
「もう一個容器があるな。こっちは白い粉だ」
「そちらは薬でしょうね」
ドミニクが断言した。どうやらこの画舫は、薬と原料を運ぶ役割をしていたらしい。
「つまりここの船頭が薬の運搬に関わっているようだな。どの船に隠したかの指示を、わざわざ川の底に隠して連絡していたんだろう」
郵便局を使うよりも怪しまれずに違法物を運ぶことができる。水路がある場所は限られているため遠くへは運べないが、トレンメルの端まで行くことができるだろう。
「大真面目に郵便局を経由して違法薬物を送っているとは思わなかったが、あれは目くらましだろう。郵便局だけ取り締まればいいと思わせておいて、こんな風に小賢しい浅知恵を使ってくる。ドミニク、これを検査に回せ」
「畏まりました」
リーンハルトはふたつの容器をドミニクに手渡した。
仕事を命じられたドミニクは縄と磁石も回収し、一足先に馬車で詰所に戻る。この場に残ったのはアラセリスとリーンハルトのふたりだけになった。
(とんでもないことに巻き込まれちゃった……というか、なんで殿下も帰らなかったの?)
船首の人形などを元に戻してから、アラセリスは早くこの場から離れるように促した。この現場を誰かに見られていたら、ふたりの身に危険があるかもしれない。
ふたりは川辺から離れて人通りのある大通りへ向かう。
「今のところは監視の気配はないが、いつどこでなにに巻き込まれるかはわからない。アラセリスも、できるだけひとりにならない方がいい」
「そうは言われましても……私、寮で暮らしているので」
寮では一人部屋を与えられている。常に同僚と行動を共にしているわけではない。
それに違法物の件は、好き好んで巻き込まれたわけではない。勝手に巻き添えを食っているだけである。
「わかった。それなら君も騎士団の宿舎の客室にでも……いいや、男所帯だからダメだな。女性は通いの者たちがほとんどだ。宿舎がなかった」
「あの、なにを心配されているのかわかりませんが、私は今まで通り寮に戻りますからね? これ以上関わるつもりもありませんので」
「ダメだ。ひとりにはさせられない」
不意に片手を握られた。指を絡められて、アラセリスの心臓がドキッと跳ねる。
「手を離し……」
「今君と別れたら、もう二度と俺の前には現れない気がする」
「……っ」
手に力を込められた。彼の発言を否定できず、言葉に詰まる。
(多分私は、今夜ひとりになったら今後のことを考えてお義兄様に相談して、場合によってはそのまま国へ戻ることになるかもしれない)
リーンハルトの懸念の通りになりそうだ。これが最後の逢瀬になる可能性は十分にある。
「アラセリス、本音で話がしたい。でないと俺は一生後悔しそうだ」
「……っ!」
アラセリスの瞳が揺れた。ここで逃げたら後悔するという言葉が思いのほか、自分にも重く響いてしまった。




