18.
二日に一度の頻度で、リーンハルトが現れるようになった。仕事帰りに待ち伏せされるだけでも心臓に悪いというのに、職場にまで現れるようになったときは、さすがにアラセリスも苦言を呈した。
「殿下……用事もないのに郵便局に来られるのは困ります」
「用事ならある。君に代筆の依頼しに来たのだから、仕事の一環だ」
記憶の中の彼のように、キラキラ眩しい笑みを浮かべている。多くの人が見慣れていた第二王子の笑顔は、郵便局にいた全員を虜にした。
「嘘、殿下が笑ってる……」
「ああ、以前の姿に戻ったようだ」
ざわめきが伝染する。トレンメルに来た当初、リーンハルトは殺伐とした空気を纏っていたが、今はかつての面影を取り戻しているようだった。
目の下の隈も薄れて血色もいい。大分健康的になった姿を見ているだけで、アラセリスも安堵する。
だが、アラセリスはそう単純に喜べない。
(成り行きで友達になってしまったけれど、これって私も注目の的では……!)
目立ってはいけない。静かにひっそりと暮らそうと思っていたのだ。アラセリスの経歴を暴こうとする者が現れたら、すべて作り物だとバレてしまう。
リーンハルトはアラセリスが勧める前に、椅子を引いて着席した。本当に代筆の依頼を死に来たようだ。
(もういいわ。不敬罪だなんだって気にしなくても)
この男に好かれたいわけではない。逆に無礼だと思われて嫌われた方が気楽である。
アラセリスは呆れたため息を吐いてから、「ご依頼内容は?」と尋ねた。
「兄上に誕生日のカードを送ろうと思う。ここでは各種のカードも揃えているんだろう」
「では、カードだけ購入されたらいいのでは? 殿下が気持ちを込めたカードを送った方が、王太子殿下も喜ばれるでしょう」
「生憎手首の調子が悪くてペンが持てそうにないんだ。アラセリスに書いてほしい」
爽やかに笑いながら手首が痛むことを主張した。だが包帯も巻かれていないため、非常に嘘くさい。
「手首の捻挫なら早めに医務室に行かれた方がよろしいのでは? 包帯も巻いて固定した方がいいと思いますよ」
「ありがとう、早速友として俺のことを気にかけてくれるんだな」
「いいえ、一市民として殿下のことを心配しているだけです。ただの義務感です」
アラセリスの背中にチクチクと視線が刺さる。同僚や上司は、何事だと思っているのだろう。後で説明するのが非常に面倒そうだ。
当の本人は愉快に笑っていた。その笑みも次第に胡散臭く見えてきた。
「……では、誕生日に相応しいカードを一枚お選びください」
デスクの引き出しから見本を取り出した。季節限定のものから可愛い絵がついたものまでと、幅広い年代に好かれるものを揃えている。
「ほう、面白いな。こういうのはどこで仕入れているんだ?」
「委託先がいくつか。それと個人のカード作家と契約している商品もありますね。子供向けのものが特に人気です」
(そういえば王家は決まったカードしか使わないから珍しいんだわ)
王家の紋章を記したシンプルなカードが基本である。気品あふれたものだが、可愛らしさや遊び心という点では物足りない。
「兄上は夏生まれだから、夏に相応しいこれにする」
リーンハルトが選んだものは浜辺を歩くカニが描かれたものだった。子供向けの一枚である。
「えっと……、これを受け取った王太子殿下は戸惑うのではないでしょうか。殿下がカニを食べたいのかと勘違いしそうですが」
「兄上ならきっと、夏らしくていいカードだと言うと思う。もしかしたら俺が描いたのではないかと疑うかもしれない」
アラセリスは数回しか会ったことのない王太子を思い出す。一見堅物に見えるが思慮深くて情に厚い。そして家族想いの男だった。
リーンハルトは騎士団の副団長をしているが、王太子の補佐もしている。今はどちらの仕事でトレンメルに来ているのだろうか。
「ではカードはこちらで、インクはどの色になさいますか? 黒以外にも青、緑、赤、紫が選べます」
「緑がいい。兄上が好きな色だ」
他愛のない話から、王太子の好みまで把握した。この程度なら誰に聞かれても問題ないのだろう。だが、私的なカードの内容をこの場で喋らせるのはいかがなものか。
「殿下、場所を移動しますか?」
「別にこのままで構わない。聞かれて困る内容でもないからな」
(周りは気にすると思いますが……)
アラセリスは下書き用の紙を用意した。基本的に内容は書き留めてから、カードに挟む薄紙に清書をする。その方がミスを防げるからだ。
リーンハルトは宣言通り、当たり障りのない祝いの言葉を述べる。
彼が滑らかに紡いだ言葉を紙に書く。すべてを聞き終えた後、アラセリスは一文字ずつ丁寧に清書をした。
マリアンネの字と酷似している件については、一旦忘れることにした。この仕事を開始してから何十通と代筆をしてきたのだ。逆に開き直り、マリアンネ妃の筆跡とそっくりだと言いふらした方が、いい宣伝になるかもしれない。
(字が似ているってだけで同一人物だと判断はできないもの。幻影魔術にかかっていたなんて、誰も予想はできないわ)
竜族は竜王を裏切らない。アラセリスも義兄を裏切るつもりはない。だからこの件は自分が口を閉ざして否定を続けるだけでいい。
「……あの、じっと手元を見つめられると緊張するのですが」
「そうか、じゃあ慣れろ」
目を逸らすつもりはないらしい。彼は口角を上げたまま、面白そうに笑っている。
マリアンネに言われたら即視線を逸らしただろうに……と、アラセリスはまた、過去と比較しそうになった。
(いけない、いい加減にこの癖はやめないと。誰かと比べることなんて無意味なんだから)
相手が誰であっても、仕事としてまっとうする。一文字ずつ丁寧に、心を込めて代筆する。それがアラセリスの仕事である。
ものの数分でカードが書き上がった。インクが渇くまで少し置いておくことにする。
「封筒はこちらでよろしいですか。住所はお城の名前だけで届きますが」
「そうだな、ある意味便利だ。ああ、封筒はなんでもいい。宛先は兄上の名前で頼む」
依頼の通り手配し、封筒に切手を貼る。リーンハルトは本当にただカードを送るだけで満足だったらしく、代金を払うと席を立った。
「ありがとう、アラセリス」
「……とんでもございません」
アラセリスは一礼し、デスクからリーンハルトを見送る。彼なら部下の誰かに代筆させることもできただろうに、何故わざわざ郵便局にまで来たのだろう。
それにたった一言礼を言われただけでじわじわと顔に熱が上がってきた。不意打ちの笑顔と名前呼びが少し困る。
「きゃあ、蜘蛛っ」
誰かの小さな悲鳴が聞こえた。虫が入り込むことなど珍しくないが、予想外だったのだろう。
アラセリスは声がした方へ向かう。銀色に輝く蜘蛛を見かけた。
(銀色? 珍しい……)
毒蜘蛛かもしれない。捕まえてもどこへ逃がしたらいいのだろう。
そんな一瞬の躊躇いを断ち切るように、ダン、と音がした。出口へ向かっていたリーンハルトが剣で蜘蛛を貫いていた。
「むやみに触らない方がいい。毒があるかもしれない」
ざわめきが広がる。局長のデリンガーが慌てて奥から現れた。
「銀後家蜘蛛……」
(シルバーウィドウ……?)
なんのことだかわからないが、デリンガーはそう呟いた後、リーンハルトに駆け寄った。
「大丈夫ですか、殿下。お怪我は?」
「問題ない。ただの蜘蛛だ」
リーンハルトは蜘蛛を貫いていた剣を抜く。デリンガーに虫の処理と床を傷つけたことへ謝罪をした。
「いえ、そんな! 床に多少傷がついたくらい問題ございません」
彼は部下を呼び、不要になった紙で絶命した蜘蛛をすくっていた。そのままゴミ箱へ入れるのかと思いきや、焼却炉で燃やすと告げている。「毒があったら困りますから」と。
(局長って細かい印象が強いけれど、徹底しているわよね)
だからこそ管理職として大勢をまとめられるのだろう。
そう感心しつつ、アラセリスは出口の近くに佇んでいるリーンハルトの元へ駆け寄った。
「お手を煩わせてすみません。お怪我はないですね?」
「問題ない。噛まれたわけでもないからな」
「そうですか。それで右手の調子も問題ないようですね」
先ほどはペンも持てないと訴えていたが、ペンより遥かに重い剣は持てるらしい。
「不思議ですね~私には剣の方が重そうに見えるのですが」
「……咄嗟に癖で剣を使ってしまった。手首にまた負荷がかかったようだ。ああ、大変だ。これは完治するまで時間がかかりそうだな」
(……怪しい)
ジトっとした目でリーンハルトを見つめる。
彼はアラセリスの視線から逃れるように颯爽と郵便局を後にした。




